バス憧れの大地へ

雑記ブログ

チベット亡命政府主席大臣ロプサン・センゲ氏来日

中国共産党に祖国を蹂躙され、現在インドのダラムサラを拠点としているチベット亡命政府。そのトップに立つ人物が主席大臣であるロプサン・センゲ氏だ。チベットの“聖”のトップがダライ・ラマ法王ならロプサン・センゲ氏は“俗”のトップということになる。そのロプサン・センゲ氏がこの度来日し、東京の護国寺で講演を行った。

ロプサン・センゲ氏

初めて間近に見るロプサン・センゲ氏は、「首相」という肩書から勝手にイメージしていたよりも随分お若く感じられた。それもそのはず。私と同年代の1968年生まれ、まだ47歳というお若さなのだ。

講演ではまず、チベットの歴史や地勢について話され、チベットが中国共産党に侵略される以前は間違いなく独立国であったことを強調された。
そして今回は特に、「環境」に力点を置いたお話があった。
そのほんの一部を抜粋すると、

「チベットは『世界の屋根』であり、アジアの大河の多くが、チベットの氷河を水源に流れ出している。しかし、近年の地球温暖化、チベットでの森林破壊、チベットの都市化、チベットへの中国人流入人口の増加、チベットでの鉱物採掘等の影響でチベットの氷河が融けつつあり、アジア全体が脅威にさらされている」
「こうした『水の危機』の中、中国(チベットを占拠している中国共産党)は国連による水の共有の協定に参加していない。これにサインをしていないということに中国の思いが表れている」

即ち、チベットがならず者の集団に占拠されている現状は、チベット自身のみならず、アジア全体に良い影響を与えない、ということだろう。やはりこの不幸な侵略・支配の現状は早急に打破されなければならないと言えるだろう。

それにしても、ダライ・ラマ法王は年を重ねた安定感があるのに対し、ロプサン・センゲ氏には若さゆえの安定感と勢いが感じられる。チベットはいい指導者に恵まれたものだ。

その後開かれた記者会見では以下のようなことを話されていたようだ。

14世後継で中国けん制 チベット亡命政府首相(共同通信)
http://this.kiji.is/58533491560252925?c=39546741839462401
※毎日新聞は上記の記事を「ダライ・ラマ『生まれ変わる場所は亡命の地』センゲ首相」の見出しで報道
チベット亡命政府首相 中国政府に対話再開求める(NHK)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160109/k10010366541000.html
チベットに「真の自治を」=来日中の亡命政府首相(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2016010900251

ダライ・ラマ法王来日法話―映画館でライブ・ビューイング(2015年)

尊敬するダライ・ラマ14世猊下が今年も来日された。今回は東京の昭和女子大学で4月12~13日にかけて法話が行われるのだが…

私はそのチケットを買いそびれてしまっていた…

しかし、今回は粋な計らいがあった。
ダライ・ラマ法王法話ライブ・ビューイング
全国各地の映画館でライブ・ビューイングが行われたのだ。
その映画館の中に、私の地元である川崎のチネチッタが入っていたので、この日の午後の部のチケットを買って参加した。
(今回の法話は日曜日と月曜日の午前・午後の計4回あり、それぞれ違う内容になるのだが、私は平日は無理だし、日曜の午前も都合が悪かったので日曜の午後の部だけの参加となったが、映画館のライブ・ビューイングならバラでチケットが買えたのがありがたかった)

13時半。映画館のスクリーンに法皇様が入場する姿が映し出された。現地ではスタンディングオベーションで迎えているというのに、映画館では皆ひっそりとしている。このへんに現地と遠隔地との温度差がある。

法話の内容は、これまでの法話でも何度も挙がっていた、「空(くう)」についてが中心。
「世の中の全ては実体があるように見えるが、名前をつけられてそう思われるだけで実際は「空」なのである。実在にとらわれず、空の理解を育み、菩提心を育むのが修行者のあるべき姿」
などというお話をされた。
最後の方にはナーガールジュナの経典の紹介があったが、ここで現地と遠隔地との“格差”が明らかになった。この部分は現地で配布された資料を見ながらのお話になったのだが、ライブ・ビューイングではその資料が配布されなかったのである。

