バス憧れの大地へ

雑記ブログ

バンクーバー(2020年1月3日)

※この記事は後日、別ページでより詳しい内容でリライトします。

前日日中の便で、ホワイトホースからバンクーバーに戻る。この日は先日の滞在でまだ訪れていない場所を足早に訪れる。

バンクーバー博物館
バンクーバー博物館
先住民の時代から西洋人移民の時代、2つの大戦の時代、現代に至るバンクーバーの歴史が簡潔に纏められている。
西海岸の街なので日本人移民もいたのではないかと思ったら、やはり、この地に渡ってきた日系カナダ人の苦難の歴史についても、1つの区画で紹介がされていた。
バンクーバー博物館の日系カナダ人に関する展示

先日も訪れたウォーターフロントへ。見逃していたのが、
オリンピック聖火台
オリンピック聖火台
バンクーバー五輪の時に使われていたものを、コンベンションセンター西側広場に移設して保存されている。
あの五輪が開かれたのが、2010年。今年は、まだなったばかりだが、2020年――もう10年にもなるのか。

ウォーターフロントの鉄道駅から、西へ少し歩いた所にある、
ギャスタウン
ギャスタウン。おしゃれな店が立ち並ぶ若者の街だ。その一角に、この地を開拓した立役者を称えるギャシー・ジャックの像がある。
ギャシー・ジャックの像

ギャスタウンに隣接する場所には、チャイナタウンもある。
チャイナタウンの中華門

チャイナタウンの南側に足を運ぶと、ここにもオリンピックの舞台となった場所があった。
B.C.プレイス
B.C.プレイス。カナディアンフットボールのBCライオンズの本拠地のスタジアムで、五輪の際には開会式と閉会式の開催場所でもある。

B.C.プレイスを去ろうとしたところで、雨が本降りになってきた。ダウンタウン一の目抜き通りであるロブソン通りなどを通って、宿に戻る。
ロブソン通り

取りあえずこれで、バンクーバー巡りも終了。明日の帰国を待つばかりとなった。

ホワイトホース(2020年1月2日-1)

※この記事は後日、別ページでより詳しい内容でリライトします。

カナダ・ホワイトホースでの2020年元日。夜から未明にかけては日中のツアーでもお世話になったNorthern Talesオーロラ鑑賞ツアーに参加。ホワイトホースのダウンタウンからバスで30分ほど北へ行った郊外で3たび、オーロラにチャレンジする。
日中の天気は曇り。夕方から少しずつ雲が薄くはなっていたが、夜中になっても天気はまだ「曇り」のカテゴリーだ。

現地では、山小屋で休憩したり、表で焚火に当たったりしながら、オーロラが見えたら観測をする形だ。
山小屋で楽しむ人々
焚火を楽しむ人々
日付が変わったあたりのタイミングで、私は三脚を表に固定して、山小屋の中よりも表にいる時間を長くして待機する。
北の空はやはり雲がかかっている状態だったが、やがて山裾のあたりがほんのり、白に限りなく近いがよく見ると青みがかって明るい光を帯びている。
[もしかして…]
カメラで長時間露光で撮影してみると、
ホワイトホース郊外のオーロラ
やはり、山裾の光ははっきりと青い色に写っていた。紛れもなく、オーロラである。
暫く、角度や撮影範囲をいろいろ変えてみながら、オーロラを撮影してみた。
ホワイトホース郊外のオーロラ
やがて、北の空の雲も薄くなってきたが、雲に乱反射していたとみられるオーロラの光が、それにつれて薄くなってきた。どうやらオーロラ強度はそれ程強くなかったようである。
ホワイトホース郊外のオーロラ
午前2時前。ツアーを終了してダウンタウンに戻る時間になった。後ろ髪を引かれる思いだったが、帰りのバスに乗り込み、ダウンタウンに引き揚げる。

今回は一応、肉眼でオーロラの光を認識することができた。しかし、頭上にオーロラのカーテンが広がるという理想のシチュエーションにはまだ程遠い。

オーロラリベンジ」はまだ達成できたとは言い難い。

ホワイトホース(2020年1月1日)

※この記事は後日、別ページでより詳しい内容でリライトします。

カナダ西部にも、日本から遅れること17時間後、2020年の元日が訪れた。

明けましておめでとうございます。
今年も何卒宜しくお願い致します。

この日の深夜も前日に続き、ホワイトホース郊外のTriple B Bed n Breakfastでオーロラが出るのを待ったが、この日は星はよく見えたものの、オーロラの強度が弱く、不発に終わった。
ホワイトホース郊外の夜空

