バス憧れの大地へ

日本100名城

100名城探訪記

東北・西北海道100名城(2)―脇本城、秋田城

2023年4月30日

秋田駅からJR男鹿線(男鹿なまはげライン)に乗車し、小さな無人駅・脇本駅で下車。脇本駅から徒歩で25分、途中訪れたなまはげの館から7分程度で、目指す城・脇本城(続100名城 No.106)の入り口に到着した。ここから「天下道」と呼ばれる急登を上がった先が目指す縄張りだ。 脇本城入り口
脇本城入り口
史跡脇本城跡案内所
史跡脇本城跡案内所
坂を上った先にある史跡脇本城跡案内所で続100名城のスタンプと脇本城の案内図を頂いて、更に上り坂を歩く。
程なくして、当時の形状をほぼそのまま残す巨大な城跡が姿を現した。まずは坂道の右側の内館跡に上って、対面の丘の上に開かれた曲輪の数々を望む。 脇本城
内館跡から望む脇本城
脇本城は14世紀に鎌倉北条氏派の武士が日本海に面する丘陵上に築いたとされ、室町時代に安東氏が蝦夷地支配と交易の拠点とした城である。建物は残っておらず、再建されてもいないが、当時の様子はその地形、曲輪・空堀・土塁等の跡から窺い知ることができ、想像力が無限にわき出して心がわくわくしてきた。 脇本城空堀
脇本城空堀
脇本城内館跡と大土塁
脇本城内館跡と大土塁
開けたエリアから見える場所以外にも、山道を15分ほど歩いた場所に「馬乗り場(古館)」と呼ばれる曲輪もあるので、時間があれば行ってみよう。
城跡からは日本海を一望――できるはずの位置なのだが、残念ながら林で遮られている部分がある。とはいえ、左側には八郎潟から秋田市に及ぶ海岸線を、右側には海に浮かぶ男鹿半島を望むことができる。この景色を見ていれば、この城が交易の拠点であったことが容易に想像できる。 脇本城から望む八郎潟から秋田市に及ぶ海岸線
脇本城から望む八郎潟から秋田市に及ぶ海岸線
脇本城から望む男鹿半島
脇本城から望む男鹿半島

脇本城を後にし、脇本駅からJR男鹿線で来た道を戻る。但し、そのまま秋田駅までは戻らず、土崎駅で下車し、秋田駅行きの土崎線バスに乗り換えて、5分ほどで途中下車。ここに秋田3つ目の城があるのだ。
ここにあるのは、秋田城(続100名城 No.107)。奈良時代に築城され、平安時代にかけて大和朝廷の出羽国における拠点となった古代城柵で、渤海国との外交や北海道・津軽地域の蝦夷(えみし)との交流などの機能を担ったという。 秋田城政庁跡
秋田城政庁跡
バス停そばの階段を上った先には、当時の政庁の跡が再現されている。
政庁跡東には東門と柵が再現されていて、門をくぐるとその先に幅12mの城内東大路が延びている。 秋田城東門と城内東大路
秋田城東門と城内東大路
秋田城外郭東門と築地塀
秋田城外郭東門と築地塀
東門から東大路を260mほど東へ歩くと秋田城の外郭(城内と城外の境界)に行きあたる。この場所に更に外郭東門と築地塀が再現されている。
そしてこの柵の外に、秋田城で恐らく最も有名な遺構があった。
水洗厠舎――即ち、古代の水洗トイレである。まあ、古代とはいえ便を水で流すということくらいは十分やっていたであろうとは思われるが、遺構として現在に残っているものとしては日本唯一のものということで、貴重な存在となっている。2009年に木造の小屋が再現された。 秋田城の水洗厠舎跡
秋田城の水洗厠舎跡
外郭東門の近くにある秋田城跡史跡公園管理棟で続100名城のスタンプを頂き、秋田市立秋田城跡歴史資料館(ここにもスタンプあり)の展示を見た後、来た時と同じ路線のバスで秋田駅へと戻る。
秋田には男鹿も含めて以前訪れたことがあり、その時じっくりと街歩きしたので、今回は城だけ巡って次へ。秋田新幹線で岩手県盛岡市に移動し、この日は終了。盛岡で1泊して、翌日は岩手・青森の城巡りである。

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