バス憧れの大地へ

雑記ブログ

2018年GW東北紀行(4)―米沢

山形県米沢市で一夜を過ごし、今回の旅最後の1日が始まった。

米沢は偉大な養父・謙信の跡を継いだ上杉景勝が徳川家康に屈して転封させられて来た地。謙信の墓や菩提寺・林泉寺もここに移されている。
上杉家廟所
上杉家廟所

林泉寺
林泉寺

米沢城址(現・上杉神社)には謙信の銅像もあって。上杉の里は今や越後よりも米沢になってしまったと言えるかもしれない。
米沢城址
米沢城址

米沢城址の上杉謙信像
米沢城址の上杉謙信像

大河ドラマ「天地人」を見て以来、景勝が、そして直江兼続がどんな思いで越後そして会津を後にしてこの地に移り住んだのか、ずっと気にかかっていた。きっと、無念だったに相違ない。
しかし、折しも開かれていた「米沢上杉まつり」で上杉家が地元の人たちに愛されている様子を見て、これで少しは彼らも報われたのかな?という気もした。

上杉ゆかりの地のほかは、酒造資料館 東光の酒蔵などを訪れて、米沢巡りは終了。
酒造資料館 東光の酒蔵

そして、今回の旅もこれで終了。自宅のある神奈川県川崎市へと帰途に就く。

暑くてちょい疲れたので早く帰りたい、でも新幹線の特急券で余り散財したくない――という訳で、米沢から川崎までの道程中、郡山-大宮だけ新幹線にして、特急券代は新幹線フルに比べ1610円節約。所要時間は在来線オンリーに比べ2時間45分節約することができた。

2018年GW東北紀行(3)―山形

山形県新庄市で一夜を過ごし、すぐに更に南へ。本日は山形市がメイン。

山寺
宝珠山立石寺山寺
860年、清和天皇の勅願で慈覚大師が開いた天台宗の寺院。松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の俳句で有名。

山形城東大手門
霞城公園山形城址
斯波兼頼(最上氏初代)が1357年に築城し、最上義光によって整備された城。再建された東大手門、空堀に囲まれた一文字門からの本丸が象徴的。
山形城本丸

旧庁舎文翔館
旧庁舎文翔館
1916年に建築され、1975年まで県庁舎及び県会議事堂として使用されていた、英国近世復興様式の建物。
旧庁舎文翔館

山形市を巡った後、更に南下して米沢へ。この日は時間が遅くなったので、米沢巡りはまた明日だ。

2018年GW東北紀行(2)―秋田、角館

2018年GW東北巡り2日目。秋田市内を朝のお散歩。

秋田市内には昨日訪れた赤れんが郷土館以外にも幾つもの文化財となっている建造物が点在していて、街全体にどこか懐かしさが感じられる。

那波紙店
那波紙店
1878年に創業し、今も営業を続けている紙店。

高砂堂店舗
高砂堂店舗
1918年に創業し、今も営業を続けている和菓子店。

秋田駅西すぐの場所にある千秋公園も、元は久保田藩佐竹氏の居城・久保田城だった歴史スポットだ。
久保田城御隅櫓
久保田城御隅櫓(再建)

既に4月も末になっていたが、秋田ではまだ桜が見頃で、千秋公園では桜祭りが開かれていた。
千秋公園桜祭り
天気にも恵まれて桜がきれいで、御隅櫓からは海までの景色を一望することができた。
千秋公園桜祭り

昼からは角館へ。20数年ぶり2度目の来訪だったが、当時には無かった秋田新幹線が開通していて便利になった。
角館は、何度来ても江戸時代の風情がいい場所だ。
角館の武家屋敷
折しも桜祭りが開かれている最中で、GWとあってものすごい人出。武家屋敷通りも桧木内川河川敷も、桜はまだ見頃。時折一陣の風が桜吹雪を演出するという素敵な風景も見ることができた。
角館の武家屋敷通り
角館の桧木内川河川敷