この宿に泊まるのはこの日の朝までで、あと1泊、ホワイトホースではダウンタウン(中心街)で過ごす。

この日は午後から、Northern Talesという現地旅行社が主催するユーコン野生動物保護区野生動物鑑賞と温泉ツアーに参加した。ホワイトホース北郊外の同保護区でドールシープ、ビッグホーンシープ、マウンテンゴート、トナカイ、バイソン、ジャコウウシ、ヘラジカ、オオヤマネコなどの動物を間近に見ることができるのだ。

↓ツアーで見た動物たち。どれがどの動物かは帰国後ゆっくりと調べます。
ユーコン野生動物保護区の動物
ユーコン野生動物保護区の動物
ユーコン野生動物保護区の動物
ユーコン野生動物保護区の動物
ユーコン野生動物保護区の動物
ユーコン野生動物保護区の動物
ユーコン野生動物保護区の動物
ユーコン野生動物保護区の動物
ユーコン野生動物保護区の動物
ユーコン野生動物保護区の動物
ユーコン野生動物保護区の動物

動物を楽しんだ後は、近くにあるタキーニ温泉で、零下の中動物を追って野外を歩いて冷えた体を温めた(ぬるめのお湯だったが)。

100名城巡り・小机城、石垣山城、小田原城

2019年8月31日

この夏は青春18きっぷを使って静岡、東京、山梨の日本100名城を巡ってきたが、きっぷがまだ1日分残っている。
現在の地元・神奈川の城にまだ行けていない。青春18きっぷで巡るのにちょうどいい電車賃になるので、行くことにした。

まず、目指したのは、JR横浜線小机駅から徒歩10分ほどの小高い山の上にある小机城(続日本100名城No.125)。15世紀に関東管領上杉氏が築き、長尾景春の乱の際に攻城戦の舞台となった城だ。その後いったん廃城となり北条氏の統治下で再建されたが、徳川家康の関東入府後、再び廃城となる。現在は小机城址市民の森として保存されているが、第三京浜道路の建設で一部壊されてしまっている。
駅南口にある「城郷小机地区センター」で100名城のスタンプを頂いた後、北口に回って、そこから歩いて公園入口へ向かう。
小机城本丸入り口
小机城本丸入り口
小机城本丸
小机城本丸
坂道を上った先の門をくぐると、そこが本丸。他にも二の丸、土塁、井楼跡、櫓台など、ここが城であった痕跡が幾つも残っている。
小机城の空堀
小机城の空堀
特に印象的なのが、深くえぐられた「空堀」。この場所が戦いの要塞であったことを最も雄弁に物語っている。中でも本丸~二の丸の北側の空堀は現在、両側に竹林が茂る小道になっていて、非常に風情がある場所だ。
小机城の空堀
竹林の中を抜ける小机城の空堀

小机から横浜線、京浜東北線、東海道線とJR路線を乗り継いで、1時間20分ほどかけて、小田原へ。この街で最も有名な城は後に回すことにして、私はまず別の城を目指した。
向かったのは、石垣山城(続日本100名城No.126)。小田原攻めの際、豊臣秀吉勢が笠懸山の山頂に秘密裏に建て、突如その姿を見せて北条方の士気を失わせたことで有名な、「一夜城」の異名を持つ城だ。土日祝日なら小田原駅から出ている小田原宿観光回遊バス「うめまる号」で直接行くことができる(1日乗車券がお得)。
石垣山城の南曲輪石垣
石垣山城の南曲輪石垣
その名の通り、今も残る石垣が特徴の城で、入り口そばの南曲輪をはじめ、馬屋曲輪(二の丸)、井戸曲輪などに立派な石垣が残っている。
石垣山城の井戸曲輪
石垣山城の井戸曲輪
入り口から暫く坂を上ると、広々とした二の丸に行き着く。そこから更に坂を上った先に本丸があり、その一角には天守台もある。「一夜城」という異名から簡易な城を想像していたが、実際には80日かけて築城したもので、かなり本格的な城だったことが覗える。
石垣山城馬屋曲輪(二の丸)
石垣山城馬屋曲輪(二の丸)
石垣山城の天守台
石垣山城の天守台
本丸のへりの方に展望台があった。小田原の街と駿河湾を一望することができる。
ビルが立ち並ぶ中に埋もれて少し分かりにくいが、小田原城の姿も見えた。秀吉もここから、小田原城に向けて睨みをきかせていたのだろう。

