田丸城
たまるじょう
続日本100名城 No.154
- 場所
- 三重県度会郡玉城町田丸(地図)
- 築城時期
- 南北朝時代
- 築城主
- 北畠親房、北畠顕信
- 主な城主
- 田丸氏、北畠氏、織田信雄ほか
- 分類
- 平山城
- 遺構
- 石垣、堀
- 概要
-
南北朝時代に南朝方の北畠親房、北畠顕信によって築かれた平山城。北朝方の足利尊氏に落とされた後、室町時代に北畠氏により再建され、のち北畠氏庶流の北畠顕晴が入り、田丸氏を名乗る。戦国時代、織田信長の伊勢侵攻の際、北畠具教の養嗣子となった信長の次男・織田信雄に明け渡される。信雄は田丸城の大改修を行い、3層の天守を築く。信長による安土築城の前年である1575年に完成したとされ、天守のある城として日本で一番古い城といわれる。天守は1580年に火災で焼失し、信雄は松ヶ島城へと移る。その後、松ヶ島城主となった蒲生氏郷の支配下となり、氏郷が陸奥国会津に移封されると田丸氏もそれに随行する。関ヶ原の戦いの功で城主となった稲葉氏の時代、天守が再建されるが、これも1649年に崩壊する。その後、徳川御三家の一である紀州徳川氏の所領となり、家老の久野氏が明治まで城主を務める。
明治の廃城令で建造物は殆ど壊されたが、天守台や石垣、空堀などの遺構は今も残っている。但し、訪問時期を間違えると、歴史のロマンぶち壊しの鉄パイプ造りの「天守のような形をした」ハリボテが設置されているので要注意。
1953年、三重県指定史跡に指定される。
- 公共交通機関による
アクセス - JR参宮線田丸駅から徒歩10分
- 100名城スタンプ
-
村山龍平記念館(地図)
コメント(0)
コメントする