バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第7部 マレー半島、タイ

シンガポール-2 ~ブギスからマリーナ・ベイを歩く

2007年9月23日

シンガポールのもう一つの良さが、大都会で高層ビルが立ち並んでいる中にも19世紀ごろの建築物が残っていて、しかも自然に街にとけ込んでいるところである。
宿を取っているブギスからマリーナ・ベイに向かって歩いてみると、ラッフルズ・ホテルセント・アンドリュース教会シティホール最高裁判所など、歴史ある建物に幾つもお目にかかることができる。

ラッフルズ・ホテル
ラッフルズ・ホテル
セント・アンドリュース教会
セント・アンドリュース教会
シティホールと最高裁判所
シティホール(右)と最高裁判所(奥)

やがて、シンガポール川のほとりに出ると、腕を組んだ洋装の男性の白い像が立っている。シンガポールをイギリスの植民地とし、街の建設に携わったトマス・ラッフルズの像である。この像の立つ場所は「ラッフルズ上陸地」とされているのだ。
ラッフルズ像
ラッフルズ像
ラッフルズはしばしば「シンガポールの創設者」と評される。しかし、近くにあるアジア文明博物館では「ラッフルズが来る前からシンガポールの歴史は始まっていた ―― シンガポールをはぐくんだのはシンガポール川」と強く主張されていた。
ところでこの博物館、「アジア文明」の名を冠しているのは伊達ではない。シンガポールのみならず、東南アジア全域にわたるおびただしい数の展示物が幾つもの展示室に並べられている。中国や仏教、ヒンドゥー教、イスラム教など外部の影響を受けつつ独自の文化を形成していったプロセスがよく分かり、実に興味深い。
博物館の参観を終え、再びシンガポール川のほとりに出る。先述した博物館の展示における説明 ―― と言うよりシンガポール人の強い主張を読んだ後では、この決して広くはない川から受ける印象も大きく違ってくる。
シンガポール川
シンガポールをはぐくんだシンガポール川

そして、アジア文明博物館から目と鼻の先の場所にマリーナ・ベイが見えてくる。その一角にあるのが、マーライオン・パーク ―― そう。シンガポールの象徴的存在であるマーライオンがそこにあるのだ。
マーライオンといえば、しばしば"世界三大がっかり"の一つに数えられる。その"がっかり"度がどんなものか、見てやろうではないか。
そう思って公園に向かう。ところが、その先に見えたのは…

人の大きさほどしかない小さなマーライオンだった。一応、口から水を吐き出してはいるが、チョロチョロとか細い水で何とも間が抜けている。
ミニマーライオン

[え…これが、マーライオン?]

これでは確かに、がっかりさせられてしまう ―― と思った次の瞬間、角度を変えてみたところ、その小さなマーライオンの背後の海辺に、大きな後ろ姿が見えた。

[違う。こっちじゃない。あっちだ!]

私はその後ろ姿に向かって駆け寄り、その正面が見える位置に回ってみた。
果たしてそこには、10m近くあろうかという高さの半獅子半魚の不思議な動物の像が、口から勢いよく水を吐き出していた。これぞまさしく、本家マーライオンである。
マーライオン
こちらが本家・マーライオン
その姿には「これでも“がっかり”か!?」と強烈にアピールするかのような存在感すら感じられた。
実は、マーライオンが“がっかり”扱いされるようになったのは、「橋ができて見えにくくなった」「(ポンプが壊れて)口から水を吐かなくなった」などの理由があるのだが、2002年、現在の見えやすい場所に移され、水吐きも復活したのである。もはや"がっかり"の汚名は返上できたと言っていいだろう。(その他『思ったより小さい』というのも"がっかり"扱いされるようになった理由と言われるのだが、私には十分大きく感じられた)
シンガポールは元々「シンガプラ」という名前で、その意味は「獅子の都」である。マーライオンはまさに「獅子の都」のシンボルに、守り神に相応しい。見通しの良い場所に移転された今、海に向かって目を光らせながらこの小さな国を守ってくれることだろう。

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