埼玉100名城(1)―菅谷館、杉山城
2024年4月29日
2024年ゴールデンウィークの前半最終日。終日自由に使えたので、日帰りで埼玉の名城を巡りに出かけた。
埼玉は戦国時代に山内上杉・扇谷上杉・古河公方が三つ巴の争いを行うが、最終的には小田原の北条氏(後北条氏)が関東を平定した――という歴史背景を予め知っておくと、この後が分かり易い。
東京・池袋駅から東武東上線急行で約1時間。武蔵嵐山駅に到着。ここからの城巡りは、同駅で営業している嵐山町ステーションプラザ嵐なびのレンタサイクルを利用すると便利だ。
まず目指したのは、武蔵嵐山駅から南へ1㎞強行った場所にある、菅谷館(続100名城 No.120)。鎌倉幕府の有力御家人・畠山重忠の館だったとされる城址で、戦国時代、山内上杉家の太田資康が扇谷上杉方の河越城に対する抑えとして再興した。その後は16世紀半ば以降にこの地域に進出した後北条氏により戦国時代末期まで使用される。
嵐山史跡の博物館で続100名城のスタンプを頂いて、まずは三ノ郭を抜け、空堀に架かる復元木橋を渡って西ノ郭までぶらりと歩く。
菅谷館の西ノ郭・三ノ郭の空堀と復元木橋
畠山重忠公像続いてニノ郭跡へと歩くと、一段高い場所に、この城を創建した畠山重忠の像が建っている。
そのすぐ側に「埼玉県指定史跡 菅谷館」の石碑があり、奥の方に土塁が見える。その向こうにあるのが菅谷館の中核である本郭だ。
菅谷館の本郭入り口と石碑本郭の内部は広々としていて、林をなしている木々が癒しと言ってもいい情緒を醸し出している。しかし一方で、建築物こそ残っていないものの、周りを取り囲む土塁や、その外を取り囲む空堀などはいい状態で保存されていて、「癒し」とは対極的な「迫力」や「圧」も呈している。
菅谷館の本郭
菅谷館本郭外から見る土塁と空堀
武蔵嵐山駅を最寄りとする続100名城がもう1つある。菅谷館とは逆側の、武蔵嵐山駅から2.5㎞ほど北西の位置にある、杉山城(続100名城 No.119)だ。 鎌倉街道を見下ろす丘陵の尾根上に10の郭を配置した山城で、近年の発掘調査で戦国時代に山内上杉氏によって造られた城と判明した。
菅谷館から自転車で、かつて「鎌倉街道」と呼ばれた埼玉県道296号を走り、20分弱で大手入口に当たる積善寺の近くに到着。ここから徒歩で舗装道路を少し上ると、間もなくその舗装道路は途切れ、土の地面の杉山城縄張に入る。
杉山城大手入口の積善寺
大手口跡から望む杉山城大手口跡から緩やかな坂を上ると、やがて道は土塁に阻まれて直角に左へと折れる。この土塁の上から進入者に横矢を射かけることができる仕組みになっていた。
間もなく外郭跡に到着。本郭はもう目の前に見えていて、このまま東二の郭経由で行き着くこともできる。
杉山城外郭跡が、普通に進むと違う方向に導かれる。土塁や堀で区切られた馬出郭、南三の郭跡、南二の郭跡、井戸郭と郭が複雑に連続しており、更に途中には食い違い虎口、井戸跡など、寄り道ポイント満載でなかなか本郭に辿り着かない。また、これらの郭を繋ぐ虎口は大手口でも見た「横矢掛かり」という横矢を射かけられる構造になっている。
杉山城井戸跡
杉山城本郭跡少々迷いながらも、ようやく本郭に辿り着いた。
城の西側は断崖となっていて、本郭からは下を流れる市野川越しに鎌倉街道を見下ろしていたという。
本郭から東側を見下すと、土塁と堀で複雑に構成された郭の様子を見て取ることができた。
杉山城本郭跡と下に続く郭杉山城から武蔵嵐山駅に戻る途中、隣の山の上にある嵐山町役場を訪れて続100名城のスタンプを頂く。
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