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日本100名城

100名城探訪記

山陽・山陰西部100名城(2)―広島城ほか・1

2025年5月2日

郡山城の攻城を終えて、バスとJRを可部駅で乗り継いで、広島市内に戻る。新白鳥駅で下車して、歩いて15分ほどで、堀に囲まれた広島城(100名城No.73)が見えてきた。
広島城は、山城で交通面の不便さがあった郡山城から毛利輝元が移転先として広島の平地に建てた平城だ。しかし輝元は築城後すぐに関ヶ原の戦いで西軍の総大将として敗軍の将となり萩に追いやられてしまう。代わって入ったのが東軍の名将である福島正則で、彼の手で城の改修と城下町の整備が行われた。1619年に広島城を江戸幕府に無断で改築した咎で正則が改易された後は浅野氏が明治まで城主を務める。 写真
北西から望む広島城天守
まずは、本丸北西角に鎮座する天守を堀を挟んで北西側から望む。広島城の天守は輝元の時代に建てられ、明治の廃城令を生き延びて1931年に国宝にも指定されたが、1945年、原爆投下により崩壊する。現在の天守は広島復興大博覧会開催で高まった機運の中、1958年に鉄筋コンクリート造で再建されたものだ。
正門は天守の正反対側の南東側にある。城の周りを半周して、1989年に再建された表御門に到着。ここを潜った先が二の丸だが、堀に囲まれて敷地は狭く、本丸への橋も広くはない。攻めてきた敵はここでせき止められて弓矢や鉄砲で一網打尽にされることだろう。 写真
広島城 表御門
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間近に見る広島城天守
上段・下段と2段になっている本丸の上段へ。時刻は既に18時を回っていて暗くなり始めていたので、細かい所は翌朝また訪れることにして、取り急ぎ本丸上段北西隅の天守へ向かう。
広島城天守は17時で閉館、という情報を得ていたので入城は翌日回すつもりだったが、来てみたらこの日は19時まで開館しているとのことだった。天守入り口に設置されていた100名城スタンプを頂き、入城して展示を見ながら最上階まで30分程度で往復――思いがけず、この日のうちに攻城することができた。

ひとまずこの日の広島城訪問はこれで終わりにして、宿に戻る――その前に、広島市にはどうしてもこの日のうちに訪れておきたい場所があった。
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原爆ドーム
原爆ドーム...
先に少し触れたように、広島は第2次世界大戦終了間際、アメリカ軍により原子爆弾を投下され、壊滅的な被害を受けた。辛うじて往時の姿を留めている旧広島県産業奨励館は、その悲惨さを今に語り伝えるシンボルになっている。
20代の頃に訪れて以来、2度目の訪問となるが、この全貌が見えた瞬間、息苦しさに見舞われた。
1945年8月6日というあの日、10万人ともいわれる人々の命を奪った原子爆弾...
生まれる前の歴史の話としてしか知っていないそのことの悲しさが、たった1軒の廃墟を見ただけで胸に押し寄せてきたのだ。
この日は原爆ドームを目にするにとどまったが、明日の午前はもっと本格的に「原爆」「核」というものに向き合う時間になる予定である。

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