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世界への旅(旅行記)

大陸中国・西安―河南―北京

西安市街・1 ~旅の先人をしのぶ

1993年12月18日

この日は、終日西安市街を歩き回る。
西安は、典型的な”古都”だ。
古くは周の時代に「鎬京」の名で都となり、その後も漢や唐の都となった。
周りに巡らされた、今も残る大規模な城壁が、この町が大いなる都であったことを、物語っている。
まず、街の中心にある鐘楼に登った。
西安市街を望むことはできるのだが、高さがないので、大した光景ではなかった。
半坡博物館
半坡博物館に展示されている原始時代の住居
次に、中心街から少し離れたところにある半坡博物館へ。
よく、「中国4000年の歴史」などと言われる(中国人は「5000年の歴史」と言う)が、ここはその4000年の歴史のさらに前に当たる仰韶文化の時代の村落遺跡を収めた博物館である。
多少手は加えられていようが、保存状態は良く、これまで見てきた遺跡とは一味違った、中国の歴史の深さを感じることができる。
こういう所は大抵、中に入ることができないものだが、ここでは誰も見張っていないこともあり、家屋の中に入って、石器時代の雰囲気を、ほんの少しだが、直に味わうことができた。
興慶公園
興慶公園
中心街近くに戻って、唐代三大宮殿の一つ、興慶宮跡に造られた興慶公園を訪れる。
ここもまた、玄宗皇帝と楊貴妃ゆかりの地であり、2人が遊んだといわれる沈香亭などがある。
阿倍仲麻呂記念碑」もあった。彼も、唐の玄宗皇帝の時代の人である。 唐に留学したものの、帰りの船が何度も難破して、ついに祖国に帰れなかった日本人として、余りにも有名だ。彼自身の望郷の詩と、親友の大詩人・李白が彼の死を悼んで書いた詩が刻まれている。
阿部仲麻呂の石碑
阿部仲麻呂の石碑
思えば、私は日本からここ西安へ、半日も掛けずに来ることができた。1200年もの時を隔てて、随分と変わったものである。
仲麻呂の無念さ、私などには到底想像もつかないものだろう。
夕方を過ぎてホテルに戻り、同室になった日本人2人と、街のレストランへ夕食に繰り出した。
注文したのは、麻婆豆腐、東坡肉などの定番。これまでも中国で何度か食べたものだ。
しかし、今回の麻婆豆腐は、これまでのものとは訳が違った。
とにかく ―― 辛い
あまりの辛さに、あんかけごとレンゲですくって 食べることができず、甘酒で和らげながら、箸で豆腐だけをつまんで食べることしかできなかった。それでも十分に辛い。
考えてみれば、西安のある陝西省は、四川省に接している。それだけに、四川料理の麻婆豆腐の味も、本場に近かったのかもしれない。
かなり本格的だったが、それでも1人250円程度。
このころはまだ、中国の物価は安かった。
帰りに、夜市を少しだけ覗いてみた。
いろいろな食べ物の屋台が、所狭しと並んでいる。庶民的で、活気があり、中国人の素顔が垣間見えた気がした。
食事に満足したまま、ホテルに戻った。
しかしこの後、今回の旅行最大のトラブルが待ち受けていた。

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