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日本100名城

100名城探訪記

関西100名城巡り―芥川山城、高槻城

2022年10月11日

早朝6時半、JR高槻駅を発着する巡回バスに乗車して、塚脇で下車。バス停には今回目指す、三好山(標高182m)山頂にあった山城・芥川山城(続100名城 No.159)の案内図が大きく掲示されていた。
バス停から坂道を上ること10分(標準タイム15分)、三好山の登山口に到着。ここから比較的緩やかな山道を登っていく。
途中何度か道先案内があり、観光地として整備されているように見えるが、実はこの山、私有地なので荒らさないように配慮が必要だ。
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三好山登山口
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「史跡 城山城跡」の碑
中腹を過ぎたあたりから多少急勾配になる。やがて「史跡 城山城跡」の碑が現れた。単なる山道のようにも見えるが、ここは既に城域内なのだ。
登り始めてからものの20分で、山頂に到着。少々拍子抜けだった。
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三好長慶を描いたパネルと、三好山からの光景
芥川山城は戦国時代に建てられた山城で、細川晴元を追放してこの城に入った三好長慶がここを拠点に、室町将軍足利義輝をも追いやって畿内を支配下に置いた。即ち、当時の畿内を統括する拠点がこの城だったということになる。
三好長慶を描いたパネルが立てられた本丸の見晴台からは、高槻から大阪にかけてを一望することができる。三好長慶もこの光景を見ながら、畿内に号令をかけていたのだろうか。
本丸の更に奥には、天守閣に相当する主郭御殿の跡がある。三好長慶を祀る祠を隅に置くばかりの広場のように見えるが、土の下には発掘調査で発見された礎石等があるという。
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芥川山城主郭御殿跡
帰りも同じ道を下ったが、途中で少し寄り道して、大手筋というより急勾配なルートを下ってみた。1分ほどで、大手門石垣と呼ばれる石垣を斜面の途中に見ることができる。
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芥川山城の大手門石垣
元の道に戻り、下山。緩やかで歩きやすい下り坂だったので、ほぼ走って下ったところ、登山口の看板に「三好山へ 40分」と書かれていたルートを往復で45分で歩き切る結果となった。

予定より早いバスで高槻駅まで戻ることができたので、その足でまず9時すぎに阪急高槻市駅の高槻市観光協会事務所に赴いて、続100名城のスタンプを頂き、そして高槻市駅から徒歩10分ほどの場所にある高槻城跡にも行ってみることにした。
高槻城は100名城にも続100名城にも数えられていないが、先程訪れた芥川山城の支城で、江戸時代には高槻藩の藩庁にもなった城である。明治の廃城令で取り壊され、今では公園化されていて、園内には復元された天守台(本来の位置とは違う場所らしいが)や、一時期城主であった戦国時代のキリシタン大名・高山右近の像が立てられている。
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高槻城公園
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高槻城跡の碑
高槻城公園の北西隅には「高槻城跡」の石碑が石垣の土台の上に建てられている。しかし、この時石碑は工事のフェンスで覆われていた。どうやら公園一帯が再整備工事の真っ最中のようだった。

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