山形・新潟100名城(4)―春日山城
2025年8月11日
山形・新潟の名城巡りの旅4日目。新潟・上越の直江津で一夜を過ごし、早朝からこの近辺の城巡りに出掛ける。
この日巡る城はいずれも、直江津駅始発の妙高はねうまライン沿線。かつてはJR信越本線の一部だったが現在では第3セクター・えちごトキめき鉄道の運営となっている。今回の私の旅はJRの普通・快速を利用できる青春18きっぷの旅だったので、この切符でこの路線を利用することはできないが、青春18きっぷを持っていれば「トキ鉄18きっぷ」という1日乗車券を500円で購入することができる。ギリギリ元が取れる計算だったし、改札が楽になるので、乗車した列車内でこの切符を購入してこの日の旅のお供にした。
昨日に続いて、この日も天気予報は「雨」。宿から直江津駅までは徒歩30秒程度だったので問題なかったが、問題はその先だ。まず目指す城は直江津から1駅の春日山駅が最寄だが、バスに乗ったとしても下りた最寄りのバス停から城までは徒歩20分。今回の旅程ではバスの接続が悪かったので駅から城まで2.5㎞の道のりをずっと、しかも上り坂を雨の中、レインウェア上下と傘で歩くことになってしまった。
駅から35分程歩いて7時10分、城跡の駐車場に到着。そこから延びる階段を上がった先にあるのが、今回目指す春日山城(日本100名城 No.32)だ。
春日山城 駐車場と城跡へと続く階段
春日山城跡案内図春日山城は南北朝時代に越後国守護である上杉氏が春日山山頂に築城したのが始まりとされる、天然の要塞を持つ難攻不落の山城だ。16世紀に入ると長尾氏が城主となり、長尾景虎が上杉の姓を賜って上杉謙信を名乗ることになる。
そう。春日山城は名将・上杉謙信と、その跡を継いだ上杉景勝(のち会津へ転封)の拠点たる城なのだ。駐車場からの階段を上り詰めて左へ進んだ先の高台には、1969年に造られた「上杉謙信公銅像」が春日山を背に下界へ睨みを利かせている。
「上杉謙信公銅像」と春日山謙信像を起点に、城巡り開始。緩やかな舗装道路の坂道を進むとすぐ、春日山の山腹に「但馬谷」と呼ばれる堀切が現れる。この堀切は上まで延びる竪堀となっていて、春日山城を難攻不落たらしめた要素の1つに相違ない。
春日山山腹の但馬谷舗装道路の坂道を但馬谷から更に100m程進むと、来る者を城へといざなう山道の入り口に到着。ここから上に上って三の丸・米蔵とその背後の土塁、そして二の丸を巡る。
春日山城 三の丸跡
春日山城 二の丸跡二の丸跡からもう少し山道を上ると、そこが標高約180mに位置する春日山城の本丸だ。生憎の雨で若干霞んではいたが、北東の端からは上越の街をよく見渡すことができる。800平方m程の広さがあり、山の上ということを考えるとまあまあの広さだ。在りし日、ここには御殿でも建てられていたのだろうか。
春日山城 本丸跡本丸と堀切を挟んで西側にあるのが「天守閣跡」だ。この後訪れた施設で見た絵図ではここに2層の天守が描かれていたが、春日山城に天守が築かれたという歴史の記録は残っていない。果たして実際にはどんな建物が建っていたのだろうか。
春日山城 天守閣跡前年(2024年)に発生した能登半島地震の影響で、この天守跡には亀裂が入り、一時は立ち入りが禁止されていた。私が訪れたこの時、立ち入り自体は問題なくできたが、まだ一部に亀裂が残っていたようで、部分的に規制線が張られていた。
本丸周辺の井戸跡、景勝屋敷跡などを巡った後、先程来た三の丸・二の丸経由とは別ルートで山を下る。その途中、上杉謙信が深く信仰していたという毘沙門天を祀った毘沙門堂(復元)が、見晴らしのいい高台の上に建っていた。NHK大河ドラマ「天地人」でも度々描かれていた、印象的なお堂である。
春日山城 毘沙門堂
春日山城 直江屋敷跡毘沙門堂から更に少し下った場所にある曲輪が、直江屋敷跡。謙信の父・為景の代から仕えていた重臣・直江家の屋敷があった場所で、景勝に仕え「直江状」を徳川家康に送って激怒させた(これが関ヶ原の戦いの端となった)直江兼続も、上杉の会津転封に伴い米沢に転封となるまでここを居としていた。
毘沙門堂・直江屋敷跡・虎口・千貫門を辿るルートを下って、先程駐車場から上ってきた階段に、出発した時とは逆の方向から帰着。階段を下りて春日山城の山城巡りはこれで完了だ。
しかし、100名城のスタンプはこのエリアには無い。駐車場から更に山を下って、長尾氏・上杉氏の菩提寺で謙信も幼少期にここで学業に励んだという林泉寺を過ぎる。その先にある春日山城史跡広場から、土塁と監物堀(けんもつぼり)(いずれも復元)を越えてすぐの場所にある春日山城跡ものがたり館が、100名城のスタンプ設置場所だ。
春日山城史跡広場。左奥の建物が春日山城跡ものがたり館
春日山城跡ものがたり館の春日山城絵図開業時間までまだ10分少しあったが、準備はできていたようで中に通して頂き、スタンプを頂いた後、場内を参観させて頂く。先程触れた、天守が描かれた春日山城絵図もここで参観したものだ。
春日山城 監物堀と土塁ところで、頂いた100名城のスタンプを見ると、先程山中で見た景色と一致しない。実は、スタンプの絵柄は山中の遺跡ではなく、ここ春日山城史跡広場を囲む監物堀と土塁・柵をモチーフとしているのだ。
春日山城は、山の上の縄張だけではない。麓の城下町をも監物堀と土塁で囲っていた総構の城なのだ。それを踏まえると、山の中の縄張を巡っていただけでも「大規模な城だ」と感じていたのに、ここまで含めると「大規模」感がさらに増幅される。
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