バス憧れの大地へ

雑記ブログ

100名城巡り・小机城、石垣山城、小田原城

2019年8月31日

この夏は青春18きっぷを使って静岡、東京、山梨の日本100名城を巡ってきたが、きっぷがまだ1日分残っている。
現在の地元・神奈川の城にまだ行けていない。青春18きっぷで巡るのにちょうどいい電車賃になるので、行くことにした。

まず、目指したのは、JR横浜線小机駅から徒歩10分ほどの小高い山の上にある小机城(続日本100名城No.125)。15世紀に関東管領上杉氏が築き、長尾景春の乱の際に攻城戦の舞台となった城だ。その後いったん廃城となり北条氏の統治下で再建されたが、徳川家康の関東入府後、再び廃城となる。現在は小机城址市民の森として保存されているが、第三京浜道路の建設で一部壊されてしまっている。
駅南口にある「城郷小机地区センター」で100名城のスタンプを頂いた後、北口に回って、そこから歩いて公園入口へ向かう。
小机城本丸入り口
小机城本丸入り口
小机城本丸
小机城本丸
坂道を上った先の門をくぐると、そこが本丸。他にも二の丸、土塁、井楼跡、櫓台など、ここが城であった痕跡が幾つも残っている。
小机城の空堀
小机城の空堀
特に印象的なのが、深くえぐられた「空堀」。この場所が戦いの要塞であったことを最も雄弁に物語っている。中でも本丸~二の丸の北側の空堀は現在、両側に竹林が茂る小道になっていて、非常に風情がある場所だ。
小机城の空堀
竹林の中を抜ける小机城の空堀

小机から横浜線、京浜東北線、東海道線とJR路線を乗り継いで、1時間20分ほどかけて、小田原へ。この街で最も有名な城は後に回すことにして、私はまず別の城を目指した。
向かったのは、石垣山城(続日本100名城No.126)。小田原攻めの際、豊臣秀吉勢が笠懸山の山頂に秘密裏に建て、突如その姿を見せて北条方の士気を失わせたことで有名な、「一夜城」の異名を持つ城だ。土日祝日なら小田原駅から出ている小田原宿観光回遊バス「うめまる号」で直接行くことができる(1日乗車券がお得)。
石垣山城の南曲輪石垣
石垣山城の南曲輪石垣
その名の通り、今も残る石垣が特徴の城で、入り口そばの南曲輪をはじめ、馬屋曲輪(二の丸)、井戸曲輪などに立派な石垣が残っている。
石垣山城の井戸曲輪
石垣山城の井戸曲輪
入り口から暫く坂を上ると、広々とした二の丸に行き着く。そこから更に坂を上った先に本丸があり、その一角には天守台もある。「一夜城」という異名から簡易な城を想像していたが、実際には80日かけて築城したもので、かなり本格的な城だったことが覗える。
石垣山城馬屋曲輪(二の丸)
石垣山城馬屋曲輪(二の丸)
石垣山城の天守台
石垣山城の天守台
本丸のへりの方に展望台があった。小田原の街と駿河湾を一望することができる。
ビルが立ち並ぶ中に埋もれて少し分かりにくいが、小田原城の姿も見えた。秀吉もここから、小田原城に向けて睨みをきかせていたのだろうか。

石垣山城からの眺望
石垣山城からの眺望。小田原城も見える(クリックで拡大)
石垣山城の駐車場で100名城のスタンプを頂いた後、循環バスで小田原の市街地へ移動。向かうは勿論、先程石垣山城からもその姿を捉えた小田原城(日本100名城No.23)である。北条早雲をはじめとした北条氏の本拠となった城だ。9kmもの総構えで知られる難攻不落の城だったが、先述した秀吉の小田原攻めで遂に落ちる。明治になって天守閣や櫓は一旦解体されるが、1960年に天守閣が再建され、その後門が復元された。
小田原城天守閣
小田原城天守閣
天守閣入り口で100名城のスタンプを頂き、展示物を見ながら最上階に向かう。
廻縁から西側を眺めると、箱根の山が見えるが、その手前に見えるのが笠懸山――そう、石垣山城が築かれた山だ。石垣山城から小田原城を眺めた時は結構遠く思えたのだが、小田原城から笠懸山を眺めるとかなり近く感じられる。この感覚が、北条方を降伏へと向かわせたのだろうか。
小田原城から見る笠懸山
小田原城から見る笠懸山。赤丸の辺りに石垣山城がある