角館を散策後、山形県新庄市まで南下。この日はここで1泊。翌日は山形県巡りだ。

2018年GW東北紀行(1)―秋田市

2018年のゴールデンウィーク(GW)は、2016年に続き、東北へ。2年前は青森、岩手にとどまったので、今回は前回行けなかった秋田を起点に旅を始める。

まずは秋田市。街の名所をぶらりと訪れる。

秋田市立赤れんが郷土館
秋田市立赤れんが郷土館
旧秋田銀行本店として明治時代に建てられた建築物。中でも赤れんが館は国の重要文化財に指定されている。

秋田市民俗芸能伝承館
秋田市民俗芸能伝承館
赤れんが郷土館の分館としてオープンした施設。「ねぶり流し館」とも呼ばれ、秋田の伝統芸能・竿灯祭り(ねぶり流し)の展示や実演を見ることができる。

旧金子家邸宅
旧金子家邸宅
ねぶり流し館に隣接する、江戸時代後期に始まる商家・金子家の今に残る邸宅。

秋田市から少し足を延ばして、男鹿半島へ。
男鹿駅
男鹿は伝統芸能「なまはげ」で知られる街だ。

なまはげ館「なまはげ勢ぞろい」
なまはげ館
なまはげの歴史資料などを展示する施設。なまはげの面が150枚並ぶ「なまはげ勢ぞろい」は圧巻。

男鹿真山伝承館にて、なまはげの実演
男鹿真山伝承館
なまはげの実演を体験することができる施設。

そして、秋田名物のグルメも忘れてはいない。

稲庭うどん
稲庭うどん

きりたんぽ鍋
きりたんぽ鍋

2017年GW旅 走り遍路

午前6時50分。徳島県吉野川市のGuest House チャンネルカンを、大きな荷物を預けてチェックアウトし、ジョギングに出かける。
吉野川を渡り、北西に針路を取る。途中、田園や花ののどかな風景に心を癒される。
吉野川市ののどかな風景

やがて、道の途中にこんなものを見つけた。
遍路小屋
「ヘンロ小屋」――即ち、お遍路さんの休憩所である。
そう。私が走っていたのは遍路道だったのだ。

やがて、四国八十八か所の第10番札所・切幡寺の門前に到着。ここで私は、門前の店に入っていろいろなものを購入する。

白衣菅笠経本納経帳納め札線香ろうそく・手ぬぐい

これらを装備して、こんな格好に。
お遍路装備

既にお分かりだろう。私はお遍路を開始しようとしていたのだ。しかも、マラソンに打ち込んでトレーニングを重ねている最中なので、「歩き遍路」を通り越して走り遍路で巡礼しようというのである。(なので、お遍路必須と言われる金剛杖は省略してしまったが、実際のところ、この日の巡礼の最中にも金剛杖を持たないお遍路さんは結構いた)

まずは、切幡寺をお参り。
切幡寺

お遍路のお参りは基本、
1. 山門で一礼して中へ
2. 手水場で手を清める
3. 鐘を突く
4. 本堂でお経をあげ、納め札を納める
5. 大師堂でお経をあげ、納め札を納める
6. 御朱印を頂く
という手順。

私はこれが初めてのお遍路。周りの人の様子を見ながら見様見真似で1/88のお参りを完了させた。

以降もお寺とお寺の間を走り続け、私は、

法輪寺
第9番札所 法輪寺

熊谷寺
第8番札所 熊谷寺

十楽寺
第7番札所 十楽寺

安楽寺
第6番札所 安楽寺

完全には覚えてない、おぼつかない般若心経ではあったが、どうにか以上の5か所でお参りを完了させた。

時間的にも体力的にも、このへんで切り上げた方がよさそうだったので、安楽寺で「走り遍路」は打ち切ってゲストハウスに戻る。さすがに疲れて、このルートでは途中歩いてしまったりもしたが、
吉野川
ランニングコースの最後の方で渡った広く青い吉野川に心を癒されて、気分よく走り終えることができた。

走りのデータは以下の通り。

・Guest House チャンネルカン~切幡寺
  6.65km、高低差+86m、50分57秒、7分39秒/km
  ※地理勘が掴めず、何度も立ち止まって地図を見たので時間がかかった。
・切幡寺~第9番札所 法輪寺
  3.67km、高低差-71m、24分59秒、6分49秒/km
  ※途中の幹線道路から外れた遍路道からの景色が良かった。
  遍路道からの風景
・法輪寺~熊谷寺
  2.69km、高低差+66m、21分26秒、7分59秒/km
  ※高低差があってペースが落ちた。
  ※こんな道標もあり、ルートは分かりやすい。
  遍路道の道標
・熊谷寺~十楽寺
  4.06km、高低差-58m、28分58秒、7分8秒/km
・十楽寺~安楽寺
  1.21km、高低差-18m、8分8秒、6分43秒/km
・安楽寺~Guest House チャンネルカン
  8.26km 高低差-6m、61分25秒、7分26秒/km

