バス憧れの大地へ

雑記ブログ

九州北部100名城巡り(番外編)――伊万里、福岡

2022年5月6日

今回の100名城巡りは前日で終了していたが、九州旅行はもう少しだけ続く。
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伊万里市内にはあちこちに伊万里焼が置かれている
前日から宿泊した伊万里は、伊万里焼で有名な、陶器の街。街のあちこちに伊万里焼の作品が置かれている。

朝一番の長距離バスで福岡市へ。先日乗った福岡空港から太宰府に向かうバスでは大渋滞に見舞われたが、今回は渋滞も無く、ほぼ時間通りに博多に到着した。
宿に荷物を預けて、街巡りへ――とは言っても、今回は街の中心部ではなく、中心部から少し外れた場所へ向かう。
向かったのは、志賀島。今では細長い陸繋砂州で九州本島と常時繋がっているが、かつては潮が満ちると砂州は水の下に沈んで、島は本島と切り離されたという。島にはこの砂州に敷かれた道路をバスに乗って入った。
志賀島を有名にしているのが、先日福岡市立博物館を訪れた時に展示室で見た「漢委奴国王」の金印だ。志賀島の南岸にある金印公園は、その金印が1784年に出土した地と伝えられている場所である。
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金印公園
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「漢委奴国王」の印が模された記念碑
博多湾を望む高台には「漢委奴国王」の印が模された記念碑が立てられていて、その横にはガラスケースの中に宙に浮くようにして金印のレプリカが置かれている。
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金印のレプリカ
今回の旅で訪れてきた城の中では、吉野ヶ里が弥生時代という桁違いの古さだったが、金印が漢の国から倭の国に与えられたのも弥生時代(57年)だ。記念碑と金印のレプリカ越しに博多湾を眺めながら、2000年という悠久の歴史の浪漫に思いを馳せた。
昼食に志賀島名物のサザエ丼を頂いた後、暫く島の南部を散歩した後、フェリーで博多港へ。
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フェリーから望む志賀島
来る時はバスだったが、お勧めの交通手段はやはりフェリーだ。海上から望む志賀島や博多のベイエリアの風景は格別だし、何より海風を受ける爽快感がある。
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フェリーから望む福岡市ベイエリア
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フェリーから望む博多港
この日で帰るという選択肢もあったが、せっかく博多に来たのだから博多の夜も楽しみたいと思い、もう1泊。
博多の夜の楽しみと言えば、屋台。天神や中洲などでは夜になると屋台街が出現する。
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天神の屋台街
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博多とんこつラーメン
19時半前。天神の屋台街は既に大盛況。ようやく空席を見つけて、博多名物・豚骨ラーメン等を頂く。思っていたよりあっさりしていたが、コクのある味わいだった。

今回の九州旅行はこれで終了。翌朝の飛行機で首都圏に戻る。

今回の100名城巡りは、5日間(旅行自体は6泊7日)で12城。いずれも初めての訪問で、久々に100名城スタンプを増やすことができた。

九州北部100名城巡り(4)――大野城、水城、基肄城、久留米城 ほか福岡、佐賀

2022年5月3日

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対馬空港から福岡へと向かうプロペラ機
午前8時45分、対馬空港から対馬に別れを告げる。搭乗した機体は定員100人未満の小型プロペラ機だった。
離陸から着陸まで僅か35分のフライトは、私の人生で最短記録。あっという間に福岡空港に到着し、託送の荷物も割と早く出てきた。ここから国際線ターミナルに移動して太宰府行きのバスに乗る予定でスケジュールを組んでいたが、予定より1つ早いバスに乗ることができたという順調ぶりだった。
しかし――悪い方に転じたのは、バスに乗ってからだった。
一般道から都市高速に入って間もなくのことだった。突如、先行する自動車たちがブレーキランプを光らせてノロノロ運転を始めた。
――渋滞である。
暫く進むと、対向車線でトラックが横転していて、積み荷の砂利が辺り一面に散らばっている。これは復旧に時間がかかりそうだ。
1つ早いバスに乗れて予定より20分早く着くことができると思っていたのだが、バスは渋滞で1時間遅れ、結局予定より40分遅い時間での太宰府駅到着になってしまった。急いで駅で電動アシストサイクルをレンタルして、この街での100名城巡りに繰り出す。