これで、今回の名城巡りは終了。神奈川県の100名城制覇となった。

100名城巡り・要害山城、武田氏館、甲府城、江戸城

2019年8月17日

山梨県甲府市で1泊して、朝7時すぎ、100名城巡り2日目のの行動開始。県庁前から積翠寺行きのバスに乗り、市街地から山の中に入って終点で下車。そこから更に坂道を15分ほど歩いて、本日1つ目の名城の入り口に行き着く。
要害山と積翠寺
要害山。手前に見えるのが積翠寺
バスを下りた時から見えていた要害山の上にあるのが、要害山城(続日本100名城No.128)。武田信玄生誕の地とされる城だ。
要害山城入り口
要害山城入り口
要害山の竪堀跡と土塁跡
竪堀跡と土塁跡
主郭部へは山道を歩くことになるが、かなり草深く、一部は足元が見えない箇所もあり、ここでマムシでも出たらたまったものではないと、少し恐る恐る歩いた。
竪堀跡と土塁跡、門跡、不動曲輪(武田不動尊像がある)などを経て、30分弱で主郭部に到着した。「武田信玄誕生の地」の碑はあるものの、当時を思わせる遺構が残っているようには見えなかった。
要害城主郭部
要害城主郭部
来る時はバスだったが、帰りはちょうどいい時間のバスが無かった。しかし、要害山城から次の名城までは僅かに3km。しかもずっと下り坂なので、歩いて40分ほどで行くことができた。

次の名城は、武田氏館(日本100名城No.24)。信虎、信玄、勝頼の武田氏3代が本拠とした城で、甲斐武田氏発祥の地だ。「信長の野望」などをプレイしたことがある人なら「躑躅ヶ崎館」という名前の方がピンとくるかもしれない。大河ドラマ「武田信玄」では、往時の立派な姿が何度も映し出されていた。
武田氏館の堀
武田氏館の堀
周囲には堀が巡らされ、赤い橋を渡ると武田神社がある。社に向かって左へ行くと西曲輪があり、石垣や、北側の一段高い場所にある枡形虎口などに往時の姿をしのぶことができる。
西曲輪北側枡形虎口
西曲輪北側枡形虎口
社の向かって右側にある宝物館で100名城のスタンプを頂き、そのまま大手門跡から表に出ると、大手の遺構が広がっていた。建物の痕跡は見て取れなかったが、曲輪や土塁などに当時の様子がしっかりと残っている。
武田氏館跡大手
武田氏館跡大手
武田氏館跡大手の土塁
武田氏館跡大手の土塁

少し離れた所にある武田信玄墓所をお参りした後、バスで甲府駅へ。北口にある藤村記念館で、ようやく要害山城のスタンプを頂くことができた。

そして残っていたのが、昨日訪れたものの時間外でスタンプを頂けなかった甲府城である。稲荷櫓でスタンプを頂き、これで山梨県の100名城制覇となった。
甲府城稲荷櫓
甲府城稲荷櫓

昼食に甲州名物・ほうとうを頂き、時刻は12時半。今から行けば、もう一つ、中央本線沿いの城を制覇することができそうだ。

昨日来た道を列車で戻り、高尾で乗り継いで更に東へ。下車した駅は、東京駅。目指す城は言うまでもなく、江戸城(日本100名城No.24)だ。15世紀に扇谷上杉氏家臣の太田道灌が築城し、道灌の死後は上杉氏、次いで北条氏の支配下となった。小田原征伐後は徳川家康が入城後し、家康が将軍になってからは徳川幕府、ひいては日本の中心地となり、徳川幕府滅亡後は皇居となっている、名城中の名城だ。
江戸城 桜田巽櫓
江戸城 桜田巽櫓
江戸城 大手門
江戸城 大手門
和田倉休憩場で100名城スタンプを頂いた後、桜田巽櫓を横目に堀沿いに北へ進み、大手門へ。ここが江戸城参観の入口となる。
江戸城 百人番所
百人番所
入って石垣の間を抜けると、木造の立派な建物が目に入る。百人番所だ。江戸城は度重なる火災で天守閣を含む殆どの建物が現存しない中、この百人番所は貴重な江戸時代当時の生き残りである。
そこから大番所の前を通って本丸へ。その先に天守台があるのだが、この時は生憎、本丸一体が工事中でこのルートではアクセスできず、一旦百人番所まで戻って中央を抜けるルートを取った。
江戸城天守台
江戸城天守台

