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日本100名城

100名城探訪記

関西中部100名城(3)―高取城ほか・2

2024年3月29日

「木彫りの熊」に案内されるようにして高取城本丸上部への坂道を上る。最後の門と虎口を通過して到着した場所が、広さ4500平方mにもなる本丸広場だ。 高取城本丸
高取城本丸
北西隅に、先ほど下から見上げた天守台がある。往時には連立式3重3階地下1階の天守閣が築かれたという。高取城と同じく日本三大山城の1つに数えられる備中松山城の天守が2重2階だから、あれよりも大きなものだったということになる。それだけのものがこの高い山の上に築かれたのかと想像するだけでも、当時天下人へと突き進んでいた豊臣勢の勢いを窺い知ることができる。 高取城天守台
高取城天守台
高取城本丸から望む吉野
高取城本丸から望む吉野
天守台とは逆側の南面へ行ってみると、眼下に吉野の里を一望することができる。
折しも3月。もしかしたらあの「吉野の桜」が見えるかもしれない、と思っていたのだが、生憎この年は全国的に春の訪れが遅く、ここから桜の風景を拝むことは叶わなかった。

高取城の本丸をひとしきり楽しんで、下山。来る時は壷阪寺ルートだったので、下りはもう1つの黒門跡ルートを辿ることにする。
先ほど通った大手門の外がルートの分岐点だ。この城巡りのために履いてきたトレイルランニングシューズを生かして、時折走って勢いよく下山の道を進む。
大手門の先にも千早門、宇陀門、松ノ門、矢場門と門跡が続く。山の上に建っているというだけでも鉄壁の防御だというのに、これらの門が更に鉄壁度を増している。 高取城千早門
高取城千早門
高取城宇陀門
高取城宇陀門
矢場門を過ぎたところで「←国見櫓跡 120m」という標識があった。「国見」と言うからにはさぞかし眺望が良い場所なのだろうと思って行ってみると、案の定、高取城北西の奈良盆地を見渡す物見のスポットだった。 高取城国見櫓跡
高取城国見櫓跡
国見櫓から矢場門に戻って更に下り、二の門を過ぎてすぐの場所に、このルート最大の見どころがあった。猿石である。
傍らにある木札によると、飛鳥の「猿石」(吉備姫王墓の近くにある)と同様に現在の明日香村平田から掘り出され高取城築城の際に石垣材として運ぶ途中にこの場所に置かれたようである、とのことだ。 猿石
猿石
仏像や墓などが戦国時代の城の石垣に転用されたということは、この日訪れた大和郡山城の「さかさ地蔵」のエピソードでも触れたが、この猿石はどうにか石垣に埋没するという残念な末路を回避することができたようだ。 猿石
高取城黒門の登山口
猿石から走りも交えて更に16分ほど山道を下って、黒門側の登山口(実際の黒門跡はもう少し下った場所にある)に到着。未舗装の山道はこれで終わりだが、まだまだ歩きは続く。
黒門跡から上子島砂防公園を経て1.5㎞ほど歩いて、幹線道路に辿り着く。ここを渡った先に続くのが土佐街道。高取藩2万5千石の城下町として栄えたかつてのメインストリートだ。 土佐街道の植村家長屋門
土佐街道の植村家長屋門
植村家長屋門、田塩家武家屋敷、高取城松ノ門(移築)など、古式ゆかしい建物を見ることができる。
高取城の100名城スタンプ設置場所である観光案内所・夢創館もこの街道沿いにある。無事スタンプを頂くことができた。
なお、壺阪山駅にコインロッカーが無かったために私は荷物を飛鳥駅のコインロッカーに預けてきたのだが、正にこの前日、夢創館にコインが返ってくるコインロッカーが設置されたという。高取城を目指す際に荷物をどこかに預けたい方は、今後夢創館のコインロッカーを選択肢に入れるといいだろう。

奈良にはもう1つ名城があるが、時間的にこの日の探訪は難しかったし、せっかく30年以上ぶりに飛鳥に来たのだから飛鳥巡りもしたかったので、その城を攻めるのは明日に回して、この日の残りは飛鳥の史跡巡りに割くことにした。
キトラ古墳
キトラ古墳
まずは夢創館から徒歩で行けるキトラ古墳を訪れる。
キトラ古墳の後は壺阪山駅から近鉄で駅1つの飛鳥に戻る、というのが当初の予定だったが、
・予定より前倒しの時間に着くことができた
・キトラ古墳から壺阪山駅もそこそこ距離があった
・キトラ古墳から飛鳥駅まで徒歩で行くことも可能だった
ということがあって、あらためて地図アプリで調べたところ、そのまま飛鳥駅まで歩いた方が吉、という結果になったので、歩いて向かった。
飛鳥駅前でレンタサイクルを借りて、亀石藤原京跡飛鳥寺亀形石造物酒船石石舞台古墳を巡る。
明日香村は盆地とはいえ山奥なのでそこそこアップダウンがあり、山城を攻めた後の脚には少々きつかった。 亀石
亀石
藤原京跡
藤原京跡
飛鳥寺大仏
飛鳥寺大仏
亀形石造物
亀形石造物
酒船石
酒船石
石舞台古墳
石舞台古墳
そんな中、酒船石を訪れた時に現地ガイドから興味深い話を聞いた。
酒船石は左右をそれぞれ一直線にカットされてしまっているのだが、その切れ端はどこに行ったのか――何と、16世紀末の高取城の大改修の際に切り取られ、建材として転用された可能性が高いのだという。
猿石が石材として埋没するのを免れた一方で、こちらは何とも残念な話だ。

本日の城巡り・史跡巡りはこれで終了。明日巡る次の城に近い桜井市のホテルに入り、山城攻めの疲れを癒す。

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