15時半すぎ、法話は終了。現地ではやはりスタンディングオベーションで法皇様を見送っていたが映画館の方はやはり、一部の人が拍手するだけでひっそりとしていた。

ライブ・ビューイングはバラでチケットが買えたことや、現地で見ていては豆粒程度にしか見えない法皇様のお姿がスクリーンに大きく映し出されて、左右に体を動かす様子や「頭上の照明が暑い」と頭におしぼりを乗せる様子(笑)がよく見えたことなどは良かったが、やはり臨場感に欠ける。

次の機会は生でお話を拝聴したい。

チベット本土の矛盾を垣間見る――映画「オールド・ドッグ」

軽食の屋台やライブのステージで活気を帯びる、11月初頭の早稲田大学。
「早稲田祭」で賑わうキャンパスの一角で、アカデミックな映画上演と講演会が行われていた。

その映画は、「オールド・ドッグOld Dog)」。中国共産党に不法占拠されているチベット本土に在住するペマ・ツェテン氏によって撮影された作品だ。

舞台は、アムドと呼ばれるチベット北部(中国に『青海省』と呼ばれている地域)のある場所。そこに暮らす遊牧民のチベット人老人は、中国でもてはやされるようになっていたチベタン・マスティフの老犬を飼っていた。一方、彼の息子はそのチベタン・マスティフを高値で売ろうとする。老人は「犬は遊牧民の命綱」と頑として売ることを拒むが、犬の仲買人も老人にまとわりつき、犬泥棒も出没し、老人は重苦しいプレッシャーに悩まされる。そして彼は…

中国の占拠下で撮影・上映される映画なので露骨には表現できないが、そこに垣間見えるチベット本土の矛盾を、同大学の石濱裕美子教授が上映後、解説して下さった。

  • 馬にのる老人 VS バイクに乗る若者
  • 高原で遊牧するチベット人 VS 町で教師や公安の職につくチベット人
  • ブローカーはチベット犬の値段を相手によって変える。犬の時価は?
    →チベット人には最低額を提示=チベット人を二級市民として軽んじている
  • なぜ町はいつも暗く人気がなく曇天なのか?
    →チベット本土の重苦しい、どこにも出口がない状況を暗示
  • 老人はなぜタバコを断るのか
    →中国においてタバコはコミュニケーションツール。それを断るということは、中国人とのコミュニケーションを拒んでいるということ
  • 老人の息子はどちら側の人か?
    →両者の境界の人
  • 不妊のチベット人
    →チベット人に対しては意図的な不妊治療が往々にして行われている(チベット民族を絶やすため?)
  • テレビから流れる貴金属の宣伝
    →中国に蔓延する拝金主義
  • テレビを見る無気力な視線
  • そして・・・マスチフ犬は何を象徴しているのか?
    →チベット独自の伝統や生活の終焉

結末はここでは書かないが、とにかく、重苦しく、救いの無い悲しい映画だった。
そして、この重苦しさ、救いの無さ、悲しさこそが、現在のチベット本土を覆っているものなのだ

いつかDVDが発売されることがあるだろうか。決して明るい映画ではなく、「問題作」とも言える作品だが、その時は上記のようなことを踏まえた上でぜひ見ていただければと考える。

※参考サイト:チベット文学と映画制作の現在「オールド・ドッグ」

【講演】春のカワカブ(梅里雪山)とカイラス

東京・市ヶ谷のJICA地球広場で開かれた、チベットの山に関する講演会に行ってきました。
今回の講演は、東チベットのカワカブ(カワ・カルポ、中国語で『梅里雪山』と呼ばれる山系の主峰)で遭難した、私の大学時代の友人を含む登山隊(詳細はこちら)の遺骨・遺品の捜索を続ける小林尚礼さんを中心に開かれたもの。ゲストに、チベットを自転車で駆け巡ってきた安東浩正さんを迎えてW講演が行われました。

