バス憧れの大地へ

雑記ブログ

2017年GW旅 走り遍路

午前6時50分。徳島県吉野川市のGuest House チャンネルカンを、大きな荷物を預けてチェックアウトし、ジョギングに出かける。
吉野川を渡り、北西に針路を取る。途中、田園や花ののどかな風景に心を癒される。
吉野川市ののどかな風景

やがて、道の途中にこんなものを見つけた。
遍路小屋
「ヘンロ小屋」――即ち、お遍路さんの休憩所である。
そう。私が走っていたのは遍路道だったのだ。

やがて、四国八十八か所の第10番札所・切幡寺の門前に到着。ここで私は、門前の店に入っていろいろなものを購入する。

白衣菅笠経本納経帳納め札線香ろうそく・手ぬぐい

これらを装備して、こんな格好に。
お遍路装備

既にお分かりだろう。私はお遍路を開始しようとしていたのだ。しかも、マラソンに打ち込んでトレーニングを重ねている最中なので、「歩き遍路」を通り越して走り遍路で巡礼しようというのである。(なので、お遍路必須と言われる金剛杖は省略してしまったが、実際のところ、この日の巡礼の最中にも金剛杖を持たないお遍路さんは結構いた)

まずは、切幡寺をお参り。
切幡寺

お遍路のお参りは基本、
1. 山門で一礼して中へ
2. 手水場で手を清める
3. 鐘を突く
4. 本堂でお経をあげ、納め札を納める
5. 大師堂でお経をあげ、納め札を納める
6. 御朱印を頂く
という手順。

私はこれが初めてのお遍路。周りの人の様子を見ながら見様見真似で1/88のお参りを完了させた。

以降もお寺とお寺の間を走り続け、私は、

法輪寺
第9番札所 法輪寺

熊谷寺
第8番札所 熊谷寺

十楽寺
第7番札所 十楽寺

安楽寺
第6番札所 安楽寺

完全には覚えてない、おぼつかない般若心経ではあったが、どうにか以上の5か所でお参りを完了させた。

時間的にも体力的にも、このへんで切り上げた方がよさそうだったので、安楽寺で「走り遍路」は打ち切ってゲストハウスに戻る。さすがに疲れて、このルートでは途中歩いてしまったりもしたが、
吉野川
ランニングコースの最後の方で渡った広く青い吉野川に心を癒されて、気分よく走り終えることができた。

走りのデータは以下の通り。

・Guest House チャンネルカン~切幡寺
  6.65km、高低差+86m、50分57秒、7分39秒/km
  ※地理勘が掴めず、何度も立ち止まって地図を見たので時間がかかった。
・切幡寺~第9番札所 法輪寺
  3.67km、高低差-71m、24分59秒、6分49秒/km
  ※途中の幹線道路から外れた遍路道からの景色が良かった。
  遍路道からの風景
・法輪寺~熊谷寺
  2.69km、高低差+66m、21分26秒、7分59秒/km
  ※高低差があってペースが落ちた。
  ※こんな道標もあり、ルートは分かりやすい。
  遍路道の道標
・熊谷寺~十楽寺
  4.06km、高低差-58m、28分58秒、7分8秒/km
・十楽寺~安楽寺
  1.21km、高低差-18m、8分8秒、6分43秒/km
・安楽寺~Guest House チャンネルカン
  8.26km 高低差-6m、61分25秒、7分26秒/km

トータル
  26.54km 195分53秒 7分23秒/km

ともあれ、初めてのお遍路は、心は穏やかに、体は健やかになるいい経験だった。
とはいえ、まだ5/88を巡ったにすぎない。何とか機会を作って、残りの札所も今後回っていきたいものだ。

2017年GW旅 祖谷溪、大歩危

香川・琴平から特急「南風3号」で一駅の、徳島・阿波池田に到着。四国には以前来たことがあったが、その時は、徳島のみ高知―香川間の移動の列車で通過しただけで上陸はしていなかった。今回、その時通過した駅で下車してようやく、徳島上陸を達成することができた。

阿波池田駅のコインロッカーに大きな荷物を預け、ここから先はバスで移動する。
祖谷(いや)口から吉野川を渡って山奥に分け入るが、ここからの道は狭く、一方通行ではないのに車がすれ違うこともできない箇所があるくらいだ。そのような箇所では、余裕のある所までどちらかがバックしてすれ違う必要がある。バスのような大型車が相手となると、余裕のある場所でもギリギリの隙間を通ることを余儀なくされる――そんな様子を見ていると、私のようなペーパードライバーではとても無理だな、と、恐怖にも近い思いが心をよぎる。
道の両側には、木々に覆われた険しい山。そして道のすぐ横を見下ろすと、数十メートル下の谷底に清流(吉野川支流の祖谷川)が流れている。
祖谷渓と呼ばれる景勝地である。
祖谷渓
祖谷温泉で下車し、しばしこの渓谷の景色を楽しむ。まさしく、深い谷に吸い込まれてしまいそうな絶景。木々の緑が谷底の川面にも映えているようで、川は濃い緑がかって見えた。