この日はかなりの分刻みなスケジュールを組んでいたので、40分のロスとなると、何かを削らざるを得ない。
ここでまず目指したのは、対馬の金田城同様、7世紀の白村江の戦敗戦を機に建てられた大野城(100名城No.86)だった。
しかし、100名城のスタンプは大宰府政庁跡に隣接する大宰府展示館で押すことができるが、城そのものはその背後にそびえる四王寺山の上にある山城で、太宰府側から見て一番手前の遺構でも往復2時間ほどかかりそうだ。
時間の問題もあったが、私の体の問題もあった。昨日のやや無茶な金田城往復サイクリングで、少々膝を痛めていたのである。明日以降も徒歩は続くので、ここで無理に山道を歩いて悪化させる訳にもいかない。
そこで、苦渋の決断だったが、大宰府展示館でスタンプを頂いて、大宰府政庁から大野城のある山を望むことで大野城登城「見なし」ということにすることにしたのだった。
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大野城のある四王寺山と大宰府政庁(手前)
今回の100名城巡りには含まれていなかった大分の100名城もいつか回る機会を作らなければならない。大野城登城はその折に1日かけてリベンジすることにしよう。

太宰府エリアにはもう1つ、訪れるべき城がある。これもまた白村江の戦敗戦を機にできた水城(続100名城No.182)だ。
水城は、現在の大野城市と太宰府市の市境に、四王寺山と牛頸山の間の「回廊」を塞ぐ形で1.2kmにわたって築かれた土塁で、私は太宰府駅からのアクセスがいい福岡県道112号・574号三差路近くの部分を訪れた。
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水城
「水城大堤之碑」を従えるようにして聳える土塁は幅77m、高さ9mあるということで、なかなかの規模だ。
土塁をくり抜いて設けられた水城館で、続100名城のスタンプを頂く。土塁の上には展望台が設けられていて、南西の方角に延びる水城の姿を望むことができる。
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展望台から望む水城
こうして現在の姿を見ているだけでもその防御力をイメージすることができるが、かつては博多側に堀もあったというから、徹底した防備ぶりだ。
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太宰府天満宮
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梅が枝餅
せっかく初めて太宰府を訪れたのだ。太宰府天満宮を散策し、参道で梅が枝餅を食べて楽しむ。

次の城を目指して、西鉄太宰府駅を出発。大野城の遺構に到達することを断念したことで、出発時間は50分近く前倒しとなった。
まず西鉄二日市駅へ。そこから歩いてJR二日市駅へ移動し、今度はJR鹿児島本線に乗車する。
基山駅で下車し、次に向かうは佐賀県基山町の基肄城(続100名城No.184)。これもまた、白村江の戦敗戦を機に建てられた城である。
ただ、基山駅にはコインロッカーも無ければレンタカーもレンタサイクルも無い。一番手前にある遺構・基肄城水門跡近くまで行くコミュニティバスがあるのだが、この日に限って運休だった。仕方が無いのでひとまず、ボストンキャリーをガラガラ転がしながら20分弱歩いて、続100名城スタンプのある町民会館へ向かう。
スタンプを頂いた後、ボストンキャリーを事務室で預かってもらって(本来は預からないが今回は特別に)、町民会館で頂いたアクセスマップと道の途中にある案内板を頼りに、歩いて水門跡へ出発。往路は上り坂基調で時間がかかり、40分かけてようやく着くことができた。
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基肄城水門跡
水門跡は幅26m、高さ8.5mほどの石塁の下部に4か所の排水口が開けられている。
基肄城の南の入り口になることから、このエリアは「南門」とも呼ばれる。基山の上、面積63万平方mにも及ぶ大規模な山城で、山の上にも数々の遺構があるが、私は遺構の端にでも行きつけばこれでよしとして、水門跡だけ参観して来た道を引き返した。
復路は下り基調で歩きやすい、と言うよりは時々走ることすら可能で、30分で町民会館に到着。ボストンキャリーを受け取って基山駅へ向かう。
当初はこの日運休だったコミュニティバスを使うスケジュールを組んでいたが、バスの時間に左右されない徒歩にすることで、却って基山での所要時間を30分ほど短縮することができた。

この日の城巡りはこれで終わりにして、福岡・久留米で1泊後、翌早朝に久留米城(続100名城No.183)を訪れる、という予定だったが、太宰府と基山で思いがけず時間を短縮できたおかげで、久留米到着が1時間以上早まった。これなら、今日の営業時間中に久留米城の続100名城スタンプを押せる施設に赴くことができる――ということで、列車を下りるや否や、久留米城へと急いだ。
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久留米城石垣
久留米城は豊臣秀吉の天下統一後に毛利秀包によって大改築が行われ、その後一度は江戸時代初期の一国一城令により廃城となったのを有馬氏が建て直した城だ。明治時代の廃藩置県で再び廃城となり、今の本丸跡は有馬記念館と神社があるばかりで大名の居城だった名残は殆ど無いが、石垣はその当時の雄姿を見事に留めている。
城内を本丸跡の背後の石垣縁まで歩いてみると、筑後川と宝満川が合流する絶景が見えた。
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筑後川と宝満川の合流地点
この光景を見ているだけで、この地が水運の要で、だからこそこの場所に城が築かれたのだ、ということを想像することができる。

