バス憧れの大地へ

富士山

富士登山記 須走ルート登山(2016年7月)

本八合目―富士山頂

2016年7月21日

16時55分、本八合目の胸突江戸屋を出発。一路富士山頂を目指す。
しかし、
「ここから1時間半――その1時間半がきついんですよね」
と言っていた主催者の小林さんの言葉通り、ここからの1時間半がやはりきつかった。チベット国旗を見て上がったテンションも、そう長続きはしなかった。

17時10分、八号五勺御来光館(標高3450m)着。ここから先はもう、頂上まで山小屋は無い。ここが決断の最後のポイントとなるが、更に1人のメンバーがここでこの日の登頂を断念。
私は、最後の重ね着アイテムであるフリースの上着を、ミドルウェアとレインウェアの間に着込み、防寒対策を完璧にして山頂を目指す。

もはや、立ち止まって写真を撮るというような余裕は無く、ひたすら足を止めることなく前に進む。
私ともう1人、同じようなペースで歩くメンバーがいたので、私は彼をペースメーカーにさせていただくことにした。彼から引き離されないよう、また彼がペースを落としても決して追い抜かぬようにして、適度なペースで歩き続けた。

段々と人が多くなってきた。私たちと同じ須走ルートで登頂を目指している大手企業「D通」の新人研修集団が追いついてきたのと同時に、吉田ルートから来た税関の新人研修が本八合目から合流してきた。
こうなってくると、狭い山道なので譲り合いが肝心。後ろから「抜いて行きそうだな」と思われる人が来たら、抜きやすい場所を選んで一旦止まって先を譲る。こちらが先を譲る頻度に比べれば少なかったが、私もそんな感じで先を行かせてもらう場面もあった。

脚の痛みと薄い酸素にあえぎつつも歩き続け、18時30分――頂上手前の鳥居が見えてきた。あと少しだ。
そして、18時32分――ついにその時は来た。
富士山登頂

登頂!!
感無量だった。
ついに、大いなる「憧れの大地」の1つである、これまでは下から見上げるばかりだった富士山を、自らの足で登頂することができた...
思わず、山頂のベンチの上に大の字で仰向けになり、富士山をその背に負った。富士山の更に上の方に向けられた目はやや潤んでいた。

しかし、まだ山頂に差し掛かったというだけ。この日の最終目的地はまだ先だ。日が落ちる前に到着しなければ。
私たちより先に登頂していた5人は先にその場所へ向かっており、残っていたのは小林さんと、私がペースを合わせていた男性と、私の3人だった。ちょっとだけ休憩をとった後、3人で最終目的地を目指す。

その場所は、私たちが到着した吉田・須走ルートの山頂口から見て、山頂のちょうど反対側の位置にある。なので、そこへの道は火口の淵をぐるりと回っていくルート――いわゆる、お鉢巡りだ。
富士山は言わずと知れた火山である。山頂の内側は、かつてそこからの噴火があったことを物語る凹み、即ち「お鉢」が大きく口を開けている。折しも「お鉢」の中には雲がかかっていて、あたかも噴煙が上がっているような猛々しい光景が展開されていた。
富士山の「お鉢」
とはいえ、富士山が最後に頂上から火を噴いた(山頂噴火)のは紀元前200年ごろとのことで、もう2200年もこの「お鉢」は火を噴いていない。雲の切れ間から見える火口は既に土(火山灰?)や岩で埋められて、その名の通り「鉢」もしくはお椀のように浅く滑らかな窪みが残るばかりだった。

19時5分、山頂の山小屋・頂上富士館に到着。ここが本日の最終目的地だ。ここで1泊して、明日の下山に備えることになる。
頂上富士館
先に到着していたメンバーが、既に夕食を終えていた。後から到着した私たちも、夕食にありつく。
メニューは、山小屋定番の、
富士山山小屋のカレー
カレーである。
富士登山はエネルギーを消費する活動だ。登山用語で言う「シャリバテ」(ハンガーノック)を防ぐためのエネルギー補填に、高カロリーで食欲が増すカレーというメニューはぴったりだ。

食事を終えたら、明日の準備をして後は寝るだけ。まだ7時半だったが、山小屋は夜が早い。既に雑魚寝部屋は明かりが消されていて、既に就寝している団体もいる。
夜も早ければ朝も早い。御来光を見られるように、起床時間は4時だ。
私たちは就寝している他の登山客の眠りを妨げないように準備を済ませ、床に就いた。

しかし、体は疲れているはずなのに、時間がまだ早いからか、はたまた富士山に登頂したことからくる高揚感のためか、なかなか寝付けない。この日の眠りは余り深いものにはならなかった。

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