バス憧れの大地へ

雑記ブログ

花祭り ピース・キャンドル

花祭りの時期にはまだちょっと早いのですが、神奈川県平塚で行われた「花祭り ピ-ス・キャンドル」と題したチベットイベントに参加してきました。

<スケジュール>
「もっと知りたいチベット」
「ヒマラヤを越える子どもたち」上映
チベットの歌 ソナムさん
(休憩)
法要(日本語とチベット語)+キャンドル+交流

 

「ヒマラヤを越える子どもたち」―何度見てもぐっとします。
ソナムさんの歌―澄んだよく通る声でチベットの歌を4曲。胸に響きました。
休憩―お茶と桜餅を頂きつつ、出席者同士で歓談。
   私が飲んだお茶は・・・バター茶
   でもこれが、意外と桜餅と合いました。
法要―静かな心でチベットの安寧を祈りました。
キャンドル―キャンドルアーティストの方によるキャンドルを前に、
   各自キャンドルを手にしながら全員で「真実の祷り」を斉唱。
   チベットを支援する皆の心が一つになりました。

どれも良かったですが、個人的に一番得るところが大きかったのが、KIKUのMさんによる、チベットの歴史を解説する「もっと知りたいチベット」。
「チベットの歴史ならもう大体分かってるよ」と開始前は思っていたのですが、どうしてどうして。あれほど分かりやすく、よくまとまったチベット史の解説は初めてでした。
ちょうど、当サイトの「チベット問題」コンテンツで次はチベットの歴史に取り組みたいと思っていたところで、かなり多くのヒントをいただくことができました。

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ダライ・ラマ法王の南ア入国を認めよ!(署名活動終了)

もう一つ、チベット関連ニュースについて・・・

南アフリカが中国のご機嫌とW杯開催への影響を気にして、同国ヨハネスブルクで3月27日に開催される予定だったノーベル平和賞受賞者らによる国際平和会議に招待されていたダライ・ラマ14世に対し、ビザ発給を拒否した。

南アフリカ、ダライ・ラマへの査証発給拒否

ヨハネスブルク(CNN)
南アフリカの大統領府報道官は23日までに、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世に対する査証(ビザ)発給を拒否したことを明らかにした。来年開催予定のサッカーのワールドカップ(W杯)への影響を懸念したと説明している。

ダライ・ラマ14世は、ヨハネスブルクで開催される国際平和会議へ招待されていた。同会議には、元南ア大統領のネルソン・マンデラ氏やデズモンド・ツツ大司教、元フィンランド大統領のマルッティ・アハティサーリなどのノーベル平和賞受賞者が出席する予定。

査証発給を拒否したことについて南ア政府側は、もしもダライ・ラマ14世が平和会議に出席すれば、世界の注目が来年のW杯からチベット問題に移ってしまうと懸念。中国との貿易額が大きく同国にとって、中国との関係悪化を避けたい意向もある。

(2009年03月23日)

「開催される予定だった」と書いたのは、当然のことながら各所から反発の声が上がり、ノルウェーの委員会が、地元南アの同平和賞受賞者デズモンド・ツツ元大主教やデクラーク元大統領が、次々と出席取りやめを表明し、会議が延期を余儀なくされたからである。
https://www.47news.jp/CN/200903/CN2009032301000997.html

ダライ・ラマの査証拒否 南ア、中国に配慮

 【カイロ23日共同】南アフリカのヨハネスブルクで27日に開催される平和会議に出席予定だったノーベル平和賞受賞者のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が、同国政府から査証(ビザ)の発給を拒否されたことが23日、明らかになった。AP通信などが伝えた。

 南ア政府が正式な招待状を出さないため、ビザも発給されないという。大統領報道官はAPに「中国に関する否定的な報道」につながることを避けるためとし、中国政府への配慮を認めた。

 会議に出席予定だった南アの同平和賞受賞者ツツ元大主教は抗議のため、出席を取りやめた。ノルウェーのノーベル賞委員会もAPに「失望」を表明した。

 平和会議は、南アで2010年に開催予定のサッカーのワールドカップ(W杯)に関連した行事。ノーベル賞受賞者やハリウッドスターらが、人種差別やスポーツの役割などについて議論する予定だった。