石垣山城からの眺望
石垣山城からの眺望。小田原城も見える(クリックで拡大)
石垣山城の駐車場で100名城のスタンプを頂いた後、循環バスで小田原の市街地へ移動。向かうは勿論、先程石垣山城からもその姿を捉えた小田原城(日本100名城No.23)である。北条早雲をはじめとした北条氏の本拠となった城だ。9kmもの総構えで知られる難攻不落の城だったが、先述した秀吉の小田原攻めで遂に落ちる。明治になって天守閣や櫓は一旦解体されるが、1960年に天守閣が再建され、その後門が復元された。
小田原城天守閣
小田原城天守閣
天守閣入り口で100名城のスタンプを頂き、展示物を見ながら最上階に向かう。
廻縁から西側を眺めると、箱根の山が見えるが、その手前に見えるのが笠懸山――そう、石垣山城が築かれた山だ。石垣山城から小田原城を眺めた時は結構遠く思えたのだが、小田原城から笠懸山を眺めるとかなり近く感じられる。この感覚が、北条方を降伏へと向かわせたのだろうか。
小田原城から見る笠懸山
小田原城から見る笠懸山。赤丸の辺りに石垣山城がある

これで、今回の名城巡りは終了。神奈川県の100名城制覇となった。

100名城巡り・要害山城、武田氏館、甲府城、江戸城

2019年8月17日

山梨県甲府市で1泊して、朝7時すぎ、100名城巡り2日目のの行動開始。県庁前から積翠寺行きのバスに乗り、市街地から山の中に入って終点で下車。そこから更に坂道を15分ほど歩いて、本日1つ目の名城の入り口に行き着く。
要害山と積翠寺
要害山。手前に見えるのが積翠寺
バスを下りた時から見えていた要害山の上にあるのが、要害山城(続日本100名城No.128)。武田信玄生誕の地とされる城だ。
要害山城入り口
要害山城入り口
要害山の竪堀跡と土塁跡
竪堀跡と土塁跡
主郭部へは山道を歩くことになるが、かなり草深く、一部は足元が見えない箇所もあり、ここでマムシでも出たらたまったものではないと、少し恐る恐る歩いた。
竪堀跡と土塁跡、門跡、不動曲輪(武田不動尊像がある)などを経て、30分弱で主郭部に到着した。「武田信玄誕生の地」の碑はあるものの、当時を思わせる遺構が残っているようには見えなかった。
要害城主郭部
要害城主郭部
来る時はバスだったが、帰りはちょうどいい時間のバスが無かった。しかし、要害山城から次の名城までは僅かに3km。しかもずっと下り坂なので、歩いて40分ほどで行くことができた。

次の名城は、武田氏館(日本100名城No.24)。信虎、信玄、勝頼の武田氏3代が本拠とした城で、甲斐武田氏発祥の地だ。「信長の野望」などをプレイしたことがある人なら「躑躅ヶ崎館」という名前の方がピンとくるかもしれない。大河ドラマ「武田信玄」では、往時の立派な姿が何度も映し出されていた。
武田氏館の堀
武田氏館の堀
周囲には堀が巡らされ、赤い橋を渡ると武田神社がある。社に向かって左へ行くと西曲輪があり、石垣や、北側の一段高い場所にある枡形虎口などに往時の姿をしのぶことができる。
西曲輪北側枡形虎口
西曲輪北側枡形虎口
社の向かって右側にある宝物館で100名城のスタンプを頂き、そのまま大手門跡から表に出ると、大手の遺構が広がっていた。建物の痕跡は見て取れなかったが、曲輪や土塁などに当時の様子がしっかりと残っている。
武田氏館跡大手
武田氏館跡大手
武田氏館跡大手の土塁
武田氏館跡大手の土塁

少し離れた所にある武田信玄墓所をお参りした後、バスで甲府駅へ。北口にある藤村記念館で、ようやく要害山城のスタンプを頂くことができた。

そして残っていたのが、昨日訪れたものの時間外でスタンプを頂けなかった甲府城である。稲荷櫓でスタンプを頂き、これで山梨県の100名城制覇となった。
甲府城稲荷櫓
甲府城稲荷櫓

