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世界報道写真展2011【ネタバレあり】

世界報道写真展ポスター東京・恵比寿の東京都写真美術館で開かれている『世界報道写真展2011』を参観。2010年に世界で起きた数々の出来事が衝撃的な写真で綴られていた。

ポスター(左写真)にもなった大賞作品は、DVと逃亡の果てに夫に鼻と耳を削がれた女性のポートレイト。女の命である顔を著しく損傷させられたにもかかわらず、生気を失っていない凛とした目力――最初に見た時は削がれた鼻にドキリとさせられたが、見ているうちにむしろ目の方に心が引き寄せられる。

その他にも、昨年こんなことがあったな、と思い出されたり、こんなこともあったんだ、世界にはこんな文化や境遇もあるんだ、と思わせられたりする写真の数々が並んでいた。
ハイチの大地震、タイの政局混乱、サッカーW杯、未だに尾を引いているベトナム戦争の爪跡・・・
世界各地で起きた凄惨な出来事を捉えた写真、目を背けたくなるような痛い写真もあれば、スポーツの決定的瞬間を捉えた写真、自然の営みを捉えた写真、思わずクスッと笑ってしまうようなユニークな文化を捉えた写真もある。

そんな中、日本の報道写真とは明らかに違うものが幾つかあった。人の遺体を写し込んだものである。中でも、大地震に見舞われたハイチで遺体の山の上に新たな遺体を無造作に放り投げるシーンを収めた写真が強烈に心に突き刺さった。余りの数の多さに、本来丁重に扱うべき遺体がかくも機械的に扱われている――これが“修羅場”というものなのか、と背筋が凍る思いだった。
1枚だけ、チベットの写真があった。やはり大地震に見舞われたジェクンド(中国名『玉樹』)のものである。チベットでは本来、死者は鳥葬にかけられるのだが、余りの数の多さに火葬にせざるを得ない全裸の遺体が屋外にうつ伏せにさせられてずらりと並べられているシーンが写っていた。
これが、震災というものか・・・
日本も大震災に見舞われた。被災地を直接見てはいないが、私もその写真や映像を幾度となくその目にし、今回の写真展でも特設の映写室で東日本大震災の報道写真のスライドが上映されているのを見た。しかし、日本で遺体を写した写真が紙面やテレビに映し出されることはまず考えられない。日本の報道では伝わって来ない震災の悲惨さ――震災による“人の死”ということを、私はここで初めて痛切に感じさせられた。

「写真」とはよく言ったもので、写真はまさに「真実を写しだす」ツールである。世の中には脚色された写真、脚色された写真を撮る写真家も数多いが、私はそうした写真・写真家に魅力を感じない。
私自身、写真を撮る上で重要視しているのは「リアリティ」である。非現実的な写真、抽象的な写真、“創作”した写真を撮る気にはならない。そこに見える風景、そこにあるもの、そこにいる人のありのままのインパクトや魅力を引き出す写真を撮りたい、「魅せる」写真よりも「伝える」写真を撮りたい――と常々思っている。そんな私にとって、この写真展は非常に見応えのあるものだった。

しかし、私自身にこんな写真を撮ることができるだろうか――恐らく、難しいだろう。なぜなら、今回の写真展で写しだされているような“修羅場”を経験したことが皆無だからである。何かの偶然でそんな場面に遭遇したとしても、足はすくみ、手は震えることだろう。撮ることができたとすれば、それは目の前にあるシーンを「伝えなければ」という強い使命感が恐怖感を上回った時意外あり得まい。

世界報道写真展2011は東京・恵比寿の東京都写真美術館で8月7日まで、その後大阪、京都、滋賀、大分を巡回予定。
公式サイト:https://www.asahi.com/event/wpph/

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