祖谷温泉から少し下った所に、小便小僧の像があった。とは言っても、別に水がチョロチョロ流れている訳でもない。ただ像が谷の上に置かれているだけで、ちょっと「がっかり」系の名所に思えた。
祖谷の小便小僧

ここ祖谷の名物と言えば祖谷そば。ちょうどお昼時だったので、和の宿ホテル祖谷温泉のレストランで頂いてきた。一般的なそばと比べて、1本1本のそばが短いのが特徴だった。
祖谷渓と祖谷そば
祖谷渓が眼下に見える席に陣取って、絶景を見ながら頂くそばは格別だった。

更に上流へ行くと、古き日本の雰囲気満点のかずら橋もある。私は時間に余裕が無かったが、余裕があればぜひそこまで行ってみたい名所(らしい)。

一旦祖谷口まで戻り、そこから今度は吉野川本流を上るバスに乗車する。
途中、細くて流れの激しい小歩危峡を通過。ラフティングを楽しむ人々の姿も見えた。
小歩危峡

小歩危峡から更にバスで上流に行ったところで、バスを下りる。徳島でも特に有名な景勝地・大歩危峡だ。
春の時期、大歩危峡では鯉のぼりを集めて谷の上に渡すような格好で大群をはためかせている。折しも、この日はこどもの日前日。親子連れにとっては格好のタイミングとなったことだろう。
大歩危峡の鯉のぼり

大歩危に来たからにはぜひ、観光遊覧船で谷底を巡ってみたい。川面に手が届きそうな浅い船に乗って、谷底の吉野川を20分ほど遊覧する。
谷の上の道からも既に高く見える両側の山が、川面からは更に高く見え、まさに自分が「谷底」に居るのだな、ということを実感できる。川の両側には白に近いグレーの砂質片岩がそのゴツゴツした姿を露わにしている。遊覧船のガイドさんの話によると、吉野川はかなりの暴れ川だという。なるほど、それ程の暴れ川だからこそ、このような岩をうがち、このような深い渓谷を形成することができたのだろう。
大歩危峡

途中には「獅子岩」と呼ばれる岩などを見ることもできる。確かに、言われてみれば獅子の姿をしているように見える。「暴れ川」と呼ばれる吉野川だが、時にはこんなに繊細な芸術美を生み出すこともあるのだ。
大歩危峡の獅子岩

瀬戸内海の海と島の風景の翌日には、山奥の深い渓谷――四国には実に、いろいろな顔がある。

大歩危峡散策を終えたところで、バスに乗って阿波池田に戻る――つもりだったが、観光遊覧船が長蛇の列で乗船に時間がかかってしまい、予定していたバスに乗り遅れてしまった。荷物を預けている阿波池田に戻って更に本日の宿泊予定地まで、一番時間のロス無しに行く方法は――大歩危駅からまたしても特急「南風」に乗ることだった。せっかく鈍行乗り放題の切符を買っていたのに、何とも勿体ない。

阿波池田で荷物をピックアップし、更に鈍行列車に乗り継いで、吉野川市の鴨島へ。ここにあるゲストハウスで1泊して、明日はまた「瀬戸内海の海と島」「渓谷」とは別の四国の顔を味わうことになる。

2017年GW旅 讃岐路

高松で迎えた朝。次の場所へと移動を始めるが、駅までの道の途中にちょうど玉藻公園高松城址)があったので、朝の散歩がてら歩いてみた。
高松城旧東之丸艮櫓
高松城旧東之丸艮櫓

高松城は豊臣秀吉の四国制圧後、生駒親正によって築かれた城である。月見櫓や旧東之丸艮櫓に当時の面影を残しているが、天守閣は明治時代に取り壊されて以来、再建されておらず、石垣の立派な天守台が残っているのみだ。
高松城天守台
高松城天守台

鞘橋を渡って天守台に上ってみる。
堀の向こうに見える水面は、高松港だ。高松城が水戦を意識して造られた城であることがよく分かる。
高松城天守台から
高松城天守台から

