ハバナ-2 ~カリブ海
2016年10月21日
革命広場を後にして、先ほど来た道を戻る。出発地点だったゲストハウスのある場所を通り越し、更に東へと進む。
アントニオ・マセオ公園
その先にあるのが、アントニオ・マセオ公園。アントニオ・マセオというのは、ホセ・マルティ、マキシモ・ゴメスらとスペインを相手に第2次独立戦争を戦った革命家の名前だ。公園内には、彼が馬に乗った銅像を置いた記念碑が建てられている。
そして、そのすぐ向こうにあったのは…
青く広い海…
カリブ海だ。
カリブ海
カリブ海沿岸の街ということならメキシコ・カンクンに既に到達しているが、海を見る時間は無かったので、これが初めてのカリブ海となる。そこまで美しい海という程でもなかったが、その深い青は日本の海とはどこか違う趣が感じられた。
ロサンゼルスで見た太平洋同様、この海もまた日本に続いている――のは事実だか、日本とカリブ海とでは、(キューバから見て)西にはアメリカ大陸、東にはアフリカ大陸等と、隔てるものが大きすぎて、この常套句も軽々しく言うのが憚られる。
それだけ遠くに来たのだということだ。
ここから暫く、海岸通りを東へと歩く。
ハバナの海岸通り
海岸通りを走るクラシックカー
ここでもクラシックカーのタクシーが少なからず走っていたが、こういう車は特に、海岸通りに似合っているように思われた。
歩くうちに、ハバナ湾の湾口に到着。湾口の対岸(東側)にはモロ要塞が、そこから数百メートル湾内に入った対岸にはカバーニャ要塞が建っている。
モロ要塞
カバーニャ要塞
一方、私が歩き着いた湾口西側にはプンタ要塞が、そこから数百メートル奥にはフエルサ要塞がある。
ここがまさにハバナの入り口であり、かつての守りの要であったことがよく分かる光景だ。
プンタ要塞
ちなみに、フエルサ要塞―モロ要塞間には現在海底トンネルがあって自動車でなら湾をぐるりと回らずにショートカットで渡ることができるのだが、残念ながら歩道は無く、歩いて渡ることはできない。
プンタ要塞の背後に目をやると、高い台座の上に騎馬の男性の銅像が、海に向かって睨みを効かせるようにして立っている。
この銅像の人物は、マキシモ・ゴメス。先ほどアントニオ・マセオの銅像について書いた時にも名前が出てきた、第2次独立戦争時の将軍である。なるほど、この守りの要衝の地に立てるにはうってつけの人物だ。
海に向けて睨みを効かせるマキシモ・ゴメスの銅像
この近辺には他にもタゴールやケマル・アタテュルクなどの銅像が見られたが、中でも広めの敷地を取ってしっかりと管理されている銅像があった。その銅像のいでたちたるや、まげに刀、紋付き袴と、どこからどう見ても日本の侍だ。
支倉常長の銅像
台座に書かれていた名前は、支倉常長。17世紀初めに仙台藩の伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節団の団長である。
使節団はアメリカ大陸を経由してローマへの道を行き来した。その往路において1614年7月23日、ハバナに上陸。初めてキューバを訪れた日本人となった。
この銅像は、彼らを派遣した仙台にある仙台育英学園が仙台開府400年・同学園開学100周年を記念し、そしてキューバとの友好の印として、2005年に立てられたものである。
彼らがこの地に来てから、「ちょうど」と言っても差し支えない程度の誤差で400年だ。私が日本からここに来るまで僅か1週間だったのに対し、彼らは実に9か月――400年という年月はまさしく隔世の感である。苦労も覚悟も、現代の私たちが気軽に海外へ行くのとは比べ物にならなかったに相違ない。
偉大なる海外渡航の先人に、大いなる敬意を払わずにはいられなかった。
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