バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第3部 チベット

ニャラム-ダム ~悪路を走って国境の街へ

2007年7月21日

交通規制が解除され、目的地ダムまであと30km地点であるニャラムの街までの道は、工事中ではあったもののまだましな状態だった。
そこを過ぎてからが、私がこれまで通ってきた中で間違いなくワースト・ワンの道だった。

工事中のダムへの悪路
工事中のダムへの悪路
工事中のダムへの悪路
狭い上に工事車両が路肩駐車

未舗装の道には既に慣れていたが、今回の道は石がまだ十分に取り除かれておらず、絶えず大きな揺れに悩まされる。道幅は南行きと北行きを交互に行わなければならない程狭く、ちょっとハンドル操作を間違えれば川もしくは谷底にまっ逆さまということにもなりかねない。乗用車ならまだしも、この道をバスも通っているということが信じられない。
やがて激しく雨が降り出し、もやも出てきて、揺れに加えてぬかるみと視界不良にまで見舞われる。

しかし、明るいうちはまだよかった。この道の本当の恐ろしさを感じるのは、日が暮れた後だった。
この道には街灯などというものが無い、いやそれ以前に、電気というものが通っていないらしいのだ。明かりは自動車のヘッドライトのみが頼りの真っ暗な道だったのである。
「何で昼間に工事で夜に通行なんだ? 普通逆じゃないか?」
出発前はそんな疑問を抱いていたが、通ってみてその理由が分かった。こんな所で夜間工事などしようものなら、間違いなく視界不良で死人が出るだろう。
夜の闇と激しさを増す雨に阻まれ、車は徐行を余儀なくされる。時には滝のように雨が降り注いでいる地点もあった。しかし、ガイド氏はそんな場所でわざわざ車を停めて、「洗車だ!」と喜んでいる。私たちが恐れおののく道も、何度も通っているガイド氏にとっては慣れっこだったのだ。

約40kmの悪路に悩まされること2時間。22時、ようやくチベット・ネパール国境の街であるダムの街に到着した。
ダムからニャラムへの通行は午前1時に解禁となるのだが、既に車が長蛇の列をつくっている。おまけに道が細いにもかかわらず皆好き勝手に車を停めているので大渋滞となっている。
「悪いけど、先にホテルへ行って私の名前で部屋を確保してもらえますか」
ガイド氏に頼まれて、私は独り車を降りて先行し、彼に指定された国境近くのダムホテルで部屋を確保する。
程なくして皆到着し、部屋に落ち着く。粗末な部屋だったが、地獄のような道を通ってきた私たちにとっては天国に等しかった。
食堂に飾られていたチョモランマの写真
こんなチョモランマを見たかった…
(食堂に飾られていた写真)

※工事が終わった今ではもはやこんな苦労をしないで済むと思われる。

5人で近くの食堂に行ってみると、ガイド氏もいた。彼にビールをおごってもらい、別れの乾杯をした。多少のトラブルはあったものの、彼のおかげでここまで来ることができたのだから、感謝するばかりである。
ここ数日、強行スケジュールで高地を走ってきたこともあって酒とは縁が無く、久々に飲んだビール(ラサビール)は体全体に心地よくしみわたっていった。
「あ、あれ…」
私は壁に掛けられていた1枚の写真を見て、思わず声を上げた。そこには、私たちが終に見ることのできなかったチョモランマの全貌がくっきりと写っていたのである。
「見たかったな…。またチベットに来られるかな?」
「来るんじゃないの? 次はカイラスでしょ!」
ぼやく私に、サトコが冗談めかして返してきた。当時はカイラス巡礼など全く考えていなかったが、ネパールへ抜けた後も繰り返し言われるうちに、

またチベットに来るぞ。今度こそチョモランマを、そしてカイラスへ!

と、冗談ではなく強く思うようになることになる。

ともあれ、今回のチベットもいよいよ明日が最終日。そして、いよいよネパール入りだ。

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