城跡巡りを終えて、すぐ近くの高松駅へ。宿でも朝食は頂いたが、せっかくなので恐らく締めの一杯となる讃岐うどんを頂いて、いざ出発。
讃岐うどん

予讃線でまず瀬戸内海沿いを多度津まで移動。道中、瀬戸大橋を見ることもできた。
瀬戸大橋

多度津で乗り換えて今度は土讃線で南へ針路を変える。先ほどまでの海沿い(と言っても海からはやや離れていたが)の工業地帯の路線とは打って変わって、山と農村の風景が車窓から見えるようになった。
土讃線の風景

琴平駅で鈍行列車を下車する。
琴平は金毘羅山で有名な地だが、今回はそれよりも見たかった風景があったので、駅前からちらりと見るにとどめた。
金毘羅山
琴平駅前から見た金毘羅山

ここから目的地までも鈍行列車はあったが、ちょっと時間がかかってしまうので、ここからは一駅だけだが、特急列車「南風3号」に乗ることにした。
やって来た特急列車は、
アンパンマン列車
アンパンマン列車だった。

この列車に揺られている間に、香川とはお別れし、次なる県へと舞台を移す。

2017年GW旅 小豆島・寒霞渓

「二十四の瞳映画村」から渡し船でオリーブ公園に戻り、バスを乗り継いで紅雲亭へ。観光地への入り口である紅雲亭行きのバスでは、運転士が軽妙な語り口で観光案内をしてくれた。
紅雲亭からは更にロープウェイに乗る。眼下に小豆島の街が、映画村のある岬(田浦岬)が、瀬戸内海が眼下に小さくなっていく。
寒霞渓ロープウェイからの眺め

辿り着いたのは、寒霞渓という景勝地だ。
先ほど映画村に行った時に思い出したのだが、ここ小豆島が舞台となった名作は「二十四の瞳」だけではない。井上真央主演で映画にもなった「八日目の蝉」では、誘拐された幼子が誘拐犯である「母」と幼少期を過ごした場所として描かれている。
その映画の中でも描かれていたのが寒霞渓だ。
ロープウェイを下りてすぐの場所にある展望台では、円盤状の「かわら」をリングにくぐらせる「かわら投げ」を大勢の人がやっていた。どうやら厄除けの効能があるらしい。
かわら投げ
眺めがいいのは、そこから少し歩いた場所にある鷹取展望台四望頂展望台だ。鷹取展望台はごつごつした岩肌を露わにした山の見える眺望が、四望頂展望台は烏帽子岩の見える眺望が素晴らしい。いずれも、小豆島の街並みやその向こうの内海湾、田浦岬を一望することができる。
鷹取展望台からの眺め
鷹取展望台からの眺め
四望頂展望台からの眺め
四望頂展望台からの眺め

こうして見ると、小豆島もそこそこ大きく、変化に富んだ島だということが感じられる。それはそうだ。瀬戸内海では淡路島に次いで2番目に大きな島なのだから。決して「小豆(あずき)」のようなちっぽけな島ではない。

帰りのバスの時間まではまだ余裕があったので、帰りは歩き(と言うよりはトレイルラン)で下ることにした。急勾配あり、つづら折りありの細い山道だが、下っている限りにおいては結構走りやすい道だった。
寒霞渓の山道
寒霞渓の山道は「表十二景」が見られる道と「裏八景」が見られる道があるが、私は前者を通った。ほぼ木々に覆われている道だが、時折木々の隙間から奇岩が「こんにちは」と言わんばかりに木々の間から顔を覗かせるのが「表十二景」たるゆえんだ。ロープウェイから見る開けた絶景もいいが、こうしたチラリとした岩山の見え方も味わいがある。
寒霞渓の表十二景
寒霞渓の表十二景

バスで土庄港に戻って再びフェリーに乗り込み、瀬戸内海と島々を横目に見ながら高松に戻る。
高松港に帰着
高松港に帰着

高松にはちょうど夕陽の時間に到着したが、赤灯台のあるハーバープロムナードの根元あたりの海辺に出てみると、ちょうど山と山の間に夕陽が沈むという、絶妙な光景を見ることができた。
高松港から見る夕陽

明日も天気が良さそうだ。本日は島と海辺を中心に自然を満喫したが、明日は四国の山奥へと舞台を移すことになる。

2017年GW旅 小豆島・「二十四の瞳」巡礼

土庄港からバスでまず向かったのは、小豆島オリーブ公園。白亜の洋館がたたずんでいたり、オリーブ林に囲まれるように西洋風の風車がたたずんでいたりする、明るい雰囲気の場所だ。ここでは、ポストまでオリーブ色である。
小豆島オリーブ公園
小豆島オリーブ公園
また、高台の上から見る瀬戸内海の景色が見事だ。海のすぐ向こうに横たわっているのは、「二十四の瞳」の舞台といわれる岬である。
小豆島オリーブ公園からの瀬戸内海の景色

