バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

大陸中国・西安―河南―北京

西安市街・2 ~濡れ衣

食事を終え、ホテルに戻って談笑していた私たちの部屋に、服務員の中年女性が現れた。
何やら、私に文句を言いたげだ。
昨日の分の宿代、彼は払った、彼も払った。でもあなたはまだ払ってない
―― 冗談じゃない、朝出掛ける際に、きっちり払った。
しかし、考えてみると、少々無造作にポイと払ってしまった気がする。それがまずかったのかもしれないが、払ったのは紛れもない事実だ。
さすがに腹が立って、私は語気を荒らげて反論した。
「いいや、間違いなく払った!」
「いえ、受け取っていない」
互いに一歩も譲らないまま、押し問答が続く中、ついに相手は最後の切り札を出してきた。
「分かりました。どうしても払わないというのなら、公安に訴えます
私も完全に、冷静さを失っていた。
おう、公安か。上等だ! 出るとこ出て話つけようじゃないか
慌てたのが、同室の2人だ。
「やめとけ、公安は洒落にならないぞ」
彼らになだめられて、私は極めて不本意ながら、二重払いに同意した。
しかし、怒りが収まる訳もなく、私は26元分の紙幣をクシャクシャに丸めて、フロントに叩き付けて部屋に戻った。(今考えると少々大人気なかった気もするが)
中国人のいい加減な仕事ぶりにあきれたことは何度かあったが、これはあまりにもひど過ぎる。
折角の楽しかった1日が、このとんでもない一件で、台無しになってしまった。

1993年12月19日


清真寺

西安の城壁
前日の怒りも収まり切らないまま、西安最後の街巡りに出掛けた。
まずは、イスラム寺院の清真寺へ。
西安はシルクロードの入り口の街で、昔からイスラム文化との接触が多く、現在でも3万人以上のイスラム教徒がいるという。
この寺が建てられたのが1200年以上も前というから、東西交流の歴史の深さが窺い知れる。
―― しかし、これは本当にイスラム寺院なのだろうか。
見た目は、イスラム寺院と言われて普通にイメージする、アラブ風のモスクとは程遠く、いかにも純中国的な、むしろ仏教寺院とも思えるものだ。
恐らく、これが建てられた頃、イスラムの建築様式までは伝わってなかったのかもしれないが、当時まだイスラム文化に接したことのなかった私の期待感は、そこに信者らしき人が見当たらなかったことも重なって、見事に裏切られた格好だ。
西安に来て3日、何度も目にしながら、以外にまだ訪れていなかったのが、街をぐるりと囲む明代の城壁だ。
西安は大都市で、城壁もかなりの大きさをイメージしていたが、間近に見れば大きいものの、東西4km、南北2.5kmと、思っていたよりは小さい。
この中に住むことを許されたのは、やはり選ばれた者だけだったのだろう。

大雁塔
市街を南へと離れ、大雁塔へ向かう。
唐の高宗が亡き母を弔って建てた、いわば中国版タージ・マハルといった寺の中に、玄奘(三蔵法師)のインドから持ち帰った仏教教典の保存と翻訳のために建てられた塔だ。高さ65メートルあり、郊外にあるとはいえ、西安のランドマークタワーと言っていい。
阿倍仲麻呂とは対照的に、玄奘はその役目を果たして無事に帰国できたわけだが、彼の旅も、相当大変なものだったに違いない。
私も、いつかはシルクロードを旅したいと思っているが、それとて汽車(バス)や鉄路を利用することになるだろう。
やはり、当時の旅人の苦難には、近づくことすらできそうにない。
さらに南に向かうと、秦の宮殿を模した公園があった。どうやら、映画のセットに使われていたらしい。
前庭の真ん中を突っ切る通路の左右には、兵馬俑をイメージしたかのような、巨大な像が並んでいる。
ガイドブックにも載っていない所だが、現代になってから映画のセットとして造られたらしく、
秦の宮殿を模した公園
中身は安っぽい遊園地のようになっていて、歴史的価値は全くない。
最後に訪れたのは、陝西省歴史博物館
とにかく大規模で、展示品の量も質も素晴らしい。
仰韶文化から西安事件に至るまで、中国のあらゆる時代で歴史の舞台となった西安の深さを、実感することができた。
夕食の後、あらかじめ切符を買っておいた深夜バスに乗り込んで、洛陽へと向かう。
移動に時間がかかる時は、やはり宿泊できる乗り物に限る。しかし、バスはやめておくべきだったと、この後思った。
まず、ベッドのようになった座席が、固くて寝心地が悪い。その上、道路の舗装状態が悪く、とにかく揺れる。あまりに揺れたせいで、車内でヘッドホンステレオを紛失してしまった。
おまけに、途中での乗り換えを間違えそうになるわで、洛陽への厳しい移動が続く。

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