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世界への旅(旅行記)

満洲(2002年)

長春・1 ~満州国の支配の跡

2002年9月16日

駅前の春誼賓館で一夜を明かし、早朝から長春の街巡りに出かける。
長春は、1932-45年にかけて東北地方にあった日本の傀儡国家“満州国”の都が置かれ、当時は「新京」と呼ばれた街である。 満州国務院
満州国務院
それだけに、この街には満州国時代の遺構が各地に点在している。
その代表とも言えるのが、満州国務院。即ち、満州国の行政府である。日本の国会議事堂そっくりのその外観は、満州国が日本の傀儡国家であったことを象徴しているとも言えよう。
国務院の内部は展示館になっており、写真などの展示、古めかしいエレベーター(乗ることはできなかった)や総理大臣の執務室、その他内装などが、当時の様子をしのばせる。
バルコニーのようになっている閲兵台に出てみる。ここから、北側に広がる長春の街を望むことができる。満州国軍事部や、皇帝の宮殿となるはずであった地質宮も、ここからよく見える。
無料でついてくれたガイド(中国語。ちなみに日本語のガイドもいる)が熱心に説明してくれるが、私の気持ちはそれよりも、ここから閲兵をしていたという愛新覚羅溥儀(清朝のラストエンペラー・宣統帝)のことにばかり向いていた。
一体、溥儀はどのような気持ちでここから閲兵していたのだろう、どのような気持ちで満州国の帝位に就いたのだろう…。
日本によって無理やりまつり上げられたのか、あるいは征服王朝の最後の皇帝として、漢族の中華民国への対抗心が彼をそうさせたのか、はたまた個人的に統治者としての延命を図りたかったのか ―― 彼が天上の人となってしまった今、あれこれと想像力を働かせたり、史料を根拠に云々することはできても、その真意を寸分違わず知ることはもはやできない。 旧関東軍司令部
旧関東軍司令部
国務院や、先述した軍事部、地質宮の他にも、長春市内には経済部、司法部、外交部や旧満州国中央銀行などの旧趾が残っているが、展示館として開放されているのは国務院と、次節で紹介する皇宮博物館のみであり、その他は政府・共産党機関、病院、学校などとして活用されている。しかし、レストランとして完全に生まれ変わってしまった外交部を除けば、いずれも当時の雰囲気をそのまま残している。
これらの旧趾の多くは、興亜式と呼ばれる中西折衷の建築様式を採り入れている。そのため、一見中国的であるものの、どこか一般的な中国の建築物とは様相を異にしている。(もっとも、これが中国的に見えるというのは、私が日ごろ大連で中露折衷の建築物を見慣れているからなのかもしれないが)
そんな中、極端に浮いている建築物が目に入った。旧関東軍司令部である。
この建物には、中国風も西洋風も無い。完全に、日本の城郭そのものなのだ。そんな建物が中国共産党の省委員会として用いられているというのが驚きである。
日本の国会議事堂と酷似している国務院といい、よくぞ壊されずに残っているものだと思うが、憶測ではあるが「国恥忘るるべからず」という感情がこれらの建築物を残存させているのかもしれない。こうした感情が今なお根強く残っていることも、しっかりと肝に銘じておかなければならないだろう。

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