ちょうどいい時間のバスがあったので、それに乗って次の目的地へ。先ほど高台の上から見た、瀬戸内海に張り出した岬に入る。
終点の一つ前の停留所で下りてすぐの所にあるのが、「岬の分教場」だ。「二十四の瞳」で大石先生と教え子たちが心を通い合わせた舞台を再現したものである。
岬の分教場外観
木造の校舎と教室や机、そしてレトロな学用品などを見ていると、何か、先生と子どもたちの笑い声や息遣いが伝わってくるような気がした。
岬の分教場内部

バスの終点にある次の目的地は歩いて行くことも可能だが、レトロなボンネットバスが無料シャトルバスとして運行されているので、こちらを使ってもいいだろう。
レトロなボンネットバス

岬の更に先の方にあるのが、「二十四の瞳映画村」だ。ここは「二十四の瞳」という作品を扱っているというよりも、その時代(昭和初期)そのもののレトロな雰囲気を再現したテーマパークである。木造の家屋に金属板の広告、古い映画の宣伝など、なるほど、昭和初期とはこんな感じなのかな、と思わせる風景がそこかしこにある。
二十四の瞳映画村
エリア内のレストランでは、コッペパン、カレーシチュー、冷凍みかん、瓶詰めの牛乳orコーヒー牛乳という、これまたレトロな給食メニューがあり、大部分のお客がそれを注文していた。私も頂いたが、昭和後期に食べていた給食とはまた味も雰囲気も違う。
二十四の瞳映画村で出た給食
風情を楽しむのもいいが、ここはやはり「時代」に思いを馳せずにはいられない。「二十四の瞳」の教え子たちも、ある者は身売りされ、ある者は戦争に傷つき、ある者は戦死してしまう。大石先生も、大切な人を時代の流れの中で失ってしまう。「平和の群像」で感じた時同様、やはり今の世の中だからこそ、「平和」を祈念せずにはいられなかった。
二十四の瞳映画村

映画村から先程訪れたオリーブ公園までは、海を渡し船で渡る。時間がかかり、本数が少ないバスよりも、実はこちらの方が随時出発、所要時間僅か10分と速くて便利だ。
渡し船
私は当初、自転車で岬まで回ろうと考えていたのだが、山道があったりしてそれはとてもではないが無理だった。この岬の道を毎日颯爽と自転車で走り抜けていった大石先生がスーパーウーマンに思えてしまった。

2017年GW旅 小豆島・土庄

本日は本格的に小豆島巡り。まずは宿や港のある土庄(とのしょう)を歩き回る。

土庄でまず目につくのが、港のすぐ近くにある平和の群像だ。この島を舞台にした文学作品「二十四の瞳」の大石先生と12人の生徒(小学生時代)をモチーフにした銅像だ。
平和の群像
平和の群像
そのことから平和への願いを込めて香川県丸亀市出身の彫塑家・矢野秀徳が造ったのがこの像だ。
こののどかな島には「平和」という言葉がいかにも似つかわしい。日本の隣の半島で戦争が起きるか起きないかという不穏な空気が流れている昨今である。この島が、そして「二十四の瞳」が、平和を発信する存在たることを痛切に願う。

平和を願う、ということなら、この島にはうってつけのものがある。それは「お遍路」だ。但し、小豆島は四国八十八箇所には入っていない。それでは、なぜこの島でお遍路なのか?
実は、小豆島だけで霊場が八十八箇所あるのだ。その総本山が、土庄にある小豆島霊場会である。
小豆島霊場会
小豆島霊場会

その他にも、この近辺には松風庵などの霊場があるが、中でも立派なのが西光寺。特に高台の上にある朱色の三重塔は、この一帯のランドマークタワーと言っていい程存在感がある。
西方寺の三重塔
西方寺の三重塔

私も、本格的なお遍路とはいかないまでも、これらの霊場を軽くお参りし、「平和」への祈りを捧げた。

この西方寺の周辺は「迷路のまち」と呼ばれている。歩いているとそんなにも感じないのだが、地図で見ると確かに、ぐねぐねと曲がった路地が複雑に張り巡らされている。
そんな路地から、自転車に乗った男子高校生が出てきた
「おはようございます」
見知らぬ旅人にこんな風に挨拶するのは、お遍路の「ご接待」の一環のようなものなのだろうか――いずれにせよ、都会ではもはや考えられないこんな一期一会のやりとりに、私はすがすがしさを感じ
「おはようございます」
と、自然に返していた。

