バス憧れの大地へ

雑記ブログ

旅のこと、写真のこと、チベットのこと――日々の雑感をつれづれなるままに書いています。
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2018年 大田区六郷土手・多摩川花火大会

2018年08月15日(水)

お盆休み最終日。今年も神奈川・川崎、東京・大田区の大空が美しく彩られました。

大田区平和都市宣言記念事業 第31回花火の祭典

川崎側で見るにはどこがいいかとネット上で探してみたところ、
川崎リバーサイドゴルフ場あたりだと河川敷が広々としていて寝転がりながら見ることができる
という情報があったので、今年はそこで見ることにした。ただ、このあたり多摩川が大きく弯曲していて方向が分かりにくく、対岸の大田区から打ち上げられるのでひたすら川の方を見て待機していたら、19時30分、何と背後の方から打ち上がって、慌ててカメラのセッティングをやり直す羽目になってしまいました。

今年撮れた写真は、こんな感じ。

大田区六郷土手・多摩川花火大会
大田区六郷土手・多摩川花火大会
大田区六郷土手・多摩川花火大会
大田区六郷土手・多摩川花火大会
大田区六郷土手・多摩川花火大会
大田区六郷土手・多摩川花火大会
大田区六郷土手・多摩川花火大会

今回の場所は、確かにゆったりと見ることができたが、角度がいまひとつだった。来年はもう一度、場所を検討しよう。

まだまだ暑いけれど、夏も一区切り。
職場の夏休みも終わり、明日からまた日常の始まりです。

フィンランドを旅行中

2017年12月31日(日)

現在、フィンランドの首都・ヘルシンキ。
今年の年末年始は北欧で過ごします。最大の目的は、オーロラ。

余裕があれば現地からレポートしますが、詳細は帰国してからまた旅行記書きます。

追悼 「08憲章」の父・劉暁波氏死去

2017年07月14日(金)

2017年7月13日…

中国の民主化への願いを訴えた「08憲章」の父・劉暁波氏が死去した。61歳という若さだった。

まず、彼の略歴を振り返ると、

・1955年 吉林省長春市で出生。
・1982年 吉林大学文学部卒業。
・1984年 北京師範大学修士課程修了。
・1989年 海外で就学の後、帰国。天安門前での民主化運動(六四天安門事件)に参加、投獄される。
・2008年 「08憲章」を起草するも、発表直前に拘束される。
・2009年 国家政権転覆扇動罪で懲役11年の判決を受ける。
・2010年 刑が確定。ノーベル平和賞を受賞するも、受賞式に出席できず。
・2017年 末期がんの診断を受け、仮出所。がんで死去。

波乱万丈の人生だった。

<08憲章について>
発表直後の時期に、私はこのサイトで全文翻訳を試み、チベット問題とも絡めて考察・批評もした。

「民主主義に触れたことのない人々にとって、同憲章の内容は大なり小なりインパクトを持つものといえる」
「理念はよく表現されているが、全体的に抽象的で、具体的にどのような政体、どのような政治運営を目指しているかが見えてこない」
「<人権について><宗教について>については、ダライ・ラマ法王及びチベット亡命政府の立場と完全に一致し、歓迎すべき方針と言える」
「結局のところ、08憲章派も「中華思想」からは一歩も抜け出せてはいないのではないか」

と、結構辛口に批評させていただいたが、それでも彼が、そして08憲章が、中国共産党支配下の中国に大きなインパクトを与えたことは疑いの余地はないだろう。
ただ、中国共産党という巨悪の壁は余りに分厚すぎた。ソ連が、東欧の共産主義体制が崩壊したあの1989年に中国にも起きた民主化のムーブメントをものともせずに武力でねじ伏せた強権・カルトぶりの中国共産党はゴキブリ以上にしぶとく、その後も30年近く独裁体制を崩さない。ついに劉暁波氏は存命のうちにその理想が実現するのを見ないまま他界してしまった。
しかし、彼の死によって08憲章は再び見直されるに違いない。不完全ではあるものの、彼の理想は崇高で実現されるべきものだ。必ずや、誰かが引き継ぐことだろう。
来世でその日が来るのを待っていていただきたい。

<彼の出所について>
「死ぬ間際の出所」という点に、私はチベット問題を描いた映画「風の馬」を思い起こした。
この映画では「チベットに独立を」と公衆の面前で叫んだ尼僧が逮捕され、ボコボコに拷問を受けた挙句に刑務所を放り出され、家族らや外国人訪問客が見守る中で前でチベットの惨状を訴えながら死んでいる。
劉暁波氏は家族の要請があった後で出所しているらしいが、それでも「死ぬ間際の出所」という点に、私は「獄死されると面倒だから出しておこう」という中国共産党当局の意図が垣間見えるような気がしてならない。