トータル
  26.54km 195分53秒 7分23秒/km

ともあれ、初めてのお遍路は、心は穏やかに、体は健やかになるいい経験だった。
とはいえ、まだ5/88を巡ったにすぎない。何とか機会を作って、残りの札所も今後回っていきたいものだ。

2017年GW旅 祖谷溪、大歩危

香川・琴平から特急「南風3号」で一駅の、徳島・阿波池田に到着。四国には以前来たことがあったが、その時は、徳島のみ高知―香川間の移動の列車で通過しただけで上陸はしていなかった。今回、その時通過した駅で下車してようやく、徳島上陸を達成することができた。

阿波池田駅のコインロッカーに大きな荷物を預け、ここから先はバスで移動する。
祖谷(いや)口から吉野川を渡って山奥に分け入るが、ここからの道は狭く、一方通行ではないのに車がすれ違うこともできない箇所があるくらいだ。そのような箇所では、余裕のある所までどちらかがバックしてすれ違う必要がある。バスのような大型車が相手となると、余裕のある場所でもギリギリの隙間を通ることを余儀なくされる――そんな様子を見ていると、私のようなペーパードライバーではとても無理だな、と、恐怖にも近い思いが心をよぎる。
道の両側には、木々に覆われた険しい山。そして道のすぐ横を見下ろすと、数十メートル下の谷底に清流(吉野川支流の祖谷川)が流れている。
祖谷渓と呼ばれる景勝地である。
祖谷渓
祖谷温泉で下車し、しばしこの渓谷の景色を楽しむ。まさしく、深い谷に吸い込まれてしまいそうな絶景。木々の緑が谷底の川面にも映えているようで、川は濃い緑がかって見えた。

祖谷温泉から少し下った所に、小便小僧の像があった。とは言っても、別に水がチョロチョロ流れている訳でもない。ただ像が谷の上に置かれているだけで、ちょっと「がっかり」系の名所に思えた。
祖谷の小便小僧

ここ祖谷の名物と言えば祖谷そば。ちょうどお昼時だったので、和の宿ホテル祖谷温泉のレストランで頂いてきた。一般的なそばと比べて、1本1本のそばが短いのが特徴だった。
祖谷渓と祖谷そば
祖谷渓が眼下に見える席に陣取って、絶景を見ながら頂くそばは格別だった。

更に上流へ行くと、古き日本の雰囲気満点のかずら橋もある。私は時間に余裕が無かったが、余裕があればぜひそこまで行ってみたい名所(らしい)。

一旦祖谷口まで戻り、そこから今度は吉野川本流を上るバスに乗車する。
途中、細くて流れの激しい小歩危峡を通過。ラフティングを楽しむ人々の姿も見えた。
小歩危峡

小歩危峡から更にバスで上流に行ったところで、バスを下りる。徳島でも特に有名な景勝地・大歩危峡だ。
春の時期、大歩危峡では鯉のぼりを集めて谷の上に渡すような格好で大群をはためかせている。折しも、この日はこどもの日前日。親子連れにとっては格好のタイミングとなったことだろう。
大歩危峡の鯉のぼり

大歩危に来たからにはぜひ、観光遊覧船で谷底を巡ってみたい。川面に手が届きそうな浅い船に乗って、谷底の吉野川を20分ほど遊覧する。
谷の上の道からも既に高く見える両側の山が、川面からは更に高く見え、まさに自分が「谷底」に居るのだな、ということを実感できる。川の両側には白に近いグレーの砂質片岩がそのゴツゴツした姿を露わにしている。遊覧船のガイドさんの話によると、吉野川はかなりの暴れ川だという。なるほど、それ程の暴れ川だからこそ、このような岩をうがち、このような深い渓谷を形成することができたのだろう。
大歩危峡

