バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ギリシャ、カタール、香港

ミケーネ ~“古代への情熱”が見つけた遺跡

2011年5月6日

ギリシャ最終日。アテネは見尽くした感があったので、近郊の歴史遺産を見て回る。

目指すはペロポネソス半島である。
アテネからペロポネソス半島各地へは、中心から少し離れた場所にあるキフィスウ・バスターミナル(バスターミナルA)からバスで行くことになる。中心街からキフィスウまで直通バスが出ているようだが、どこから出ているのか分かりづらい。地下鉄3号線終点のエガレオ駅から歩いても2km程らしいので、私はエガレオ経由でバスターミナルへと向かった。
キフィスウ・バスターミナルはかなりの規模で、目当てのバスがどこから出るのか分かりづらい。あちこちで聞いて回って、ようやくターミナルの隅の方にある乗車ポイントに行き着いた。
ギリシャの道祖神
ギリシャの道祖神

まず目指したのは、かのシュリーマンが「古代への情熱」に魅せられて発掘に成功した、ミケーネ遺跡。アルゴス行きのバスで途中下車し、そこから4kmほど緩やかな山道を上った場所にある。しかし、バスを下りた場所が既に辺鄙な田舎町で、タクシーもろくに見つからない。
[4km程度なら、歩くか]
いつもの癖が出た。私は、山の上の遺跡へ向けて足を動かした。

道すがら、路傍に教会の形を模した道祖神があった。先日メテオラで一緒になったチエコから、こういうものをよく見るという話を聞いてはいたが、私はこれまで全く気づいていなかった。意識して見てみると、なるほど一度や二度ではなく、幾度も見ることができる。小さいながらもリアルな造りで、内部にはイコンもしっかり飾られている。

ミケーネ遺跡への道は、初めこそ両側に建物もある平坦な“田舎道”だったが、やがて建物も何も無い、やや傾斜のあるカーブの続く“山道”へと変わっていった。やがて、大きな山に抱かれるようにして、小高い丘の上に建つミケーネ遺跡が右手に見えてきた。

ミケーネ遺跡
ミケーネ遺跡が見えてきた
ミケーネ遺跡の獅子門
獅子門

歩き始めて1時間弱。ミケーネ遺跡に到着した。しかし、先日のアテネ考古学博物館の時と同様、団体客、特に社会科見学の小中学生が大勢いる。入り口である獅子門をくぐるだけでも少しばかり時間がかかった。
ミケーネ遺跡の円形墓地
円形墓地
ミケーネ遺跡の王座の間と大広間<
王座の間と大広間

獅子門をくぐって城壁内部に入ると、まず右手に円形墓地や住居跡が目に入る。そこから丘を上がると、最上部には下界を見下ろすような位置に王座の間と大広間があり、反対側へ下った場所には職人たちの作業場がある。
いずれの場所も、今となっては廃墟である。壁は半壊もしくはほぼ全壊し、柱の跡はあっても柱は無い。とは言っても、シュリーマンによって発掘されるまでは土の下にあったのである。むしろこの保存状態は良い方の部類に入るのかもしれない。
残念だったのは、この遺跡の全体像を見ることができるポイントが観光コースの中に無かったことだ。丘の上の遺跡なので、周りの高い山に上らないと全体像は見ることができないが、それをやってしまうとコースアウトになってしまう。併設されている博物館でミニチュアが展示されてはいるが、やはり実物の全体像を見ることができるようなコース設定をしてほしかった。
あと、私はこの手の遺跡を訪れた時には、往時の人々の息吹をイメージするということをよくやるのだが、ここでは全体像が見えず、存在感が感じられるのが墓地や王座の間といった場所ばかりだったこともあって、いまひとつそれを心の中に思い浮かべることができなかったのも残念だった。

考古学的には貴重極まりない遺跡であることは確かだが、期待して来ただけに、それらの残念感から少々もの足りない思いが残ってしまった。
アトレウスの宝庫
アトレウスの宝庫

遺跡を後にして、来た道をほんの少し戻った場所に、アトレウスの宝庫と呼ばれる遺跡がある。先程の遺跡よりは保存状態がいい。通路の先に口を開いた扉の中に入ってみると、がらんどうではあるが広々としている。これが本当に宝物庫で、びっしりと宝物が収められていたとすればとてつもない蓄財量となるだろうが、実はここ、「アガメムノンの墓」 という呼び名もあることから分かるように、宝庫と言うよりは陵墓と言った方が実情に近いらしいのだ。

先程上って来た山道を下って、バスを下りた地点に戻る。
20分程待ったところでバスがやって来た。私は、アテネ方面に少し戻った場所にある次なる歴史遺産を目指してバスに乗り込んだ。

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