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        海外の旅行記とチベットのこと  by カズ@憧れの大地 

世界への旅(旅行記)

アジア周遊第6部 北インド

ダラムサラ-2 ~ダライ・ラマの亡命先

アキと暫く話をしていると、別の日本人が入ってきた。
「あ、やっぱりカズさん! 聞き覚えのある声だと思いましたよ」
デリーで、私のチベット入り仲間だったワタルと一緒に行動していたダイスケだった。ワタルともう一人の女の子は既にパキスタンへと向かった後で、彼一人ダラムサラに残ったとのことである。
話し相手を1人増やして会話を続ける中、ダイスケが言う。
「もうここに戻っているみたいですよ、ダライ・ラマ

――ついに話題に出た。
ここダラムサラを語るに欠かせないキーパーソンの名前が。

ダラムサラ
チベット寺院(中央)やチベット僧の姿が見られる

前のページで書かなかったダラムサラの第一印象――それは"インドらしくない"ことだった。確かにインド人もいるのだが、この村で見る人々の顔立ちは圧倒的にチベット人のものが多く、赤い袈裟を着たチベット僧が違和感無く歩き、村の人々と交わっている。建物、特に金色の屋根とマニ車を持つ寺院などは明らかにチベットのものだった。

1959年、チベット人は祖国を中国人民解放軍によって蹂躙され、宗教・政治両面での指導者ダライ・ラマ14世はインドに亡命。その亡命先であり、チベット亡命政府が現在あるのが、ここダラムサラなのである。
中国のチベット侵略以降、ダライ・ラマに続いてチベット人が次々と亡命してダラムサラに至っており、ここで難民2世も続々と誕生している。言わば、村全体がチベット難民キャンプとなっているのだ。難民支援団体も多く、私が泊まっているルンタもNGO「ルンタ・プロジェクト」が運営するホテルである。
アンチ北京五輪の看板
アンチ北京五輪の看板
そのため、街中では"Free Tibet"(フリー・チベット=チベット自由化)の機運が少なからず見られ、アンチ北京五輪の看板が堂々と掲げられている所すらある。

なぜ、彼らは祖国を追われなければならなかったのか?
なぜ、ダライ・ラマは本来いるべきいる場所にいられないのか?

――誰のせいだ?

今回の旅を通じてチベットに強く心を寄せるようになった私の胸の中に、中国政府に対する激しい怒りがこみ上げてきた。

ところで、ここで説明すべきことがある。
私はパキスタンからインドに再入国して以来、アムリトサル、デリー、アーグラー、ジャイプルを巡り、それからデリーを経てここダラムサラに来たのだが、実はダラムサラへ行くにはアムリトサルからがかなり便利なのである。
アムリトサルに立ち寄りながら、なぜその時ダラムサラに行かなかったのか?
それは、9月3日から5日にかけてダラムサラにおいてダライ・ラマ14世のティーチングが行われるという情報を予めキャッチしていたからだ。
ところが、アムリトサルに到着したのは8月19日。ティーチング開始日まで中2週間となりこれでは余りに間延びしてしまう。それに、8月25日に受けるべき予防接種を一番安心できるデリーで受けたいという思惑もあった(これは恐らくダラムサラでも問題なかったと思われるが)。
それなら10日ほどの日程でデリー、アーグラー、ジャイプルを巡ってそれからダラムサラに行こう、と考えたということである。

そのティーチングに参加するには顔写真が必要とのことだったので、早速近所で撮ってくる。参加申し込みそのものは明日に回すことにした。

数日前からおかしかった腹の調子も良くなった気がする。せっかく日本食レストランもあることだし、久々にきちんと食べるか――と、昼はかき揚げ丼、夜はオムライスを食べる。
しかし、時期尚早だったのか、いきなり頑張って食べ過ぎたか、夜になってまたぶり返してしまった。

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