まずは、小林さん。シャクナゲやサボテンの花などで彩られた美しいカワカブの写真の数々を見せていただきました。
実は、私もカワカブの見えるはずの場所に行ったことがあるのですが、折悪く雨季で山の姿は見られずじまい。小林さんの写真は何度も見させていただいてその度に「もう一度行って、今度こそカワカブの雄姿をこの目で見たい」と思わされるのですが、今回の講演ではそれを上回る別の「見に行きたい」の思いにかられることになります。
それが、安東さんの講演のテーマとなったカイラス(カン・リンポチェ)。西チベットにそびえる、チベット仏教とは勿論のこと、ポン教やヒンドゥー教の信者にも神聖視されている聖山です。
前半は、雲南留学中にラサから冬の東チベットを自転車で横断して麗江、大理、昆明に抜けたという驚愕のエピソードを語っていただきました。後半は、やはり自転車でウイグルのカシュガルから西チベットのアリを経由してカイラスに辿り着き、周囲を巡礼したエピソードなども語って頂きました。カイラス巡礼のコツや宿の場所なども語っていただき、いつかカイラスへ行く時が来れば必ずや役立つであろう知識を得ることができました。
もう一つ興味深かったのは、高山病を予防するコツでした。
「呼吸する時は、ゆっくりと息を吐くことはしない。息を吐いて肺が縮む時間を極力短くする」
「チベット鉄道に乗る場合は、ゴルムドを過ぎた先の最大の山越えの際に寝ることはしない。起きて高地順応に努めること」
「ゆっくり歩く」
「荷物は軽く」
などなど。なるほど。これもチベット再訪やカイラス行きの時に必ずや役立つ知識になるだろう。

カイラスは私にとって憧れの地。しかし人里離れた場所にあり、行くには困難を伴うまさに秘境。よしんば到着できても、4500mもの高地を歩いて巡礼しなければならないのでそこで更に苦労が待っている。
しかし、そんなカイラスにも変化が起きているようだ。

舗装こそされていないものの、自動車で走ることができる道ができているという。
インド人がカイラス巡礼路の中でもとりわけ厳しい難所にロープウェイを造ろうとしているという。

神とあがめる山を巡礼するのに横着をしてどうする? やはりカイラスの巡礼路は自分の足で歩いてナンボだろう。

「カイラスは、今はまだ“秘境”と呼べます」
安東さんが言う。確かに、今ならまだ間に合う。何としてもカイラスが“秘境”と呼べる間に巡礼を実現させたいものだ。

ダライ・ラマ法王と科学者との対話

敬愛するダライ・ラマ14世猊下が今年も来日された。ここ最近余裕が無くチベット支援活動や関連行事に全く参加できていない私だが、今年は何とか法皇様のお言葉を直接拝聴したいと、ギリギリの時間を割いて1つだけイベントに参加した。

ダライ・ラマ法王と科学者との対話「宇宙・生命・教育」

このイベントは、仏教以外のサイエンス、教育等の専門家を招いて仏教と科学が共存するところに人類の将来を考える、というものだ。法皇様がオープニングスピーチで、そしてこれまで拝聴してきた法話等で繰り返しお話されてきたように、仏教は分析し、考えるというプロセスが極めて重視される。従って、仏教と科学は極めて親和性があるというのだ。
この日のイベントは午前の部、午後の部があった。私が参加した午前の部では、コスモス・セラピーの研究者、数学者、教育者がスピーチを行い、それに基づいて法皇様がコメントをする、という形で進行した。

心の安寧
合理性
人と人との繋がり

私たちの考え方では一見仏教と相容れないと思われる科学分野が、こうして見ると意外な仏教との接点を持っていることに気づかされた。

それにしても驚かされるのが、ダライ・ラマ法王の飽くなき探究心。もう長年にわたって異分野の科学者たちの言葉に耳を傾けているというから敬意を表するしかない。こうした探求が仏教を発展させ、その先にはチベット、そして世界の平和と発展がきっとあるに違いない。そしてそれらの探求は、法皇様の脳細胞を活性化させ、法皇様のご長命にもきっと繋がるに違いない。

それにしても、もったいなかったのはモデレーター=進行役の池上彰氏の立ち位置。進行役としてよりも対話の真ん中にいてほしい方だったので、その意味での期待外れ感は否めない。
法皇様と池上氏との対話ということなら、以下の本を読んでみるといいかも。

チベットフェスティバル(2013年@護国寺)