江戸城の天守台は、四方40mを超えるもので、想像を超える大きさだった。天守閣は1657年の大火で消失し、それきり再建されることは無かったのが何とも残念だ。しかし、既に太平の世になって戦のための天守閣が必要なくなった訳で、そんな時代にまた天守閣を再建すれば膨大な費用がかかる無駄遣いになるであろうことは、この天守台の大きさを見れば容易に理解できる。

これで、以前訪れていた品川台場、昨日訪れた滝山城、八王子城と併せて、東京都の100名城制覇となった。

100名城巡り・滝山城、八王子城、新府城、甲府城

2019年8月16日

東海道線沿線の静岡の100名城巡りを2日前に終わらせて帰宅したが、まだ青春18きっぷは残っている。今度は中央線沿線を、山梨まで1泊2日で行ってみることにした。

山梨の前に、東京都の中央線沿線にも城がある。まずは、八王子駅からバスで20分ほどの、多摩川と秋川の合流点近くという守りに適した場所にある滝山城(続日本100名城 No.123)を目指す。
滝山城は、北条氏照が居城としていた城だが、武田勢の侵攻を受けて八王子城に移ったというエピソードがある城だ。
「滝山城下」のバス停すぐ近くにある入口から山道を10分ほど歩くと、まず中の丸に行き着く。続日本100名城のスタンプはここで押すことができる。見晴台からは八王子の北側を見渡すことができる。北条氏照も、ここから武田軍の侵攻の様子を見ていたのだろうか。
滝山城中の丸
滝山城中の丸
滝山城本丸
滝山城本丸
堀に掛かる「引橋」を渡ると、中の丸から本丸に行くことができる。
しかし、この城で一番有名なスポットは、本丸でも中の丸でもない。堀の下に下りて見上げる、この「引橋」こそ、続100名城のスタンプの絵柄にも描かれているこの城のシンボルなのだ。
滝山城中の引橋
滝山城中の引橋

次に目指す城も、八王子市内だ。中央本線で八王子駅から2駅の高尾駅で下車し、バスで15分ほど(但し直行は土日祝ダイヤのみ)の場所にある八王子城(日本100名城 No.22)である。(『八王子城』なのに最寄り駅は八王子ではない)
八王子城は、上記の通り、北条氏照が滝山城を放棄した後に拠点となった城だ。
直行バスを下りてすぐの場所にあるガイダンス施設で100名城のスタンプを頂き、その先の管理棟(ここにもスタンプが設置されている)へ。ここが上と下、両方の城跡巡りの拠点となる。
八王子城管理棟
八王子城管理棟
八王子城からの眺め
八王子城からの眺め
まずは上へ。途中、先程の滝山城と同様、八王子の街を一望できる場所があった。
更に進むと、八王子神社がある。ここの左右には松木曲輪、小宮曲輪があるようだったが、私は目もくれずに山の上へと向かった。
八王子城本丸
八王子城本丸
そして山のてっぺんの本丸に到着。しかし、それ程広いスペースではない。この城のメインの建物は、上ではなく下にあるのだ。
急いで山を下りて、再び管理棟へ。次はここから下へ向かう。
一度橋を渡った後、また「曳橋」を渡った先にあるのが櫓門跡だ。
八王子城櫓門跡
八王子城櫓門跡
そしてその先にあるのが、御主殿。氏照の住まい等があった場所である。幾つもの柱の跡が残っていて、一部では木の床を敷いて建物の様子が再現されていた。
八王子城の御主殿の柱跡
御主殿の柱跡
八王子城御主殿の建物の様子の再現
建物の様子の再現

