バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

ラダック・フェスティバル(2)

2011年9月12日

香港出発の際のドタバタによる疲れがまだ引かないこと、高地に体が順応しきっておらずゲストハウスの階段を上っているだけで頭がくらくらとしてくること、埃っぽさのためか軽い鼻炎を発症してしまったこと、そして、時差ボケ――「無理せずゆっくり過ごしなさい」という条件が見事に揃ってしまった。この日は軽い散歩(高地順応のためにも少しは必要)、食事、インターネットカフェ、買い物以外は殆どゲストハウスで過ごした。

そんな中でもラダック・フェスティバルを楽しむことだけは休まない。とはいえ、この日はラダック写真展とタンカ(仏画)展というインドアなイベントへ足を運ぶにとどまった。

写真展は、中心街から少し外れた場所にある割と広いホールの壁一面に写真を貼る形式で行われていた。穏やかな人々の表情、ゴンパ(僧院)、ストゥーパ(仏塔)、仏像、チャムなどの催し物、ヤクとともに移動する遊牧民たち――ラダックのさまざまな表情が数々の写真で物語られていた。
そんな中でとりわけ気を引かれたのが、雪に覆われた冬のレーの街の情景を収めた写真だった。一見美しい雪景色だが、その裏には、ラダックの冬の厳しさが物語られてもいる。
夏には照り付ける日射し、冬には雪に覆われる海抜3500mの地――それはまさしくチベットそのものではないか。

そしてタンカ展は、中心寺院であるジョカンの建物の一角を使って行われていた。
展示されていたタンカはいずれも時代を感じさせる年季の入ったものばかりだった。もしかしたらレー王国時代から引き継がれてきたものかもしれない。中国共産党によって壊滅的なダメージを受けた本土のチベット仏教で、今やこれだけ年季の入ったタンカは果たしてどれだけ残っていることだろう――そういう意味でも、貴重なものを見させていただいた。
訪れたチベット人たちは、皆敬虔な表情でタンカを拝んでいた。ものが古いの新しいのは問題ではない。そこに何が描かれているのかが重要なのだ。そして、宗教の展示会というのは見世物的な展示であってはならず、こうして信仰の対象として拝むことができるものでなければならない、ということをあらためて強く感じた。

写真というモダンな手法とタンカというクラシカルな信仰の対象――対照的な2つだったが、併せて見ることでラダックに対する認識が高まったことは間違いない。

(※ 両者とも写真撮影禁止のため写真は無し)

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