バス憧れの大地へ

雑記ブログ

国立故宮博物院展@東京・上野

東京・上野の東京国立博物館で開催中(~2014年9月15日)の『国立故宮博物院展』。台湾好き、中国文明好きとしては見逃してはならない展覧会だ。会期末になると混雑するので行くなら今のうちと、この日、同博物館を訪れた。
国立故宮博物院展

Facebookで同行者を呼びかけたところ、大学時代のサークルの友人という思いがけない顔が名乗りを挙げてくれ、思いがけないプチ同窓会にもなった。

この展覧会、開催前にはポスターの表記に「国立」の文字が冠されていないという問題から開催が危ぶまれる一幕もあったが、この展覧会の出処はまぎれもなく、中国文明の正当なる後継者・中華民国の国立の博物館である。何を思って「国立」の文字を外したのか、さっぱり意味不明、理解不能だ。

さて、展示の方だが、実のところ私は中華民国(台湾)を訪れたら欠かさず行くことにしているので、既に2度本場を参観している(1回目/2回目)。それでも、最初に書いた通り、この展覧会は台湾好き、中国文明好きならサボリは切腹ものの必須科目なのだ。
それに、たった2度の訪問であの博物院の全ての展示物を見れているはずがない。なぜなら、あの博物院で公開されているのは所蔵品の氷山の一角にすぎず、展示品は一部を除いて頻繁に入れ替えられているからだ。案の定、中には「あ、これ現地で見た」というものもあったが、展示品の大多数は見覚えのないものばかりだった。

入場して暫くは、書道や水墨画の作品が続き、途中で玉(ぎょく)などの宝物がちょっとだけ展示されている。地味だが日本文化のルーツが垣間見える意義深い展示だ。
展示室を抜けるとそこには故宮博物院グッズの販売コーナーがあった。そこで買い物をして
「何かもの足りないけど、これで終わり?」
と一瞬思ったが、よく見ると

「第2展示室⇒」

という案内がある。
   ・
   ・
   ・
紛らわしいことをするな
土産屋があったら普通、それで終わりだと思うだろう・・・。
東京国立博物館ともあろうものが、何とも意味不明な配置をしている。勘違いをして途中で帰った参観者もいたのではないか?

ともあれ、参観続行だ。
と言うより、後半こそ本番である。いくらこの展覧会に来ても、この後半を見なければやはり切腹ものだろう。
宋、モンゴル元、明、満洲清の時代を中心とした金属器、磁器、漆器、書、絵画(前半のような水墨画以外にもカラフルなものもあった)といった、中国文明の粋とも言うべき傑作がずらりと並んでいる。
中でも満洲清朝の乾隆帝は相当なコレクターだったらしく、小さな小箱の中に、ドラえもんの4次元ポケットさながらに幾つもの小さな文物が収められたコレクションは、小さいながらも一際存在感を放っていた。

そして、最後の最後に、この展覧会の最大の目玉展示物・・・

翠玉白菜

――は、開幕から2週間限定の展示で既に里帰りしていた。(そりゃそうだろう。あの博物館No.1の展示物をそんなに長期間貸し出すはずもない)
その代役となったのが、この記事上の看板右側にも写っている

人と熊

黒い熊と白い人間が力比べをしてる姿を描いた玉細工だ。
まず、たった3、4センチの小さなサイズにこれだけの情景を表現していること自体が驚きだ。
それ以上に驚きだったのが、
この文物の白と黒が、
 後から色を着けた
 白の玉と黒の玉をくっつけた
という訳でなく、素材の時点で天然に黒と白の玉がくっついていた
ということだった。
翠玉白菜も同様で、素材の時点であの白と緑が重なりあっていたらしい。
天然の素材、職人の技術――どちらを欠いても実現はあり得なかった、まさに“奇跡”の作品だと言っていいだろう。

さすが、中国4000年の伝統を引き継ぐ国の博物館。
崇玉の文物の数々に今回も引き付けられたし。そしてやはり、日本文化の源泉はここにあるのだと再認識させられた。
現在大陸を占拠している連中はその伝統文化を自ら壊そうとしたカスでありクズであるが、それ以前の中国伝統文化にはやはり敬意を払わずにはいられない。