次の城を効率よく回りたかったので、私は大急ぎで1時間で城巡りを終え、来た時のバスの次の便に合わせたが、普通なら次の次の便に間に合わせるぐらいが丁度いいだろう。

次の城が遠かった。中央本線で八王子(東京都八王子市)から2時間7分、鈍行列車に揺られて新府(山梨県韮崎市)へ。駅から10分ほど歩いた場所の山の上にあったのが、新府城(続日本100名城 No.127)である。
新府城は、長篠の戦いに敗れた武田氏が穴山梅雪の進言で建てた城だ。武田勝頼が躑躅ヶ崎館からここに居を移すが、織田軍の侵攻から退く際に勝頼によって焼かれたという。
「新府城跡」という交通標識に導かれるように、私は山道を進んだ。南大手門、三の丸、二の丸と進んで、山の頂にある本丸に到着。
新府城本丸
新府城本丸
本丸はそこそこ広いが、どんな建物があったかを想像させる痕跡は残っていない。しかし、近くにあった「新府城の想定復元図」がそれを補ってくれた。小さな山に見えるが、こうして見ると結構大規模であったことが分かる。
新府城の想定復元図
新府城の想定復元図
武田勝頼の霊社
武田勝頼の霊社
本丸の一角には、武田勝頼の霊社がひっそりと建っていた。長篠・設楽原戦役の「将士分骨之碑」も見られる。
勝頼は新府城を焼いて小山田信茂の岩殿城へ向かうも、信茂の謀反に遭い、天目山に逃れ最期を遂げる。この城は、勝頼の悲しい最期にまつわる城だったのだ。

出口になったのは、藤武神社の石段――いや、観光ルートとしては、むしろこちらが入り口なのだろう。かなり急な石段だが「乙女坂」という比較的緩やかな坂もあるので、体力に自信のない人はそちらを歩くといいだろう。

山の北側に行ってみると、東出構・西出構の遺構がある。この辺りは、かつての城の形がしのばれる場所だ。
新府城の東出構
新府城の東出構
さて、新府城のスタンプだが、城跡近くには無い。ここから南へ3km、40分ほど歩いた(公共交通機関は無い)場所にある韮崎市民俗資料館まで行かなければならない。閉館時間は16時半。城跡を見て回っていたら16時になってしまったので、夏の日射しの下を時々走りながら向かう。ギリギリで滑り込んでスタンプを頂くことができた。

資料館最寄りの韮崎駅から中央本線で、来た道を少し戻って、甲府へ。
山梨県の県庁所在地にあるのは一際立派な甲府城(日本100名城 No.25)。「舞鶴城」の異名もある。武田氏滅亡後、徳川家康が築かせたといわれ、以後ここを拠点として甲府の城下町が形成されることになる。
甲府城の天守台
甲府城の天守台
石垣組みの立派な天守台があり、上からは甲府の街並みや甲府盆地を囲む山々(富士山も勿論見えるはずだが、この時は雲に隠れて見えず)を望むことができる。但し、この天守台に天守閣が建てられたという記録は残っていないとのことだ。
甲府城の稲荷櫓
甲府城の稲荷櫓
甲府城の鉄門
甲府城の鉄門
天守台のほか、復元された稲荷櫓、鉄門(くろがねもん)も存在感を放っている。
さて、スタンプだが、稲荷櫓と舞鶴城公園管理事務所で頂くことができるが、いずれも開業時間を過ぎてしまった。甲府では1泊する予定なので、明日あらためて来ることにしよう。

100名城巡り・高天神城、掛川城、浜松城

2019年8月13日

掛川で1泊し、早朝から活動。7時18分、しずてつジャストラインのバスで掛川駅から土方まで乗り、そこから徒歩で高天神城(続日本100名城 No.147)へ。マップアプリに導かれれて南側の追手門跡からアクセスしたが、北駐車場を目指すルートのほうが近道だ。
高天神城がある山
高天神城がある山
高天神城は高さ100mほどの小高い山の上に座する城跡だ。それ程大きくはない城だが、徳川家康と武田信玄・勝頼が争奪戦を繰り広げた舞台である。徳川軍が攻略した跡、廃城となり、建築物は残っていない。三の丸に建物の跡があるが、これは20世紀に建てられた模擬天守の跡だ。
高天神城本丸
高天神城本丸
高天神城三の丸の模擬天守跡
高天神城三の丸の模擬天守跡
なお、高天神城のスタンプは、土方のバス停からほど近い大東北公民館と、掛川駅内の掛川観光協会ビジターセンター 旅のスイッチで押すことができる。私はバスの時間の都合上、掛川駅に戻ってから「旅のスイッチ」で押させてもらった。