昼食に甲州名物・ほうとうを頂き、時刻は12時半。今から行けば、もう一つ、中央本線沿いの城を制覇することができそうだ。

昨日来た道を列車で戻り、高尾で乗り継いで更に東へ。下車した駅は、東京駅。目指す城は言うまでもなく、江戸城(日本100名城No.24)だ。15世紀に扇谷上杉氏家臣の太田道灌が築城し、道灌の死後は上杉氏、次いで北条氏の支配下となった。小田原征伐後は徳川家康が入城後し、家康が将軍になってからは徳川幕府、ひいては日本の中心地となり、徳川幕府滅亡後は皇居となっている、名城中の名城だ。
江戸城 桜田巽櫓
江戸城 桜田巽櫓
江戸城 大手門
江戸城 大手門
和田倉休憩場で100名城スタンプを頂いた後、桜田巽櫓を横目に堀沿いに北へ進み、大手門へ。ここが江戸城参観の入口となる。
江戸城 百人番所
百人番所
入って石垣の間を抜けると、木造の立派な建物が目に入る。百人番所だ。江戸城は度重なる火災で天守閣を含む殆どの建物が現存しない中、この百人番所は貴重な江戸時代当時の生き残りである。
そこから大番所の前を通って本丸へ。その先に天守台があるのだが、この時は生憎、本丸一体が工事中でこのルートではアクセスできず、一旦百人番所まで戻って中央を抜けるルートを取った。
江戸城天守台
江戸城天守台

江戸城の天守台は、四方40mを超えるもので、想像を超える大きさだった。天守閣は1657年の大火で消失し、それきり再建されることは無かったのが何とも残念だ。しかし、既に太平の世になって戦のための天守閣が必要なくなった訳で、そんな時代にまた天守閣を再建すれば膨大な費用がかかる無駄遣いになるであろうことは、この天守台の大きさを見れば容易に理解できる。

これで、以前訪れていた品川台場、昨日訪れた滝山城、八王子城と併せて、東京都の100名城制覇となった。

100名城巡り・滝山城、八王子城、新府城、甲府城

2019年8月16日

東海道線沿線の静岡の100名城巡りを2日前に終わらせて帰宅したが、まだ青春18きっぷは残っている。今度は中央線沿線を、山梨まで1泊2日で行ってみることにした。

山梨の前に、東京都の中央線沿線にも城がある。まずは、八王子駅からバスで20分ほどの、多摩川と秋川の合流点近くという守りに適した場所にある滝山城(続日本100名城 No.123)を目指す。
滝山城は、北条氏照が居城としていた城だが、武田勢の侵攻を受けて八王子城に移ったというエピソードがある城だ。
「滝山城下」のバス停すぐ近くにある入口から山道を10分ほど歩くと、まず中の丸に行き着く。続日本100名城のスタンプはここで押すことができる。見晴台からは八王子の北側を見渡すことができる。北条氏照も、ここから武田軍の侵攻の様子を見ていたのだろうか。
滝山城中の丸
滝山城中の丸
滝山城本丸
滝山城本丸
堀に掛かる「引橋」を渡ると、中の丸から本丸に行くことができる。
しかし、この城で一番有名なスポットは、本丸でも中の丸でもない。堀の下に下りて見上げる、この「引橋」こそ、続100名城のスタンプの絵柄にも描かれているこの城のシンボルなのだ。
滝山城中の引橋
滝山城中の引橋

