埼玉100名城(2)―鉢形城、川越城
2024年4月29日
埼玉・嵐山町の菅谷館、杉山城を訪れた後、東武東上線で更に北上。寄居駅で下車して少し歩く。
やがて大きな川に行き着く。荒川だ。南岸は切り立った断崖になっている。この断崖の上に建つのが鉢形城(100名城 No.18)だ。
荒川。対岸の断崖の上に鉢形城が建つ鉢形城は戦国時代に山内上杉氏の家臣・長尾景春によって築かれ、のちに入城した小田原の後北条氏の北条氏邦により整備拡張され、後北条氏の上野国支配の拠点となった城だ。絶壁の荒川と深沢川に挟まれた天然の要害で、度重なる攻城に耐えたというが、豊臣秀吉の小田原攻めで遂に落城する。
荒川を渡ってすぐの場所が本丸の入り口。鉢形城地形模型が出迎えてくれる。
鉢形城地形模型
鉢形城伝御殿曲輪石垣が残る階段を上がって本丸へ。その上の高台に残る伝御殿曲輪を辿って西へと抜ける。
現在、鉢形城で見どころとなっているのは、本丸以上に二ノ丸、そして三ノ丸だ。二ノ丸からは土塁と空堀越しに三ノ丸を望むことができる。
鉢形城 二ノ丸跡から三ノ丸方面を望む三ノ丸にはやぐら跡が残り、その向かい側に再現された四脚門が鉢形城のシンボル的存在となっている。
門の内部が三ノ丸広場で、石積み、水路跡、復元された掘立柱建物などを見ることができる。
鉢形城のやぐら跡(左)と復元された四脚門(右)
鉢形城三ノ丸跡三ノ丸跡から下って南側を流れる深沢川を渡り、鉢形城歴史館で続100名城のスタンプを頂く。
三ノ丸広場あたりは公園として整備されていて、一見するとのどかだったが、その周囲には難攻不落であったことを物語る要素が幾つも残っている、「戦国」を物語る城跡だった。
最後に、深沢川外の外曲輪を辿って東武東上線鉢形駅へと歩き、次の城へと向かう。
これまで北上してきた東武東上線を戻る形で南下して、川越駅で下車。観光地を巡るバスで博物館前まで移動して訪れたのは、川越城(100名城 No.19)。1457年に扇谷上杉氏の上杉持朝が家宰の太田道真、太田道灌父子に築かせた城で、1537年に後北条氏に奪取されて以降は後北条氏の武蔵国支配の拠点となり、江戸時代にも江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となった。
川越城本丸門跡
横から見た川越城本丸御殿本丸と二の丸を繋いでいた本丸門跡を過ぎるとすぐに、江戸時代末期に焼失した二の丸御殿に替えて建造されたものが現存する、古式ゆかしい木造の本丸御殿が目に入る。
川越城本丸御殿本丸御殿に入城し、受付隣のデスクで100名城のスタンプを頂いてから内部を参観。
城の御殿で当時のものが現存するのは川越城の他は二条城、高知城、掛川城のみで、本丸御殿となると川越城と高知城のみだ。そう考えると、歴史の重みが感じられる。
川越城本丸御殿内部
川越城本丸御殿の庭園川越城も明治の廃城令で多くの遺構が取り壊され、堀も埋めてられているが、そんな中で生き残ったのが、大手門跡から300mほど西に歩いた場所にある中ノ門堀跡。保全活動の甲斐あって住宅街の中に、川越城の守りに重要な役割を果たしていた堀の跡が残っていた。
川越城中ノ門跡
川越城中ノ門堀跡川越城の散策は終わったが、せっかく「小江戸」と呼ばれる川越に来たのだから、小江戸川越一番街商店街や時の鐘などの歴史的景観を楽しみながら、来る時はバスで来た道を歩いて川越駅までぶらぶらする。
小江戸川越一番街商店街
時の鐘がある川越の鐘つき通り今回の城巡りはこれで終了。埼玉にはもう1つ、続100名城に登録されている忍城があるのだが、スタンプ設置場所の営業時間に間に合わず今回は見送った。ただ忍城は高崎線沿線と言っていい場所にあるので、まだ行き残している高崎の名城と併せて次の機会に訪れることにしよう。
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