2009/03/24 00:22 【共同通信】

この腰抜け南アの愚行に対し、早速ダライ・ラマ法王へのビザ発給を求めるオンライン署名活動が開始された。


ANC GOVERNMENT INVITE DALAI LAMA TO SA
(アフリカ民族会議政府はダライ・ラマを南アフリカに入国させよ)

http://www.mypetition.co.za/index.php?page=sign_petition&petition_id=323

(この署名活動については、『雪の下の炎』の楽真琴監督のブログで知りました。楽監督ありがとうございます)

 

呼びかけ人は、South African Friends of Tibet(チベットの南アフリカ人同志)。

署名の趣旨は以下の通り。

我々南アフリカ・フレンズ・オブ・チベットは、ダライ・ラマ猊下のご友人たちに、ヨハネスブルク平和会議の無期限延期と、予定されている南アフリカ対ノルウェーのマンデラ杯サッカーの試合をキャンセルすることを確実にするため、支持の確約を呼び掛ける。

更に言えば、中華人民共和国政府の圧力の下、ダライ・ラマ猊下のヨハネスブルク平和会議出席を拒否するという南アフリカ政府の恥ずべき行為を考慮に入れてのものである。
South African Friends of Tibet

1. ダライ・ラマ法王が出席できるようになるまでの平和会議延期を呼び掛ける。この点について、呼び掛けは2010年W杯組織委員会にも向けられる。
2. ノーベル委員会に、平和会議の開催を保障せず、会議に出席しないことを呼び掛ける。
3. 南アフリカの受賞者に、会議の延期と、ダライ・ラマ不在で会議が行われた場合の欠席を呼び掛ける。
4. モーガン・フリーマンさんとシャーリズ・セロンさんに、会議の延期と、ダライ・ラマ不在で会議が行われた場合の欠席を呼び掛ける。
5. すべての会議の招待参加者に、ダライ・ラマ法王のために会議をボイコットすることを呼び掛ける。
6. 南アとノルウェーのサッカーチームに、ダライ・ラマ法王のために3月28日(土)に開催予定のマンデラ杯の試合をキャンセルすることを呼び掛ける。
7. ダライ・ラマ法王を会議から締め出せば、会議の趣旨はまやかしとなってしまうことは明白である。

South African Friends of Tibet委員会及びメンバー

(翻訳に自信なし)

チベット・アムド地区ゴロクでの騒乱

ついに衝突が起きてしまった・・・

チベットのアムド地区ゴロク(中国共産党が”青海省果洛”と称している街)でチベット人と中国共産党当局の間で大規模な衝突が起きたようである。

日本の各種メディアの報道を総合すると大体以下の通り。

新華社通信によると、ゴロクチベット族自治州で21日、僧侶約百人を含む数百人が地元の警察署と政府庁舎を襲撃、政府職員数人が軽傷を負った。
警察当局は22日、暴動に参加した6人を逮捕、ほかに89人が自首/出頭し「秩序は回復された」としている。

新華社電によると、当局者は今回の暴動について「チベット独立を支持した疑いで取り調べ中の男が警察署を脱走、行方不明になったとのうわさが広まり、騒動に発展した」と説明。

チベット亡命政府によると、警察署周辺には約4000人(Phayulによれば2000人)が集結し、「チベット独立」などと叫んだ。
また亡命政府は(中国当局が『チベット独立を支持した疑いで取り調べ中の男が警察署を脱走、行方不明になったとのうわさ』について)「チベット旗の所持などで捜査中の若い僧侶が川に飛び込み、自殺を図った」と発表した。

要約を2つに分けたのは、既にお気づきだろうが、中国共産党御用通信社・新華社の言い分とチベット亡命政府の発表に分けたものである。

前半に纏めた部分だが、中国共産党にとって都合の悪いことは隠蔽・捏造・歪曲を当たり前のように行う不公正な通信社の記事を垂れ流しているだけである。
憶測の域を脱しないが、

