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世界への旅(旅行記)

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アテネ-4 ~古代アゴラとモナスティラキ広場

アタロスの柱廊
アタロスの柱廊
次の目的地は古代アゴラ。古代アテネの人々の生活の中心であり、評議会で政治が議論され、ソクラテスやプラトンら賢人たちがディベートを行った場でもあったエリアの遺跡だ。
出入り口は南と北の2箇所あるが、南からアクセスした私は南から入場。南東の神殿・パンタイノスの図書館の間を抜ける道を進むと、向こうの丘の上にヘファイストスの神殿が見えてくる。
神殿は後でじっくり見るとして、その手前にもいろいろな遺跡が残っている。中でも、唯一完全に復元されたアタロスの柱廊が印象に残る。100m以上の長さがある回廊にギリシャ様式の円柱の柱が2列、整然と並んでいる。建物全体が博物館となっていて、壁際には大理石の像が並べられ、壁の向こうの室内は小さめの像がガラスケースの中に展示されている。
しかし、それ以外は原形を留めていないものが多い。アグリッパの音楽堂は建物の前にあった巨人やトリトンの像が残るばかりで建物そのものは基礎部分しか残っていない。市場があった場所とされる中央柱廊も柱の根元の部分が残るのみである。

アグリッパの音楽堂
アグリッパの音楽堂の像
中央柱廊
中央柱廊。奥中央にアクロポリスが見える

そして、古代アゴラのシンボル的存在であるヘファイストスの神殿。パルテノン神殿同様、小高い丘の上に建っており、様式もパルテノン神殿とほぼ同じだ。但し、規模はパルテノン神殿よりも一回り小さく、そのパルテノン神殿のあるアクロポリスは南の方にある更に高い丘の上からこちらを見下ろすように建っているので、ヘファイストスの神殿は言わばプチ・パルテノン神殿といったところかもしれない。
ヘファイストスの神殿
ヘファイストスの神殿
ヘファイストスの神殿
ヘファイストスの神殿の円柱とレリーフ
しかし、古代ギリシャの神殿の中で最も保存状態が良いとも言われるように、破損の度合いが低い点ではこちらに軍配が上がる。また規模こそ小さいものの、エンタシスの円柱やレリーフの数々は、パルテノン神殿のものと比べても決して見劣りしない。
但し、破損の度合いが低いとは言っても飽くまで程度の問題で、全くの無傷という訳ではない。屋根の上には瓦なども無く、中は雨ざらしになっている。またよく見ると、エンタシスの円柱の中には戦火の爪跡と思われる傷を受けているものもある。
比較的保存状態の良いこの神殿とて、ギリシャが辿って来た激動の歴史とは無関係であった訳ではないのだ、否、無関係でいられようはずもない。

“聖”一色だったアクロポリスに対し、ここ古代アゴラは“聖”の要素も“俗”の要素も併せ持った、いかにも人間的な場所だったと言うことができるだろう。しかし、特に“俗”の部分が余りに廃墟となり果ててしまっていて、残念ながら人々の往時の生き生きとした生活の様子を想像することはあたわなかった。

入場する時とは逆に、北側の出入り口から古代アゴラを後にする。出入り口の外はタベルナ(食堂)街になっていて、この日が土曜日だったからなのか、ランチタイムは既に過ぎているはずなのにオープンカフェは溢れんばかりの人々でごった返していた。

古代アゴラ出入り口から少し東へ歩くと、ちょっとクラシカルな町並みの中にある石畳の広場に行き着いた。モナスティラキ広場である。やはり土曜日だからか、好天に誘われてか、大勢の人々で賑わっている。

モナスティラキ広場
大勢の人々で賑わうモナスティラキ広場
モナスティラキ広場のフルーツ売り
陽気なフルーツ売りのオヤジ

広場には露店も幾つか出ていたが、中でも私の目を引いたのが、フルーツの露店だった。イチゴやトマトの赤、バナナや洋ナシの黄色、カキのオレンジ色といった、鮮烈なばかりの暖色がまばゆい。特に、屋台中央に山と積まれたイチゴの赤が強烈に目に焼き付く。
お客がやって来て、イチゴを買い求める。すると、店主のオヤジは陽気に歌を歌いながらイチゴを紙袋に入れて秤にかけ、お金と引き換えに品物を渡す。
町並みや石畳も確かにヨーロッパ的だが、私はそれ以上にこのフルーツの露店の色彩と人の陽気さにヨーロッパ的な ―― と言うよりは地中海的な ―― 明るさを心に強く感じ取っていた。

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