バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第6部 北インド

サールナート ~ブッダ初説法の地

2007年9月8日

10時半、ヨージ・ナナ夫妻がヨガ教室から戻ってきたところで、3人でバラナシからサールナートへ出かける。
サールナートはバラナシの北東約12kmの場所にある所で、悟りを開いたブッダが初めて説法を行った地といわれている。鹿が多く生息していたことから漢名で「鹿野苑」とも呼ばれており、初説法の聴衆は5人の修行僧のほか鹿も含まれていたとすらいわれるほどだ。
バラナシJN駅からバスが出ているという情報があったので、まず駅までリキシャで移動する。しかし駅のどこからバスが出ているか分からず、そう遠くもないので結局そこからオートリキシャで行くことにした(3人で60Rs)。
仏教ゆかりの地に向かう私たちに、リキシャワラーは道すがらブッダ悟りの地・ブッダガヤについての薀蓄を語る。私もヨージ・ナナ夫妻も次はブッダガヤに、と思っていたので興味深く聞かせてもらった。
「鹿野苑の前に日本寺へ行ってみませんか? 私もお気に入りの場所なんですよ」
日月山法輪寺
日月山法輪寺
リキシャワラーの勧めで、日月山法輪寺に立ち寄ってみた。これまでチベットやネパールで見てきた原色の強い寺院とは異なり、黒い瓦屋根と白壁を基調とした、日本風の質実とした寺院だった。チベット寺院やネパール寺院も悪くないが、やはり慣れ親しんだ雰囲気の寺院を見ると心が落ち着く。

日月山法輪寺でリキシャを降りた後、ジャイナ教寺院(ここにいた人によると、『ジャイナ教は仏教と似た部分がかなりある』とのこと)を見学。それから考古学博物館を訪れる。ヒンドゥー教等の展示がされていた部分はお粗末だったが、仏教の展示部分は説明もしっかりと書かれていて、かなり保存状態のいい仏像やブッダの生涯を描いたレリーフがあったりして見応えがある。それにエアコンが効いていて、じりじりと暑い表に比べて実に気持ちがよかった。

サールナート
サールナートの遺跡。中央に見えるのがダメーク・ストゥーパ
アショカ王の石柱
アショカ王の石柱

昼食後、本命の鹿野苑を参観する。
現在この地に残っている遺跡で一番目立っているのは、6世紀に創建されたダメク・ストゥーパ。そしてその横に、ブッダが瞑想のために座ったと思われる場所に1931年に建てられたムルガンダ・クティ寺院の遺構がある。マウリヤ朝のアショカ王が紀元前3世紀に建てた、ネパール・ルンビニにも同名のものがあるアショカ王の石柱も見られるが、こちらの石柱は残念ながら根元でぽっきりと折れてしまっている。
いずれもブッダの時代に比べれば新しく、ブッダゆかりの遺跡、と言えるものではない。
鹿
ここには今でも鹿がいる
しかし、それならそれで自由にイマジネーションを働かせてみればいい。ムルガンダ・クティ寺院の遺構の真ん中に立ちながら、ここでブッダが5人の修行者たちに道を唱える姿を、この場所に重ね合わせてみる。
現在、仏教は世界各地に幾つもの宗派を抱えている。しかし、この地で唱えられたブッダの"初志"と言うべき思いは、宗派や時を超えていつまでも生き続けることだろう。
私は、そのために何かを担うことができるだろうか。

ところで、上にも書いたようにサールナートの漢名は「鹿野苑」だが、ここには今でも鹿が飼育されている。
[もしかして、この鹿たちのご先祖様がブッダの初説法を拝聴したともいわれる鹿なのか?]
思わず、そんなイマジネーションまでかき立てられる。

帰りはバラナシのダシャシュワメード・ロード入り口のゴードウリヤーまで、オートリキシャで一気に戻る。仏教の世界から一転、ヒンドゥー教の世界へと引き戻された。
ヴィシュワナート寺院の門前街
ヴィシュワナート寺院の門前街
後になって夕食にMEGU CAFEへと向かう途中に通るヴィシュワナート寺院(黄金寺院)の門前街は特にヒンドゥーの雰囲気が強い。どちらかと言うと地元の人々をターゲットにしていると思われるヒンドゥー色の濃い商店が軒を並べていて、ツーリストが目立つベンガリー・トラに比べてインド人が圧倒的に多い。
そんな中を歩いていると、目ざとく寄ってきてささやいてくる男がいた。
ハッパ?」
要するに、マリファナの売人である。バラナシでは、外国人と見るやこう声をかけてくる連中がどこにでも出没する。仏教の聖地を見てきた余韻をぶち壊された私は、思わずその男に蹴りを入れた  ――  くなる衝動に駆られた。

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