九州北部100名城巡り(3)――金田城 ほか対馬

2022年5月2日

午前4時すぎ、福岡・博多で乗船したフェリーちくしが長崎・対馬の厳原港に到着した。
この時にすぐ下船するか、7時まで船内で休んでから下船するかの2つの選択肢があったが、下船しても9時まで暇を持て余すだけだったので、7時まで待って下船する方を選んだ。
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フェリーちくし

下船してまず向かったのが、この日泊まる宿。港を出て程なくしてすぐ目に入る高層ホテルだった。
大きなキャリーボストンだけフロントで預かってもらって、リュック1つの身軽さになって、いざ、対馬での行動開始。
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厳原の中心街
厳原は、対馬の南の中心地。大きなスーパーマーケットあり、高層のホテルありで、イメージしがちな「離島の街」に比べるとはるかに開けている印象だった。
対馬はレンタサイクルで巡る予定にしていた。500円で1日中借りることができるホテル対馬のタクシー営業所を最有力候補にしていたのだが、営業時間は9時から。まだ早いが、下見がてら赴いてみた。
すると、既に職員の方がいて、営業時間開始前ではあるが自転車を貸してくれるという。思いがけず、9時行動開始の予定が7時40分に行動を開始することができた。

対馬で目指したのは、金田城(かなたのき)(続100名城No.186)。
7世紀、倭(日本)は唐・新羅連合軍と白村江の戦を争って敗れ、九州北部各地で防備の増強を迫られた。その最前線的なものが、九州本島の沖に浮かぶ対馬に築かれたこの城である。
厳原から金田城登山口までは18㎞。しかも相当なアップダウンがあるようだ。借りることができたのは変速機の無いシティサイクル(いわゆる『ママチャリ』)だったので、片道1時間以上かかることは間違いない。この旅2日目にして早速、一番のハードコースのお出ましだ。

金田城へのルートは、トンネルを5つ越える山がちな道だった。しかし、トンネルがあればまだ平らで済む。時には激しいアップダウンに見舞われる。
実はこの時、私の脚は2週間前に走った長野マラソンのダメージがまだ抜けきっていなかった。膝と太腿に時折痛みが走り、特に右の太腿は痙攣寸前の痛みに見舞われることもあった。そういう状態だったので、急な上り坂に差し掛かったら無理はせず、素直に歩いて自転車を引いたので、予想以上に時間がかかってしまった。
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県道24号から金田城跡登山口への分岐
国道382号から長崎県道24号へと移り、厳原を出発してから1時間20分、ようやく「金田城→」の標識にたどり着いた。しかし、こことてまだ金田城登山口への入り口にすぎないのだ。急登は更に続く。しかも、ここから先は木々に覆われた山道で、幅は自動車がすれ違うことも難しい狭さ。金田城を目指す人は通常、ここを自動車で行き来するというのだから、結構な技術が求められる。
自転車をこいだり、下りて手押しで歩き進んだりを繰り返し、ようやく金田城へ向かうと思われる山道の入り口が見えたかと思いきや、本当の登山口はまだ先とのこと。しかもそこからの道は、急激な下り坂だった。軽快に下っていったが、気持ちは全くポジティブにはなれなかった。
[これは、帰りもまた急登に苦しめられるな…]
という思いが先だったのである。
下り坂を終えたあたりで、遂に路面の舗装が無くなり、土むき出しの緩やかな上り坂に差し掛かった。しかし、ここまで来たらもう到着したも同然だった。程なくして、自動車が何台も停められた金田城跡登山口に到着した。時刻は9時20分。想像以上に時間がかかり、厳原から自転車で1時間40分を要した。
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金田城跡登山口
到着して間髪入れず、徒歩で登山開始。10分ほどで、湖のようにも見える黒瀬湾を眼下に望むことができるビューポイントに到達した。
更に少し先へ進むと、右手に黒瀬湾の方へ遙か先まで延びる石塁が威容を放つ光景を眺めることができた。
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金田城石塁。奥に黒瀬湾も見える
その地点の分岐から山側の道を更に先へ進むと、ビングシ土塁を経て、二ノ城戸、一ノ城戸を見ることができる。いずれも当時の様子を残す立派な石塁だ。
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二ノ城戸
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一ノ城戸
二ノ城戸から、今度は海側の道を進むと、沢のほとりに建つ三ノ城戸に行き着く。
更に進むと左手に黒瀬湾を見渡す地に東南角石塁に出た。この石塁はかなりの長さがあり、辿って坂を上っていくと、行き着いたのは先ほど石塁と黒瀬湾を同時に臨んだ分岐点だった。
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三ノ城戸
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東南角石塁
山頂にも何か遺構があるようだったが、時間・体力・飲料水と3つのハードルがあり、これ以上は難しいと判断。それに、これまで見てきた遺構がいずれも、当時の城の姿や、白村江の戦敗戦という時代背景を物語るに十分な見事なもので、私の心を既に満足させていた。城巡りは明日以降も続くことだし、体力を温存しよう――頂上はあっさりと諦めて、私は登山口へと引き返した。
11時50分、自転車で登山口を出発。帰り道もアップダウンが厳しかったが、トータルでは下りだったので、行きのアップダウンよりも容易だった。
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根曽古墳群
厳原の街中に帰り着いたのは13時30分。途中、根曽古墳群(5~6世紀の古墳群)という案内板に気持ちを引かれて寄り道しながらも、かかった時間は行きと同じ1時間40分だった。

