バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

スリランカ、インド

アヌラーダプラ-1 ~仏教遺跡を巡る(1)

2015年5月3日

宿でスリランカ風の朝食を頂いた後、午前8時、一昨日の疲労困憊の記憶も喉元過ぎて暑さを忘れ、懲りずに自転車を借りてアヌラーダプラの遺跡巡りに出発した。12時までに戻らなければならないが、行き先を絞れば何とかなりそうだ。
イスルムニヤ精舎
イスルムニヤ精舎

まず、宿から一番近い、遺跡地区の南外れにあるイスルムニヤ精舎を訪れる。ここアヌラーダプラの遺跡地区もポロンナルワの遺跡公園同様、エリア全体でのチケットがある(値段もポロンナルワと同じく25米ドルという法外な金額)のだが、イスルムニヤ精舎は別料金。入り口で200ルピーを支払い、靴を脱いで境内に入る。
イスルムニヤ精舎は紀元前3世紀に端を発する歴史のある寺院だが、現存する建物自体は比較的新しい。地面から生えるようにして立つ高さ10mほどの岩を利用して造られており、英語では「ロック・テンプル」の通称で呼ばれている。
本堂には涅槃仏が横たわっているが、これも岩から切り出したものだという。ちなみにこの涅槃仏、鮮やかな彩色が施されているが、その塗り替えには東京の浅草寺が協力している。

イスルムニヤ精舎の涅槃仏
イスルムニヤ精舎の涅槃仏

岩の上には小さいながらもダーガバ(仏塔)が建っていて、その横をすり抜けるようにして岩の上に上がることができる。そこから辺りを見渡すと、市街地とは隔絶されたように熱帯の緑が生い茂る遺跡地区の光景ががまばゆいばかりに広がっている。熱帯という気候と自然――これらを揺りかごに、スリランカの仏教・文化は育まれてきたのだ。自然をうまく利用したこの寺院は、スリランカ仏教が「自然と調和」していることの象徴のようにも思われた。

イスルムニヤ精舎の次は、遺跡地区の中心部へ向けて自転車を北に走らせる。しかし、次の目的地への道が分かりづらく、ウロウロ迷った挙句、コースからずれていたために訪問先候補から外していたミリサワティ仏塔に着いてしまった。とはいえ、これはこれで白さの美しいダーガバなので訪れて決して損は無い。

ミリサワティ仏塔
ミリサワティ仏塔
スリー・マハー菩提樹
スリー・マハー菩提樹

地元の警官や係員に道を聞きつつ、途中のチェックポイントで遺跡地区のチケットを購入しつつ、ようやく次の目的地スリー・マハー菩提樹に到着する。ここの菩提樹は、ブッダが悟りを開いた場であるブッダガヤの菩提樹の分け木で、紀元前3世紀にインドの王女によってもたらされたとされている。そういう聖地であるだけに、朝から大勢の信者たちが訪れていた。余りの参拝者の多さに、時間に限りのある私は中に入るのを諦め、外からそのありがたい菩提樹の枝だけを拝むにとどめてしまった。
ルワンウェリ・サーヤ大塔
ルワンウェリ・サーヤ大塔

スリー・マハー菩提樹から少し北へ向かうと、先ほどのミリサワティ仏塔にも似た白いダーガバが見えてくるが、ミリサワティよりもはるかに規模が大きく、圧倒的な存在感がある。アヌラーダプラ遺跡群の中心的存在と行っていいルワンウェリ・サーヤ大塔だ。紀元前2世紀創建の塔で、台座の四方は140m、ドームの直径90m、高さ55mと、かつて私が「大きい」と感じたネパールの仏塔ボダナートよりもはるかに大きいのだ。しかも創建当時の高さは今の倍の110mもあったというのだから、「摩天楼」と言ってもいい程の化物建築である。台座を支えるようにして彫られている無数の象の石像は、まさにこの大塔のそうした「重み」を象徴しているようにも思われた。
その存在感に引き寄せられるようにして、この塔にはどの遺跡よりも大勢の信者たちが集まっていた――いや、この塔は「遺跡」と言うよりは、現役の宗教施設なのだ。集まった大勢の人々は一様に塔の周りをコルラ(聖地を右回りに周回する巡礼)し、所々に設置されている仏像を拝んでいる。その姿は、チベットなどで見てきた敬虔な仏教徒たちの姿と全く同じだった。

ルワンウェリ・サーヤ大塔をコルラする人々
ルワンウェリ・サーヤ大塔をコルラする人々
ルワンウェリ・サーヤ大塔の銀色の仏像
ルワンウェリ・サーヤ大塔の銀色の仏像

数々の仏像の中でも、私の目を引いたのは銀色の仏像だった。スリランカの仏像は真っ白なものや黄色に彩色された石像が多く、ここまでのところ金属製の仏像は海外から贈られたものぐらいしか見ていなかったので目新しく感じられた――いやそれ以前に、銀色の仏像というのは私の記憶にある限りではこれが初めてだった。
トゥーパーラーマ・ダーガバ
トゥーパーラーマ・ダーガバ

更に北へ進むと、やはり白い仏塔であるトゥーパーラーマ・ダーガバが見えてくる。ルワンウェリ・サーヤ大塔と比べるとかなり小振りだが、アヌラーダプラ最古の仏塔(現存する塔は19世紀に再建されたもの)で、仏陀の右鎖骨が収められているという由緒ある場所ということもあり、割合多くの信者たちが参詣に来ていた。塔を囲むようにして並んでる石柱が目に留まるが、これはかつてこの塔に屋根を被せるためのものだったという。

ここまで巡ったあたりが遺跡地区の南部分とでも言うべき場所だ。北部分はジャングルを抜ける道を1km以上行った先にある。トゥーパーラーマ・ダーガバ参拝の後、アイスキャンデーで体をクールダウンさせた私は、遺跡巡りの後半目指して再び自転車を漕ぎ始めた。

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