さて、掛川駅に戻ったところで、ここから歩いていくことができる次の名城へ。掛川城(日本100名城 No.42)だ。
掛川城
掛川城
掛川城は今川家→徳川家の支配下になったが、家康が江戸に移った後は山内一豊が入り、一豊によって天守閣などが建てられた。1854年の地震で天守閣等が崩壊し、明治に入って廃城となったが、20世紀末に再建された。
掛川城天守閣
掛川城天守閣
掛川城二の丸御殿
掛川城二の丸御殿
ここには以前来たことがあったが、100名城スタンプが有料エリアにあるので、2度目の入城。天守閣の内部や、現存する建築物である二の丸御殿(100名城スタンプはここにある)を楽しむ。

静岡の名城は残り1つ。JR東海道線で浜松へ移動し、浜松城(続日本100名城 No.148)へ。
浜松城
浜松城
浜松城は、初めは今川氏支配下にあったが、のち徳川家康の居城となり、城郭と城下町の形成が進む。家康が武田軍に大敗を喫した三方ヶ原の戦いの拠点となった城でもある。
浜松城の徳川家康像
浜松城の徳川家康像
江戸時代には譜代の9家22代が入ったが、幕府の要職に就いた者も多いことから「出世城」と呼ばれる。
かつては天守閣もあったようだが、江戸時代の記録には天守閣の存在は見られない。現在見られる天守閣は20世紀半ばに造られた模擬天守である。

天守閣1階で、続100名城のスタンプを押す。これで、静岡の名城全制覇だ。

一旦、今夏の100名城巡りの旅は中断。2日ほど自宅で休んで、また1泊2日で出かける予定である。

100名城巡り・山中城、興国寺城、駿府城、諏訪原城

2019年8月12日

会社勤めの身だが、今年の夏は8月10~18日の長期休暇を頂くことができた。

夏。
青春18きっぷ。
最近はまっている日本100名城巡り。

よし。
行こう。

という訳で、JRの鈍行を1日乗り放題×5の青春18きっぷを買って、GWに続き日本100名城巡りへ出かけることにした。

今回目指すは、静岡県の名城。
まずは、三島駅で下車して、元箱根港行きのバスに乗って山中城(日本100名城 No.40)へ。
山中城
山中城
山中城は、戦国時代の北条氏の城で、本拠地小田原城を守るための「箱根十城」の一つだ。建築物は残っておらず、再建もされていないが、かつての城の構造が一目瞭然な遺構の残り方をしている。中でも、四角い盆を並べたような独特な「障子堀」が印象に残った。
「障子堀」がユニークな山中城
「障子堀」がユニークな山中城

バスで三島駅に戻り、3つ先の原駅(沼津市)まで東海道線で移動。ここから35分ほど歩いた先に新幹線が走っているが、そのすぐそばの山の上にあるのが興国寺城(続日本100名城 No.145)だ。
興国寺城
興国寺城
興国寺城は、戦国大名北条早雲が初めて城主となった、早雲旗揚げの地である。規模は小さいが、歴史的意義の大きい城だ。
スタンプ置き場すぐ横の階段を上ると、天守台があり、それと新幹線の線路の間には「空堀」が通っている。ここを歩き回るのが面白いらしいのだが、私はそうとは知らず、ちょっと下りただけで済ませてしまった。
興国寺城の天守台
興国寺城の天守台
興国寺城の空堀
興国寺城の空堀

更に東海道線を西へ。静岡駅で下車し、駿府城(日本100名城 No.41)へ。今川義元、そして徳川家康が居城とした名城だ。しかし、1635年に焼失した後は再建されず、廃藩置県で廃城となっている。現在見られる建物は戦後整備されたものだ。
駿府城の巽櫓と東御門
駿府城の巽櫓と東御門
駿府城は、自身2度参加したことがある静岡マラソンのスタート地点になっているので、既に何度も訪れている。なので、スタンプを頂いたらすぐ立ち去るつもりだったが、巽櫓の資料館の展示や天守台の発掘現場に興味を引かれて、つい長居をしてしまった。
駿府城の坤櫓
駿府城の坤櫓
天守台の発掘現場
天守台の発掘現場

