バス憧れの大地へ

雑記ブログ

ウイグル核実験の実態―東京新聞より

ちょっと前の話になりますが…

11月21日の東京新聞及び中日新聞の「こちら特報部」で、

中国 新疆ウイグル自治区 核実験の実態~隣国カザフの調査 日本人科学者が分析

という特集記事が掲載されました。日本人学者・高田純教授が旧ソ連やカザフスタンのデータから、中国が隠蔽し続けるウイグルにおける核実験による核汚染の実態を明らかにした研究を紹介したものです。

記事は大きく分けて2つの部分から構成されていました。

「住民19万人死亡 推定」
「風向き『配慮』季節選び実施  『核の砂』北京を避け」

1つ目の内容は、以前このブログで書いた経緯から既に知っていました(人数はともかくとして)。
記事によると、

中国が同自治区内で行った核実験は、1964年から96年まで延べ46回とみられ、「これらの実験のために致死レベルの放射線を浴び、死亡した住民は19万人と推定される」と高田教授は具体的な数字を挙げた。

46回の実験のうちメガトン級の地表核爆発は67年、73年、76年の3回。・・・(中略)・・・地表爆発は核汚染された土壌の粉じんを巻き上げ、周囲および風下に大きな放射線災害をもたらす。
高田教授によると、メガトン級の地表核爆発は米国でも旧ソ連でも内陸では行っていない。中国はそれを3回強行した。

メガトン級の地表核爆発という重大な実験の実態が、これまで隠し続けられていたのです。

中国の隠蔽体質は今更言うまでもありませんが、多くの人命、周辺環境を損なう暴挙を犯したこと自体問題なのに、それについて「知らぬ存ぜぬ」を通すなど無責任極まりません。

更に2つ目の見出しの内容。あきれてものが言えませんでした。
地表核爆発で汚染された核の砂」は風に乗って運ばれていきますが、67年、73年は風がカザフスタン方向へ、76年はチベット方向へ吹いていた時期を”配慮”とのこと。

「毛沢東ら共産党指導者のいる北京に『核の砂』が飛んでいかない季節を選ぶという最大限の配慮をしたはずだ」と高田教授は皮肉を込めた。

中共を守るために他の国にまで累を及ぼしていたことになります。
「中共の、中共による、中共のための政治」がこんなところでも浮き彫りに…。

そして、北京を避ける”配慮”をしたということは、地表核爆発の結果どのような事態になるかを理解していた証拠。つまりは「確信犯」だったということになります。

「主にウイグル人が居住している場所で、安全面の対策も立てず、国家によって犯罪的実験を行った」(高田教授)

的確な評価かと思います。
ウイグル人居住区で、わざわざ放射線被害が大きくなる地表爆発を、しかも北京に被害が及ばないように行った――非漢族軽視の姿勢すら見えてきます。

最後に、東京新聞特報部デスクが

チベット問題といい、核実験といい、『臭いものにはふた』の姿勢には大問題。人の犠牲の上に築いた大国の地位に価値はある?

と締めくくっていました。日本のマスコミがここまで書くとは異例のことではないでしょうか。

今まで知られていなかった中国の犯罪的行為を白日の下に引きずり出した画期的な研究、画期的な報道でした。高田教授と東京新聞(中日新聞)に敬意を表します。

「50人のチベット」展

表題の写真展が行われているというので、列車で片道1時間半かけて東村山まで行ってきました。

この写真展はチベットの魅力を伝えようと、チベット旅行家の皆さんが50人+αの方による写真を集めて展示したもの。中央チベットはもとより東チベットや、私がまだ行っていない西チベットの写真もあり、「チベットにはこんな風景もあるんだ」とチベットの魅力を再認識させてくれました。

中でも目を引いたのが・・・

カイラス

昨年、チベットからネパールへ抜ける際にも「またチベットに来て、今度はカイラスを巡礼したい!」と思ったものですが、今回カイラスの傑作写真を見てその思いがまた強くなりました。
(そのためにも中国が譲歩してチベット問題を早期に解決し、チベットに安定をもたらしてほしいものです)