最後に、
2度目に本場・台北の国立故宮博物院を訪れた時に感じたことを、ここに再掲する。
=====================
――確信した。

中国共産党は、中国伝統文明の破壊者である。
中華民国は、中国伝統文明の保護者である。

どちらが中国文明の継承者と呼ぶにふさわしいか――もはや言うまでもあるまい。
中華民国こそが、正統なる中国文明の継承者なのだと言っていい。

東京カメラ部写真展・トークショー & 報道写真展

「この夏始める、旅写真・街写真」

こんなキャッチコピーに引きつけられて、本日渋谷のヒカリエに出向いてきた。
渋谷ヒカリエ
渋谷は2011年まで仕事で毎日通っていて、銀座線が地上に出たところでいつも「何か工事してるな」と思っていたのだが、工事が終わる前に渋谷勤めの方が終了。その後も渋谷に来ることはあったものの、その工事現場がこんな風になっていたことには今日初めてはっきりと気が付いた(笑)。

さて、私を引きつけた上記のキャッチコピーは、「東京カメラ部」のイベント内で行われたトークイベントのもの。この日の午前に開かれたトークイベントは谷口京さんと松本友希さんによる軽妙で楽しいものだった。(ちなみに松本さんとは、PhatPhoto写真教室に一時通っていた際にビギナークラス合同イベントで1度お会いしたことがある)
まあ、旅写真や街写真は実のところ、何度も撮っている題材ではあるが、それでも「猫などの動物の写真を撮る時はその動物の目線のアングルで」「空間をうまく利用しましょう。歩いている人を撮る場合は、その人の後ろに空間を空けた方が歩いている感が出ます」などといった発見もあった。

東京カメラ部写真展
その後は、東京カメラ部イベントのメインである写真展を参観。「1億人が選んだ、10枚」というコピーが示す通り、2013年に同部に投稿された約10万点の作品の中から延べ1億人が見て選んだ10作品を中心に、その10枚の撮影者の作品を一堂に集めたもの。「綺麗!」「すごい風景!」「いい顔してる」「どうやって撮ったんだろう?」「何だこの脱力感はw」などとさまざまな感想が心をよぎる写真の数々に引きつけられる。
無論、私には私の揺るぎないポリシーや作風があるが、「こういう撮り方もあるんだな」「実践してみたいな」という向上心・好奇心が、こうした写真展を見る度にわき起こる。

さて、渋谷に来たついでだ。お隣の恵比寿で毎年開かれているあの写真展にも行ってみるか・・・
ということで、今年も訪れた写真展が、
世界報道写真展世界報道写真展(朝日新聞社主催)

“真実”を“写す”と書いて「写真」――これが私の揺るぎない写真観だ。リアリズム溢れる報道写真にこそ、“写真”の真髄がある。
戦争、紛争、差別、虐待、貧困、病、自然界、スポーツ――時には目を覆いたくなるような、時には目を奪われるようなリアリズムの数々がそこにはあった。頭にではない。魂に、それらの写真は直接、強いメッセージを投げかけてくる。
「リアリズム」と一言で言っても、それは決して直接視覚に訴えてくるものだけではない。
今回、この写真展を参観して、私は写真のリアリズムには3種類あるように思えた。

1つは、被写体の表に直接見える物理的なリアリズム
1つは、被写体からほとばしる内面的なもののリアリズム
1つは、被写体の背景(実際に写真に写っている背景だけでなくいわゆる『バックグラウンド』全般)のリアリズム

目に見えないものをいかに見せるか――そのへんがカメラマンの腕の見せどころではないだろうか。
プロでも難しいことだ。素人の私にどこまでできるか分からないが、飽くなき挑戦を続けていきたい。

