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世界への旅(旅行記)

チベット、大陸中国周遊

ポタラ宮 ~ラサの象徴

2001年8月5日

ポタラ宮はラサ市街の至る所から見られ、前日にはヤクホテルの屋上から見事な眺めを遠目に見たばかりだが、間近に見てみると、やはりその大きさと、神秘さに満ちた存在感に引き寄せられる。 いつの間にやら値上げのあった入場料のことで少々悶着があったものの、ともあれ、私たちは“ラサの象徴”に足を踏み入れた。

ポタラ宮
ポタラ宮

外から見た大きさもさることながら、中に入ると、少々入り組んだ構造も手伝って、それ以上に広い印象を受ける。とにかく、展示室と展示物の数が多い。
しかし、その大きさ以上に私たちを引き付けたのはその雰囲気だ。無数の仏像や歴代ダライ・ラマの像、曼荼羅(マンダラ)、仏典の数々、そして辺り一面に充満するバターランプ(チューメ)の臭いは、今までに来たことの無い別世界を私たちに感じさせる。これが、チベット仏教の“色”なのだろうか。
チベット仏教を特色付けているものは、何なのだろうか。宗教の知識が乏しいのでうまく言えないが、私が直感的に感じたのは、奥深さと複雑さ、とでも言うべきものだろうか。仏像や絵画、曼荼羅を見ただけでも、他の宗教とは趣を全く異にした構図・色彩で描かれており、そこには独自の世界観がある。単なる「馴染みの無さ」とも違う気がする。
チベット仏教をこのような様相にしたのは、一体何だったのだろうか。ほんの数日の滞在で分かるはずもない。いや、何年、何十年かかっても、見えてこないのかもしれない。

見ごたえのある場所であることは疑いない。しかし、何かが欠けている ―― そう、ここにはいるべき者がいない。言わずと知れた、ダライ・ラマ14世だ。主のいないポタラ宮は、どこか寂しげにも見えた。
醜悪に飾り立てられたポタラ宮前
醜悪に飾り立てられたポタラ宮前

参観を終えて、正面広場からポタラ宮に目をやると、そこには醜悪な光景があった。ポタラ宮の真ん前に、大きなステージが築かれ「慶祝西蔵(チベット)和平解放50周年大会」の横断幕が、でかでかと張られていた。
間違いない。ここが、私たちをゴルムドで足止めさせた式典の会場となっていたのだ。

武力を使って侵略しといて、何が"和平(平和)解放"だよ!

それは、そこにいた全員の一致した意見だった。

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