写真以上に楽しめたのが、主催者の方々や他の来訪者との歓談。会場に置かれていたちゃぶ台を囲みながら実際にチベットへ行かれた方との歓談は久しぶりで、チベットの魅力や旅のこぼれ話などで、アットホームな雰囲気の中多いに盛り上がりました。

この日は夕方から「旅行人ノート チベット」筆者の講演会などのイベントもあったのですが、残念ながら既に制限人数いっぱいでこちらには参加できないまま帰途につきました。

この展覧会は11/23(日)15時まで、東京の西武新宿線東村山駅西口から徒歩5分のカレー屋「MARU」2Fギャラリーにて開かれています。

チケット取れました

昨日キャンセル待ちを頼んだ年末年始のモンゴル行きエアチケットについて、旅行社任せにするばかりでなく、自分でもネットで空きがないか探してみた。
ソウル(インチョン)-ウランバートルの往復便には空きがあるというので、問題は東京(成田)-ソウル往復の方である。この日の朝、その便に絞ってしらべてみると…

JALの正規割引でちょうどいい便に空きが見つかった!

これでソウル-ウランバートルの往復チケットのみの購入が可能であれば行けるではないか!

それが分かるや否や、早速昨日行った旅行社を再び訪れた。

前日のスタッフに「ソウル-ウランバートルの往復チケットのみの購入は可能ですか?」
と尋ねてみると
「国外発着のチケットとなると新宿本社になりますね」
との答え。つまりは新宿まで出向けば私の年末年始旅行は実現できるということだ。
気持ちが新宿に向き始めたところに…

「実は、東京-ソウルの帰りの便は押さえることができました。時間は1時間早くなりますが…」
それを早く言って下さいよ。大きな前進ではないか! 1時間早いくらい何の問題も無い。
「あと、行きの便も昨日の値段よりも2万7千円高いプランなら押さえることができました」

――ということは、料金の問題さえOKなら行けるということではないか!
昨日提示された料金は燃油費・空港使用料等込みで8万5千円。今押さえられるプランだと11万2千円とのことだ。

[lこの際2万7千円ぐらいの差なら大きなものではない。肝心なのは行けるか行けないかだ]

そう考えた私は即決した。
それにします!

こうして、年末年始のモンゴル旅行キャンセル待ちは僅か1日で終了した。

年末年始の旅、完全に出遅れ

会社の年末年始の休みも確定し、9連休になるなら海外へ!と昨日の昼休みに職場近くの旅行社に行ってみた。
今回まず狙ったのは、ギリシャ。そろそろヨーロッパも見てみたいという思いがあり、ヨーロッパで一番行きたい国がギリシャだったのだ。
ところが、旅行社のスタッフが年末年始の予約状況をを照会してみると…

「アテネにはもうルフトハンザ航空の35万円のものしか残ってませんね」

35万円って――1か月分の給料よりも高いじゃないか。それはとても出せない。もう一度作戦を練り直すことにした。

帰宅後、インターネットで格安航空券サイトにかじりついたが、どれも残席なしである。行き先を変えたらどうだ?と、他に行ってみたいトルコやモンゴルも検索してみたが、こちらも芳しからず…。

甘かった。

年末年始の旅行はこれまでしたことが無かったので、これ程までにチケットが取りにくいとは思っていなかったのである。「まだ1か月半もある」ではなく「もう1か月半しかない」だったのだ。完全に出遅れである。

そこで、やはり初めての「キャンセル待ち」に挑むことにした。
この日、自宅から最寄の大手旅行社に出向き、まずギリシャ、トルコ、モンゴルの状況を調べてもらったが、やはり「FULL」である。そこでキャンセル待ちの手続きに入る。
「優先順位はどうされますか?」
スタッフが尋ねてくる。
本来はギリシャだった。
しかし、私は昨日ネットであれこれ調べながらふと頭に浮かんできたモンゴルに行きたいという気持ちが強くなってきた。一つには10年以上前にも行こうとしながら南モンゴル(※)で妥協してしまったこと、一つにはモンゴルがチベット仏教圏であること、そしてもう一つ、一番大きかったのがギリシャ、トルコに比べて航空券代その他が半分以下で済むことがその理由である。
そこで、韓国・インチョン経由ウランバートル行きの往復を第一希望にキャンセル待ちをすることにした。(しかしながら、インチョン―ウランバートルの便は空きがあるのである。問題は日本からインチョンへ行く便が満席だということだ)