途中には「獅子岩」と呼ばれる岩などを見ることもできる。確かに、言われてみれば獅子の姿をしているように見える。「暴れ川」と呼ばれる吉野川だが、時にはこんなに繊細な芸術美を生み出すこともあるのだ。
大歩危峡の獅子岩

瀬戸内海の海と島の風景の翌日には、山奥の深い渓谷――四国には実に、いろいろな顔がある。

大歩危峡散策を終えたところで、バスに乗って阿波池田に戻る――つもりだったが、観光遊覧船が長蛇の列で乗船に時間がかかってしまい、予定していたバスに乗り遅れてしまった。荷物を預けている阿波池田に戻って更に本日の宿泊予定地まで、一番時間のロス無しに行く方法は――大歩危駅からまたしても特急「南風」に乗ることだった。せっかく鈍行乗り放題の切符を買っていたのに、何とも勿体ない。

阿波池田で荷物をピックアップし、更に鈍行列車に乗り継いで、吉野川市の鴨島へ。ここにあるゲストハウスで1泊して、明日はまた「瀬戸内海の海と島」「渓谷」とは別の四国の顔を味わうことになる。

2017年GW旅 讃岐路

高松で迎えた朝。次の場所へと移動を始めるが、駅までの道の途中にちょうど玉藻公園高松城址)があったので、朝の散歩がてら歩いてみた。
高松城旧東之丸艮櫓
高松城旧東之丸艮櫓

高松城は豊臣秀吉の四国制圧後、生駒親正によって築かれた城である。月見櫓や旧東之丸艮櫓に当時の面影を残しているが、天守閣は明治時代に取り壊されて以来、再建されておらず、石垣の立派な天守台が残っているのみだ。
高松城天守台
高松城天守台

鞘橋を渡って天守台に上ってみる。
堀の向こうに見える水面は、高松港だ。高松城が水戦を意識して造られた城であることがよく分かる。
高松城天守台から
高松城天守台から

城跡巡りを終えて、すぐ近くの高松駅へ。宿でも朝食は頂いたが、せっかくなので恐らく締めの一杯となる讃岐うどんを頂いて、いざ出発。
讃岐うどん

予讃線でまず瀬戸内海沿いを多度津まで移動。道中、瀬戸大橋を見ることもできた。
瀬戸大橋

多度津で乗り換えて今度は土讃線で南へ針路を変える。先ほどまでの海沿い(と言っても海からはやや離れていたが)の工業地帯の路線とは打って変わって、山と農村の風景が車窓から見えるようになった。
土讃線の風景

琴平駅で鈍行列車を下車する。
琴平は金毘羅山で有名な地だが、今回はそれよりも見たかった風景があったので、駅前からちらりと見るにとどめた。
金毘羅山
琴平駅前から見た金毘羅山

ここから目的地までも鈍行列車はあったが、ちょっと時間がかかってしまうので、ここからは一駅だけだが、特急列車「南風3号」に乗ることにした。
やって来た特急列車は、
アンパンマン列車
アンパンマン列車だった。

この列車に揺られている間に、香川とはお別れし、次なる県へと舞台を移す。

2017年GW旅 小豆島・寒霞渓

「二十四の瞳映画村」から渡し船でオリーブ公園に戻り、バスを乗り継いで紅雲亭へ。観光地への入り口である紅雲亭行きのバスでは、運転士が軽妙な語り口で観光案内をしてくれた。
紅雲亭からは更にロープウェイに乗る。眼下に小豆島の街が、映画村のある岬(田浦岬)が、瀬戸内海が眼下に小さくなっていく。
寒霞渓ロープウェイからの眺め

辿り着いたのは、寒霞渓という景勝地だ。
先ほど映画村に行った時に思い出したのだが、ここ小豆島が舞台となった名作は「二十四の瞳」だけではない。井上真央主演で映画にもなった「八日目の蝉」では、誘拐された幼子が誘拐犯である「母」と幼少期を過ごした場所として描かれている。
その映画の中でも描かれていたのが寒霞渓だ。
ロープウェイを下りてすぐの場所にある展望台では、円盤状の「かわら」をリングにくぐらせる「かわら投げ」を大勢の人がやっていた。どうやら厄除けの効能があるらしい。
かわら投げ
眺めがいいのは、そこから少し歩いた場所にある鷹取展望台四望頂展望台だ。鷹取展望台はごつごつした岩肌を露わにした山の見える眺望が、四望頂展望台は烏帽子岩の見える眺望が素晴らしい。いずれも、小豆島の街並みやその向こうの内海湾、田浦岬を一望することができる。
鷹取展望台からの眺め
鷹取展望台からの眺め
四望頂展望台からの眺め
四望頂展望台からの眺め