この写真展は毎年私に「写真のあるべき姿」を示してくれる。

さて、報道写真展の参観が終わったところで、もう一度渋谷ヒカリエに向かう。当初はこれで帰宅する予定だったのだが、午前中にヒカリエの会場でスケジュール表を見て、どうしてもお話を聞きたい方のトークが午後4時からあると分かったのだ。
その方は、安田菜津紀さん。
先の東日本大震災以来、フォトジャーナリストとして被災地を支援してきた若い女性だ。最近ではTBSの「サンデーモーニング」でコメンテーターとして出演することもあるので、ご存じの方もいるのではないだろうか。
実は、この方とも一度お会いしたことがある(今日はこういう話が多いが、本当のことだ)。2011年に100人100旅のチャリティー東北写真展にゲスト出演された時にちょっとだけ対面した程度のことだが、それ以来、動向・活躍ぶりが気になっていた。今回のこの機会を逃してはならぬとトークイベントに駆けつけ、イベント後には今度こそきっちりとご挨拶させていただいた。
安田菜津紀さんトークイベント
震災当時の状況、「一本松」の話、辛い状況の中で希望の星となった地元小学校の新入生の話、草の根で再開された牡蠣の養殖、お孫さんの言葉で復帰を決意した漁師さん――安田さんのとても心優しく、聡明な人柄が伝わってくるトークだった。被災地の状況に胸が痛みつつも、少しずつ表れている希望の光に少しほっとさせられる一幕もあった。

同時に、写真を撮る者として考えさせられる話もあった。
震災直後に海辺の写真を撮っていたら、義理のお父さんに「そんな津波がまた来るかもしれない所で何をやっているんだ!」とたしなめられたという。その場所の写真を撮り続けた時の安田さんの気持ちはきっと、先ほど見てきた報道写真のカメラマンに通じるものがあったのだろうが、安田さんはそんな自分の行動を「軽率だった」と自省している。真実を求めることと自分の身を守ること――使命感にとらわれすぎてその境界を見失うことは禁物、ということだ。
その他にも
「誰の目線で写真を撮るのか」
「写真で何ができるのか」
フォトジャーナリストらしい観点の言葉だ。
私はフォトジャーナリストではないが、チベットなどで時として写真を撮りながら社会情勢などにまで思いを踏み込ませることもある。そういう時には、今一度自戒として思い起こす必要も出てくるだろう。

「ちょっと写真を見て、写真の話を聞いてくるか」というノリで出かけたが、思いの外、写真について、写真を撮るということについて考えさせられた1日になった。

【告知】関空旅博2014(5月24~25日)

日本の西のゲートウェイ・関西空港で10年前から、旅のイベント「関空旅博」が毎年開かれています。
今年は記念すべき第10回。多数のブースやイベントありで来たる5月24~25日の2日間、盛大に執り行われます。
https://www.tabihaku2014.com/

実は、私が参加している「100人100旅プロジェクト」もここ数年、ブースや写真展を出していて、今年も例年同様、ブースで写真展で、旅の魅力を伝えていきます。

そのプレイベントとして現在、展望ホールSkyviewにて、私達がこれまで旅博に出してきた世界各地の写真を集めた写真展が開かれています!(5月25日まで)

関空旅博写真展
Photo by Noriya Inaba

関空旅博写真展
Photo by Noriya Inaba

お時間やついでがあればぜひ、関空にお立ち寄りいただき、旅を、「100人100旅」を感じていただければと思います。
そして、すぐそこから飛行機も出ていることなので、そのまま勢いで旅に出ちゃって下さい(笑)。

トークイベント『ラダックの生活とトーキョーの生活~ちょっと立ち止まって考えてみる~』

ラダックの旅の際にお世話になった、ストクの「にゃむしゃんの館」を経営する日本人女性・池田悦子さんが、旦那さんのワンボさん、『ラダックの風息 』著者の山本高樹さん、大阪大学助教の津田和俊さんを交えて「ラダックの生活とトーキョーの生活~ちょっと立ち止まって考えてみる~」というタイトルのトークイベントを、國府田典明さんとモコメシの小沢朋子さんの主催で東京・渋谷の「SUNDAY ISSUE」にて開催。池田さん、ワンボさんは勿論、山本さんともラダックの現地からブログを発信した際に何度かコメントを頂いた縁があり、スケジュールを調整して駆けつけました。