昨年1年間はすっかりお休みとなってしまったチベットサポート活動――今年は心機一転できる限りでいいから復帰しようと、久々にイベントに参加してきました。

2013年のゴールデンウィーク期間中、東京・護国寺で行われているチベットフェスティバル。バター茶やモモ、カプセ(チベット風クッキー)などを味わえる露店や民族衣装等グッズの販売、色とりどりの砂でコツコツと作っていく(そして儀式が終われば惜しむことなく壊して水に流してしまうことになる)砂曼陀羅の制作実演、野外ステージで催されるコンサートや講演会などで賑わっていました。
野外コンサート
野外コンサート

中でも特筆すべきは、チャム(チベット式仮面舞踏)のライブ。砂曼陀羅もそうなのですが、チャムも日本で見られる機会はそうそうありません。護国寺本堂前に椅子をびっしりと敷きつめた会場で行われましたが、東京のど真ん中という一等地のステージを、護国寺は無料で提供しているというのだから、その太っ腹ぶり、もしくはチベット愛ぶりは大したものです。

チャムはラダックなどで既に何度も見ていますが、重厚な音楽をバックに不思議な仮面を被った僧侶たちが時に重厚に、時に軽快に踊る姿を見ていると、同じ仏教でも所が変われば様々な姿があるもので、それぞれの地でガラパゴス的な進化をしているのだな、ということをいつも感じさせられます。夜空の下でチャムを見るのは初めてだったので、それは新鮮でしたが。
チャム

ところで、チャムをやっているステージのバックに建つ護国寺本堂の屋根が、何か上演中、不思議なことになっていた…
実は、今回新たな試みとして、寺の屋根に色とりどりの照明を当てて「デジタル掛け軸」なるものを表現しようという前衛的な?アートがチャムと併せて行われていたのです。
ただ――これってチベットとコラボする理由があるのだろうか?
デジタル掛け軸

 

チベットフェスティバルは5月6日まで、東京・護国寺(最寄駅:東京メトロ有楽町線護国寺駅)で開かれています。砂曼陀羅公開や物販は16時までなのでご注意を。

チベットは昨今、凶悪極まりない侵略者の抑圧・支配の下、もはや焼身自殺を図ることでしか抗議の意思を伝えることのできないほど追いつめられています。この日、ダライ・ラマ法王日本事務所のラクパ代表がおっしゃっていたように、チベット人は今や本土において「絶滅が危惧される」状況にあります。
チベットのことを知る方もよく知らない方も、この連休中、一度護国寺に赴いていただけるとありがたいです。こちらの物販での収益はチベット支援のために使われますし、会場ではチベット支援活動の紹介もしています。そして何より、文化・宗教・政治等の面においてまずはチベットを知って頂くことが、支援への第一歩になるのですから。

震災のジェクンドは、今・・・

昨日のことになりますが、第10回「チベットの歴史と文化学習会」に参加してきました。
モンゴルを軸にチベットについて語られた特別講演も聴きごたえがありましたが、今回心に突き刺さったのがジェクンド震災のその後の様子でした。
現地を訪問した作家の渡辺一枝さんが写真を交えて報告して下さった8月時点での現地の様子は・・・

  • 建物が倒壊し、政府が用意した青テントで生活や商売を営む人々。
    家の倒壊を免れた人々も、余震に警戒してテント暮らしをしているようです。
  • 学校・病院を優先的に再建しているようです。
  • 政府(漢人)主導で推し進められる復興計画。
    既にジェクンド空港が建設されていることから、観光客を誘致できるような再建がなされるのでは、という懸念もあります。
  • 救いを求める人々の心情からか、マニ塚(石に経文やマントラを彫ったマニ石が積み上げられてできた塚)の規模が大きくなっていたとのこと。
  • 小中学生は引き続き地元で授業を受けられるが、高校生は外の省で授業を受けることを余儀なくされている。(洗脳教育のため、ということでは必ずしもないようで、条件が整えばジェクンドに戻ることを前提にしているとのこと)
  • ここぞとばかりに社名をアピールする復興支援企業。

そして、必ず政府を通して行うこと、との前提となっている義捐金がどれ程現地に行きわたっているか不透明な現状、これまでにこの学習会等で募った義捐金の使途を明かすことができない現状・・・
「震災復興のために私たちができること」という課題の答えは、残念ながら今回も明確にはできなかったように感じられました。