さて、島の北側から歩いているうちに、島の北側に出てしまった。
土庄の南側には、観光客、特にカップルを呼び寄せる名所がある。
エンジェル・ロード」(天使の通り道)と呼ばれるその場所は、砂浜とそこから数十メートル離れた場所にある島との間にある。普段は海の下に隠れているのだが、引き潮の時間になると砂浜と島を結ぶ砂の通路が顔を出すのだ。誰が言い出したのか、 「大切な人と手をつないで渡ると願いが叶う」という言い伝えが生まれ、それがカップルをこの地に引き寄せているという。
小豆島のエンジェル・ロード
エンジェル・ロード

私はスケジュールの都合上、その道が完全に顔を出すまではその場にいられなかったが、既にカップルたちが十分に渡れるくらいの状態になっている様子を見ることができた。平和のついで?に、彼らの前途が晴れやかなものになるように祈るとしよう。

バスの時間を気にしつつ土庄港に戻るが、帰りは違う道を通る。幅10メートル程度の細い川沿い――いや、川ではない。
実はこの水路、小豆島の北と南を貫いている海峡土渕海峡)だったのだ。小豆島のメインランドは海峡の向こう側で、土庄港のある側はメインランドではなかったのである。
ちなみにこの海峡、「世界一狭い海峡」としてギネスブックに認定されているらしい。
土渕海峡
「世界一狭い海峡」土渕海峡

少々走ったりもしたが、バスには間に合った。9時41分、私は「オリーブバス」の車上の人となり、次の場所へと向かった。

2017年GW旅 高松、小豆島

今年のゴールデンウィーク(GW)は、四国を目指すことにした。
四国を旅先に選んだ理由は、未到達県の1つである徳島を制覇しようということと、仏教に関心を寄せる身として「お遍路さん」をちょっとやってみたいという思いだった。
取りあえず航空券が手に入りやすかった高松から四国入りすることにして航空券を確保し、出発半月前になって、初日の高松の宿をネットで確保しようとあちこち探してみたところ…

無い

今までの経験則から言って、GWとは言ってもそこまで宿が取りにくいことは無かったのだが…

ともあれ、宿泊地の候補を地図の範囲を広げて検討してみたところ、

ん?
そう言えば、高松の近くに、前から興味があった場所があるぞ。

それは、
小豆島だった。
学生時代にマラソンをやっていて、「小豆島オリーブマラソン」というのに参加しようかと結構本気で考えていたのが結局不参加に終わって以来、ずっと心の隅で気になっていた場所だったのだ。
名作「二十四の瞳」の舞台ともなった島で、観光名所も結構ある。予定外ではあるが、行ってみるか。
宿を探してみたところ、ちょうどいい具合に見つかったので即予約し、四国旅行の第1泊は小豆島で決まった。

そして、本日5月2日。
高松空港
高松空港に到着。

着いた時刻が午後1時すぎと、ちょうどお昼時だったので、
うどん
勿論、讃岐うどんを頂いた。

そう言えば、高松空港でうどんと言えば…

探してみたら、あった。
うどんだしの蛇口
うどんだしの蛇口
噂には聞いていたが、本当にあったんだ…

うどんのウェルカムを堪能した後、高松駅に移動。
この近辺は、
高松城
高松城あり。
高松シンボルタワー
高松シンボルタワーあり。
ハーバープロムナード
赤灯台のあるハーバープロムナードあり。
高松港
フェリーにも乗れる高松港あり。

と、いろいろな見どころが集中している。

私も、高松港からフェリーに乗船。一路小豆島の土庄を目指す。

フェリーからの眺め
瀬戸内海の海と島々を楽しんだり、
讃岐うどん
本日2杯目の讃岐うどんを楽しんだりして過ごす。

1時間ほどで、小豆島の土庄に到着。
土庄港

既に夕刻だったので、本日は宿に入って休むばかり。本格的な小豆島巡りは、明日だ。

ちなみに、小豆島ではうどん以上にそうめんが名物らしい。
ということで、夕食は、3食連続でうどんというのはやめて、
オリーブそうめん定食
その名も「オリーブそうめん定食」を頂いた。

2016年GW 平泉

新花巻から移動して訪れた場所は、平泉。奥州藤原氏と源義経ゆかりの街である。20年ほど前に一度訪れたことがあったのだが、素通りするのも勿体無かったので再訪してみることにした。