次に訪れたのは、静岡空港近くの金谷町だった。ここにあるのは諏訪原城(続日本100名城 No.146)。駅からのバスは本数が少なく、「旧東海道石畳」を通って徒歩でアクセスした。
城跡に到着したのは16時40分ぐらい。現在続100名城スタンプが置かれている諏訪原城ビジターセンターは16時までしか開いていないが、それまでは駐車場に置かれていて24時間利用可能だったこともあってか、ちゃんと外にもスタンプが置かれている。
諏訪原城
諏訪原城
諏訪原城は武田勝頼が徳川領遠江(静岡西部)を攻めるために建てた城だが、長篠の戦いで織田・徳川軍に敗れた後、徳川軍に攻略され、武田氏滅亡後には廃城となっている。
建物は残っていないが、深い堀や「馬出曲輪」跡、そして山の上というロケーションから、まさに「戦のための城」という無骨さが伝わってきた。
諏訪原城の本曲輪(本丸)
諏訪原城の本曲輪(本丸)
諏訪原城の外堀
諏訪原城の外堀

本日の城巡りはここまで。この日は金谷から東海道線を西へ2駅行った掛川で1泊。明日は掛川にある城を巡った後、更に西へ進む予定だ。

100名城巡り・品川台場跡

東京・港区の東京湾に面する、観光名所としても有名な「お台場」。
レインボーブリッジのたもとの海に突き出ている台場公園=品川台場跡は、続日本百名城の一つとして、しっかり城にカウントされている。(続日本100名城 No.124)
品川台場跡
品川台場跡
その名の由来は、黒船来航時に江戸の守りのために砲台を設置したことにある。今の平和で華やかなお台場の雰囲気とはかけ離れた、物騒なエピソードだ。
その名残は、島の先端部分に海に向けて設置された砲台の跡に、今も見ることができる。
品川台場跡の砲台跡
品川台場跡の砲台跡

100名城巡り・福知山城、二条城

100名城巡りの旅で富山、石川の城を制覇してきたが、所要のため福井は福井城だけで終わらせ、京都へ。
京都で100名城、続100名城に登録されているのは意外にもそれぞれ1つずつだけだ。(あの有名な伏見桃山城が入っていないが、本物の伏見桃山城があった場所は現在明治天皇陵となっていて立ち入りが禁止されているためらしい)

5月5日(日)は、午後からメインの用事があったため、使えたのは午前中のみ。京都駅から福知山線で終点の福知山まで行き、訪れた城は福知山城(続日本100名城 No.158)だ。
列車が福知山駅に到着する直前、天守閣が見えた。福知山城の全景を一番いいアングルで見ることができるのは、恐らくこの瞬間だろう。
列車内から見た福知山城
列車内から見た福知山城
福知山城は、明智光秀が築いた城で、江戸時代には福知山藩の居城となり、朽木氏がこの地を治めた。明治の廃藩置県で廃城となって石垣を残すのみとなり、現在の建築物は1980年代に再建されたものである。
駅から城までは東へ歩いて約15分。歩いているうちに、ビルの陰から高台の上の大天守と小天守が見えてくる。
間近に見る福知山城
間近に見る福知山城
近くから見るとなかなかの迫力。1層目と2層目の壁が格子模様の木板で組まれているのが特徴的だった。

5月6日(月)、今回の旅で最後に訪れた城は、言わずと知れた二条城(日本100名城 No.53)だ。スタンプを貰うために入場料を支払って入城したが、もう何回目になるだろう。
二条城
二条城
二条城は、関ヶ原の戦い後に徳川家康が築城したもので、家康将軍就任の祝賀の儀が行われた、徳川幕府始まりの場所であり、そして徳川慶喜が大政奉還を宣言した、徳川幕府終わりの場所でもある。