ところで、金田城には到達したものの、続100名城のスタンプは現地には無い。スタンプは厳原の観光情報館 ふれあい処つしまの観光案内所で頂くことができた。更に金田城へ行った証となる写真を見せることで、金田城の御朱印を頂くこともできた(オンラインで頂くこともできる)。
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金石城跡
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東南角石塁
古代の金田城以外にも、対馬南部には対馬藩藩主・宗氏の居城だった金石城跡や、宗氏の菩提寺・萬松院などの名所がある。また、対馬は朝鮮通信使(室町時代~江戸時代に李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団)の通り道であり、宗氏が通信使に対しての交渉役の任を担っていたこともあって、街の至る所に「朝鮮通信使~の地」という碑が立っている。
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厳原の街中の石垣
その他、厳原の街中にはいたる所に石垣を見ることができる。城のものではない。一般の住宅の塀のような感覚で見ることができるのだ。それらは武家屋敷の名残りだったり防火壁の名残りだったりするのであるが、いずれにしても、対馬の歴史深い趣きを街全体で感じることができる。

2017年GW旅 走り遍路

午前6時50分。徳島県吉野川市のGuest House チャンネルカンを、大きな荷物を預けてチェックアウトし、ジョギングに出かける。
吉野川を渡り、北西に針路を取る。途中、田園や花ののどかな風景に心を癒される。
吉野川市ののどかな風景

やがて、道の途中にこんなものを見つけた。
遍路小屋
「ヘンロ小屋」――即ち、お遍路さんの休憩所である。
そう。私が走っていたのは遍路道だったのだ。

やがて、四国八十八か所の第10番札所・切幡寺の門前に到着。ここで私は、門前の店に入っていろいろなものを購入する。

白衣菅笠経本納経帳納め札線香ろうそく・手ぬぐい

これらを装備して、こんな格好に。
お遍路装備

既にお分かりだろう。私はお遍路を開始しようとしていたのだ。しかも、マラソンに打ち込んでトレーニングを重ねている最中なので、「歩き遍路」を通り越して走り遍路で巡礼しようというのである。(なので、お遍路必須と言われる金剛杖は省略してしまったが、実際のところ、この日の巡礼の最中にも金剛杖を持たないお遍路さんは結構いた)

まずは、切幡寺をお参り。
切幡寺

お遍路のお参りは基本、
1. 山門で一礼して中へ
2. 手水場で手を清める
3. 鐘を突く
4. 本堂でお経をあげ、納め札を納める
5. 大師堂でお経をあげ、納め札を納める
6. 御朱印を頂く
という手順。

私はこれが初めてのお遍路。周りの人の様子を見ながら見様見真似で1/88のお参りを完了させた。

以降もお寺とお寺の間を走り続け、私は、

法輪寺
第9番札所 法輪寺

熊谷寺
第8番札所 熊谷寺

十楽寺
第7番札所 十楽寺

安楽寺
第6番札所 安楽寺

完全には覚えてない、おぼつかない般若心経ではあったが、どうにか以上の5か所でお参りを完了させた。

時間的にも体力的にも、このへんで切り上げた方がよさそうだったので、安楽寺で「走り遍路」は打ち切ってゲストハウスに戻る。さすがに疲れて、このルートでは途中歩いてしまったりもしたが、
吉野川
ランニングコースの最後の方で渡った広く青い吉野川に心を癒されて、気分よく走り終えることができた。

走りのデータは以下の通り。

・Guest House チャンネルカン~切幡寺
  6.65km、高低差+86m、50分57秒、7分39秒/km
  ※地理勘が掴めず、何度も立ち止まって地図を見たので時間がかかった。
・切幡寺~第9番札所 法輪寺
  3.67km、高低差-71m、24分59秒、6分49秒/km
  ※途中の幹線道路から外れた遍路道からの景色が良かった。
  遍路道からの風景
・法輪寺~熊谷寺
  2.69km、高低差+66m、21分26秒、7分59秒/km
  ※高低差があってペースが落ちた。
  ※こんな道標もあり、ルートは分かりやすい。
  遍路道の道標
・熊谷寺~十楽寺
  4.06km、高低差-58m、28分58秒、7分8秒/km
・十楽寺~安楽寺
  1.21km、高低差-18m、8分8秒、6分43秒/km
・安楽寺~Guest House チャンネルカン
  8.26km 高低差-6m、61分25秒、7分26秒/km