この街の史跡巡りは巡回バス『るんるん』を400円の1日フリー乗車券で使うのがお得。ただ、最初に目指す場所はバスのタイミングが悪く、歩いて行った方が早かった。
まず訪れたのが、毛越寺。850年に円仁が創建し、奥州藤原氏によって多くの伽藍が造営されたという古刹だ。

毛越寺
自然美と伽藍の見事な調和。
毛越寺の庭園
毛越寺は広い池のある庭園も見どころだ。

そして、『るんるん』に乗って、この街のシンボルである中尊寺へ。これもまた、毛越寺と同時期に築かれ、奥州藤原氏の歴史を見つめてきた証人だ。その中でも一番の見どころまでは、緩やかな山道を上った一番奥の方にある。
中尊寺入り口
その途中にも幾つもの堂が建っているが、いずれも当時の雰囲気を残す、味のある木造建築だ。

中尊寺弁慶堂
平泉で絶命した武蔵坊弁慶を祀った弁慶堂。
中尊寺観音堂
観音堂。

そして、参道の入り口から10分ほど歩いた場所にある、一際立派な寺院が中尊寺の本堂(明治時代再建)だ。
中尊寺本堂
ご本尊は丈六仏(お釈迦様の身の丈が1丈6尺=約4.85mあったという伝承からその大きさで造られた仏像)の阿弥陀如来像。
中尊寺本堂ご本尊

しかし、中尊寺一番の見どころは本堂ではない。その更に奥にある有料エリアこそが、中尊寺のメインだ。
中尊寺金色堂
金色堂
表から見えるのは、コンクリート製の「覆堂」のみで、金色堂はその中で大事に保存されており、内部は写真撮影も認められていない。それだけにきっちりと目に記憶に焼き付けようとしっかりと拝んできた。
この金色堂を見るのはこれで2度目。金色のまばゆさに嘆息したのは以前も今回も同じ。奥州藤原氏の栄華を物語る、平泉随一の歴史遺産であることは疑いない。
しかし今回は、以前には無かった視点があった。
それは、仏様を敬うという心である。
前回ここに来た時、私は信心の無い無宗教だった。しかし2007年のチベット訪問以来、私の内側に仏教への信仰心が芽生え、仏様に対する敬意を育んできた。今回この金色堂に対面した私は、まばゆい金色に目を奪われるのと同時に、いやそれ以上に、お堂の中に並び立つ金色の仏像の柔和なお顔と優しげなたたずまいにもまた心引かれたのだった。その柔和さと優しげなたたずまいは、当時この地でも信じられていた浄土信仰を反映したものなのだろう。

中尊寺の丘を下って、再び『るんるん』に乗り次の目的地へ。バスを降りて階段を上がった先には、北上川が奥州の大地に横たわっている。
北上川
北上川を見下ろす堤の上にあるのが、義経堂。ここはかつて奥州藤原氏の居所・衣川館があった地で、兄である源頼朝と不和となって逃れてきた源義経がここで果てている。その後、江戸時代に伊達藩によって建てられたのがこの堂だ。
義経堂
堂内には、
義経堂義経像
堂内には義経の木像が安置されている。「平家物語」では義経が不細工であったかのような平家方の台詞もあったようだが、なかなかの男前に彫られている。

そして、その近くには松尾芭蕉の句碑がある。そこに彫られている句こそ、あの有名な
義経堂芭蕉句碑
夏草や 兵どもが 夢の跡
この地で栄華を極めながら滅んでいった奥州藤原氏と、平家討伐で名を上げながら散っていった義経に思い詠った名句である。私が訪れたのはまだ春だったが、芭蕉もまた北上川の見えるこの地で、この草生い茂る風景を見ながら歴史に思いを馳せていたのだろう。

それにしても、ゴールデンウィークの平泉はもっと混んでいると思っていたのだが、それ程でもなかった。それどころか、史跡を巡る周回バス『るんるん』の乗客が私1人だけという場面もあった。
震災から5年――「観光で東北支援を」ということが言われているが、まだ観光客の足は戻せていないのかもしれない、と思った。

これで一応、今回の旅の目的は達成。あとは自宅のある川崎まで下るばかりだ。
できるだけ鈍行で下りたいと思い、平泉から新白河まで使うことができるフリーきっぷ「小さな旅ホリデー・パス」で行けるところまで行くことにする。
松島
途中、宮城県の景勝地・松島を通過。

仙台駅
仙台駅でちょっと乗り継ぎ待ち。
仙台みやげ
仙台のお土産。これで宮城も立ち寄ったことにしよう。

福島駅でも乗り継ぎがあったが、待ち時間が短く買い物も満足にできなかった。

郡山まで来たところで、時刻は20時半。頑張れば川崎まで鈍行で帰ることも可能だったが、翌日仕事だったこともあり、ここで鈍行にこだわり続けるのは断念。郡山から大宮までだけ、新幹線を利用した。
22時50分、川崎駅に到着。青森、岩手を中心に、秋田、宮城にも足跡を残した足掛け1週間の旅が終わった。

今回は、青森が初めての訪問だったこともあって、青森で随分時間を使ってしまったが、東北エリアで未到達の県はあとは山形だけだ。
次の機会には、山形を絡めて再び鈍行での東北縦断に挑戦してみるかな?