<彼の人柄について>
彼は中国共産党に歯向かい、中国共産党に投獄された。あの連中を恨んでも当然のことなのだが、
「私に敵はいない、憎しみもない」
というのが彼の信念だったという。
何という寛大さだろう。これこそ、彼のノーベル平和賞の受賞者たるゆえんだろう。同じノーベル平和賞受賞者であるあのダライ・ラマ14世にも引けを取らない慈悲ぶりだ。

信念・人柄とも立派であること極まりなかった彼の死に、心の底より哀悼の意を示したい。

合掌。

2017年GW旅 走り遍路

2017年05月05日(金)

午前6時50分。徳島県吉野川市のGuest House チャンネルカンを、大きな荷物を預けてチェックアウトし、ジョギングに出かける。
吉野川を渡り、北西に針路を取る。途中、田園や花ののどかな風景に心を癒される。
吉野川市ののどかな風景

やがて、道の途中にこんなものを見つけた。
遍路小屋
「ヘンロ小屋」――即ち、お遍路さんの休憩所である。
そう。私が走っていたのは遍路道だったのだ。

やがて、四国八十八か所の第10番札所・切幡寺の門前に到着。ここで私は、門前の店に入っていろいろなものを購入する。

白衣菅笠経本納経帳納め札線香ろうそく・手ぬぐい

これらを装備して、こんな格好に。
お遍路装備

既にお分かりだろう。私はお遍路を開始しようとしていたのだ。しかも、マラソンに打ち込んでトレーニングを重ねている最中なので、「歩き遍路」を通り越して走り遍路で巡礼しようというのである。(なので、お遍路必須と言われる金剛杖は省略してしまったが、実際のところ、この日の巡礼の最中にも金剛杖を持たないお遍路さんは結構いた)

まずは、切幡寺をお参り。
切幡寺

お遍路のお参りは基本、
1. 山門で一礼して中へ
2. 手水場で手を清める
3. 鐘を突く
4. 本堂でお経をあげ、納め札を納める
5. 大師堂でお経をあげ、納め札を納める
6. 御朱印を頂く
という手順。

私はこれが初めてのお遍路。周りの人の様子を見ながら見様見真似で1/88のお参りを完了させた。

以降もお寺とお寺の間を走り続け、私は、

法輪寺
第9番札所 法輪寺

熊谷寺
第8番札所 熊谷寺

十楽寺
第7番札所 十楽寺

安楽寺
第6番札所 安楽寺

完全には覚えてない、おぼつかない般若心経ではあったが、どうにか以上の5か所でお参りを完了させた。

時間的にも体力的にも、このへんで切り上げた方がよさそうだったので、安楽寺で「走り遍路」は打ち切ってゲストハウスに戻る。さすがに疲れて、このルートでは途中歩いてしまったりもしたが、
吉野川
ランニングコースの最後の方で渡った広く青い吉野川に心を癒されて、気分よく走り終えることができた。

走りのデータは以下の通り。

・Guest House チャンネルカン~切幡寺
  6.65km、高低差+86m、50分57秒、7分39秒/km
  ※地理勘が掴めず、何度も立ち止まって地図を見たので時間がかかった。
・切幡寺~第9番札所 法輪寺
  3.67km、高低差-71m、24分59秒、6分49秒/km
  ※途中の幹線道路から外れた遍路道からの景色が良かった。
  遍路道からの風景
・法輪寺~熊谷寺
  2.69km、高低差+66m、21分26秒、7分59秒/km
  ※高低差があってペースが落ちた。
  ※こんな道標もあり、ルートは分かりやすい。
  遍路道の道標
・熊谷寺~十楽寺
  4.06km、高低差-58m、28分58秒、7分8秒/km
・十楽寺~安楽寺
  1.21km、高低差-18m、8分8秒、6分43秒/km
・安楽寺~Guest House チャンネルカン
  8.26km 高低差-6m、61分25秒、7分26秒/km

トータル
  26.54km 195分53秒 7分23秒/km

ともあれ、初めてのお遍路は、心は穏やかに、体は健やかになるいい経験だった。
とはいえ、まだ5/88を巡ったにすぎない。何とか機会を作って、残りの札所も今後回っていきたいものだ。

2017年GW旅 祖谷溪、大歩危

2017年05月04日(木)

