バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

イベント」の記事

バラナシ(3)~プージャー

2011年10月18日

バラナシでは毎日夜6時半から、ヒンドゥー教の儀式であるプージャーを半ばショー的に行っている。今回のバラナシ訪問は1泊だけなので、見る機会は1度きりだ。信仰は違うが、やはりショーを見に行く感覚で、前回の訪問に続いて行ってみた。

会場はメインガートであるダシャシュワメード・ガート。6時15分ごろに行ってみると、既に大勢の人が集まっていた。ガンガー(ガンジス川)にはギャラリーを乗せたボートが幾つも浮かんでいて、ボート漕ぎは「50ルピーだよ! 乗らないかい?」と盛んに声を出している。水に浮かべる花蝋燭を売ったり、観光客目当てに土産物を売ったりしている少女の姿も見られる。

前の方で儀式が始まるのを待っていると、横にいたインド人が声をかけてきた。誰かが私を呼んでいるようである。彼が指さす方向を見るとダラムサラで会ったヨウスケ・トシミ夫妻がいるではないか。プージャーを見ている間だけになったが、久々の再会を喜び合った。

6時半。黄色い衣服をまとった男たちが配置につき、プージャーが始まった。まずは来客の手拍子も受けながら、祝いの?歌を歌う。
それから、香を焚きしめた杯を手に、ゆったりとした動作で祈りのダンスを舞う。
プージャー

次に炎の舞。数十の小さな炎が燃える燭台を、そして次にコブラをかたどった器に灯した大きな炎を手に、体を360度回転させつつ、やはりゆったりとした動作で上に下に炎を動かす。夜の闇に浮かぶオレンジ色の炎とヒンドゥーの音楽の相乗効果で、周囲は幻想的な雰囲気に包まれる。
プージャー

プージャー

さて、これが何の儀式かと言うと――実は、完全にショー感覚でしか見ていなかったので、よく分からない。
(誰かご存知の方、コメントにでも書いてください)

シャンティ・ストゥーパ20周年式典

2011年9月18日

先日泊まったた「にゃむしゃんの館」のエツコさんからのお誘いで、シャンティ・ストゥーパ日本山妙法寺)完成20周年式典に赴いた。先日も訪れたあの高台のストゥーパ ―― また登るのかと思うと少しげんなりしてしまう。とはいえ、さすがに体が高地に慣れてきたか、先日よりも楽に登れた気がする。

式典は、インド仏教界の重鎮や日本からも九州の高僧がゲストとして呼ばれて行われた。雲一つ無い空から降り注ぐ強い日射しの下、入れ替わり立ち代りスピーチが行われて少々げんなりし始めたが、いいタイミングでチャイやスナックの差し入れがあり、気分一新。スピーチも終わってようやくお目当ての出し物が行われた。

出し物はいずれも歌舞。仏教に限らず、ラダック各地の歌と踊りが披露された。こうした芸能は今のところチャムしか見ていないので、また一つラダックの文化に触れる機会を得ることができた。
201109180101.jpg

出し物も良かったが、今回の式典で一番感じたのはやはり仏教における日本とインドの結びつきだった。日本の力添えが、仏教誕生の国で仏教を復興させる原動力になってくれればと思う。

ラダック・フェスティバル(4)――のはずが・・・

2011年9月14日

ナムギャル・ツェモからゲストハウスに戻った後(左膝下を打った後)、中庭に日本人男性(学生)がいたので声をかけてみた。
「今日の夕方から、ここからちょっと離れた場所でラダック・フェスティバルの音楽コンサートがあるのですよ。よかったら一緒にどうですか?」
彼もこの話に興味を持ったらしく、タクシー利用で金がかかる(イベントそのものは無料)にもかかわらず即、同行が決まった。