イベント開始前に、池田さん、ワンボさん、山本さんと歓談。ようやく対面が実現できた山本さんからはご著書にサインを頂きました。

トークイベントは、山本さんがまずラダックの概要を紹介。それを受けて池田さんがラダック・ストクでの農村生活を季節を追って紹介。更に津田さんが研究テーマである「サステナブルデザイン」「都市・農村連携」という観点からラダックの農村生活について語ってくれました。
特に、津田さんが追究する「サステナブル(持続可能)」というテーマに、ラダックの農村という題材はうってつけ。「雪解け水という持続可能なinputを受けて、ヤクやゾ、牛の糞という持続可能な資源から燃料をoutputしている」などのお話がありました。また池田さんの話の中に「ラダックの農家では1階を家畜小屋にして、2階から上を人間の居住スペースにしている。それは家畜の糞などから出る熱が2階にまで伝わって、天然の床暖房になる」ということ(実はこの話、ラダックで池田さんから既に聞いていましたが)がありましたが、これも「持続可能なエネルギー」と言うことができるでしょう。

ストクの「にゃむしゃんの館」で農村生活を池田さんに解説してもらった際
「ラダックの農村生活は至る所で再利用が行われていて、無駄が無いな」
ということを感じたものですが、今回のトークイベントで、それが何故か、少し分かった気がしました。
「ラダックではinputが(日本などと比べて)少ない分、何一つ無駄にできないのではないか?」
逆に、日本のことを考えてみると、
「日本の都市生活では、inputが多い割には、“持続可能な”inputは少ないな」
「そして、inputが多い割には、(持続可能な)outputが少ないな」

即ち、
「日本社会って、余りに無駄が多すぎるのではないか?」
ということを再認識させられた次第。

日本でも昨年の震災以来、「節電」ということが盛んに言われるようになっているが、それは「原子力 or not」という観点ばかりで論じられてはいないか?
もっと、「サステナブル(持続可能) or not」という観点から、エネルギー問題のことを考えるべきではないか?

ということを、今回のトークイベントで深く考えさせられました。

その他、高地ならではのラダック事情も興味深く聞かせて頂きました。
「標高が100m変わるだけで、獲れる農作物が違ってくる」
「標高の低いところから、文化・生活習慣が変わってくる」
等々。

 

さて、トークイベント終了後には、主催者のモコメシさんから、池田さん伝授のレシピによる食事がふるまわれました。
今回のメニューは、勿論ラダック料理! モモ(チベット式ギョーザ)、スキュー(『にゃむしゃんの館』でも夕食に頂いた、パスタのような小麦の食材とジャガイモなどを煮込んだシチュー)に舌鼓。
モモとスキュー
会場では、ラダックの写真が展示されたほか、ラダックで手作りされた、ヤクやブルーシープ等をモチーフにした編みぐるみなども販売されていました。
ラダックの写真

ヤクの編みぐるみ

 

池田さんとワンボさんは来週、ラダックに戻られるとのこと。今回の来日では3度もお会いすることができましたが、今度はまたラダックでお会いしたいものです。

100人100旅・「旅PHOTO」写真展@東京・新宿タリーズコーヒー

私も参加している『100人100旅第5弾 旅PHOTO―旅人からの贈り物』参加者が作品を持ち寄った写真展が東京・代々木、函館、名古屋を巡回して再び東京に戻って来て2012年4月1日~30日の間、新宿御苑近くのタリーズコーヒー新宿二丁目店にて開催されています。

100人100旅写真展@タリーズコーヒー新宿二丁目店

100人100旅写真展@タリーズコーヒー新宿二丁目店

100人100旅写真展@タリーズコーヒー新宿二丁目店
※写真はいずれも3月31日深夜の設営作業時のもの

約40人の旅人たちが世界各地で撮ってきた自然・街・世界遺産・人の素敵な写真を一杯のコーヒー代を支払うだけで楽しむことができます。

新宿までお越しの際はぜひお立ち寄りを。コーヒー片手に世界旅行の気分はいかが?

