ハバナ-1 ~革命広場
2016年10月21日
キューバの首都・ハバナの中心部から西へ2㎞ほどの場所にあるHamel Hostelに荷物を下ろしたところで、取りあえずは先程空港からタクシーで中心部に向かっていた時に見えた「何か」を見に、ハバナの街を歩き始めた。
途中、キューバの最高学府・ハバナ大学に突き当たる。
ハバナ大学
大学の敷地に沿うようにして暫く歩くと、サルバドール・アジェンデ通りという広い道路に行き着く。その近くで見かけた街路樹が、結構立派なガジュマルだった。
ガジュマルの街路樹
そこまで厳しい暑さではなかったので忘れていたが、キューバは台湾とほぼ同じ緯度で、亜熱帯気候に属するのだ。
道路を走る車は、やはりアメリカ製のクラシックカーが目立つ。
クラシックカー
キューバのクラシックカーはほぼタクシーだと聞いていたが、結構な確率で見かける。まだ自家用車の普及率が高くないということなのだろうか。
宿から南西へ歩くこと30分。目指す革命広場に到着した。
広場の南側には、高さ100mを超える白亜の塔がそびえ立っている。19世紀後半のキューバ独立革命で中心人物の1人だった文学者ホセ・マルティを称えるホセ・マルティ・メモリアルだ。その手前にあるホセ・マルティの像も十分に大きいのだが、さすがに100m超の塔と比べると小さく見えてしまう。
ホセ・マルティ・メモリアル
しかし、その塔すら脇役に押しやってしまうほどインパクトのあるものがあった。
広場に面したビルの壁に、20世紀半ばのキューバ革命の中心人物たちの肖像を線だけで描いたオブジェがでかでかと飾られているのだ。広場の北西側にある内務省のビルにはチェ・ゲバラが、北東側にある情報通信省にはカミーロ・シエンフエーゴスが、革命後のキューバを見守るかのように描かれている。彼らがどれ程キューバ国民に愛されているのかを窺い知ることができる。
ここに描かれている2人はいずれも故人だが、今回の旅が終了した約1か月後の2016年11月25日、キューバ革命のリーダーだったフィデル・カストロも彼らの後を追ってこの世を去った。カストロの肖像もいずれは、こんな風にしてどこかのビルに飾られるのだろうか。
<後日分かったこと>
カストロは遺言で「自身の死後、さまざまな機関や広場、公園、道路などの公共施設に自分の名前や肖像は使用されたくない」「記念碑や像といった同様の形態のものもあってはならない」と言っていたというので、どうやらそういうことは無さそうだ。
出展:キューバ・カストロ前議長の遺言「記念碑は作るな」(AFP)
チェ・ゲバラの肖像
カミーロ・シエンフエーゴスの肖像
私は特にキューバ革命やらカストロやらチェ・ゲバラに敬意も親近感も無いが、逆に嫌悪感も無い。そんな私でも、この有名な光景を目の当たりにすると、興奮というのか、高揚感というのか、そんな気持ちが沸き起こるのは否めなかった。キューバに来たからにはまず見ておきたい名所と言えるだろう。
革命広場から来た道を戻るが、途中軽く雨が降ってきた。アメリカに上陸して8日目にして、今回の旅で初めて見舞われた雨である。とはいえ、熱帯の地にありがちな土砂降りのスコールではなく、地面を少し濡らす程度の雨で助かった。
雨そぼ降るハバナの街
そして、結論から言うと、この雨は今回の旅で最初で最後の雨となった。実に天気に恵まれた旅になってくれたものだ。
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