バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

大陸中国・西安―河南―北京

明の十三陵 ~浪費家の皇帝

1993年12月28日

万里の長城の翌日は、明の永楽帝から13代の皇帝の墓が連なる十三陵を巡った。
長城と十三陵をセットにしたツアーバスが北京市内の前門や動物園前などから出ているのだが、当時の私はそんなことは思いつきもせず、2日に分けて出掛けてしまった。 長陵
明の十三陵の一つ・長陵(故宮ではない)
北京市内から十三陵に行くには、昌平までバスで行き、そこからさらにバスを乗り継ぐのが一般的だ。私もまずは昌平までバスで行ったが、さて、十三陵行きのバスが分からない。
(ええい、探すの面倒だ)
私は道路の案内板を確認して、十三陵へと歩いて向かった
歩くこと2時間、ようやく永楽帝の墓・長陵にたどり着いた。
始皇帝の墓こそ、規模はでかいが陵墓だけだったものの、中国皇帝の墓は、相変わらず宮殿のようだ。この長陵などは、どこからどう見ても、故宮にしか見えない。一応墓標はあったが、地下が未発掘で見られなかったこともあって、墓という印象がまるで無かった。 定陵
遠くからでも目立つ定陵(矢印)
次に目指すは、萬暦帝の墓・定陵。 長陵からミニバスもあるようだったが、「歩きついでだ!」と、またしても徒歩で向かった。
しばらく歩くと、少し遠くにある山の麓に、定陵が見えてきた。まだ距離はあるはずなのだが、結構目立つ。これだけでも、定陵がいかに大きいか、窺い知ることができる。
萬暦帝と言えば、国をも傾かせた浪費家として有名だが、近くで墓の外形を見る限りでは、長陵に比べてこぢんまりとしており、そういった姿はあまり見えてこない。この墓の真価は、地下宮殿と、そこから出土した遺品にある。
棺の収められた地下室の何と広いこと。棺もそれ相応に、かなり大きい。自らの棺の部屋に加え、皇后の部屋など、他にもいくつもの部屋がある。地上の敷地面積より、地下の方が広いのではないだろうか。
別室に展示された遺品にも、目を見張る。複製品らしいが、 定陵
定陵
見事な金銀細工など、感心すると言うよりは、あきれ返ってしまう。
先日見た頤和園を修復した西太后にしても、萬暦帝にしても、一体、何を考えているのだろうか。自分の権勢を誇示せんがために、莫大な金を浪費して、挙げ句の果てに国を傾けてしまうとは、本当にあきれ果ててしまう。為政者たるにふさわしい「先見の明」というものが、ここからは微塵にも感じられない。「為政者」というよりも「偽政者」と呼んだ方が、ふさわしいかもしれない。
長陵、定陵と見るべきものは見たので、北京中心街に引き返すことにしたが、定陵にはどうも、バスが見当たらない。再び、長陵へ歩いて向かった。
長陵からの帰りはさすがに、バスを使った。
(当然)行きとはうって変わって、あっという間に昌平に到着して、バスを乗り換えたまでは良かったが、そこからが大渋滞。中心街までたどり着くのに、想定していた時間をはるかにオーバーし、この日やろうと思っていた帰りの便のリコンファームも、翌日に引き延ばすことになってしまった。
萬暦帝や西太后を「浪費家」とさんざん酷評した私だが、どうやら金よりも大切な「時間」を浪費してしまったようだ。

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