世界報道写真展2011【ネタバレあり】

世界報道写真展ポスター東京・恵比寿の東京都写真美術館で開かれている『世界報道写真展2011』を参観。2010年に世界で起きた数々の出来事が衝撃的な写真で綴られていた。

ポスター(左写真)にもなった大賞作品は、DVと逃亡の果てに夫に鼻と耳を削がれた女性のポートレイト。女の命である顔を著しく損傷させられたにもかかわらず、生気を失っていない凛とした目力――最初に見た時は削がれた鼻にドキリとさせられたが、見ているうちにむしろ目の方に心が引き寄せられる。

その他にも、昨年こんなことがあったな、と思い出されたり、こんなこともあったんだ、世界にはこんな文化や境遇もあるんだ、と思わせられたりする写真の数々が並んでいた。
ハイチの大地震、タイの政局混乱、サッカーW杯、未だに尾を引いているベトナム戦争の爪跡・・・
世界各地で起きた凄惨な出来事を捉えた写真、目を背けたくなるような痛い写真もあれば、スポーツの決定的瞬間を捉えた写真、自然の営みを捉えた写真、思わずクスッと笑ってしまうようなユニークな文化を捉えた写真もある。

そんな中、日本の報道写真とは明らかに違うものが幾つかあった。人の遺体を写し込んだものである。中でも、大地震に見舞われたハイチで遺体の山の上に新たな遺体を無造作に放り投げるシーンを収めた写真が強烈に心に突き刺さった。余りの数の多さに、本来丁重に扱うべき遺体がかくも機械的に扱われている――これが“修羅場”というものなのか、と背筋が凍る思いだった。
1枚だけ、チベットの写真があった。やはり大地震に見舞われたジェクンド(中国名『玉樹』)のものである。チベットでは本来、死者は鳥葬にかけられるのだが、余りの数の多さに火葬にせざるを得ない全裸の遺体が屋外にうつ伏せにさせられてずらりと並べられているシーンが写っていた。
これが、震災というものか・・・
日本も大震災に見舞われた。被災地を直接見てはいないが、私もその写真や映像を幾度となくその目にし、今回の写真展でも特設の映写室で東日本大震災の報道写真のスライドが上映されているのを見た。しかし、日本で遺体を写した写真が紙面やテレビに映し出されることはまず考えられない。日本の報道では伝わって来ない震災の悲惨さ――震災による“人の死”ということを、私はここで初めて痛切に感じさせられた。

「写真」とはよく言ったもので、写真はまさに「真実を写しだす」ツールである。世の中には脚色された写真、脚色された写真を撮る写真家も数多いが、私はそうした写真・写真家に魅力を感じない。
私自身、写真を撮る上で重要視しているのは「リアリティ」である。非現実的な写真、抽象的な写真、“創作”した写真を撮る気にはならない。そこに見える風景、そこにあるもの、そこにいる人のありのままのインパクトや魅力を引き出す写真を撮りたい、「魅せる」写真よりも「伝える」写真を撮りたい――と常々思っている。そんな私にとって、この写真展は非常に見応えのあるものだった。

しかし、私自身にこんな写真を撮ることができるだろうか――恐らく、難しいだろう。なぜなら、今回の写真展で写しだされているような“修羅場”を経験したことが皆無だからである。何かの偶然でそんな場面に遭遇したとしても、足はすくみ、手は震えることだろう。撮ることができたとすれば、それは目の前にあるシーンを「伝えなければ」という強い使命感が恐怖感を上回った時意外あり得まい。

世界報道写真展2011は東京・恵比寿の東京都写真美術館で8月7日まで、その後大阪、京都、滋賀、大分を巡回予定。
公式サイト:https://www.asahi.com/event/wpph/

100人100旅 チャリティー東北写真展

私が第2弾で参加した旅行本プロジェクト『100人100旅』が、東京・下北沢で東日本大震災復興支援のチャリティー写真展を6月4日~5日の日程で開催中です。
チャリティー写真展

チャリティー写真展
100人100旅メンバーが撮った東北地方を中心とする写真の展示のほか、

本の販売
100人100旅の本の販売(なぜかそれ以外に見覚えのある本が・・・(笑))