 抗議行動(デモ) → 襲撃
 銃をつきつけられてホールドアップした → 自首/出頭

このくらいの捏造、やりかねない。
(ちなみに、各メディアが『自首/出頭』と報道する中、ロイター日本語版だけがかぎ括弧つきで『降伏』と報じている。まだこの方が真実に近いと思われる)

また、抗議行動を行った人数の差も大きい。
数百人中の95人と数千人中の95人とでは、意味合いが違ってくる。しょっぴいた人数が全体の2.5%程度だとすると「秩序は回復された」どころか相当火種が残っていることになるだろう。
新華社の報道には、事件の矮小化の意図がありはしないか。

あと「政府職員数人が軽傷を負った」とあるが、一方のチベット人側に負傷者が出なかったのかについて全く触れられていない。”衝突”が発生しながら全くいなかったとはまさか考えにくい。チベット人が何人怪我をしようが死のうが知ったことではない、当局側の人間が負傷したことが重要なのだ、ということか?

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チベットは今~最新のビデオ映像&勉強会(第2回目)

本日は東京・田町で「チベットは今~最新のビデオ映像&勉強会(第2回目)」に参加。
第1回の様子はこちら

まず、チベット本土の人々の本音を綴った「ジグデル」上映。既に何度も見ているフィルムですが、彼らの痛切なメッセージはいつ見ても心に突き刺さります。
それから、2008年11月のダラムサラ特別会議後のダライ・ラマ法王の記者会見、ダラムサラのチベット子供村(TCV)レポートの映像と続きます。

そして、今回私が一番楽しみにしていた、田崎國彦さんによるチベット史の講演。
今回は1913年にダライ・ラマ13世が布告した「独立宣言」について。まず前回も説明があった清朝とチベットの関係――西洋の伝統的な考え方である支配・被支配の関係とか力の強さによる関係ではない、帰依処-施主の関係(チュ-ユン共存体制)――とその崩壊について復習をした上で、当時チベットにいた日本人・矢島保次郎、青木文教、多田等観、河口慧海らの目撃証言から、13世による独立宣言を「独立再確認宣言」と位置づけていました。
そして、中国が繰り返す「チベットは中国の一部である」という言い分を
「中国・チベットの関係の歴史を読み直し、創り出された虚構の言説
と言い切られていました。

元々歴史研究者を目指して挫折した経歴のある私にとって、チベットの歴史というのは深く掘り下げたいところではあります。
まだ自分なりの観点は全く固まっていませんが、第3回も予定されている田崎さんの講演が大きな指標になるのではと思っているところです。

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国連大学の前でFree Tibet

先週に続いて、本日もチベット問題改善を訴えるピースマーチに参加してきました。

所は東京・渋谷及び表参道一帯。

300人の参加者を集めて、宮下公園を起点にデモが始まりました。
開始直前は雨模様で皆心配したのですが、行進開始の時には雨は完全にやんでくれました。
これも、仏の慈悲のおかげでしょう。

“Free Tibet !” “Free Tibet !”
“チベットに自由を!” “チベットに自由を!”
“チベットに人権を!” “チベットに人権を!”
“中国はチベットから出て行け!” “中国はチベットから出て行け!”
“U.N.O !” “We want justice !”

(注:U.N.O = 国連のこと。決してゲームのウノではありません )

などとコールをあげながら表参道に向かう途中、見えてきたのが・・・
国連大学
まさに、シュプレヒコールの中で叫ばれていた国際連合の学校・国連大学・・・
ここに差し掛かると、自然とボルテージが上がりました。

“Wake up !  Wake up !”
“U.N.O !”


