バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

香港、深圳、マカオ

マカオ-1 ~西洋と東洋の融合

2004年1月30日

香港・銅鑼湾の宏發賓館を後にして、上環のフェリーターミナルに向かう。
このターミナルの名前は“港澳碼頭”。“港”は香港の略称、“澳”は澳門(マカオ)の略称である。 ターボ・ジェット
香港―マカオを結ぶターボ・ジェット
即ち、この日私が向かおうとしていた目的地は、マカオであった。

マカオもまた、香港同様、一国二制度の下“大陸”とは一線を画された地域である。マカオ―大陸間でパスポートが必要であるほか、香港―マカオ間の移動でもパスポートが必要だ。港澳碼頭でも勿論、出境審査があるが、ごく簡単で、香港―深圳間ほど人も多くなく、実に短い時間で手続きは完了した。
乗船前に座席指定のシールをチケットに貼ってもらい、乗船して指定の席に着く。マカオ行きのターボ・ジェットは定刻通り、香港の港を出発した。

香港から1時間ほどの船旅で、マカオ側のターミナルに到着。香港出境時と同様、簡単な入境審査を経て、ターミナルを出た先で、マカオの地を踏みしめた。
セナド広場
セナド広場
聖ポール天主堂跡
聖ポール天主堂跡

マカオの歴史は、モンテの砦にあるマカオ博物館の展示を見るとよく分かる。
海路を通じて西洋人が初めて中国に来たのは1517年。ポルトガル人が珠江デルタに現れたこの年以来、ポルトガル人のマカオ進出が活発化する。一度は禁止されたポルトガル人入国だが、非合法の入国はその後もとどまらず、1550年代に難破を理由に認められたのを機にポルトガル人入居が始まり、やがてマカオはポルトガル政府の統治下に置かれるようになった。
1999年12月20日、マカオは中国統治の下に復帰するが、それまでの間に街並みはすっかり西洋風に変貌していた。現在でも、セナド広場聖ポール天主堂跡ギアの灯台聖ドミンゴ教会をはじめとする数々の教会などが、西洋の香りを色濃く漂わせている。特に教会の多さは、ポルトガル人の中国進出の目的が交易以外に、キリスト教の布教にあったことの表れでもある。

街を歩く人々のほとんどは中国人で、街の様子は、本当にヨーロッパに来たのではないかと思える程、西洋的 ―― 普通に考えればアンバランスである。しかし、なぜかそれ程違和感が感じられない。
ここマカオでは、西洋と東洋が見事に融け合っている。

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