夕方6時半。ゲストハウスを後にして街の南側にあるタクシースタンドに赴き、まずはイベント開催地のシンドゥ・ガートへの料金を尋ねてみる。レーでは行き先によって料金がしっかりと定められているらしく、料金表までしっかりと作られている。それによると――300ルピー。聞いた一瞬は少し高い気もしたが、シンドゥ・ガートよりも近い空港が210ルピーなので、まあその位なのだろう。

現地には7時10分ぐらいに到着した。
――ところが、コンサート会場らしきものはあるものの、開演時間が7時30分であるにもかかわらず、会場には灯りの一つも点っていない。どうも開催される気配が無い中、同じ目的と思われるタクシーが続々とやって来る。
現地で得られた情報によると・・・

音楽コンサートは前日に前倒しで行われたらしい。

――って、昨日のポロの試合と同じパターンじゃないか!!

ポロの時といい、この日の音楽コンサートといい、事前の周知が全く行き渡っていない。続々と現地に到着した車の列がその不手際を物語っている。

そうは言っても、実施されないのなら仕方が無い――と、私たちの車も含め、現地に到着した車は続々とレーへと引き揚げて行った。

往復で600ルピー無駄遣いしただけか――と思っていたところ、レーに到着したところで運転手に幾ら払えばいいか尋ねてみたところ・・・
「450ルピーでいいですよ。行ってはみたもののコンサートは無かったのですから」

いや、コンサートが無かったのはあなたのせいではないというのに・・・

ラダックのタクシー運転手の何と良心的なこと!
デリーやバラナシ等のタクシー・リキシャ運転手諸君、爪の垢を煎じて飲みたまえ!!

ラダック・フェスティバル(3) & レー王宮

2011年9月13日

この日も午前中、ラダック・フェスティバルの一環としてジョカンにてチベット仏教の仮面舞踏チャムが行われた。この日は開演前に現地入りして、楽器演奏もしっかりと見えるベストポジションを確保して観劇。2度目でも見る場所を変えるとまた新鮮に見えてくる(内容がよく分からない間はずっと新鮮に見えることだろう)
チャム

レー入りして3日目。にもかかわらず、宿から、街中からしょっちゅう見ているレーのランドマークにまだ訪れていなかった。体もそこそこ適応してきたことなので、そろそろ行ってみることにしよう。
ということで、いざレー王宮(レーチェン・パルカル)へ。宿からの直線距離は近いが、ポロ・グラウンドから迂回路を回って行った方が楽だ。

レー王宮
レーの街を見下ろしつつ迂回路を徐々に上っていくうちに、王宮に到着。入場料は100ルピー也。
中に入ると、修復中の箇所、がらんどうの箇所が結構多い。この王宮は19世紀のドグラ戦争以降、住む者のいない廃墟と化してしまっていたのだ。何かが置かれているのはチベット仏教の仏像やチャムの仮面等が安置されているパルカル・ラカンのみである。
レー王宮内部
外観は修復が完了したのか、色鮮やかさこそ無いもののチベット本土のポタラ宮にも似た(レー王宮はポタラ宮のモデルとも言われている。丘の上に建っているというのも両者の共通点だ)威風堂々とした姿を下界の人々に見せ付けている。内部もいつかきっと、往時の輝きを取り戻してくれることだろう。

パルカル・ラカン以外の王宮の楽しみ方は、何と言ってもレーの街を見下ろすことだろう。タルチョの向こうに、造りかけのものも多いが、石レンガを積み重ねて造ったラダック風の家屋が軒を並べている風景を見渡すことができる。賑やかなメイン・バザールも、王宮から見下ろす風景の中ではそのほんの一部にすぎない。
今となってはすっかり無機質でチベット伝統文化のかけらも無い中国人居住区となってしまったラサのポタラ宮周辺も、かつてはこんな感じだったのだろうか――チベットらしさが残るその景色を前に、そんなセンチメンタルな感傷に思わず襲われた。
レー王宮から望む市街