国連大学
[頼むよ国連、動いてくれ!
中国なんか常任理事国から除名して!]
この場を歩く際にそう思ったのは、私だけではないでしょう。

デモは混乱も無く、無事終了しました。

夜からは場所を替えて、上映会・ディスカッションがありました。
上映会は、”Undercover in Tibet”と”ジグデル”。
どちらも既に見ている(しかも”ジグデル”は既にDVDを持っている)にもかかわらず参加したのは、ディスカッションが目当てだったからです。

ディスカッションでは、
・東京以外での活動
・今後のフリー・チベット
・日本人として何ができるか
の3グループに分かれて議論が行われました

私は「今後のフリー・チベット」に参加。正直、ディスカッションには自信がなかったのですが、参加してみると意外と話すことができましたし、他の方の意見を生で聞くことができて、極めて有意義な話し合いになりました。

【レビュー】映画「風の馬」(ポール・ワーグナー 監督)

<3月10日>
映画「風の馬」「雪の下の炎」プレミア上映会のレビュー、次は「風の馬」です。

 

1998年。幼い頃祖父を中国人に殺された兄妹はラサにいた。兄のドルジェ(ジャンパ・ケルサン)は職にも就かず、酒びたりの毎日を過ごしていた。妹のドルカ(ダドゥン)はナイトクラブで歌う歌手で、中国人の恋人の協力でスターへの道を歩んでいた。ある日、2人のいとこの尼僧・ペマ(女優名不明)が、当局の宗教弾圧に反発してバルコルの人だかりの中「チベットに独立を!」と叫んで拘束されてしまう。ぼろ雑巾のような姿で釈放されたペマを見た2人は・・・

 

この映画は、2つの実話を基に1998年に創作されたドラマですが、

 無差別の殺戮、伝統的な町並みの破壊、同化、洗脳、
 宗教弾圧、言論弾圧、監視、拷問、検閲、密告、亡命・・・

チベットのありとあらゆる問題が、そこには織り込まれていました。

ペマの「チベットに独立を!」という言葉、ダライ・ラマの写真を祭壇に飾ることに固執するドルジェとドルカの祖母の姿は、チベット人の心の内を代弁するものでした。

一番心が痛かったのは、この映画が11年も前に創られたものであるにもかかわらず、そこに表現されている当時のチベットの状況から現状が全く変わっていないことです。
この映画の内容が「過去のもの」になる日はいつ来るのでしょうか。

<予告編>

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【レビュー】映画「雪の下の炎」(楽真琴 監督)

<3月10日>
チベット民族蜂起50周年当日・・・

不気味なほど、現地の様子が伝わってこない。

しかし、何も起こっていないはずもないだろう。中共当局の報道締め出しが功を奏してしまった格好である。

※               ※               ※

さて、話題は変わりまして・・・

当サイトでも告知しました映画「風の馬」「雪の下の炎」プレミア上映会に行ってまいりました。東京・渋谷のアップリンクの会場は満員。キャンセル待ちが出るほどでした。

順番としては、まず「風の馬」、次に「雪の下の炎」でしたが、ここでは当サイトで書籍も含めて強くプッシュしてきた「雪の下の炎」について先に紹介したいと思います。
(注:この映画は2009年4月11日から本公開されています。映画館で見るまで内容を知りたくない、新鮮な気持ちで本公開を迎えたい、という方はここまで!!)

 

チベットに人権など存在しません。
私がその生き証人です。

この一言で映画は始まりました。

パルデン・ギャツォさんの生い立ち、逮捕、獄中の様子などが当時の映像・画像も交えて淡々と語られます。
語り手は勿論、パルデンさんが中心。獄中で受けた力と言葉の暴力 ―― しかしそれに屈することなく、正面から立ち向かっていった様子には書籍同様、痛々しさと同時に力強さが伝わってきます。
自らに拷問を加えた者に対しては、普通なら恨みを感じることでしょう。しかしパルデンさんは
「彼らも手心を加えてしまったら、任務を履行しなかったかどで追及を受けることだろう」
と、むしろ許し、哀れみさえ抱いています。チベット仏教の慈悲の心 ―― 単純にその一言で纏めてしまうのは適切ではないかもしれませんが、いずれにせよ、恨みというマイナスの感情を心に蓄積しなかったこともまた、パルデンさんが33年という苦痛の日々を耐え抜くことができた一因なのかもしれません。