トータル
  26.54km 195分53秒 7分23秒/km

ともあれ、初めてのお遍路は、心は穏やかに、体は健やかになるいい経験だった。
とはいえ、まだ5/88を巡ったにすぎない。何とか機会を作って、残りの札所も今後回っていきたいものだ。

2017年GW旅 祖谷溪、大歩危

香川・琴平から特急「南風3号」で一駅の、徳島・阿波池田に到着。四国には以前来たことがあったが、その時は、徳島のみ高知―香川間の移動の列車で通過しただけで上陸はしていなかった。今回、その時通過した駅で下車してようやく、徳島上陸を達成することができた。

阿波池田駅のコインロッカーに大きな荷物を預け、ここから先はバスで移動する。
祖谷(いや)口から吉野川を渡って山奥に分け入るが、ここからの道は狭く、一方通行ではないのに車がすれ違うこともできない箇所があるくらいだ。そのような箇所では、余裕のある所までどちらかがバックしてすれ違う必要がある。バスのような大型車が相手となると、余裕のある場所でもギリギリの隙間を通ることを余儀なくされる――そんな様子を見ていると、私のようなペーパードライバーではとても無理だな、と、恐怖にも近い思いが心をよぎる。
道の両側には、木々に覆われた険しい山。そして道のすぐ横を見下ろすと、数十メートル下の谷底に清流(吉野川支流の祖谷川)が流れている。
祖谷渓と呼ばれる景勝地である。
祖谷渓
祖谷温泉で下車し、しばしこの渓谷の景色を楽しむ。まさしく、深い谷に吸い込まれてしまいそうな絶景。木々の緑が谷底の川面にも映えているようで、川は濃い緑がかって見えた。

祖谷温泉から少し下った所に、小便小僧の像があった。とは言っても、別に水がチョロチョロ流れている訳でもない。ただ像が谷の上に置かれているだけで、ちょっと「がっかり」系の名所に思えた。
祖谷の小便小僧

ここ祖谷の名物と言えば祖谷そば。ちょうどお昼時だったので、和の宿ホテル祖谷温泉のレストランで頂いてきた。一般的なそばと比べて、1本1本のそばが短いのが特徴だった。
祖谷渓と祖谷そば
祖谷渓が眼下に見える席に陣取って、絶景を見ながら頂くそばは格別だった。

更に上流へ行くと、古き日本の雰囲気満点のかずら橋もある。私は時間に余裕が無かったが、余裕があればぜひそこまで行ってみたい名所(らしい)。

一旦祖谷口まで戻り、そこから今度は吉野川本流を上るバスに乗車する。
途中、細くて流れの激しい小歩危峡を通過。ラフティングを楽しむ人々の姿も見えた。
小歩危峡

小歩危峡から更にバスで上流に行ったところで、バスを下りる。徳島でも特に有名な景勝地・大歩危峡だ。
春の時期、大歩危峡では鯉のぼりを集めて谷の上に渡すような格好で大群をはためかせている。折しも、この日はこどもの日前日。親子連れにとっては格好のタイミングとなったことだろう。
大歩危峡の鯉のぼり

大歩危に来たからにはぜひ、観光遊覧船で谷底を巡ってみたい。川面に手が届きそうな浅い船に乗って、谷底の吉野川を20分ほど遊覧する。
谷の上の道からも既に高く見える両側の山が、川面からは更に高く見え、まさに自分が「谷底」に居るのだな、ということを実感できる。川の両側には白に近いグレーの砂質片岩がそのゴツゴツした姿を露わにしている。遊覧船のガイドさんの話によると、吉野川はかなりの暴れ川だという。なるほど、それ程の暴れ川だからこそ、このような岩をうがち、このような深い渓谷を形成することができたのだろう。
大歩危峡

途中には「獅子岩」と呼ばれる岩などを見ることもできる。確かに、言われてみれば獅子の姿をしているように見える。「暴れ川」と呼ばれる吉野川だが、時にはこんなに繊細な芸術美を生み出すこともあるのだ。
大歩危峡の獅子岩

瀬戸内海の海と島の風景の翌日には、山奥の深い渓谷――四国には実に、いろいろな顔がある。

大歩危峡散策を終えたところで、バスに乗って阿波池田に戻る――つもりだったが、観光遊覧船が長蛇の列で乗船に時間がかかってしまい、予定していたバスに乗り遅れてしまった。荷物を預けている阿波池田に戻って更に本日の宿泊予定地まで、一番時間のロス無しに行く方法は――大歩危駅からまたしても特急「南風」に乗ることだった。せっかく鈍行乗り放題の切符を買っていたのに、何とも勿体ない。