2016年GW 花巻

午前中は、新花巻駅近くの宿から徒歩圏内の場所を訪れる。

花巻と言えば、彼の地で生まれ育った宮沢賢治。新花巻駅前にも「セロ弾きのゴーシュ」のレリーフがあったりもした。
「セロ弾きのゴーシュ」のレリーフが

新花巻駅から国道456線に出て、釜石線の踏切を渡り、釜石自動車道をくぐり、歩くこと約20分。賢治ゆかりの施設が集まったエリアに行き着く。目指す場所は、ここから更に階段を上った先の丘(胡四王山)の上だ。

宮沢賢治記念館への階段
階段には1段1段に平仮名が書かれていて、続けて読むと賢治の詩の代表作「雨ニモマケズ」になる。
山猫軒
階段を上った先にはまず、「注文の多い料理店」をモチーフにしたレストラン「山猫軒」がある。

その先にあるのが、今回の目的地である宮沢賢治記念館だ。
宮沢賢治記念館
この記念館は賢治の関心の対象であった各方面の科学・芸術にスポットを当てたものだった。童話的なファンタジーの世界という雰囲気とは違うが、彼の博識ぶりと、その知識がいかに童話にちりばめられているかを知ることができる。
そんな中、作家としての賢治の作業を垣間見ることができたのが、「銀河鉄道の夜」ができるまでを追った展示だった。構想から作品の完成に至るまでいかに紆余曲折があったかを窺い知ることができ、文学作品を作るということがいかに大変な作業なのかがよく分かる。
宮沢賢治記念館から望む花巻の街
記念館のバルコニーからは、花巻の街を一望することができた。

先ほど上ってきた階段を下りてすぐの場所にあるのが、宮沢賢治童話村だ。幾つものコテージで、賢治の童話にも垣間見える花巻の自然に関する展示が行われているが、ここの売りは何と言っても「賢治の学校」だ。「ファンタジックホール」「宇宙」「天空」「大地」「水」の5つのゾーンで、賢治の童話の仮想世界「イーハトーブ」を幻想的に感じることができる。

このエリアには他にも花巻市博物館があったが、時間の都合でパス。花巻を後にして次の目的地へと向かう。

ところが、新花巻からはJR釜石線で花巻に出て、そこから東北本線に乗り継ぐ予定だったが、こともあろうに釜石線が強風(花巻は全く問題なかったのだが)のため運転見合わせとなってしまっていた。バスで花巻まで移動しようかと思いもしたがバスの本数が思いの外少ない。結局、東北新幹線と東北本線が交わる北上まで新幹線で行くことに――できれば今回は鈍行を使い続けたかったのに、どこかで吹き荒れている風がうらめしい。

2016年GW 遠野物語

宮古からバスで盛岡に到着し、JR東北本線から釜石線へと乗り入れる列車に乗車。

SL銀河号
13時すぎ、こんな素敵な列車(SL銀河号)が出発を待つ駅に到着した。
遠野駅
辿り着いたのは、カッパ伝説もある民話の里…

遠野である。
駅に着いた時には生憎の雨だったが、雨ガッパ装備でカッパ伝説のある街を巡るのも一興(笑)と、駅前でレンタサイクルを借りる。やはりこの天気だと借りる人は少なく、この日は私で2人目だったという。しかし、雨はすぐにやんでくれて、雨ガッパはすぐにお役御免となった。

まず訪れたのが、駅から歩いてでも行ける場所にある、とおの物語の館。遠野ならではの民話の世界に浸るには欠かせない場所である。
とおの物語の館

とおの物語の館
座敷童子、河童淵、天狗など、遠野を代表する昔話の数々が、文字やイラスト、像や影絵などで分かりやすく解説されている。
とおの物語の館
こちらの劇場・遠野座では、地元の語り部が実際に昔話を語ってくれる。