その他、彼の獄中の同士に時折語らせたり、彼が実情を知り得ない尼僧の証言を挿入したり、チベットの問題について海外のチベットサポーターに語らせたり、そしてダライ・ラマ法王のお言葉を交えるなど、変化をつける工夫がされていました。
そして、そうした方々の言葉を効果的に挿入することで、チベットの現実、監獄の現実の描写により広さと深さが加わっていました。

そして、書籍「雪の下の炎」出版後の、書籍には書かれていない重要なエピソード・・・

2006年に冬季五輪が行われたイタリア・トリノにおける北京五輪中止を訴えるハンスト。

これが、パルデンさんの獄中生活を訴えることと並ぶこの映画の重要な柱の一つだった気がします。

[お年なんだから、無理しなさいでくださいよ!]

まるで現場にいるかのような緊張感が伝わってきました。

結局、商業主義にまみれたIOCは全く動かず、パルデンさんたちは思いを実現させることができませんでした。
しかし、決して徒労ではなかったと思います。その決意と実行力はこの映画などで人々の心を打ち、志はしっかりと伝わり、受け継がれていくことでしょうから。

パルデンさんは今でも、デモの先頭に立つなどして「フリー・チベット」を訴え続けています。
専ら獄中生活を描いた書籍が注目を集める中、ともすれば「33年の獄中生活」に関心が集中しがちになるかもしれませんが、釈放・亡命後の”今”もしっかり伝えなければパルデンさんの全てを知ることはできません。
1998年出版の書籍がカバーしていないその部分を苦心してフィルムにまとめ、伝えてくれた楽真琴監督には最大の感謝・尊敬の念を表するところです

非業の死をとげた彼ら(獄中での同志)のため
パルデンさんの闘いは今後も続きます。
後年再びパルデンさんの人生が何らかの形でまとめられることがあれば、その時は1998年の書籍や2009年の映画とはまた違った「雪の下の炎」に仕上がることでしょう。

※               ※               ※

次回は「風の馬」のレビューです。

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ダライ・ラマ法王の長寿儀式の法要

いよいよ明日、チベット民族蜂起50周年の日を迎えます。今週は平日もチベット関連のイベントが幾つもとり行われます。

本日は、亡命政府のあるインド・ダラムサラで同様のことが行われるのに合わせ、東京・西新宿の常圓寺でダライ・ラマ法王の長寿儀式の法要が、チベットハウスの主催で行われました。

仕事があったため、18時の集合時間に30分以上遅れて到着・・・。一昨日もお会いした顔ぶれが多く見られました。
開場に入るとチベットハウス代表の方がお話をしている途中で、程なくしてチベット語による読経が始まります。

法王様はもうお年です。何としても法王がご存命の間にチベット問題の解決を、というのが皆の一致した願い。参加者は配られた資料を見ながら全員で、ダライ・ラマ法王の長寿そしてチベット問題の早期解決を願ってお経をあげました。

 

法王様、皆の祈りの声は届いておりますでしょうか?
皆、法王様とチベットの人たちのことを心の底から大切にお思いしています。

 

常圓寺では明日も18時から、「世界、同時多発法要」がチベットの平和を考える僧侶の会主催でとり行われます。
しかし、私は明日、別のイベントに参加するのでこちらには行けません・・・。

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チベット、抵抗の50年(民族蜂起50周年記念イベント)

<2009年3月7日>

チベットの自由を求めるピースウォーク」後の夜19時からはチベット民族蜂起50周年記念イベント「チベット、抵抗の50年」に参加しました。

日本発上映のフィルム”Undercover in Tibet”(チベット潜入)の上映に続き、「チベット問題を考える議員連盟」代表世話人の牧野聖修さん、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のラクパ・ツォコさん、在日チベット人コミュニティ代表ケルサン・ドゥンドゥクさんからお言葉がありました。

牧野さんからは議員連盟の流れと現状のお話があり、
「私が国会に返り咲いたら議員連盟を200名以上にさせます!」
「日本からチベット問題を何とかしましょう!」
との力強いお言葉をいただきました。
(静岡1区の皆さん、ぜひとも牧野さんを再び国会に送り出してください)