こうして見ると、小豆島もそこそこ大きく、変化に富んだ島だということが感じられる。それはそうだ。瀬戸内海では淡路島に次いで2番目に大きな島なのだから。決して「小豆(あずき)」のようなちっぽけな島ではない。

帰りのバスの時間まではまだ余裕があったので、帰りは歩き(と言うよりはトレイルラン)で下ることにした。急勾配あり、つづら折りありの細い山道だが、下っている限りにおいては結構走りやすい道だった。
寒霞渓の山道
寒霞渓の山道は「表十二景」が見られる道と「裏八景」が見られる道があるが、私は前者を通った。ほぼ木々に覆われている道だが、時折木々の隙間から奇岩が「こんにちは」と言わんばかりに木々の間から顔を覗かせるのが「表十二景」たるゆえんだ。ロープウェイから見る開けた絶景もいいが、こうしたチラリとした岩山の見え方も味わいがある。
寒霞渓の表十二景
寒霞渓の表十二景

バスで土庄港に戻って再びフェリーに乗り込み、瀬戸内海と島々を横目に見ながら高松に戻る。
高松港に帰着
高松港に帰着

高松にはちょうど夕陽の時間に到着したが、赤灯台のあるハーバープロムナードの根元あたりの海辺に出てみると、ちょうど山と山の間に夕陽が沈むという、絶妙な光景を見ることができた。
高松港から見る夕陽

明日も天気が良さそうだ。本日は島と海辺を中心に自然を満喫したが、明日は四国の山奥へと舞台を移すことになる。

2017年GW旅 小豆島・「二十四の瞳」巡礼

土庄港からバスでまず向かったのは、小豆島オリーブ公園。白亜の洋館がたたずんでいたり、オリーブ林に囲まれるように西洋風の風車がたたずんでいたりする、明るい雰囲気の場所だ。ここでは、ポストまでオリーブ色である。
小豆島オリーブ公園
小豆島オリーブ公園
また、高台の上から見る瀬戸内海の景色が見事だ。海のすぐ向こうに横たわっているのは、「二十四の瞳」の舞台といわれる岬である。
小豆島オリーブ公園からの瀬戸内海の景色

ちょうどいい時間のバスがあったので、それに乗って次の目的地へ。先ほど高台の上から見た、瀬戸内海に張り出した岬に入る。
終点の一つ前の停留所で下りてすぐの所にあるのが、「岬の分教場」だ。「二十四の瞳」で大石先生と教え子たちが心を通い合わせた舞台を再現したものである。
岬の分教場外観
木造の校舎と教室や机、そしてレトロな学用品などを見ていると、何か、先生と子どもたちの笑い声や息遣いが伝わってくるような気がした。
岬の分教場内部

バスの終点にある次の目的地は歩いて行くことも可能だが、レトロなボンネットバスが無料シャトルバスとして運行されているので、こちらを使ってもいいだろう。
レトロなボンネットバス

岬の更に先の方にあるのが、「二十四の瞳映画村」だ。ここは「二十四の瞳」という作品を扱っているというよりも、その時代(昭和初期)そのもののレトロな雰囲気を再現したテーマパークである。木造の家屋に金属板の広告、古い映画の宣伝など、なるほど、昭和初期とはこんな感じなのかな、と思わせる風景がそこかしこにある。
二十四の瞳映画村
エリア内のレストランでは、コッペパン、カレーシチュー、冷凍みかん、瓶詰めの牛乳orコーヒー牛乳という、これまたレトロな給食メニューがあり、大部分のお客がそれを注文していた。私も頂いたが、昭和後期に食べていた給食とはまた味も雰囲気も違う。
二十四の瞳映画村で出た給食
風情を楽しむのもいいが、ここはやはり「時代」に思いを馳せずにはいられない。「二十四の瞳」の教え子たちも、ある者は身売りされ、ある者は戦争に傷つき、ある者は戦死してしまう。大石先生も、大切な人を時代の流れの中で失ってしまう。「平和の群像」で感じた時同様、やはり今の世の中だからこそ、「平和」を祈念せずにはいられなかった。
二十四の瞳映画村