次に目指す城も、八王子市内だ。中央本線で八王子駅から2駅の高尾駅で下車し、バスで15分ほど(但し直行は土日祝ダイヤのみ)の場所にある八王子城(日本100名城 No.22)である。(『八王子城』なのに最寄り駅は八王子ではない)
八王子城は、上記の通り、北条氏照が滝山城を放棄した後に拠点となった城だ。
直行バスを下りてすぐの場所にあるガイダンス施設で100名城のスタンプを頂き、その先の管理棟(ここにもスタンプが設置されている)へ。ここが上と下、両方の城跡巡りの拠点となる。
八王子城管理棟
八王子城管理棟
八王子城からの眺め
八王子城からの眺め
まずは上へ。途中、先程の滝山城と同様、八王子の街を一望できる場所があった。
更に進むと、八王子神社がある。ここの左右には松木曲輪、小宮曲輪があるようだったが、私は目もくれずに山の上へと向かった。
八王子城本丸
八王子城本丸
そして山のてっぺんの本丸に到着。しかし、それ程広いスペースではない。この城のメインの建物は、上ではなく下にあるのだ。
急いで山を下りて、再び管理棟へ。次はここから下へ向かう。
一度橋を渡った後、また「曳橋」を渡った先にあるのが櫓門跡だ。
八王子城櫓門跡
八王子城櫓門跡
そしてその先にあるのが、御主殿。氏照の住まい等があった場所である。幾つもの柱の跡が残っていて、一部では木の床を敷いて建物の様子が再現されていた。
八王子城の御主殿の柱跡
御主殿の柱跡
八王子城御主殿の建物の様子の再現
建物の様子の再現

次の城を効率よく回りたかったので、私は大急ぎで1時間で城巡りを終え、来た時のバスの次の便に合わせたが、普通なら次の次の便に間に合わせるぐらいが丁度いいだろう。

次の城が遠かった。中央本線で八王子(東京都八王子市)から2時間7分、鈍行列車に揺られて新府(山梨県韮崎市)へ。駅から10分ほど歩いた場所の山の上にあったのが、新府城(続日本100名城 No.127)である。
新府城は、長篠の戦いに敗れた武田氏が穴山梅雪の進言で建てた城だ。武田勝頼が躑躅ヶ崎館からここに居を移すが、織田軍の侵攻から退く際に勝頼によって焼かれたという。
「新府城跡」という交通標識に導かれるように、私は山道を進んだ。南大手門、三の丸、二の丸と進んで、山の頂にある本丸に到着。
新府城本丸
新府城本丸
本丸はそこそこ広いが、どんな建物があったかを想像させる痕跡は残っていない。しかし、近くにあった「新府城の想定復元図」がそれを補ってくれた。小さな山に見えるが、こうして見ると結構大規模であったことが分かる。
新府城の想定復元図
新府城の想定復元図
武田勝頼の霊社
武田勝頼の霊社
本丸の一角には、武田勝頼の霊社がひっそりと建っていた。長篠・設楽原戦役の「将士分骨之碑」も見られる。
勝頼は新府城を焼いて小山田信茂の岩殿城へ向かうも、信茂の謀反に遭い、天目山に逃れ最期を遂げる。この城は、勝頼の悲しい最期にまつわる城だったのだ。

出口になったのは、藤武神社の石段――いや、観光ルートとしては、むしろこちらが入り口なのだろう。かなり急な石段だが「乙女坂」という比較的緩やかな坂もあるので、体力に自信のない人はそちらを歩くといいだろう。

山の北側に行ってみると、東出構・西出構の遺構がある。この辺りは、かつての城の形がしのばれる場所だ。
新府城の東出構
新府城の東出構
さて、新府城のスタンプだが、城跡近くには無い。ここから南へ3km、40分ほど歩いた(公共交通機関は無い)場所にある韮崎市民俗資料館まで行かなければならない。閉館時間は16時半。城跡を見て回っていたら16時になってしまったので、夏の日射しの下を時々走りながら向かう。ギリギリで滑り込んでスタンプを頂くことができた。

資料館最寄りの韮崎駅から中央本線で、来た道を少し戻って、甲府へ。
山梨県の県庁所在地にあるのは一際立派な甲府城(日本100名城 No.25)。「舞鶴城」の異名もある。武田氏滅亡後、徳川家康が築かせたといわれ、以後ここを拠点として甲府の城下町が形成されることになる。
甲府城の天守台
甲府城の天守台
石垣組みの立派な天守台があり、上からは甲府の街並みや甲府盆地を囲む山々(富士山も勿論見えるはずだが、この時は雲に隠れて見えず)を望むことができる。但し、この天守台に天守閣が建てられたという記録は残っていないとのことだ。
甲府城の稲荷櫓
甲府城の稲荷櫓
甲府城の鉄門
甲府城の鉄門
天守台のほか、復元された稲荷櫓、鉄門(くろがねもん)も存在感を放っている。
さて、スタンプだが、稲荷櫓と舞鶴城公園管理事務所で頂くことができるが、いずれも開業時間を過ぎてしまった。甲府では1泊する予定なので、明日あらためて来ることにしよう。

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