何か、やり切れなくなってしまいます。

震災復興の方針といい、最近話題になっているアムド地方での漢語教育押し付け問題といい、漢人政府主導で有無を言わさずに推し進められる政策に対する憤り、そしてそれに対して何をすべきか答えが見出せない自らの非力さに、今少々凹み気味です。

そんな中にも、光は僅かながらありました。

実は、渡辺一枝さんとほぼ同時期にジェクンドを訪れていた知人(このブログにも度々ご訪問頂いています)に現地の写真を見せて頂いたのですが、見る前に
「この状況ではさすがに『笑顔』の写真は撮れなかったんじゃないですか?」
と尋ねたところ
「いや、それが意外と笑顔でしたよ」
とのこと。アルバムのページをめくってみると、瓦礫の山となった街や寺院、避難用テントの写真の中に、確かに笑顔を向けているチベタンたちの写真が少なからずあったのです。
「こんな状況でも笑顔になれるのは、仏教への信仰があるからですかね」
と、その知人。

――同感。

それに付け加えるとすれば、これも仏教への信仰から来ていることかもしれませんが、私がダライ・ラマ法王をはじめチベットの人々に常日頃感じているオプティミズム(楽観的主義)的な心の持ち様もあるのではないかと思いました。
そして、今回の悲惨な震災の中、命を落とさずに済んだことに対する喜びもあったのではないでしょうか。

纏めれば・・・
「命をお救い頂きありがとうございます。
命あっての物種。生きていれば何とかなる」

とでもなりますでしょうか。


より大きな地図で
チベット・カム地区ジェクンド を表示

第9回「チベットの歴史と文化学習会」

いつも東京・春日で開催されている「チベットの歴史と文化学習会」に参加してきました。

今回の特別講義のテーマは「チベット“解放”の言説をめぐって」というもの。私が当サイトの「中国官製『チベットの50年』の虚構」で疑問を投げかけた中国共産党の「農奴解放言説」について社会人類学者の大川謙作氏が語って下さいました。

要点を言いますと、

  • 「農奴解放言説」とは、1959年の動乱後の「民主改革」の強行=ダライ・ラマ政権解体とチベット旧社会の崩壊 を指す用法
  • 中国共産党の言う「解放」とは1950~1959年の間は「海外帝国主義の解放」だったのが1959年以降は「封建農奴制からの解放」に変わり、1959年から意味が変化・混乱した。
  • 1951年の「17か条協約」(1959年に解消)では「チベットの現行政治体制に変更を加えない」「チベットに関する各種の改革は、中央は強制しない」と定められていて、1951年~1959年の間は今日の香港のような「チベット版一国家二制度」とも言うべき共存が存在していた

つまりは、中国共産党の言う「封建農奴制からの解放」という口実はチベット侵略当初から言われていたものではなく、完全な後付けだった、ということです。

では、「農奴」をめぐって

  • チベット語で「農奴」は「zhing bran(シンテン)」。但し、これは新しい造語で、「農奴」という漢字にチベット語の発音を当てはめたものにすぎない。
  • 旧社会で使われていた言葉は「ミセー」。これは人口の80~90%を占める貴族でも僧侶でもない平民を指していたが、中国共産党の理解ではこれが「農奴」だった。
  • ミセーは少額の現金を支払うことで好きな場所に赴いて好きな職業を選択することが可能だった
  • 当時のチベットは中央集権的で、封建制=分権的状況と見れば不適当。

ということ。即ち、従来言われている「農奴制」「封建制」とは異質なものだったということになります。

その後は、イギリスBBSが作成した1949年~1980年代のチベットの様子を映し出した映像を見たり、チベット漫談テカルや民族楽器の演奏でちょっと一息ついたり。

最後に、ジェクンド大地震の被災地映像を見ながら私たちに何ができるかについて考えました。
「現地で支援をしたい」と勢いで行ってしまっても結局は何もできずに足手まといになることも少なからずあるようです(阪神大震災の時にもそういうことがあったらしい)。現状で自分ができることと言えば、現地で救援活動をしている方々に送られる募金に力を貸すぐらいのことしか無いのだろうか――そう思うと、無力感に打ちひしがれもします。

