台北-9 ~ぶらり名所巡り
2013年1月6日
この日の午前中いっぱいまでまだ時間があるが、故宮博物院にも行き、台湾最南端にも到達した。夜市にはもはや時間が合わない。ということで、今回行きたいと明確に思っていた場所はもう行き尽くしてしまっていた。とはいえ、何もせずにぼうっとしているのも勿体無いので、以前訪れたことのある場所も含めてぶらりと気の向くままに歩いてみることにした。
龍山寺
龍山寺で熱心に祈りを捧げる人々
<龍山寺>
台北で信仰の姿、そして熱気のある風景を見たいのであれば、ここだろう。私が訪れた時も、日曜の朝ということもあってか、大勢の参拝客が訪れていた。
私はこれまで、何度も中国系の仏教寺院(当たり前のことだが、チベット系の仏教寺院はこの範疇に入らない)を訪れたことがあり、長い線香を手に仏に祈りを捧げる人々の姿を目にし、その熱烈ぶりにうならされたことも一度や二度ではない。(ちなみにこの龍山寺も2度目の訪問となる)
しかし、ここ龍山寺は参拝客の数といい、祈りの熱気といい、それら中国系寺院のトップに君臨するものと言っていいだろう。ここより規模だけは大きい寺院なら大陸にもあるが、文化大革命で宗教そのものを否定されて破壊され、その後、文革は終結しても相も変わらず宗教を否定する連中の指導の下で再建された、魂の抜けたハリボテの寺院が、伝統を脈々と受け継いできている中華民国・台湾の寺院に敵うはずもない。
ちなみに、この寺院の参拝客の年齢層は、圧倒的に中高年の人々が多い。しかし、この風景だけを見て「台湾の若者には信心が無い」と言ってしまうのは余りに早計だろう。なぜなら、昨日、そしてこの日も訪れた迪化街の霞海城隍廟では、良縁を求めて祈りを捧げる若者達がたくさんいるのだから。
中山堂(台北公会堂)
<中山堂(台北公会堂)>
日本統治時代に建てられたクラシカルなホール。孫文の号「中山」が名前に取り入れられているが、孫文死後の建造のようなので、特に孫文とのゆかりは無さそうだ。
歴史上では、日本敗戦の1945年、台湾が日本の統治から離れたことを意味する降伏調印式がここで行われたらしい。
総統府
<総統府>
日本統治時代に台湾総督府として建造され、中華民国政府が台北に移ってきて以降は中華民国総統府として使用されている、レンガ造りの建物。第2次大戦中の空襲で内部は焼けたものの、外壁は火に耐えて今に残っている。その威風堂々たる姿は官庁街であるこのエリアでも一際際立っている。
台北賓館
東門(景福門)
中正紀念堂
<中正紀念堂>
「中正」を号とする蒋介石の記念堂。しかし、二・二八事件やら戒厳令やらで蒋介石も嫌われたもので、一時は民進党政権においてこの堂から「中正」の文字が消え「台湾民主紀念館」と改称された一時期もあった。
しかし、前にも書いたが、彼が北京の故宮博物院所蔵品を持ち出したことがそれらを文化大革命の禍から守ることになったのだから、結果論ではあるがその点においては蒋介石も大いに評価されるべきではないだろうか。いずれにせよ、あの悪魔の申し子・毛沢東に比べれば遥かにマシであったことは疑い無い。
台北駅内部
<台北駅>
今回の旅では、台北out、台北inの移動はいずれもバスかMRT(地下鉄)で、国鉄の台北駅を使う機会が無かった。なので、国鉄台北駅も、外からは何回も見ている割には中を見ていない。それでは勿体無いと思い、特に用はなかったが中に入ってみた。
構内中央には広いホールがあり、上を向いても6階建ての駅舎を縦に貫く吹き抜けとなっていて、非常に開放感がある。同じ島国の中心駅である東京駅はごちゃごちゃしすぎていてこの開放感が無い。路線の数が多いというネックもあるのかもしれないが、東京駅ももうちょっとすっきりと開放感がある構造にならないものか。
TAIPEI 101が見える台北の街並み
午前中の時間を潰すにはちょうどいい散策となった。松山空港から台湾に別れを告げ、日本へ帰国。明日には東京で、2013年の仕事始めだ。
※
2度目の訪問となった台湾だが、その後、私は大陸にばかり目が行ってしまって13年もの間台湾を疎かにしてしまっていた。
私を大陸に行かせたのは「そこに日本文化のルーツがあるから」という思いだった。しかし、大陸では文化大革命でそんな伝統的中国文化は既に途絶えてしまったのだ、文革後に再建されたとはいえ、それはもはやイミテーションにすぎないのだ、と気が付くまでに恐ろしいほど長い時間を要してしまった。そして今回の旅で、「故宮博物院の文物を破壊ではなく、保護してきた中華民国政府こそ、中国文化の正統な後継者だ」という認識を確固たるものにした。
良き隣国よ、今後とも宜しくお願いします。
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