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世界への旅(旅行記)

アジア周遊第5部 北インド、パキスタン

アムリトサル-2 ~虐殺の傷痕

2007年8月19日

ジャリアーン・ワーラー庭園の記念塔
ジャリアーン・ワーラー庭園に建つ記念塔
前回場所を特定できなかったジャリアーン・ワーラー庭園をもう一度探しに出かける。今回はフンザで別の日本人ツーリストたちから情報を得たこととと、現地の人にきちんと道を聞いたこともあって、無事たどり着くことができた。前回は分かりにくい場所という情報ばかり頭にあって分かりにくそうな場所ばかり探していたのだが、見つけてみると黄金寺院参道入り口に当たる場所で人の出入りの多く、実に分かりやすかった。

庭園内には、まず中央奥に記念塔のようなものが建っているのが目に入る。
しかし、それ以上に印象に強く焼きついたのが、その傍らにある小さな建築物の跡のようなものだ。
壁には"BULLET MARKS"、即ち「弾痕」と書かれており、確かに弾痕が壁の上に幾つも、生々しく刻まれている。
そう。ここは1919年、インドを支配していたイギリスへの抗議運動を行っていた地元民たちに対しイギリス軍が無差別虐殺を行ったアムリトサルの虐殺のまさに現場なのである。

弾痕
弾痕の残る建物
血痕
溝の中には当時の血痕まで残っている

「生々しい」と言えば、もう一つ忘れられないのが、その周りを囲んでいる溝。そこにはまさしく、当時飛び散ったインド民衆の血吹雪の跡が残っていたのだ。

虐殺する側の気持ちなどこれを見た後でも分からないし、分かりたいとも思わない。虐殺された側の立場とて想像し易いことではないが、この弾痕・血痕がインド民衆を立ち上げ、独立運動に火をつけたということは実によく理解できる。どんな理由があろうと武装すらしていない人々に銃を向けるということは人の道から外れた行為であり、銃を向けられた側がそれに抗うのは人として当然の行為なのである。

<後日談>
旅を終えて帰国した後の2008年3月、チベットで中国が行った虐殺行為をテレビを通じて見た私はその念を更に強めることになる。

裏通りのクラシカルな建物
裏通りのクラシカルな建物
さて、前回アムリトサルを訪れた時、方向感覚に自信を持っていた(自信を持ちすぎて逆に勘任せで歩いて迷うこともあるが)私が「急性方向音痴」になってしまった。それはパキスタンを回っている間に解消されたと思っていたが、この街に戻ってまたそれが顔を出してしまった。今回も要塞を探し回ったが、それらしき場所には小さな古い建物があるばかりである。
訳も分からずに歩き回って、裏通りにも入り込んだが、そこはそこでクラシカルな建物を見ることができ、「瓢箪から駒」の発見をすることもできた。
とはいえ、どうもアムリトサルには ―― 若しくはインドには ―― 人を迷わせる力のようなものがある気がしてならなかった。

宿のある駅前に戻ってみると、インドにしては珍しく酒屋が多いことに気づく。イスラム教はもとよりヒンドゥー教、そしてこの街が総本山であるシーク教でも酒は戒律でご法度とされているのだが…。ともかく、飲兵衛にはありがたい限りである。この日朝までいたパキスタン・ラホールのうだるような暑さに比べてここアムリトサルは風が適度に吹いていて過ごしやすかったこともあり、冷たいビールではなく喉が焼けるようなドライジンを買い、ネパール以来2週間ぶりの美酒を楽しんだ。

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