バス憧れの大地へ

日本100名城

100名城探訪記

山陽・山陰西部100名城(3)―広島城ほか・2

2025年5月3日

広島駅近くの宿で1夜を明かして、この日も早朝から広島城(100名城No.73)を目指す。
前日は北西からアプローチしたが、今回は南東からアプローチする。ここから反時計回りで裏御門跡などを経由して堀(かつての内堀)の周りをぐるりと1周。この日も表御門から入城して、昨日じっくり見られなかった場所を見て回る。 写真
北東から望む広島城天守と裏御門跡(左)
広島城の本丸は日清戦争の際に大本営として使用されていて、本丸上段には現在でもその基礎が残っている。そこを越えた西北隅に天守が建っているのだが、その傍らにはかつての天守礎石がある。これは天守を鉄筋コンクリートで再建する際に邪魔となったため、すぐ隣に移設して保存したものだ。 写真
広島城 本丸上段
写真
広島城 旧天守の礎石
原爆投下で天守はじめ建物は全滅したが、石垣は原爆にも耐えて現在にその姿を残している。その中で、本丸北の外側に出てみると、刻印が残る石垣の石を幾つも見ることができた。このあたりの石垣は福島正則が城主だった頃のもので、その刻印が意味するものは未だ歴史の謎だという。 写真
広島城 刻印のある石垣
開業時間の9時になった。天守は前日既に訪れていたが、もう1箇所、9時開業で中を見ることができる場所があった。二の丸の、南西端の平櫓と南東端の太鼓櫓の間を約68mの長さで繋いでいる多聞櫓である。こちらも原爆投下で失われたが、1994年に平櫓、太鼓櫓と共に木造復元された。畳で当時の様子を再現したり、二の丸に関わる遺物を展示したりしている。 写真
広島城 二の丸広場と多聞櫓と太鼓櫓(左側)
写真
広島城 二の丸多聞櫓内部

広島城はこれで終了。次の城を目指す前に、どうしても広島市で訪れなければならない場所があった。広島城を、広島の街を、そして広島の多くの人々の命を奪った原子爆弾の記憶である。
前日の夕暮れ時にも訪れた原爆ドームへ広島城から歩いて行ってみると、原爆体験を語る語り部の方が何人かいて、大勢の人が熱心に耳を傾けていた。
原爆ドームから元安橋を渡り、元安川と本川に挟まれた中洲へ。この中州の北部が平和記念公園である。
原爆で亡くなった子供たちを慰霊する原爆の子の像、赤々と燃え続ける平和の灯、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれた原爆死没者慰霊碑などで祈りを捧げつつ、広島平和記念資料館に到着。入場して原爆の歴史をあらためて学ぶ。 写真
平和記念公園 平和の灯
写真
広島平和記念資料館
写真
広島平和記念資料館から望む平和記念公園
被爆した1人1人に物語があり、そんな普通の人々の命を奪い、よしんば生き延びてもその生活を奪っていった「原爆投下」の悲惨さ、残虐さ、無慈悲さ――悲しさと怒りが再燃した。
奇しくもこの日は憲法記念日。今回の旅のスケジュールを組んでいて広島を訪れるのが偶然この日になったのも、何かの導きなのだろう。「平和」への思いを新たにさせられた。
「抑止力」は必要かもしれない。
しかし、核兵器は例え抑止力としてでも、絶対存在してはならない

関連記事:山陽・山陰西部100名城―序・この地域の歴史

コメント(0)

コメントする

<新着記事>

Google

WWWを検索a-daichi.comを検索
お勧めメディア(Amazon)
100色で描いた世界地図