内部を参観し、スタンプを頂いて外に出たが、まだ時間があったので、初めて二条城の周りを1周してみた。
二条城の堀
二条城の堀
こうして堀や石垣に囲まれている姿を見ると、大阪冬の陣で本営として使われた歴史もある二条城は確かに「城」なのだな、と実感させられる。

今回の城巡りは、これで終了。

富山:富山城、高岡城、増山城
石川:七尾城、金沢城、鳥越城
福井:福井城
京都:福知山城、二条城

と、5日かけて9つの城を巡ることができた。
しかし、日本100名城と続日本100名城とで合わせて200。まだ20分の1にも達していないのだ。

これは――一生かかるかな。

100名城巡り・金沢城、鳥越城、福井城

5月4日。金沢で1泊して、朝一番で城巡り。
金沢の城といえば、金沢城(日本100名城 No.35)。前田家の加賀百万石を象徴する名城だが、今見られる建物は21世紀になって復元整備事業により建てられたものである。
金沢城
金沢城
金沢城と兼六園には数年前にも来たことがあったので、今回は100名城のスタンプを押すにとどめ、次の城へと向かうことにした。

西金沢駅から北陸鉄道石川線に乗り、鶴来駅で下車。ここから向かう城は、鳥越城(続日本100名城 No.136)だ。
鶴来駅から鳥越城へは12kmほどあり、公共交通機関は無い。しかし、鶴来駅すぐそばの白山市鶴来支所でレンタサイクルを借りることができた。12kmなら自転車でちょうどいい感じだが、鳥越城は山城だ。麓まではいいかもしれないが、自転車でそこまでたどり着くことができるだろうか。
鳥越城の近くまでは、山を貫く手取川沿いの自転車専用道路が通っている。山あいの場所とはいえ、このコースは割合平坦で、自然の中を気持ちよく走ることができた。
地元の人に道を尋ねながら、「鳥越城跡登口」という標識にたどり着く。そこからが山道で、マウンテンバイクとはいえ自転車で登れのはかなりきつそうだ。しかし、
[自転車ごと登れば下りでのスピードが段違いだぞ]
と考えた私は、どれだけきつくても、途中で歩いてでも、自転車で上まで行くことにした。
実際に途中で歩いて自転車を引いたりもしたが、何とか自転車ごと山頂に到着。駐車場わきに自転車を停めて城跡に向かう。

鳥越城は、織田信長と対立した加賀の一向一揆の一揆衆の拠点であり、これまで見てきた武将の城とはその存在意義が違う。
鳥越城の枡形門。奥に見えるのが本丸門
鳥越城の枡形門。奥に見えるのが本丸門
木製の塀に開けられた枡形門、更にその奥の本丸門をくぐると、そこにあるのは本丸跡だ。
本丸の建物は残っていないが、柱のあった場所に数十cmの柱が打ち込まれていて、建物の形をイメージすることは十分にできる。
鳥越城の枡形門。奥に見えるのが本丸門
鳥越城の枡形門。奥に見えるのが本丸門
素晴らしいのは城跡だけではない。そこから見下ろす、手取川が開いた山あいの景色がまた素晴らしかった。
鳥越城から望む景色
鳥越城から望む景色
メインの建築物が無かったにもかかわらず、一向一揆の城という異色さや景色の素晴らしさなどもあって、今回訪れた城の中でも、私にとってこの鳥越城のインパクトは群を抜くものだった。

ちなみに鳥越城のスタンプは城跡ではなく、そこからもう少し奥に入った場所にある道の駅に併設された白山市立鳥越一向一揆歴史館にある。

鶴来駅に戻り、再び北陸鉄道石川線で西金沢駅へ戻ってJRに乗り換え、福井市へ移動する。
ここで目指す城は、福井城(続日本100名城 No.137)。かつてはここに「北ノ庄城」があって、朝倉氏や柴田勝家が居城としていた。1600年に家康の次男・結城(松平)秀康がここに封ぜられた時に再建され、以降、松平氏の居城となり、福居→福井と名を変えた。
福井城の天守台
福井城の天守台
現在残っているのは天守台と石垣と堀のみで、御殿の代わりに県庁と県警が建てられている。
福井城の石垣と堀
福井城石垣と堀

