アヌラーダプラ-2 ~仏教遺跡を巡る(2)
2015年5月3日
アヌラーダプラ遺跡地区巡りは後半の北エリアへと舞台を移す。このあたりになると地元の参詣者よりも、観光目的で来た訪問者の方が多いような印象を受けた。
アバヤギリ大塔
トゥーパーラーマ・ダーガバからの道を自転車で1.2kmほど北上すると、まずアバヤギリ博物館に突き当たる。博物館を軽く参観して更に500mほど北へ進む。すると行く手に巨大な茶色いダーガバ(仏塔)が見えてきた。紀元前1世紀創建のアバヤギリ大塔というこのダーガバは台座の四方180m、ドームの直径100m、高さ75mと、先ほど見て「大きい」と感じ、実際にネパールのボダナートよりも大きかったルワンウェリ・サーヤ大塔よりも更に大きいのである。
今でこそ上座部仏教一色のスリランカだが、かつては大乗仏教が栄えていた時期もあり、このアバヤギリ大塔は12世紀に上座部仏教との勢力に敗れるまで大乗仏教の総本山だった場所なのである。ほんの数年前まではスリランカでの大乗仏教の消滅を象徴するかのように草ぼうぼうだったらしいが、今はその草も除かれ、修復もされたようで実にきれいな姿を見せている。まあ、だからと言ってスリランカで大乗仏教が復権したことを意味する訳ではなかろうが。
クイーンズ・パビリオン
クイーンズ・パビリオンのムーンストーン
アバヤギリ大塔がアヌラーダプラの遺跡地区の北端に当たる場所になるのだが、この一帯はこの塔を中心として東西に遺跡が幾つもある。
塔の西側にあるクイーンズ・パビリオン(マハーセナ・パレス)もその一つだ。かつて王妃の住まいだったという建物は、今は土台と柱を残すのみの廃墟になっているが、台座に上がる階段の前に残っているムーンストーンが今もきれいに残っている。
ムーンストーンというのはスリランカ建築で入り口の地面に作られる半円の彫刻で、身を清める意味があるという。私も実はこれまでキャンディの仏歯寺をはじめとする場所で何度も目にしてきていた。しかし、これだけ形が整っていて、且つ歴史があるムーンストーンとなるとここのものをおいて他に無いだろう。
一番外側の炎は人の欲望を表し、その内側の象・馬・ライオン・牝牛はそれぞれ生・老・病・死という仏陀の「四苦」を意味していて、それを繰り返すことで「輪廻」を表現している。更に内側へ行くごとに、愛を表す花輪、純潔を表す鳥、天国を表す蓮の花が刻まれている。見事に仏教の世界観を表しており、スリランカ仏教流の「曼荼羅」と言っていいかもしれない。
クイーンズ・パビリオンのすぐ近くに、同じような台座と柱のみが残る遺跡があった。ラトゥナ・プラサーダというこの遺跡はかつて王と僧侶の争いの舞台となった宮殿の跡だという。
そしてここも、廃墟となってしまった建物そのものよりも入り口にある彫刻の方が見ものだ。台座に上がる階段の入り口わきにあるガードストーンは、8世紀に作られたものだというのが信じられないほどに緻密さを留めた王の像が彫られている。
ラトゥナ・プラサーダとそのガードストーン
今度は塔の東側へと赴く。
あずま屋のような天蓋に守られて、石造りのサマーディ仏像が林の中にひっそりと鎮座している。とても穏やかで優しい表情だ。
遺跡地区の北端にあって、この仏像は南側を向いている。きっと、アヌラーダプラの都を見守っていただきたいという思いから造られたのだろう。
サマーディ仏像
クッタム・ポクナ
サマーディ仏像から更に少し東へ行った場所にある、かつて僧侶の沐浴場として使われていたクッタム・ポクナを見たところで、このエリアの参観は終了。来た時とは別の道を選んで南へと自転車を走らせる。
地元の人以外は人通りの少ない道だったが、それでも遺跡はある。ウィジャヤバーフ1世の宮殿跡だ。
ウィジャヤバーフ1世の宮殿跡
ウィジャヤバーフ1世は11~12世紀のシンハラ王朝の王で、南インドのチョーラ王朝に追われてアヌラーダプラからポロンナルワへの遷都を余儀なくされたものの、遷都先で国力を取り戻してチョーラ王朝を駆逐し、仏教を再興させた人なのだが、アヌラーダプラの都としての歴史に終止符を打つことになってしまったせいか、或いは土台以外何も残っていないからなのか、訪れる人と言えばここを通り道としている地元の人ぐらいしか見受けられなかった。
やがて、先ほど訪れた純白のルワンウェリ・サーヤ大塔が右手に見えてきた。と、左手に目を向けてみると、こちらには茶色い巨大ダーガバが見える。ジェータワナ・ラーマヤというこのダーガバは、台座の四方180m、ドームの直径120m、高さ70mと、アバヤギリ大塔並みの規模がある。しかし、頂上の尖塔がポキリと折れるようにして破損しており、それが残っていれば120mを超すほどの高さになるという。
ジェータワナ・ラーマヤ
最後の最後に大物が残っていたが、あそこまで行くには少々回り道が必要そうだった。12時というタイムリミットが迫っており、また徐々に上がってきた気温に体力の消耗もピークに近くなっていたこともあって、私はこの塔は見ることができただけでよしとして、このままアヌラーダプラの遺跡巡りを終わらせることにした。
総じて、世界遺産に指定されるだけのことはある素晴らしい遺跡群だった。仏教とともに歩んできたスリランカ史の、原点をも含んだ痕跡を、これほどまで鮮明なものとして目の当たりにできたことが嬉しかった。
このあたりは内戦時、反政府勢力の支配エリアにかなり近い場所だった。そのことを考えると、よくぞ内戦に巻き込まれなかったものだという思いもよぎる。
宿に戻り、自転車を返却してバックパックを背に出発する。
近郊のバスはニュー・タウン駅前がターミナルになっているが、コロンボなどへ向かう長距離バスのターミナルは旧市街の東の外れにある。自転車でクタクタになっていた私はトゥクトゥクでターミナルへ向かい、コロンボ行きのバスに乗り込んだ。
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