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世界への旅(旅行記)

モロッコ

メクネス-1 ~丘の上の“癒やし”の古都

2013年11月1日

朝方にちょっとフェズのメディナを散歩した後、次の目的地であるメクネスへ向かう。

メクネスはフェズから西へ60kmほどの場所にある、17~18世紀の一時期にはアラウィー朝の首都にもなった古都だ。フェズ・エル・バリ北のバスターミナルからバスで1時間程度で到着することができる。
私が乗ったバスは更に他の街へと向かうものだったらしく、メクネスを目指す乗客は広い幹線道路のわきで下ろされた。さて、目指す場所はどこだ?と見回してみると、幹線道路の逆側の向こうに大きな門があり、その先の小高い丘の上に、古めかしい町並みが見える。恐らくあれだろう。
案の定、その大きなクミス門をくぐり、古い趣きのある街に入って丘を上って行くと、その先に立派な城壁が見えてきた。
間違いない。ここがメクネスのメディナ(旧市街)だ。
オテル・モロッコの部屋
オテル・モロッコの部屋

宿は丘を来た方向とは逆側に下った先にある通りに面したオテル・モロッコにとったが、この宿は今回の旅でナンバーワンの安宿だった。
これまでマラケシュやフェズでは70~100DHの値段で「屋根の下でちゃんと壁で仕切られていた部屋で、南京虫のいない布団で寝られればいい」というレベルの、狭くて薄暗い部屋ばかりに当たっていた。しかし今回の宿は、値段は100DHとやはり安いが、今までとは段違いの部屋の広さと清潔感がある。壁にはモロッコらしい文様のタイルが施され、毛布にも同じような文様が入っていて雰囲気もいい。窓の外にはオレンジの木々が立ち並んでいて清涼感もある。トイレとシャワーは共同だが何の問題も無い。
明後日にはカサブランカ空港から帰路に就かねばならないのでここは1泊限りだが、できればもっと滞在したいと思わされた素敵な宿だった。

さて、寝床が決まったところで、街巡りだ。
メクネスの城壁とマンスール門
メクネスの城壁とマンスール門

先述したように、メクネスはほんの50数年の短期間ではあるがアラウィー朝の首都にもなった街である。それを象徴するのが、先ほども触れた堅固な城壁だ。その城壁内のへそとも言うべき箇所にまた城壁が築かれていて、マンスール門からその内部に入るとララ・アウダ広場を隔てて更に城壁があり、その内側にようやく王宮がある。城壁そのものの堅固さもさることながら、街の全体的な構造自体がかなり堅固な造りになっている。
先ほどメクネスの「へそ」と表現した箇所にあるマンスール門の門前に広がるのが、正真正銘、メクネス旧市街の「へそ」的存在であるエディム広場だ。大勢の人が集まり、端の方に並ぶ食堂や屋上のカフェで人々が食事を楽しんでいたり、そこかしこで大道芸が行われていたりする。
エディム広場
メクネスの「へそ」エディム広場
城壁がある景色はフェズを彷彿とさせるし、大道芸の周りに人垣が幾重にもできる風景は、マラケシュのジャマ・エル・フナ広場さながらだ。
そうなってくると、楽しみなのがスーク(市場)だ。ここメクネスにも、エディム広場奥の入口から先に商店街と居住区が合わさった、道が狭く空が見えにくい路地が広がっている。
とはいえ、メクネスのメディナはマラケシュやフェズのメディナほどの規模は無い。それだけに「迷宮」と呼ぶにはやや奥行きが足りない。商店街も、タイミングが悪かったからなのか、場所が悪かったからなのか、シャッターを閉じている店も少なくなく、マラケシュやフェズに比べるとやや活気がもの足りなく感じられた。
これが、長きにわたって都として栄えた街と、短命な都に終わった街との差なのだろうか。

メクネスのメディナの居住区
メクネスのメディナの居住区
メクネスのメディナの商店街
メクネスのメディナの商店街

しかし、活気がもの足りないというのもあくまでマラケシュやフェズと比べてのことだ。丘の上という限られたスペースであることを考えると、むしろよくぞこれだけの街を築けたものだと感心してしまう。
それに、マラケシュやフェズの「これでもか」と言わんばかりにエネルギーをぶつけてくるような賑わいはややもすれば過剰とも思えるくらいだった。その過剰な賑わいに少々疲れていたのだろうか、私はこの街の「落ち着き」に、癒やしに近い心地よさを感じていた。

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