阿波池田で荷物をピックアップし、更に鈍行列車に乗り継いで、吉野川市の鴨島へ。ここにあるゲストハウスで1泊して、明日はまた「瀬戸内海の海と島」「渓谷」とは別の四国の顔を味わうことになる。

2017年GW旅 讃岐路

高松で迎えた朝。次の場所へと移動を始めるが、駅までの道の途中にちょうど玉藻公園高松城址)があったので、朝の散歩がてら歩いてみた。
高松城旧東之丸艮櫓
高松城旧東之丸艮櫓

高松城は豊臣秀吉の四国制圧後、生駒親正によって築かれた城である。月見櫓や旧東之丸艮櫓に当時の面影を残しているが、天守閣は明治時代に取り壊されて以来、再建されておらず、石垣の立派な天守台が残っているのみだ。
高松城天守台
高松城天守台

鞘橋を渡って天守台に上ってみる。
堀の向こうに見える水面は、高松港だ。高松城が水戦を意識して造られた城であることがよく分かる。
高松城天守台から
高松城天守台から

城跡巡りを終えて、すぐ近くの高松駅へ。宿でも朝食は頂いたが、せっかくなので恐らく締めの一杯となる讃岐うどんを頂いて、いざ出発。
讃岐うどん

予讃線でまず瀬戸内海沿いを多度津まで移動。道中、瀬戸大橋を見ることもできた。
瀬戸大橋

多度津で乗り換えて今度は土讃線で南へ針路を変える。先ほどまでの海沿い(と言っても海からはやや離れていたが)の工業地帯の路線とは打って変わって、山と農村の風景が車窓から見えるようになった。
土讃線の風景

琴平駅で鈍行列車を下車する。
琴平は金毘羅山で有名な地だが、今回はそれよりも見たかった風景があったので、駅前からちらりと見るにとどめた。
金毘羅山
琴平駅前から見た金毘羅山

ここから目的地までも鈍行列車はあったが、ちょっと時間がかかってしまうので、ここからは一駅だけだが、特急列車「南風3号」に乗ることにした。
やって来た特急列車は、
アンパンマン列車
アンパンマン列車だった。

この列車に揺られている間に、香川とはお別れし、次なる県へと舞台を移す。

2017年GW旅 小豆島・寒霞渓

「二十四の瞳映画村」から渡し船でオリーブ公園に戻り、バスを乗り継いで紅雲亭へ。観光地への入り口である紅雲亭行きのバスでは、運転士が軽妙な語り口で観光案内をしてくれた。
紅雲亭からは更にロープウェイに乗る。眼下に小豆島の街が、映画村のある岬(田浦岬)が、瀬戸内海が眼下に小さくなっていく。
寒霞渓ロープウェイからの眺め

辿り着いたのは、寒霞渓という景勝地だ。
先ほど映画村に行った時に思い出したのだが、ここ小豆島が舞台となった名作は「二十四の瞳」だけではない。井上真央主演で映画にもなった「八日目の蝉」では、誘拐された幼子が誘拐犯である「母」と幼少期を過ごした場所として描かれている。
その映画の中でも描かれていたのが寒霞渓だ。
ロープウェイを下りてすぐの場所にある展望台では、円盤状の「かわら」をリングにくぐらせる「かわら投げ」を大勢の人がやっていた。どうやら厄除けの効能があるらしい。
かわら投げ
眺めがいいのは、そこから少し歩いた場所にある鷹取展望台四望頂展望台だ。鷹取展望台はごつごつした岩肌を露わにした山の見える眺望が、四望頂展望台は烏帽子岩の見える眺望が素晴らしい。いずれも、小豆島の街並みやその向こうの内海湾、田浦岬を一望することができる。
鷹取展望台からの眺め
鷹取展望台からの眺め
四望頂展望台からの眺め
四望頂展望台からの眺め

こうして見ると、小豆島もそこそこ大きく、変化に富んだ島だということが感じられる。それはそうだ。瀬戸内海では淡路島に次いで2番目に大きな島なのだから。決して「小豆(あずき)」のようなちっぽけな島ではない。

帰りのバスの時間まではまだ余裕があったので、帰りは歩き(と言うよりはトレイルラン)で下ることにした。急勾配あり、つづら折りありの細い山道だが、下っている限りにおいては結構走りやすい道だった。
寒霞渓の山道
寒霞渓の山道は「表十二景」が見られる道と「裏八景」が見られる道があるが、私は前者を通った。ほぼ木々に覆われている道だが、時折木々の隙間から奇岩が「こんにちは」と言わんばかりに木々の間から顔を覗かせるのが「表十二景」たるゆえんだ。ロープウェイから見る開けた絶景もいいが、こうしたチラリとした岩山の見え方も味わいがある。
寒霞渓の表十二景
寒霞渓の表十二景