遠野座での昔話の語りは1回20分ほど。タイミングが合えば欠かさず聞いておきたい。
上品な高齢の女性が、柔らかく、ユーモラスな口調で
「むがす あったずもな」
で語り始め、
「どんどはれ」
で話を結ぶ。全編遠野弁だが、そこは同じ日本語。だいたいのあらすじは逃すことなく聴くことができた。
今回は、有名な「河童淵」のお話の他、「オシラサマ」、動物たちが海の果てを見ようとリレーで旅をするお話、蟻のお腹にくびれができたお話などを聴かせていただいた。

次の目的に向かって自転車を走らせていると、道端に…
「かっぱ注意」の標識
「かっぱ注意」の標識…
どうやら、震災からの復興を目指して結成された地元の団体「遠野かっぱ工事隊」が設置したものらしい。「観光で復興を」という心意気が伝わってくる。

その標識から20mほどの交差点を左折し、更に300mほど北へ進む。ここで自転車を下りて遊歩道を歩いた先にあったのが。
カッパ淵
カッパ淵
なるほど。先ほどの標識は「カッパの棲み家が近いですよ」という警告だった訳だ(笑)
極々狭くて浅い川なのだが、林に覆われて日陰になっており、妖怪が出ると言われると「かもしれないな」と思わず感じてしまう。

カッパ淵
カッパ淵は釣り竿が置かれていて、釣り糸の先にはカッパの好物といわれるキュウリ(模型?)。
ちなみに「名人専用」らしい。うかつに触るとカッパに水に引き込まれるということだろうか? 浅い川だが、強い力でねじ伏せられたら溺死させることは十分に可能だろうから、ご注意を(笑)

続いて、カッパ淵の近くにある伝承園へ。「曲り家」などの遠野の伝統的家屋が立ち並ぶ中で民話の雰囲気を楽しむことができる。ここでも、語り部から民話を聴くことができる(但し要予約)。
伝承園
菊池家曲り家」に入り、奥に進むと「御蚕神堂オシラ堂)」という祠に繋がる。先ほど物語の館でも聴いた民話「オシラサマ」ゆかりの場所だという。
「オシラサマ」は遠野の民話でも有名な話だそうだが、私は初めて聞いた。大体こんな話だ。

御蚕神堂
「むがす あったずもな」

ある農家の娘が、馬と恋に落ちる。娘の父親はこれに怒り、馬を桑の木につるして殺してしまう。娘は馬の死体に泣きすがって離れようとせず、父親は更に怒って馬の首を切り落としてしまう。すると、馬の首が娘を乗せたまま昇天してしまい、娘はそれきり戻ってこなかった。
父は悔いて、馬をつるした桑の木を削って馬と娘の像を作り、赤い布を着せて祀ったという。

「どんどはれ」

御蚕神堂の真ん中にはその物語に登場する桑の木が立ち、壁際には、来訪者の願い事が書かれた布の服を着た像「オシラサマ」がびっしりと並んでる。
悲しい物語だが、娘の優しい心や、父親が最後に見せた慈しみの念に心打たれる。

更に北へ自転車を進めること5.5km。最後に訪れしは遠野ふるさと村だ。先ほど訪れた伝承園にもあった「曲り家」が幾つも並ぶ、日本の古き良き原風景が見られる場所である。
遠野ふるさと村
曲り家は、母屋と馬屋がL字形に繋がって一体になった建築様式だ。この村の馬屋ではリアルに馬が飼われている。

遠野ふるさと村の馬
「オシラサマ」の物語で娘が恋をした馬もこんな感じだったのだろうか。
遠野ふるさと村の菜の花の風景
菜の花が真っ盛り。茅葺屋根の家と重ねて見ると実に日本的だ。

遠野の伝統を感じることができる素敵な場所である。但し、民話の要素は全く無いので、遠野に民話を求めて来る人には肩透かしに感じられるかもしれない。

遠野ふるさと村からはひたすら自転車をこいで遠野駅へとひた走る。自転車を返却し、ぎりぎりのタイミングで予定していた列車に乗ることができた。

新花巻に到着したところで、本日の旅は終了。駅近くのゲストハウスにチェックインして一息つく。
食事時になって、新幹線の駅まで行けば食べる所ぐらいいろいろあるだろうと思って新花巻駅まで行ったのだが…

立ち食いそばの店が1軒あるだけ

駅前のわんこそば屋も6時前に閉店という寂しさ。
何とか駅から10分ぐらいの店で東北名物の冷麺を頂くことができたが、ここが開いてなかったらせっかくの旅のディナーがコンビニ飯になってしまうところだった。
宿の主人によると、開業当初の30年ほど前は「新幹線駅ができていずれ発展する」と考えて進出してきた人も多かったが、発展しないまま今に至っているという。

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