ラクパさんからは
「チベット問題に関して日本は特殊な位置にある。日本は中国へのODAが第一位の国であり、日本のメディアは(中国の狡猾な戦略により)中国のプロパガンダ宣伝の担い手にされてしまっている」
(※jiro.siwakuさんからご指摘があり、加筆・修正しました)
「チベット族ではなく、チベット人」
という訴え、
「トイレの出入りまでチェックされている」
というチベット本土での厳しい監視体制の様子のお話などをいただきました。

ケルサンさんからは代表に指名されたことへの戸惑いながらもの決意、自分をインドに送り出してくれた父君への思いなどを語っていただきました。

チベットサポーター、チベット人双方の問題解決への意気込みと温かさが感じられました。

しかし、今回のイベントで特筆すべきは、何と言っても

“Undercover in Tibet”(チベット潜入)

イギリス籍のチベット人が、チベット本土に潜入して撮影したこのフィルムです。

厳しい監視の下、撮影は困難を極め、カメラを隠しながらの撮影、検問での緊張感、パトカーへの警戒、安全な場所でのインタビューとその場所に無事に到着できた時の安堵感、顔を隠してのインタビュー、インタビュー拒否――チベット本土での統制の厳しさが全編を通して伝わってきます。

いろいろなインタビューがありましたが、特に強烈だったのが
「遊牧民への定住強制」
「不妊手術」
に関する証言。
いずれもそういうことが行われているということ自体は知っていました(拙サイト「チベット問題とは」でも簡単に触れています)が、これほどまでにむごいものとは思っていませんでした。

「遊牧民への定住強制」については、「遊牧民に定住する場所を与えた」といえば聞こえはいいですが、その実は住居と土地を奪われ、粗末な家屋をコンクリートの壁で固く囲んだエリアに無理矢理住まわされているのです。居住区と言うより、その姿は強制収容所そのものでした。
そこに住む老婆は「牧草地のほうがいい」と悲しげに語っていました。

「不妊手術」については、3人以上の子どもを産んだ女性に対し、麻酔もせずに卵管を切除するという生々しい証言(特に女性の方にはそう感じられることでしょう)。
女性に対する冒涜というべき所業であり、チベット人が子孫を残すことに対する悪質な妨害行動です。
インタビューに応じた女性の下腹部に残った傷が、余りに痛々しかったです。

その他、ダム建設によって沈みゆく村落の様子や、吊るし上げ・水中での電気棒使用といった拷問の様子など、目を覆いたくなるような証言・映像が続きます。

危険を冒してインタビューを敢行したチベット人・タシさんには敬意を表するばかりです。

フィルムは、次のような言葉(要約)で締められました。

「もし誰かが弱いものいじめをされていたらどうしますか?
死ぬまでそのままにさせますか?
それとも、いつか立ち上がって闘いますか?」

その答えはもはや、言うまでもないでしょう。

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チベットの自由を求めるピースウォーク(2009年)

1959年3月10日のチベット蜂起から50周年を迎える日を前に、この日東京・六本木での集会・デモに参加しました。

ただ、今回の参加はいつもとちと違いました。

これまではいち参加者にすぎなかったのですが、今回は初めて、お手伝い募集に名乗りを上げてスタッフとして参加させていただいたのです。アピール用のチベット国旗やプラカードの準備、来場した方々への資料配布などをした後、持参したカメラを手に写真班として活動させていただきました。

13時半、集会開始。

14時半、デモが始まりました。

デモ デモ

三河台公園から笄公園まで、力強くも秩序だったデモ行進が行われました。

開催告知がやや遅かった割には300人もの参加者を集め、意義のある活動となりました。

私は今回、隊列の中には殆ど入らず、歩道から写真を撮ることと列が乱れないか監視する(幸い全く乱れませんでした)役割に専念しましたが、初めて通行者視線から見た同士たちのアピールは訴えかけるもの大でした。

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