フンザ-1 ~カラコルム山系の雪山
2007年8月11日
カラコルム・ハイウェイは、あのネパール越えの道を経験した私にとっては既に大したことのない道だったが、それでも揺れるのは揺れるので、熟睡という訳にはいかなかった。
朝日を映し出すフンザ川
夜が明け、道の左手に眩しい朝日を川面に美しく映し出したインダス川の支流(フンザ川)が見える。支流とはいえ、古代インダス文明を育んだ悠久の川は私に十分高揚感をもたらしてくれる。
やがて晴天の下、雪山も見えてきた。チョモランマ・ベースキャンプで、雪山の景色を阻まれ、ポカラではぎりぎりのタイミングでしか雪山を見ることができなかった私にとって、これだけすっきりとした晴天の下くっきりと雪山が見えたのは実に嬉しかった。
道中、3度にわたって外国人に対するパスポートチェックが行われた。少々緊張感が感じられる。インド、パキスタンの分離独立後両国で帰属が争われたカシミールの旧紛争地域が近いためなのだろうか。
ラワルピンディ出発から18時間たった10時半すぎ、バスはまずギルギットに到着した。ここで乗客の大半が下車し、1時間強たってバスはフンザに向けて再出発する。しかしフンザとはいっても、バスは私が目指すカリマバードまでは行かず、途中のアリアバード止まり。そこから先はスズキ(軽トラックバス)で行く。
14時半、カリマバードに到着。山あいの風景に似つかわしい小さな村である。宿は「ゼロポイント」周辺に集中しており、私は日本人の多いある安宿(ドミトリー75Rs)に入った。
フンザは、東トルキスタン・カシュガルまであと少しという所にある、山あいの街である。ほんの30年ほど前までフンザ藩王国が統治していたが、現在では王政が廃止されパキスタンに所属している。
ディラン峰
ウルタル。左下にバルティット・フォートが見える
インダス川の支流であるフンザ川が谷を形成しつつ流れている向こう側に、まず茶色い山肌を露わにした山があり、そのすぐ向こうにラカポシ、ディランといったカラコルム山系の雪山もそそり立っている。そして谷に背を向けてみると、フンザ藩王国時代の藩王居城だったバルティット・フォートの向こうにウルタルの雪山も見える。文字通り四方を自然に囲まれた、のどかな別天地である。天気にも恵まれ、空の青と雪山の白のコントラストも目にまばゆく映る。
ただ、天気には恵まれても電気には恵まれなかった。フンザに滞在中、この日を含めて停電がひっきりなしに起きて電灯は点かない、インターネットはできないなどの事態が幾度と無く起きた。
まあ停電はまだいい。考えようによっては、せっかくこんな自然の豊かな別天地に来たのだからたまには文明の利器に頼らない生活をしなさい、という仏のお導きなのかもしれない。
唯一、どうしても我慢ならなかったのが宿だった。
フンザのゲストハウス(GH)では夕食時、宿泊者が食堂に集まって皆で食事をするのが恒例となっているが、この宿では大勢で食事をしていても、皆黙々と食べていて会話の一つも無い。
夕食後には更に異様な光景となった。シガレットの巻紙をはがしてほぐした煙草の葉に別のものを混ぜる者、何かの樹脂のようなものをこねくり回している者…。
[しまった、ジャンキー宿だった!]
某ガイドブックに「カリマバードの新たな日本人宿として人気上昇中」などと書かれているのにつられて、とんだ外れくじを引いてしまった。更には、宿に置かれている情報ノートの1ページ目に違法薬物を助長する書き込みがされており、これだけでもこの宿の質が窺い知れるというものだ。
良かったのはフンザ川の谷とカラコルム山脈が目の前に見えることだが、その条件を満たすGHは幾らでもある。
明日まずすべきことは決まった。他の宿を探して、こんなところはさっさと出ることにしよう。
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