バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

北京とその周辺

盧溝橋、宛平城 ~2度目だが覚えていない…

2007年2月21日

この日は北京の西郊外に向かう。

まずは、2度目となる盧溝橋を目指した。800年以上も前に築かれ、マルコ・ポーロが絶賛し、日中戦争開戦の場となったこの橋もやはり、北京の歴史を物語る"オールド・ペキン"の象徴と言ってもいい。
盧溝橋
霧の盧溝橋
以前は行き方が分からず白タクを利用したが、今回は六里橋という場所からバスに乗ればいいことが分かった。しかし、六里橋はバス停が多く、どこから乗ればいいのか分からず少々時間を浪費した。

この日は前日までの好天とは打って変わって、霧がかかって少々肌寒い天気となった。しかし、霧がかかった盧溝橋というのも、また風情がある。

橋を渡り切ったところで、その場に居合わせた中国人男性と写真を撮ってもらい合った。
ハルビンから来たという彼は私に「あなたも東北から来たのか?」尋ねてきた。当時は中国東北地方の大連で暮らしていたので、私の中国語にも、やはり東北訛りが入っているのだろうか。私は「そう。大連から来た」と、決して嘘ではないのだが少し悪戯心を交えて答えた。
「でも、故郷は大連じゃないよ」
「じゃあ、どこ?」
「日本!」
それを聞いた時の彼の驚きようはかなりのものだった。

それから、彼と暫く話をしながら歩き、盧溝橋の出口へと向かった。
盧溝橋の傍らには、城壁で囲まれたエリアがあった。宛平城である。以前盧溝橋に来た時にも目にしているはずなのだが、何故か印象に残っていない。

宛平城
宛平城の城壁
宛平城内部
宛平城内部の町並み

ハルビンの男性と城壁の内部に入り、城壁に上ってみた。道を歩いているだけでも古い趣を感じることができるが、城壁の上からは更に、老街の様子をくっきり見ることができる。
よく見ると、城内に抗日戦争記念館が見える。間違いない。この城内には来たことがあるはずだ。(後で知ったのだが、宛平城は盧溝橋事件の際に日本軍が最初に占拠した場所だったのだ)

城壁を下りた後、ハルビンの男性は飛行機の時間があるからと宛平城を去ったので、そこからは独りで城内を歩き回った。
やはりいい雰囲気である。盧溝橋事件当時の町並みがそのまま残っているかのようだ。
歩いているうちに、抗日戦争記念館の前に着いた。以前も参観した場所ではあったが、過去の出来事に背を向けない、という気持ちが私を施設内に入らせた。

ここを参観して感じたことは、基本的に以前と同じだが、改めて見てみると、今回は"中国共産党万歳"的な不愉快な展示がやけに鼻について感じられた。

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