映画村から先程訪れたオリーブ公園までは、海を渡し船で渡る。時間がかかり、本数が少ないバスよりも、実はこちらの方が随時出発、所要時間僅か10分と速くて便利だ。
渡し船
私は当初、自転車で岬まで回ろうと考えていたのだが、山道があったりしてそれはとてもではないが無理だった。この岬の道を毎日颯爽と自転車で走り抜けていった大石先生がスーパーウーマンに思えてしまった。

2017年GW旅 小豆島・土庄

本日は本格的に小豆島巡り。まずは宿や港のある土庄(とのしょう)を歩き回る。

土庄でまず目につくのが、港のすぐ近くにある平和の群像だ。この島を舞台にした文学作品「二十四の瞳」の大石先生と12人の生徒(小学生時代)をモチーフにした銅像だ。
平和の群像
平和の群像
そのことから平和への願いを込めて香川県丸亀市出身の彫塑家・矢野秀徳が造ったのがこの像だ。
こののどかな島には「平和」という言葉がいかにも似つかわしい。日本の隣の半島で戦争が起きるか起きないかという不穏な空気が流れている昨今である。この島が、そして「二十四の瞳」が、平和を発信する存在たることを痛切に願う。

平和を願う、ということなら、この島にはうってつけのものがある。それは「お遍路」だ。但し、小豆島は四国八十八箇所には入っていない。それでは、なぜこの島でお遍路なのか?
実は、小豆島だけで霊場が八十八箇所あるのだ。その総本山が、土庄にある小豆島霊場会である。
小豆島霊場会
小豆島霊場会

その他にも、この近辺には松風庵などの霊場があるが、中でも立派なのが西光寺。特に高台の上にある朱色の三重塔は、この一帯のランドマークタワーと言っていい程存在感がある。
西方寺の三重塔
西方寺の三重塔

私も、本格的なお遍路とはいかないまでも、これらの霊場を軽くお参りし、「平和」への祈りを捧げた。

この西方寺の周辺は「迷路のまち」と呼ばれている。歩いているとそんなにも感じないのだが、地図で見ると確かに、ぐねぐねと曲がった路地が複雑に張り巡らされている。
そんな路地から、自転車に乗った男子高校生が出てきた
「おはようございます」
見知らぬ旅人にこんな風に挨拶するのは、お遍路の「ご接待」の一環のようなものなのだろうか――いずれにせよ、都会ではもはや考えられないこんな一期一会のやりとりに、私はすがすがしさを感じ
「おはようございます」
と、自然に返していた。

さて、島の北側から歩いているうちに、島の北側に出てしまった。
土庄の南側には、観光客、特にカップルを呼び寄せる名所がある。
エンジェル・ロード」(天使の通り道)と呼ばれるその場所は、砂浜とそこから数十メートル離れた場所にある島との間にある。普段は海の下に隠れているのだが、引き潮の時間になると砂浜と島を結ぶ砂の通路が顔を出すのだ。誰が言い出したのか、 「大切な人と手をつないで渡ると願いが叶う」という言い伝えが生まれ、それがカップルをこの地に引き寄せているという。
小豆島のエンジェル・ロード
エンジェル・ロード

私はスケジュールの都合上、その道が完全に顔を出すまではその場にいられなかったが、既にカップルたちが十分に渡れるくらいの状態になっている様子を見ることができた。平和のついで?に、彼らの前途が晴れやかなものになるように祈るとしよう。

バスの時間を気にしつつ土庄港に戻るが、帰りは違う道を通る。幅10メートル程度の細い川沿い――いや、川ではない。
実はこの水路、小豆島の北と南を貫いている海峡土渕海峡)だったのだ。小豆島のメインランドは海峡の向こう側で、土庄港のある側はメインランドではなかったのである。
ちなみにこの海峡、「世界一狭い海峡」としてギネスブックに認定されているらしい。
土渕海峡
「世界一狭い海峡」土渕海峡

少々走ったりもしたが、バスには間に合った。9時41分、私は「オリーブバス」の車上の人となり、次の場所へと向かった。

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