ダライ・ラマ法王 横浜法話・講演 2010

平日の出勤時間よりも早いペースで、日本橋にて東京メトロ東西線から銀座線に乗り換える。銀座線の車内では、台湾のお坊さんの集団が瞑想するかのように静かに座っていた。

渋谷で東急東横線―みなとみらい線に乗り換え、横浜のみなとみらいへ。海辺にでんと横たわるパシフィコ横浜展示会場が・・・

ダライ・ラマ法王 横浜法話・講演

の会場だ。前回予告した通り、2週連続でダライ・ラマ14世猊下のお話を拝聴する。今回は午前の部・午後の部2回に分けて10:00~16:00という長丁場の法話・講演会だ。

10:00。司会・進行役の進藤晶子さんの紹介のあいさつで、ダライ・ラマ法王がご入場。万雷の拍手で出迎えられる。

午前の部は仏教法話「20世紀までは科学・技術の発展が重視されたが、それだけでは人の心を育むことができない、ということに皆気づき始めた※1。今の時代は心を高めることが重視されるようになり、その上で宗教が重要な役割を果たすことになる」という話をされた後、ツォンカパ(チベット仏教ゲルク派の創始者)の「縁起賛と発菩提心」について解説された(詳しい内容は省略――と言うか・・・今の私には書けないT_T)。

休憩を挟んで13:00。法王様のお話第2部――の前に、世界各国のお坊さんたちによる声明(しょうみょう)・お祈りが行われた。

インド
いでたちが仏教っぽくなく、声明の声の響きもインドそのものなのだが、何を言っているか分からない言葉の内容を聞けばきっと仏教なのだろう。

中華民国・台湾
って・・・

さっき銀座線で一緒になったお坊さんたちじゃん!!

今度は私の中で確立されている仏教のイメージぴったりの声明・お祈りだった。

韓国
こちらも、スタイルは極めてオーソドックス。
客席の応援団の人数・熱気の方が印象に残っていたりする。

モンゴル
こちらは音楽の披露。歌手の方がモンゴルのガンタン寺で法王様にお会いした時等の映像を流しながら2曲演奏してくれた。

チベット
これもオーソドックスな声明・お祈りだったが、チベット語だったのでダライ・ラマ法王も一緒に唱えられていたのが印象に残った。

日本
激しい和太鼓のリズムに合わせてシャープに唱えられる般若心経!!
あんなに熱い般若心経は初めてだ――日本仏教のともすれば暗いイメージを完全に覆してくれたぞ。

渡辺貞夫
高校時代ブラスバンドでアルトサックスをやっていた私にとっては嬉しいサプライズだったが・・・
なぜ、ナベサダ?※2
なぜ、サックス?

14:00。今度こそ法王様のお話第2部が始まった。
今回は比較的平易な内容なので、チベット語ではなく英語で話し始めるが、どうしたことか、第1部ほどの勢いが感じられない。心なしか、声もかすれて聞こえる。
[1週間で3回の講演というタイトなスケジュールでお疲れなのかな? 今回は更にロングランの講演だし・・・]
などと思っていたところ、法王様は最初の一節が終わるとすぐに
「今回は(同時通訳機による)英語の通訳もあることなので、ここからはチベット語で」
とお断りを入れ、そこから先はチベット語でお話しされた。
すると・・・

 復 活(笑)

いつもの法王様が戻ってきた。

その後は、
「心の平和を保てば体が健康になり、幸せや家族の平和も導かれる」
「全ての幸せの源は愛と思いやり」
「親の愛情を受けずに育った子供は、心の奥で他の人を信じられなくなる」
「以前は『私たち』『わが国』と『彼ら』『他の国』との間にバリアのようなものがあったが、国と国とが依存し合う今、自国のことばかり考えている訳にはいかない。『一つの人間家族』という意識が必要だ」
と、いつものように「愛」「利他」などをテーマにした内容をいつもの明調子でお話になった。

法王様がお元気だと聴衆も元気だ。最後の質疑応答にはいつもにも増して多くの人々が並び、日本人以外の姿も目立った。法王様が時間を30分延長してできる限り多くの方が質問できるようの計らってくださったが、それでも並んだ全員が質問、とはいかなかった。

講演、質疑応答を通じて少し印象的だったのが、ダライ・ラマ法王が
「仏教は『学ぶ』ことが重要。例えば般若心経も、唱えるだけでは駄目で、どのような意味なのかを学ぶところまで要求される」
と繰り返しおっしゃっていたことだった。そろそろ私も、本腰で仏教を「学ぶ」ことをしてみるかな。

