山形・新潟100名城(3)―村上城、新発田城
2025年8月10日
前日、JR羽越本線で山形・鶴岡から新潟・新発田まで南下し、新発田で一夜を明かして今回の旅3日目の朝を迎える。
まずは昨日来た道を少し引き返して村上駅まで北上(新発田でしか宿を取れなかったためこの行程になった)。そこから次の城・村上城(続日本100名城 No.131)を目指す。
村上城は村上市街地東端の臥牛山(標高135m)の頂に築かれた平山城で、戦国時代の越後揚北衆・本庄氏による本庄城が始まりとされる。本庄繁長が上杉謙信に反旗を翻し、1年に亘って籠城を行ったこともあった。本庄氏が会津転封となった後の村上氏、堀氏の代に近代城郭に改修され、3重の天守が建てられ、城下町も形成され、北越後の中心拠点として整備される。1649年に入城した松平直矩により更なる改修が行われるが、1667年に落雷により天守等を焼失して以降は天守が再建されることはなかった。
村上駅を出ると、もうその先に村上城を頂く臥牛山を東の方に見ることができる。
村上城を頂く臥牛山いざ出陣――なのだが、この日は生憎の雨。レインウェア上下を着て傘を差して、しかも徒歩での城攻めとなった。
臥牛山の500m程手前の地点に看板があり、このあたりにかつて三の丸南端の飯野門があったという。いよいよ城域だ。
村上駅から2㎞程歩いて、登城口に到着。このあたりは当時、城主の居館があったとされる場所だ。
村上城 城主居館跡
村上城 一文字門跡城主居館跡すぐ横にある一文字門跡が登城口だ。8時、いざ登城開始。
暫くつづら折りの山道を進むと、身の丈程の高さの石垣が出迎える。その石垣に開いた四つ門跡が、村上城核心部への入り口だ。
村上城 四つ門跡四つ門をくぐり、まずは右手の本丸方面へ、上り坂を進む。外枡形石垣の御鐘門跡をくぐって更に進むと、出櫓台、そして本丸と続く見事な高石垣がそびえ立っている。続100名城スタンプのデザインにもなっている、村上城の中でも一際映えるスポットだ。
村上城 出櫓台(手前)と本丸(奥)の石垣石垣の間に開けられた虎口を抜けて、本丸に入る。生憎の雨天ではあったが、日本海に至る村上の街並みを何とか望むことができた。
村上城 本丸跡本丸の一番奥の一段上がった部分が、天守台跡だ。ここには堀直竒が築き、松平直矩が改修した3重の天守が、落雷で焼失するまでそびえていたという。確かに、この位置なら麓から天守はよく見えたことだろう、と、先程道すがら見てきた臥牛山の姿を思い起こすと、容易に想像できる。
村上城 天守台
下から見た村上城の天守台石垣を楽しみつつ来た道を四つ門跡まで戻り、まだ見ていなかった四つ門跡左手の三の丸を巡った後、下山。石垣などが立派で、期待以上に見応えのある城だった。
麓の東北電力村上電力センターで続100名城スタンプを頂いて村上駅に戻り、再び新発田を目指す。
新発田に戻って訪れたのは、新発田城(日本100名城 No.31)。鎌倉時代初期に新発田氏が築いたのが始まりとされ、代々新発田氏の居城となっていたが、新発田重家が上杉景勝に対して反乱を起こした(新発田重家の乱)のに対し、1587年、景勝方が攻勢し、新発田城は落城。その後上杉氏の会津転封に伴い1597年、溝口秀勝が新発田に入封し、新発田藩領内を治める拠点として新発田城の整備を行い、1654年、3代宣直の時代に完成する。
新発田駅から20分程歩いた場所にある大手中の門跡とされる場所に来ると、白い櫓が向こうに見える。歩道に沿って真っすぐ歩けば、旧二の丸隅櫓前の堀に行き当たる。
新発田城。手前から辰巳櫓、表門、旧二の丸隅櫓新発田城は正面から見て左から、旧二の丸隅櫓、表門、辰巳櫓が横に並んでいるが、このうち旧二の丸隅櫓と表門は江戸時代末期に建てられたものが現存し、国の重要文化財に指定されている。辰巳櫓は2004年に木造で復元されたものだ。
堀を渡って表門から入城。入ってすぐの場所で100名城のスタンプを頂く。
新発田城 本丸表門
新発田城中庭の溝口秀勝像入城した先は細長い中庭になっていて、中央にはこの城を築いた溝口秀勝の銅像が置かれている。その後、辰巳櫓、旧二の丸隅櫓の内部に入って在りし日の様子を、想像も交えて楽しむ。
しかし、現在の参観エリアこそ東西約140m、南北40m程度の本丸の「氷山の一角」にすぎない狭いエリアだが、本来の新発田城の敷地は勿論、こんなものではない。先程通ってきた大手中の門跡にあるマップを基にすれば、新発田城の敷地は東西約430m、南北約1㎞にも及ぶ大城郭だったことが分かる。
新発田城マップ本丸の大部分は、明治に入り陸軍の駐屯地となった流れも受けて、現在も陸上自衛隊の敷地になっている。事実上の天守だった本丸北西隅の三階櫓は辰巳櫓と同じく2004年に木造で復元されているが、自衛隊の敷地内であるため公開されていない。
新発田城 三階櫓従って、三階櫓は堀の外側から外観を眺めるしかないのだが、その光景を楽しんでいる間に、新発田に戻ってからは小康を保っていた雨が遂に降り始め、あっという間に土砂降りになってしまった。
予定ではもっとゆっくりと新発田城を巡り、食堂で昼食を取ったりしてから13時40分あたりの列車で次に向かうつもりだったが、これで新発田城は一通り見終わったことであるし、雨が降っている間は列車の中で雨宿りが得策だろう――ということで、ここで打ち切って次へ向かうことにした。
雨に降られつつ、駅前の宿に戻って荷物をピックアップし、昼食はコンビニエンスストアのおにぎり等にして、予定より2時間近く早い11時58分の列車で新発田を後にした。
新発田から新潟、長岡で鈍行列車を乗り継いで16時14分、上越市の直江津に到着。この日は駅前の宿で1泊して、翌日はこの一帯の城巡りだ。
直江津に到着した頃には幸い雨は上がっていて、その後の買い物なども雨にたたられることなく済ませることができたが、天気予報によれば、翌日の城巡りはどうやらまた雨の中になりそうだった。
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