世界のお土産の販売
100人100旅メンバーが買ってきた「世界のお土産」販売

その他、被災地を見てきたフォトジャーナリストの安田菜津紀さん等のトークイベントやミニライブ、バラの販売等も行われます。

今回の収益は全て震災支援のために寄付されます。

お時間のある方、お近くにお住まいの方はぜひお越しください。

「黄金の国シカン(ペルー)」展と「トリノ・エジプト」展の明と暗(東京・上野)

「インカ帝国のルーツ 黄金の国シカン」フライヤー1か月後にペルーへ旅行に行くこと、8月8日の「世界・ふしぎ発見!」の放送に触発されたことが重なって、東京・上野の国立科学博物館で開催されている「特別展 インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン」展を参観してきた。

「シカン」とはペルー北部の、現在のエクアドル国境付近に8世紀~14世紀のプレ・インカ時代に栄えた、独自の宗教や「黄金の仮面」に象徴される黄金製品が特徴的な文明である。
前述の「世界・ふしぎ発見!」の放送で、盗掘で穴ぼこだらけになったシカン遺跡の航空写真が映し出されていた。今回の展示の出品物は、そうした盗掘を免れたロロ神殿を中心とした発掘の成果である。

今回の展示の主役も、やはり「黄金の仮面」を中心とした黄金製品や、シカンの宗教・社会・生活・交易を物語る遺物の数々である。それぞれの遺物はやや小ぶりではあるが、その細やかさや黄金の豪華さはそれを補うだけのインパクトがあった。

30年前からこの文明の真相を解明しようと発掘に当たっている第一人者が実は、島田泉という日本人学者なのだ。展示の第1部分は島田教授が地元の人々と共同で発掘に当たる様子が紹介され、その後の部分でも島田教授の解説を交えたショートビデオが添えられている。
考古学を外部の者が見た時、ともすれば出土品にばかり目が行ってしまうものであるが、こうした発掘の苦労も決して忘れてはならないだろう。増してや、このシカンの遺跡は上述のとおり、盗掘が甚だしく行われていたのである。その中から見事な発掘成果を実らせたプロセスも無視できない。

それにしても、今回の出品物は、シカン遺跡のほんの一角を占めるにすぎないロロ神殿周辺から出土したものが殆どだった。それだけであれ程の展示会を開催することができるのだから、シカン遺跡で盗掘が行われず、広範囲で当時の遺物が正規のプロセスで発見されていたら、どれ程の学術的成果を収めることができたか、想像もつかない。

古代文明へのロマン、ペルーに思いを馳せることができる以外にも、こうした学術的プロセスやそこから導き出される分析の様子も見ることができる点で、極めて秀逸な展示会だった。

それに比べて・・・

同じ日、上野公園に着いたところで「トリノ・エジプト展」なるものが同公園内の東京都美術館で開催されていると知り、ついでに立ち寄ってみた。イタリアのトリノ・エジプト博物館の古代エジプト関連所蔵品の出張展である。
「エジプト」というテーマと展示品のインパクトのためか、「シカン展」よりもはるかに賑わっていた。しかし、それらの展示物がどのような経緯をたどってきたのかについては最初にちょっと触れられているだけだった。

よく考えていただきたい。
なぜ、世界随一のエジプト博物館が、エジプトではなく、イタリアにあるのか?

同展公式サイトによると、

19世紀には、ナポレオンのエジプト遠征に従軍し、フランスのエジプト総領事となったベルナルディーノ・ドロヴェッティがエジプトで収集したコレクションが、サルデーニャ王国(イタリア王国の前身)に購入され、現在のトリノ・エジプト博物館の中核となりました。

それって・・・
要するに・・・

ナポレオンの遠征のどさくさでエジプトから持ち帰った盗品もしくは略奪品で博物館を造った

ってことではないのか? 例え仮にきちんとしたプロセスを経て購入したものだとしても、やはり他国の貴重な歴史資料を我が物顔で展示するのは感心しない。

ちょうど、私のすぐ後ろで参観していた年配の男性が
「強奪品なんだよな・・・」
と話しているのが耳に入ってきた。
この方のように、展示物の背景をきちんと分かって参観しているのならいいのだが、それを理解せずに展示物の美しさ、珍しさ、インパクトに喜んでいるばかりでは本質的な部分で勘違いをしたままで終わってしまうのではないだろうか。