さて、念願は叶うだろうか――かなり絶望的だろうけれど。


※その当時は「内モンゴル」として中国の一部として意識していたが今は中国の南モンゴル占拠を認めていない。

富士山真っ二つ

我が家は東京・江戸川区と江東区境の荒川わきのマンション6階にあるが、秋・冬になると窓から荒川の向こうに富士山がくっきりと見える。夏が終わり、先日の長い曇り続きの天気が終わり、この日の朝は久々に気持ちのいい晴天。
[今日あたり富士山見えるな]
と、朝8時ごろ、窓の外を見ると…

13-11-08_0811.jpg

夏の間に建ったビルが立ちふさがり、富士山真っ二つ…
大ショック!!
母などは「これじゃここに住んでる意味が無い!」と叫ぶ始末。激しく同感。

あ~あ。

そういえば「名探偵コナン」の劇場版に、自分の家から見た富士山を同様にビルで真っ二つにされた富士山画家がそのビルを建てた社長を殺してしまった話があったな。
少し、気持ちが分からんでもない(こらこら)。

心の本質は光―ダライ・ラマ法王東京講演

夢の中に、チベット高原の大地とポタラ宮が現れた。この日参加しようとしているイベントに、やや興奮気味のようだった。

午後から休みをもらって外出する。普段は相撲で使われる両国国技館がこの日は別の目的でやってきた来訪者で長蛇の列となっていた。
会場をよく見渡せる枡席の好ポジションに座り、開演を待つ。

午後2時すぎ、2度ほど”肩透かし”があったものの3度目の正直で本日の主役が入場。
会場がスタンディングオベーションで迎えたその人物は・・・

 ダライ・ラマ14世

4500人の来訪者が、法王のありがたいお言葉を2時間半にわたって拝聴した。

法王の講演は昨年、インド・ダラムサラでも参加したが、あの時は壁に阻まれてお声はすれども話しているお姿は見えず、だったので実際にお話をされる姿をこの目で生でしっかり見るのは事実上、これが始めてだった。穏やかながらも力強く、ユーモアのある語り口調は健在。病み上がりなのが心配されたがお元気そうだったので安心した。

お話の内容は、主に在家信者向けで分かりにくかった昨年の講演に比べ、今回は一般者向けということで非常に分かりやすかった。精神的な問題は精神的なレベルにおいてのみ解決可能で、感情の限度を自ら知り、心を持続的に観察・調査してバランスを取ればストレスや苦しみも軽減されるということ、心の本質は光であって「愛と慈悲の光が何より大切」などとの言葉を賜った。
(予想通り、政治的なお話は一切無かった。と言うか、政治的な話をしないことが来日の条件だった)

今回の講演で感じたのは、法王が想像以上にリアリストだということ。
「私に特別な力を期待する人が時々いるが、そんなものは無い。私は全世界の60億分の1の、1人の人間にすぎない。中にはヒーリングの力を期待する人もいるようだが、私はヒーリングの力など信じない。そもそも私にヒーリングの力があれば、先日受けた手術など必要なく自分で治せたではないか」
ともすれば小難しくなりがちな「人の心の内面」というテーマの講演がこれだけ分かりやすかったのは、法王がリアリティーある視点からお話しになったからではないか、という気がした。そして、法王がチベットの独立ではなく「高度な自治」を求めていること、それを非暴力によって実現しようとしていることも法王のリアリズムを表すものに他ならない。

講演の後は質疑応答。法王に質問したいという聴講者が大勢列をつくったが、時間の都合で4人で終了。その4人の中には、最近思い切った転身を表明しつつもそのことで心に悩みを抱えている某金メダリストもいた。

開始時と同じようにスタンディングオベーションで法王を見送り、講演会は終了した。
これからの人生を心穏やかに過ごすためのヒントが得られたような気がした。

講演終了後、映画「チベットチベット」のキム・スンヨン監督と再会しすこしばかり立ち話。国技館を出てからは顔見知りのチベット・サポーターと場所を変えて懇談。その際にウイグル人の方や中国民主派の方と交流できたのも大きな収穫となった。

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