バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ギリシャ、カタール、香港

初のヨーロッパ訪問を終えて

さて、今回の旅は私にとって初のヨーロッパ訪問となった。

これまで私の旅先は殆どがアジアだったが、別にヨーロッパが嫌いな訳ではない。確かに、仏教に対するシンパシーに比べてキリスト教に対するシンパシーは高くなく、近代帝国主義時代の侵略行為には一言も二言も百言も言いたいくらいだが、古代から続く洗練された文化には高い憧憬の念すら抱いていた。
その代表が、ギリシャのパルテノン神殿だった。工事中の現場は確かに興ざめではあったが、それでもヨーロッパの一番古い時代に花開いた高度な文明に触れられたことは間違いなく感慨深いものがあった。
今回の旅行記が、10日の日程でページ数32ページ、写真148枚にもなったことが、私がギリシャから受けたインパクトを物語っている。

では、初めて訪れたヨーロッパにはさぞ新鮮な思いを抱いたことだろう、と聞かれると…

実は、そうでもないのである。

むしろ、デジャヴみたいなものすら感じていたのだ。

その理由の一つが、マカオを訪れたことがあるということだ。
マカオはほんの十数年前までポルトガルの占領下にあり、今でも街の様子はヨーロッパの色彩が強く、街中ではポルトガル語が飛び交っている。私のイメージにある“ヨーロッパの色彩”は、ギリシャよりもむしろマカオで強烈に感じられたぐらいだ。
即ち、ヨーロッパ訪問は初でもヨーロッパの町並みは初めてではなかった、ということなのだ。

もう一つ、特に都会で言えることなのだが、今ではヨーロッパでもアジアでも、世界中どこでも似たようなビルディングが建ち並ぶようになり、似たような風景になりつつある。つまり、全世界的に都会の風景が均質化している、ということを感じたのである。特にアテネの街中は、パルテノン神殿等の遺跡が見えなければ世界のどこにでもあるような街だった。今回の旅で、古い時代の趣が残るハニアに来てようやく心の底から“ヨーロッパ”を感じたのだが、それは即ちそういうことが原因だったのだろう。

そして、アジアとヨーロッパとの大きな違いの一つに民族や言語、ということが挙げられるだろうが…

それは私にとって、さしたる問題ではなかった。

今時西洋人の姿は世界中どこに行っても見ることができる。その地におけるその比率が高いというだけの話だ。それに、観光地に行ってしまえば街中と比べて多国籍になるのも全世界共通であるし、英語が少々でもできれば大抵何とかなるので、その意味でも他の国と比べて違和感は全く感じられない。

どこに行こうと、“人間が住む場所”という意味では
どこも一緒なのだ。

はっきりそう思えるようになったことが、今回の旅での一番の収穫だったと言えるだろう。

今度こそ本当に完

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