バスで土庄港に戻って再びフェリーに乗り込み、瀬戸内海と島々を横目に見ながら高松に戻る。
高松港に帰着
高松港に帰着

高松にはちょうど夕陽の時間に到着したが、赤灯台のあるハーバープロムナードの根元あたりの海辺に出てみると、ちょうど山と山の間に夕陽が沈むという、絶妙な光景を見ることができた。
高松港から見る夕陽

明日も天気が良さそうだ。本日は島と海辺を中心に自然を満喫したが、明日は四国の山奥へと舞台を移すことになる。

2017年GW旅 小豆島・「二十四の瞳」巡礼

土庄港からバスでまず向かったのは、小豆島オリーブ公園。白亜の洋館がたたずんでいたり、オリーブ林に囲まれるように西洋風の風車がたたずんでいたりする、明るい雰囲気の場所だ。ここでは、ポストまでオリーブ色である。
小豆島オリーブ公園
小豆島オリーブ公園
また、高台の上から見る瀬戸内海の景色が見事だ。海のすぐ向こうに横たわっているのは、「二十四の瞳」の舞台といわれる岬である。
小豆島オリーブ公園からの瀬戸内海の景色

ちょうどいい時間のバスがあったので、それに乗って次の目的地へ。先ほど高台の上から見た、瀬戸内海に張り出した岬に入る。
終点の一つ前の停留所で下りてすぐの所にあるのが、「岬の分教場」だ。「二十四の瞳」で大石先生と教え子たちが心を通い合わせた舞台を再現したものである。
岬の分教場外観
木造の校舎と教室や机、そしてレトロな学用品などを見ていると、何か、先生と子どもたちの笑い声や息遣いが伝わってくるような気がした。
岬の分教場内部

バスの終点にある次の目的地は歩いて行くことも可能だが、レトロなボンネットバスが無料シャトルバスとして運行されているので、こちらを使ってもいいだろう。
レトロなボンネットバス

岬の更に先の方にあるのが、「二十四の瞳映画村」だ。ここは「二十四の瞳」という作品を扱っているというよりも、その時代(昭和初期)そのもののレトロな雰囲気を再現したテーマパークである。木造の家屋に金属板の広告、古い映画の宣伝など、なるほど、昭和初期とはこんな感じなのかな、と思わせる風景がそこかしこにある。
二十四の瞳映画村
エリア内のレストランでは、コッペパン、カレーシチュー、冷凍みかん、瓶詰めの牛乳orコーヒー牛乳という、これまたレトロな給食メニューがあり、大部分のお客がそれを注文していた。私も頂いたが、昭和後期に食べていた給食とはまた味も雰囲気も違う。
二十四の瞳映画村で出た給食
風情を楽しむのもいいが、ここはやはり「時代」に思いを馳せずにはいられない。「二十四の瞳」の教え子たちも、ある者は身売りされ、ある者は戦争に傷つき、ある者は戦死してしまう。大石先生も、大切な人を時代の流れの中で失ってしまう。「平和の群像」で感じた時同様、やはり今の世の中だからこそ、「平和」を祈念せずにはいられなかった。
二十四の瞳映画村

映画村から先程訪れたオリーブ公園までは、海を渡し船で渡る。時間がかかり、本数が少ないバスよりも、実はこちらの方が随時出発、所要時間僅か10分と速くて便利だ。
渡し船
私は当初、自転車で岬まで回ろうと考えていたのだが、山道があったりしてそれはとてもではないが無理だった。この岬の道を毎日颯爽と自転車で走り抜けていった大石先生がスーパーウーマンに思えてしまった。

2017年GW旅 小豆島・土庄

本日は本格的に小豆島巡り。まずは宿や港のある土庄(とのしょう)を歩き回る。

土庄でまず目につくのが、港のすぐ近くにある平和の群像だ。この島を舞台にした文学作品「二十四の瞳」の大石先生と12人の生徒(小学生時代)をモチーフにした銅像だ。
平和の群像
平和の群像
そのことから平和への願いを込めて香川県丸亀市出身の彫塑家・矢野秀徳が造ったのがこの像だ。
こののどかな島には「平和」という言葉がいかにも似つかわしい。日本の隣の半島で戦争が起きるか起きないかという不穏な空気が流れている昨今である。この島が、そして「二十四の瞳」が、平和を発信する存在たることを痛切に願う。

平和を願う、ということなら、この島にはうってつけのものがある。それは「お遍路」だ。但し、小豆島は四国八十八箇所には入っていない。それでは、なぜこの島でお遍路なのか?
実は、小豆島だけで霊場が八十八箇所あるのだ。その総本山が、土庄にある小豆島霊場会である。
小豆島霊場会
小豆島霊場会

その他にも、この近辺には松風庵などの霊場があるが、中でも立派なのが西光寺。特に高台の上にある朱色の三重塔は、この一帯のランドマークタワーと言っていい程存在感がある。
西方寺の三重塔
西方寺の三重塔