福井県にはこの他にも100名城に名を連ねる城が幾つかあるが、私はこの日の夜までに京都に着いている必要があった。それらはまた別の機会に譲ることにして、私は福井県を後にし、やはり城の宝庫である滋賀県を通過して、京都へと向かった。

100名城巡り・増山城、七尾城

5月3日。富山県高岡市で1泊した後、同砺波市へ向かう。目的は100名城巡りだが…
となみチューリップフェア
となみチューリップフェア
せっかくこの季節に砺波に来たのだから、子供の頃に来た記憶もあるとなみチューリップフェアにも訪れてみた。300万本ものチューリップが咲き誇り、春爛漫。

さて、城を目指そう。
目指すは増山城(続日本100名城 No.135)だが、100名城スタンプが設置されている砺波市埋蔵文化財センターまではバスで行けるが、ここから城跡までは交通機関が無く、1時間近く歩かなければならない。
地図アプリで最短コースを確認しながら、時々走りつつ、城に至る橋に到着。
増山城がある山
増山城がある山
増山城は神保氏が富山城の後に拠点とした城だが、一国一城令により廃城となり、現在では木々や草に深く覆われ、石垣跡などの遺構にその痕跡を見るばかりだ。
増山城の石垣跡
増山城の石垣跡
増山城の遺構
増山城の遺構

増山城から再び徒歩で埋蔵文化財センター近くまで戻り、バスを待って砺波駅へ。高岡まで戻った後、高速バスで石川県七尾市に向かう。
七尾で待つのは七尾城(日本100名城 No.34)。ちょうどいい時間のバスが無かったので、私としては珍しくタクシーを使い、七尾城史資料館へ向かう。
七尾城がある山
七尾城がある山
七尾城史資料館
七尾城史資料館
ここで七尾城に関する展示や動画などを見た後、城跡に出向くが、本丸まで行くにはちょっとした登山になってしまい、今回の私のスケジュールでは無理だったので、大手門のあった場所とされる場所にちょっとだけ足を踏み入れるだけに留めた。
七尾城の大手門のあった場所
七尾城の大手門のあった場所

帰りはちょうどいい時間にバス「まりん号」があり、七尾駅へ。
七尾から列車で金沢に到着。この街にも名城があるが、既に夜になっていたので、この日の城巡りは終了。城の近くの宿で1泊して、明日の朝一番に出向くことにする。

100名城巡り・富山城、高岡城

2019年3月にテレビ朝日系列で放映された「お城総選挙」。お気に入りのタレントが出演していたので視聴したが、私も元より歴史好き。番組内で「日本100名城」のスタンプ集めという話を聞いて、やってみたくなった。
この年のゴールデンウィークは、生まれ故郷の富山を久々に訪れて5月5日までに京都へ抜ける計画だったが、主目的をお城巡りに変更。「日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき」「続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき」を購入して5月2日、富山市へと向かった。

まずは幼少期を過ごした家のあった場所へ。小さい時とは違う感性を持つようになった今、ここからの景色を見ると、立山連峰が見える景色ってこんなに素晴らしかったんだ、と初めて感じた。
富山市から望む立山連峰
富山市から望む立山連峰

さあ、城巡りだ。
富山市で訪れたのは、富山城(続日本100名城 No.134)。16世紀に築城され、神保氏、佐々成政、前田氏の居となった城である。安住城、浮城という異名もある。
富山城
富山城

現在の天守閣は、1954年に造られたもので、当時のものは石垣や堀のみ。

続いて、高岡市に移動。ここの名城は高岡城(日本100名城 No.33)。富山城が1609年に消失したのを機に築城されたが、その後一国一城令によってすぐに廃城とされてしまった哀れな城だ。現在残っているのは石垣と堀のみ。
高岡城址の石垣
高岡城址の石垣

高岡はその他、瑞龍寺高岡大仏が有名。また、日本のみならず世界的にも有名な「ドラえもん」「オバケのQ太郎」などの漫画作品の作者・藤子不二雄の出身地ということで藤子F不二雄ふるさとギャラリーもある。
瑞龍寺
瑞龍寺
高岡大仏
高岡大仏

本日は高岡で一泊。明日も富山県、そして石川県の城を巡る。

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