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世界への旅(旅行記)

アジア周遊第5部 北インド、パキスタン

アムリトサル-1 ~シーク教と黄金寺院

2007年8月8日

デリーから、パキスタン国境にほど近いアムリトサルに移動する。
時間がいい具合だったということで選んだ列車は空調付き座席車両(CC)だったとはいえ、妙に切符の値段が高かったのだが、乗ってみて理由が分かった。寒いくらいに空調が効いていて、まずミネラルウォーター、次にお茶とお菓子、しまいには食事のサービスまであった。どうも普通の列車とは違うと思ったら、シャタブディ・エクスプレスという特別急行列車だったのである。
たまにはこういう贅沢も悪くはないが、やはり私には分不相応だ。

アムリトサルには13時半に到着。ツーリスト・ゲストハウスで荷物を降ろし、いざ行動開始だ。

アムリトサルには、幾つかのキーワードがある。

1つは、シーク教
イスラム教の影響を受けつつヒンドゥー教のカースト制・偶像崇拝を否定する形でインドに勃興した宗教だ。男性のターバン、徹底的な禁煙という特徴もある(インド人というとターバンを思い浮かべる方もいるかもしれないが、実は少数派であるシーク教徒特有のスタイルなのだ)。
アムリトサルはその総本山の都市であり、中心となる寺院が、旧市街にあるGolden Temple黄金寺院)だ。
黄金寺院
黄金寺院
シーク教の決まりごとに則り、靴と靴下を脱いで足を洗い、髪をバンダナで隠して境内に入る。
中には、長方形の大きな池(と言うよりむしろプール)がある。その池の上に、その名の通り金色に輝く本堂があり、信者たちは列をなして本堂参りをしている。池では沐浴する人々も少なからずいる。
シーク教というと正直、少々おっかない印象を抱いていたが、異教徒の参観を快く歓迎してくれる点、そして参詣する信者たちの和やかな表情を見ていると、そんな印象を改めざるを得ない。

もう1つのキーワードが、"アムリトサルの虐殺"。
1919年、インドの民衆たちにイギリス軍が銃を向け、379人もの死者を出すという痛ましい事件が、この街で起こった。
その現場が、現在のジャリアーン・ワーラー庭園だというが、インドに来てから自慢の地理感覚・方向感覚がおかしくなってきており、虐殺の現場を特定することはできなかった。(リキシャを利用する発想が浮かばなかったのが悔やまれる)。更に、地図に載っていた要塞跡も探したのだが、あちこち歩き回った挙句、あのモスクみたいな建物がそうか?というものをバザールそばで見かけただけだった。
急性の方向音痴に陥ってしまったようである。

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