私も、本格的なお遍路とはいかないまでも、これらの霊場を軽くお参りし、「平和」への祈りを捧げた。

この西方寺の周辺は「迷路のまち」と呼ばれている。歩いているとそんなにも感じないのだが、地図で見ると確かに、ぐねぐねと曲がった路地が複雑に張り巡らされている。
そんな路地から、自転車に乗った男子高校生が出てきた
「おはようございます」
見知らぬ旅人にこんな風に挨拶するのは、お遍路の「ご接待」の一環のようなものなのだろうか――いずれにせよ、都会ではもはや考えられないこんな一期一会のやりとりに、私はすがすがしさを感じ
「おはようございます」
と、自然に返していた。

さて、島の北側から歩いているうちに、島の北側に出てしまった。
土庄の南側には、観光客、特にカップルを呼び寄せる名所がある。
エンジェル・ロード」(天使の通り道)と呼ばれるその場所は、砂浜とそこから数十メートル離れた場所にある島との間にある。普段は海の下に隠れているのだが、引き潮の時間になると砂浜と島を結ぶ砂の通路が顔を出すのだ。誰が言い出したのか、 「大切な人と手をつないで渡ると願いが叶う」という言い伝えが生まれ、それがカップルをこの地に引き寄せているという。
小豆島のエンジェル・ロード
エンジェル・ロード

私はスケジュールの都合上、その道が完全に顔を出すまではその場にいられなかったが、既にカップルたちが十分に渡れるくらいの状態になっている様子を見ることができた。平和のついで?に、彼らの前途が晴れやかなものになるように祈るとしよう。

バスの時間を気にしつつ土庄港に戻るが、帰りは違う道を通る。幅10メートル程度の細い川沿い――いや、川ではない。
実はこの水路、小豆島の北と南を貫いている海峡土渕海峡)だったのだ。小豆島のメインランドは海峡の向こう側で、土庄港のある側はメインランドではなかったのである。
ちなみにこの海峡、「世界一狭い海峡」としてギネスブックに認定されているらしい。
土渕海峡
「世界一狭い海峡」土渕海峡

少々走ったりもしたが、バスには間に合った。9時41分、私は「オリーブバス」の車上の人となり、次の場所へと向かった。

2017年GW旅 高松、小豆島

今年のゴールデンウィーク(GW)は、四国を目指すことにした。
四国を旅先に選んだ理由は、未到達県の1つである徳島を制覇しようということと、仏教に関心を寄せる身として「お遍路さん」をちょっとやってみたいという思いだった。
取りあえず航空券が手に入りやすかった高松から四国入りすることにして航空券を確保し、出発半月前になって、初日の高松の宿をネットで確保しようとあちこち探してみたところ…

無い

今までの経験則から言って、GWとは言ってもそこまで宿が取りにくいことは無かったのだが…

ともあれ、宿泊地の候補を地図の範囲を広げて検討してみたところ、

ん?
そう言えば、高松の近くに、前から興味があった場所があるぞ。

それは、
小豆島だった。
学生時代にマラソンをやっていて、「小豆島オリーブマラソン」というのに参加しようかと結構本気で考えていたのが結局不参加に終わって以来、ずっと心の隅で気になっていた場所だったのだ。
名作「二十四の瞳」の舞台ともなった島で、観光名所も結構ある。予定外ではあるが、行ってみるか。
宿を探してみたところ、ちょうどいい具合に見つかったので即予約し、四国旅行の第1泊は小豆島で決まった。

そして、本日5月2日。
高松空港
高松空港に到着。

着いた時刻が午後1時すぎと、ちょうどお昼時だったので、
うどん
勿論、讃岐うどんを頂いた。

そう言えば、高松空港でうどんと言えば…

探してみたら、あった。
うどんだしの蛇口
うどんだしの蛇口
噂には聞いていたが、本当にあったんだ…

うどんのウェルカムを堪能した後、高松駅に移動。
この近辺は、
高松城
高松城あり。
高松シンボルタワー
高松シンボルタワーあり。
ハーバープロムナード
赤灯台のあるハーバープロムナードあり。
高松港
フェリーにも乗れる高松港あり。

と、いろいろな見どころが集中している。

私も、高松港からフェリーに乗船。一路小豆島の土庄を目指す。

フェリーからの眺め
瀬戸内海の海と島々を楽しんだり、
讃岐うどん
本日2杯目の讃岐うどんを楽しんだりして過ごす。

1時間ほどで、小豆島の土庄に到着。
土庄港

既に夕刻だったので、本日は宿に入って休むばかり。本格的な小豆島巡りは、明日だ。

ちなみに、小豆島ではうどん以上にそうめんが名物らしい。
ということで、夕食は、3食連続でうどんというのはやめて、
オリーブそうめん定食
その名も「オリーブそうめん定食」を頂いた。

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