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日本100名城

100名城探訪記

三重100名城(2)―松阪城、田丸城

2023年12月16日

伊賀上野城の登城を終えて、来た道を逆に辿る形で、伊賀鉄道の「忍者列車」で上野市駅から伊賀神戸駅、近鉄に乗り換えて伊賀神戸駅から伊勢中川駅、更に乗り継いで、みえ松阪マラソンの会場最寄りの松阪駅に戻る。
この街にも名城がある。松阪城(100名城 No.48)だ。豊臣秀吉によって南伊勢に移封された蒲生氏郷が、松ヶ島城に入った後、それに代わる拠点として1588年に築いた平山城である。
この日松阪の前に訪れた津城、伊賀上野城では「藤堂高虎」の名前をよく聞いた、という話をしたが、この蒲生氏郷も東北地方でよく聞いた名だ。氏郷は小田原征伐の功により陸奥国会津に転封となった後、会津若松城二本松城九戸城などにその名を残している。
松阪城には松阪駅から歩いてまず、城の南側にある御城番屋敷側からアプローチした。御城番屋敷はかつて「松坂御城番」という城を警護する武士たちが住んでいたエリアで、槙垣のある細い石畳の道の両側にかつての木造長屋が現存していて、江戸時代の趣が漂う。 御城番屋敷
御城番屋敷
松阪城裏門
松阪城裏門
御城番屋敷を南から北へと通り抜けると、松阪城南側の裏門に辿り着く。ここからでも入城できるが、私は石垣沿いに歩いて東側の表門を目指した。 松阪城表門
松阪城表門
坂を上って表門をくぐると、本丸を守る立派な石垣と「松阪城」の石碑が来る者を迎えてくれる。表の石垣に続いて2枚目の石垣になるが、その向こうには更に石垣が巡らされているという防御ぶりだ。 松阪城本丸を守る石垣と「松阪城」の石碑
松阪城本丸を守る石垣と「松阪城」の石碑
石垣に突き当たって右側の坂を上った先の遠見櫓跡の正面にある松阪市立歴史民俗資料館で、100名城のスタンプを頂く。ここでは松阪の歴史のほか、この街で育った映画監督・小津安二郎の展示がされていた。 松阪城 遠見櫓跡
松阪城 遠見櫓跡
松阪城本丸下段
松阪城本丸下段
遠見櫓跡でUターンとなる坂道を更に上ると、まず本丸下段に出る。本丸が2段構えになっているとは、やはりなかなかの防御ぶりだ。
本丸の中の石垣の階段を更に上がった先が、この城の最上部・本丸上段だ。
上段にも更に石垣がある。天守台跡だ。この城は都合、5重の石垣に守られていたことになる。 松阪城本丸上段と天守台
松阪城本丸上段。奥の石垣が天守台
下りは上ってきた時と別ルートで、二の丸を経由してみる。二の丸からは、先ほど歩いた御城番屋敷を俯瞰することができた。 松阪城二の丸から俯瞰する御城番屋敷
松阪城二の丸から俯瞰する御城番屋敷
この日の城巡りはこれで終了。翌日はマラソンのため城巡りはせず、2日後、もう1つ三重の名城を巡る予定だ。

2023年12月17日

みえ松阪マラソンに参加。途中までは4時間切りを狙えるペースだったが、35㎞から失速し、4時間9分22秒という結果だった。
お手頃価格で松阪牛を食べられる回転焼き肉店で、頑張った自分にご褒美。翌日の城巡りに備えてゆっくり体を癒す。

2023年12月18日

この日目指した名城は、松阪駅からJR紀勢線・参宮線で15㎞ほど南へ行った田丸駅近くにある田丸城(続100名城 No.154)。南北朝時代に南朝方の北畠親房、北畠顕信によって築かれ、のち織田信長の次男・織田信雄によって大改修された平山城だ。信雄の後、藤堂高虎、稲葉氏の配下を経て、徳川紀州藩の所領となり、家老の久野氏が明治まで城主を務める。
外堀に架かる橋を渡った先に、内堀と石垣が見えてきた。更に内堀を渡った先の二の門から入城。城内に建てられた学校を横目に見ながら、坂道を上る。 田丸城 二の門
田丸城 二の門
田丸城本丸の石垣と空堀
田丸城本丸の石垣と空堀
一旦平坦になった三の丸跡の道を奥まで進んで、本丸へ開かれた虎口を抜けて更に上った先には、本丸の石垣と空堀跡がある。かなり保存状態は良さそうだ。
本丸虎口を抜けて少しだけ坂を上がると、そこが本丸広場だ。奥の方には天守台跡の石垣もある。 田丸城本丸広場と天守台
田丸城本丸広場と天守台
田丸城の天守は、織田信長の安土城天守建造に先立つ1575年に織田信雄が3層のものを築いたが、1580年に火災で焼失し、稲葉氏の時代に再度築かれるも、これも1649年に崩壊している。その後再建・再現されていないので、残った天守台の石垣の上に立って往時を想像してみる――というのが城好きの行動パターンなのだが...
この時天守台の上にはイルミネーションイベントのため、「再現」「模擬天守」と呼ぶにも値しない鉄パイプ造りのハリボテ――否、「ハリボテ」と呼ぶにも値しない"天守のような形をしたもの"が据え置かれていた。風情も何も無く、イマジネーションを邪魔するものでしかない。歴史のロマンぶち壊しの愚行だ。
城が好き、歴史が好きで田丸城を訪れる人は、この物体が設置されている時期を外して訪れるべきである。

この物体が設置される時期
・春:3月下旬~4月上旬
・冬:12月上旬~1月下旬

取りあえず、天守台に上ってみた。ハリボテを背にして天守台の石垣越しに本丸広場と山の下に広がる眺望を目にしてようやく、想像力を働かせることができた 田丸城天守台から望む眺望
田丸城天守台から望む眺望
二の丸
田丸城二の丸
本丸を南の虎口から出て空堀を横切った先には二の丸がある。隣接する中学校から聳え立つ石垣が壮観な場所だ。
山を下りて、二の門の正面にある村山龍平記念館で続100名城のスタンプを頂いて、田丸城登城完了。これで今回の三重県名城巡りは終了だ。
本当は松阪からJR名松線で伊勢奥津駅まで行ってアクセスするのが便利な多気北畠氏城館にも行きたかったのだが、この時期は伊勢奥津駅から城までの便のいい公共交通機関が無く、電動レンタサイクルで山道を走る必要があってマラソン前後に訪れるには厳しかったので、今回は見送り。時期を選べば城のすぐ近くまで行ってくれる臨時バスが出ているようだし、またこのあたりには赤木城、新宮城もあるので、時期を改めて訪問することにした。

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