バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

チベット、大陸中国周遊

銀川 ~西夏の夢の跡

2001年7月22日

列車は昼過ぎ、寧夏回族自治区の銀川に到着した。
銀川は、宋が中原を治めていた時代、タングート族の西夏王朝が都を置いた城市として有名だ。また、有史以前の文化も独特な様式を有している。郊外に足を伸ばすと、西夏王陵や賀蘭山などの名所旧跡がある。
郊外に行く前に、初めの2日は中心街を巡ることにした。
承天寺塔
承天寺塔

初日に訪れたのは、承天寺塔。西夏王朝時代の11世紀初頭に築かれた承天寺の名残りである塔(再建)だ。寧夏回族博物館も併設されており、この地の歴史と文化を垣間見ることができ、また2日後に訪れることになる場所のいい予習にもなった。
ここで記念写真を撮ろうと、私は通りすがりの男性に頼んで1枚撮ってもらった。しばらく彼と中国語で話しているうちに、私は自分が中国在住の日本人であることを告げた。すると彼は
「あ、日本の方ですか」と、いきなり日本語で語り掛けてくる。
「日本語話せるんですか?」「ええ、日本人ですから」「何だ!」
お互い、相手が中国人だとばかり思っていたのだ。しかし、言うまで私が日本人だと分からなかったということは、私の中国語も段々、様になってきたということなのだろうか。

※この博物館の展示物は現在、2008年に市の中心部にオープンした寧夏博物館に移されたもよう。

2001年7月23日

2日目も銀川の街中を巡る。 まずは、海宝塔。五胡十六国時代の5世紀初頭に匈奴の夏王朝初代皇帝・赫連勃勃によって「再建」されたというかなりの歴史がある(現存のものは清代に再建)。

海宝塔
海宝塔
南関清真寺
南関清真寺

次に、南関清真寺。五胡十六国や西夏の時代は仏教文化が栄えたが、現在この地はイスラム教を信仰する回族の自治区である。南関清真寺は明代に創建されたという古いイスラム寺院だ。

いずれも歴史と文化のある場所だが、私を心底満足させるものではなかった。
この街の醍醐味はやはり、郊外にある。

2001年7月24日

前日、中国国際旅行社(CITS)で申し込んだ西夏王陵・賀蘭山ツアーの貸し切りタクシーが早朝、ホテルの近くに到着。私は運転手兼ガイドの男性と2人で、市西郊外へと出発した。

広大な砂漠をぬう道路を突っ切って、まずは西夏王陵へ。ピラミッドにも似た陵墓の下に、西夏王朝の創始者・李元昊が眠っている。
西夏王陵
西夏王陵
思ったよりも小さかったが、秦始皇陵や明の十三陵と比べてしまっては気の毒だ。これはこれで、漢民族の陵墓とは違った独特の雰囲気があり、十分に魅力的なのだから。
陵墓の近くには博物館や人形による展示もあり、西夏の文化や、宋に敢然と対抗した李元昊の生涯などを垣間見ることができる。

西夏王陵からさらに北へ向かうと、賀蘭山にたどり着く。ここは、岩が露出した山の景観もさることながら、古代人が岩肌に残したユニークな絵画・文様の数々が見どころだ。人間、動物や文字から、意味の分からないものまで、さまざまなものが刻まれている。
賀蘭山
賀蘭山の岩肌に刻まれた絵
一体、彼らは何のためにこんな絵を残したのだろうか。何かの記録なのか、それとも、宗教的な意味合いがあるのだろうか。しかし、無理にその意味を分かろうとすること自体、ナンセンスなのかもしれない。古代の神秘に思いを馳せることができれば、それで十分ではないだろうか。

その後「紅いコーリャン」などの名画が撮影された影視城を参観。それでも、まだ午後の時間がまるまる残っている。
「市街地の東に、未修復の明代の長城がある。見に行くか?」
運転手に誘われて、私は一も二も無く、そこへ向かうことにした。

―― これは、本当に万里の長城なのか? 先日見た八達嶺のような、石垣の立派なものとは違い、土くれが盛り上がっているだけのような長城だ。しかし、そんな無骨な表情が、周囲の砂漠と不思議な位に調和を保っている。異民族の侵入を防ぐ、という意味においては、こちらの方がむしろ説得力がある気すらしてくる。

明代長城
銀川郊外の明代長城

[八達嶺なんて、創られた万里の長城に過ぎない。これこそが、本物なのだ]
この長城の姿にすっかり魅せられてしまった私は、何をするでもなく、しばしそこにたたずんでいた。

銀川市街に戻る途中、黄河も参観。以前、南モンゴルで見た時と同様に、この大河は文字通り黄色い水をたたえていた。

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