香川・琴平から特急「南風3号」で一駅の、徳島・阿波池田に到着。四国には以前来たことがあったが、その時は、徳島のみ高知―香川間の移動の列車で通過しただけで上陸はしていなかった。今回、その時通過した駅で下車してようやく、徳島上陸を達成することができた。

阿波池田駅のコインロッカーに大きな荷物を預け、ここから先はバスで移動する。
祖谷(いや)口から吉野川を渡って山奥に分け入るが、ここからの道は狭く、一方通行ではないのに車がすれ違うこともできない箇所があるくらいだ。そのような箇所では、余裕のある所までどちらかがバックしてすれ違う必要がある。バスのような大型車が相手となると、余裕のある場所でもギリギリの隙間を通ることを余儀なくされる――そんな様子を見ていると、私のようなペーパードライバーではとても無理だな、と、恐怖にも近い思いが心をよぎる。
道の両側には、木々に覆われた険しい山。そして道のすぐ横を見下ろすと、数十メートル下の谷底に清流(吉野川支流の祖谷川)が流れている。
祖谷渓と呼ばれる景勝地である。
祖谷渓
祖谷温泉で下車し、しばしこの渓谷の景色を楽しむ。まさしく、深い谷に吸い込まれてしまいそうな絶景。木々の緑が谷底の川面にも映えているようで、川は濃い緑がかって見えた。

祖谷温泉から少し下った所に、小便小僧の像があった。とは言っても、別に水がチョロチョロ流れている訳でもない。ただ像が谷の上に置かれているだけで、ちょっと「がっかり」系の名所に思えた。
祖谷の小便小僧

ここ祖谷の名物と言えば祖谷そば。ちょうどお昼時だったので、和の宿ホテル祖谷温泉のレストランで頂いてきた。一般的なそばと比べて、1本1本のそばが短いのが特徴だった。
祖谷渓と祖谷そば
祖谷渓が眼下に見える席に陣取って、絶景を見ながら頂くそばは格別だった。

更に上流へ行くと、古き日本の雰囲気満点のかずら橋もある。私は時間に余裕が無かったが、余裕があればぜひそこまで行ってみたい名所(らしい)。

一旦祖谷口まで戻り、そこから今度は吉野川本流を上るバスに乗車する。
途中、細くて流れの激しい小歩危峡を通過。ラフティングを楽しむ人々の姿も見えた。
小歩危峡

小歩危峡から更にバスで上流に行ったところで、バスを下りる。徳島でも特に有名な景勝地・大歩危峡だ。
春の時期、大歩危峡では鯉のぼりを集めて谷の上に渡すような格好で大群をはためかせている。折しも、この日はこどもの日前日。親子連れにとっては格好のタイミングとなったことだろう。
大歩危峡の鯉のぼり

大歩危に来たからにはぜひ、観光遊覧船で谷底を巡ってみたい。川面に手が届きそうな浅い船に乗って、谷底の吉野川を20分ほど遊覧する。
谷の上の道からも既に高く見える両側の山が、川面からは更に高く見え、まさに自分が「谷底」に居るのだな、ということを実感できる。川の両側には白に近いグレーの砂質片岩がそのゴツゴツした姿を露わにしている。遊覧船のガイドさんの話によると、吉野川はかなりの暴れ川だという。なるほど、それ程の暴れ川だからこそ、このような岩をうがち、このような深い渓谷を形成することができたのだろう。
大歩危峡

途中には「獅子岩」と呼ばれる岩などを見ることもできる。確かに、言われてみれば獅子の姿をしているように見える。「暴れ川」と呼ばれる吉野川だが、時にはこんなに繊細な芸術美を生み出すこともあるのだ。
大歩危峡の獅子岩

瀬戸内海の海と島の風景の翌日には、山奥の深い渓谷――四国には実に、いろいろな顔がある。

大歩危峡散策を終えたところで、バスに乗って阿波池田に戻る――つもりだったが、観光遊覧船が長蛇の列で乗船に時間がかかってしまい、予定していたバスに乗り遅れてしまった。荷物を預けている阿波池田に戻って更に本日の宿泊予定地まで、一番時間のロス無しに行く方法は――大歩危駅からまたしても特急「南風」に乗ることだった。せっかく鈍行乗り放題の切符を買っていたのに、何とも勿体ない。

阿波池田で荷物をピックアップし、更に鈍行列車に乗り継いで、吉野川市の鴨島へ。ここにあるゲストハウスで1泊して、明日はまた「瀬戸内海の海と島」「渓谷」とは別の四国の顔を味わうことになる。

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