「略奪品の展示会」といえば、やはり東京・上野で来月から開かれるな・・・

侵略された聖地チベット
? ポタラ宮と盗まれた天空の至宝 ?
展・・・

こちらも、見に行くのであれば展示品の背景にある侵略・略奪の事実をしっかりと理解していただきたいものである。

アースデイ東京2009 2日目

「アースデイ東京2009」2日目。本日は午後から会場入りしました。

本日は晴天。日曜日ということもあって、昨日に勝る大賑わいとなりました。
チベットブースも昨日に引き続き元気で、歩道橋から見えるチベット国旗も大きなものにバージョンアップです。
アースデイ会場

この日はチベットブースだけでなく、いろいろなブースやイベントを
アースデイのブース アースデイのイベント
見たいと・・・
思っていたのですが・・・

結局、殆どは写真を置かせていただいたStudents for a Free Tibet Japanさんのお手伝いに終始しました。

私がお手伝いしたのは、2つの署名(死刑判決撤回とパンチェン・ラマ11世解放を求めるもの)への協力を道行く人たちにお願いしたり、チベット問題についての質問に答えたり、が主な内容。
最初は署名の趣旨がよく分からなかった人たちもスタッフや私(私は”スタッフ”ではなく”助っ人”)が説明すると快く署名に応じてくれていました。
中には「チベットでは何が問題になっているのですか?」「なぜチベットはこんなことになっているのですか?」「チベットってこんなに大きかったのですか?」といった――1年前の私を見ているような――基本的な質問もあり、それに答えることでチベット問題への理解を広げていきます。私もようやく、そうした質問に答えられるようになりました。

午後5時、撤収開始。2日間にわたったアースデイが終了しました。
署名も集まり、チベット問題に対する認識とチベットサポートの底辺を広げることもできたのではないかと思っています。

※参考ページ
 ⇒弊サイト「チベットの環境破壊

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アースデイ東京2009

4月18、19日の両日、東京・代々木公園で「アースデイ東京2009」のイベントが行われました。
この日はその初日。午前はまだ人もまばらでしたが、午後には大勢の人で賑わいました。

多くの団体がブースを出し、いろいろな形で「地球」「環境」をアピールしています。
アースデイ会場
・・・あれ?
何か見覚えのあるものが・・・
チベット国旗が
あ! チベット国旗

実は、チベット支援団体もアースデイに参加していたのです。

参加したのは、

Student for a Free Tibet Japan
Students for a Free Tibet Japan
チベット教育サポート基金
チベット教育サポート基金


チベットサポートグループKIKU
チベットサポートグループKIKU
チベコロ
チベコロ



の4団体。それ以外にも、チベット関連では、ジュレーラダック(インド北部ラダック地方のサポートをしている。ラダック地方はチベット文化圏のひとつ)、アップリンク(チベット関連の映画を上映中) が出展しました。

チベットブースには、こんな素晴らしい目印も・・・
素晴らしい目印

各ブースとも、グッズを販売したり、チラシを配ったり、写真を展示したりして「チベット」をアピール。チベット人死刑判決撤回とパンチェン・ラマ11世の解放を求める署名活動も行われました。
私はどの団体にも属していませんが、チベットで撮った写真の中からチベット問題をアピールできる写真を選んでA4に引き伸ばしたものを持参し、SFTJさんのブースに置いてもらいました。

アースデイのイベントは19日(日)も行われますので、ぜひチベットブースに足をお運び下さい。
チベットブースは会場北側、陸橋の西側になります。渋谷・NHKホール側からだとケヤキ並木が大変混雑しますので、JR原宿駅、東京メトロ千代田線・副都心線明治神宮前駅、千代田線代々木公園駅、小田急小田原線代々木八幡駅からのアクセスが比較的便利です。
(イベントは終了しました)

※参考ページ
 ⇒弊サイト「チベットの環境破壊

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