16:30。講演終了。開始時と同じく、拍手に送られて法王様がステージを後にする。

いつもながら、ダライ・ラマ法王のお話を拝聴していると穏やかで温かな心になることができる。
ここ数年で、私の心は以前よりも穏やかに、でありながら強くなり、なお且つゆとりができてきたように何となく思われる(自画自賛?)のだが、2007年のダラムサラ以来、法王様の講演、法話を6度に亘って拝聴してきたことと無関係ではあるまい。

一つだけ、今回の講演で残念なことがあった。
「写真撮影はご遠慮ください」と主催者のお断りがあったにもかかわらず、写メを撮る連中が少なからずいたことである。特にひどかったのは、午前の部、午後の部各回の冒頭で報道関係者の方の撮影タイムが設けられたのだが、どさくさに紛れて一般の方が大勢前の方に出てきて写メを撮っていた一幕があったことだ。午後の部ではついに、進行役の進藤さんが「お写真はご遠慮ください」と皆に呼び掛けたのだが、それでも写メを撮る者は後を絶たなかった。
著名人の講演やコンサートでの写真撮影や録音はしない、というのは常識的な最低限のマナーではないのか? お心の広いダライ・ラマ法王だからまだよかったが、気難しいアーティストだったりしたら「もう日本には来ない」ということにもなりかねない。
私もカメラをやるので、撮りたい気持ちは理解できる。しかし、そこはTPOをわきまえて自重していただきたかった。
いや、カメラをやるからこそ、そう思うのである。


※1 未だに気づいていない国があるような気がするのは気のせいだろうか。ほら、日本の隣あたりに・・・
※2 コメント参照

ダライ・ラマ法王長野講演2010

(昨日の話になりますが、当日は帰りが遅くなったので本日の更新とさせていただきます)

2010年6月20日午前8時。新宿発の高速バスで長野へ。顔見知りも少なからずいる。どうやら目的は同じようだ。
長野に到着後、目指したのは長野五輪メモリアルアリーナのビッグハット。前日に善光寺を訪問されたダライ・ラマ14世猊下の講演がこの日ここで行われる。

午前2時。拍手に迎えられてダライ・ラマ法王がビッグハットの壇上に姿を現す。来場者に手を振り、壇上のタンカに向かって五体投地をした後、まずは般若心経を唱える。それが終わるといよいよ、法皇様のお話である。

「先ほど唱えた『般若心経』の中に『照見五蘊皆空』という一節がありますが、これは『実人間の心身を構成している五つの要素=五蘊がいずれも本質的なものではない』という意味であります」
と、まずは般若心経の一部の解釈についてお話しされ、その流れで「自我」と「無我」についてお話しになった。
その後も
「人間は社会の中で生きていく生き物であり、思いやりの心・慈悲が必要とされる」
「世界が経済危機にある中、自国のエゴではなく『普遍的責任感』を持つことが必要」
などのお話があった。
また、
「若い人にお願いがある。英語をしっかり学んでいただきたい。好き嫌いはともかく、英語は今や国際語である。下手でも気にせず、世界に飛び込んでいただきたい。私の英語もブロークンだが、こうして英語を介して世界各国の人々と交流ができている」
と、日本の若者たちに呼びかける一幕もあった。

昨年10月末に東京・両国国技館にお越しいただいた時には、どうしたことかいつもの元気さに欠けていたように思われた法王様だったが、この日はお元気そのもの。慈愛・力強さ・ユーモアを兼ね揃えたダライ・ラマ14世節全開のステージとなった。

2時間強の講演時間はあっという間に感じられた。法王様のお姿とお声に直に接するだけでも十分、という段階は私の場合、既に通り越しているようだった。

[もっとお話をお聴きしたい・・・]
これも煩悩?

しかし、すぐにもっとお話を拝聴することになるのである。

ダライ・ラマ法王 横浜法話・講演
2010年6月26日(土)会場:パシフィコ横浜 展示ホール

関東在住者としては行かずにいられる訳が無い!
中5日で駆けつける予定であるのは言うまでも無い。(6月22日には金沢でも講演があるが、さすがにこれは無理)

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