レー王宮を訪れたのなら、そのすぐ近くに登り口があるナムギャル・ツェモという山の上のゴンパ(僧院)を訪れるのが常道だが、この時はポロの決勝戦の時間が迫っていたのでこちらは後日に回すことにして街へと下りた。

しかし・・・

ポロ・グラウンドに来てみると、ギャラリーは集まっているもののポロの試合が行われる気配は一切無い。
と、外国人と思われる男性が試合開始を待つギャラリーたちにこう言った。
「ポロの試合、日程が変更されていたようですよ――昨日に
昨日にって――ということは、完全に見逃してしまったということではないか。
私はがっかりしてポログラウンドを去り、インターネットや夕食を済ませて宿に戻った。

ラダック・フェスティバル(2)

2011年9月12日

香港出発の際のドタバタによる疲れがまだ引かないこと、高地に体が順応しきっておらずゲストハウスの階段を上っているだけで頭がくらくらとしてくること、埃っぽさのためか軽い鼻炎を発症してしまったこと、そして、時差ボケ――「無理せずゆっくり過ごしなさい」という条件が見事に揃ってしまった。この日は軽い散歩(高地順応のためにも少しは必要)、食事、インターネットカフェ、買い物以外は殆どゲストハウスで過ごした。

そんな中でもラダック・フェスティバルを楽しむことだけは休まない。とはいえ、この日はラダック写真展とタンカ(仏画)展というインドアなイベントへ足を運ぶにとどまった。

写真展は、中心街から少し外れた場所にある割と広いホールの壁一面に写真を貼る形式で行われていた。穏やかな人々の表情、ゴンパ(僧院)、ストゥーパ(仏塔)、仏像、チャムなどの催し物、ヤクとともに移動する遊牧民たち――ラダックのさまざまな表情が数々の写真で物語られていた。
そんな中でとりわけ気を引かれたのが、雪に覆われた冬のレーの街の情景を収めた写真だった。一見美しい雪景色だが、その裏には、ラダックの冬の厳しさが物語られてもいる。
夏には照り付ける日射し、冬には雪に覆われる海抜3500mの地――それはまさしくチベットそのものではないか。

そしてタンカ展は、中心寺院であるジョカンの建物の一角を使って行われていた。
展示されていたタンカはいずれも時代を感じさせる年季の入ったものばかりだった。もしかしたらレー王国時代から引き継がれてきたものかもしれない。中国共産党によって壊滅的なダメージを受けた本土のチベット仏教で、今やこれだけ年季の入ったタンカは果たしてどれだけ残っていることだろう――そういう意味でも、貴重なものを見させていただいた。
訪れたチベット人たちは、皆敬虔な表情でタンカを拝んでいた。ものが古いの新しいのは問題ではない。そこに何が描かれているのかが重要なのだ。そして、宗教の展示会というのは見世物的な展示であってはならず、こうして信仰の対象として拝むことができるものでなければならない、ということをあらためて強く感じた。

写真というモダンな手法とタンカというクラシカルな信仰の対象――対照的な2つだったが、併せて見ることでラダックに対する認識が高まったことは間違いない。

(※ 両者とも写真撮影禁止のため写真は無し)

ラダック・フェスティバル(1)

2011年9月11日

レーに着いて真っ先に訪れたい場所があったのでそこに向かっている途中、中心寺院であるジョカンの入り口から重厚な音楽が響いてきた。もしやと思って入り口の向こうを覗いてみると、やはりだった。チベット仏教伝統の仮面舞踏・チャムが執り行われていたのである。
実は、私が今回、飛行機を使ってでも早めにラダック入りしたかったのには理由があった。毎年9月の1日から15日の間、レーとその近辺ではラダック・フェスティバルが開催され、毎日何かしらのイベントが行われるのである。この日は午前11時からジョカンでチャムが行われるスケジュールになっていたのだ。
チャム
私も詳しいことは不勉強なのだが、チャムではいろいろな仮面を被った僧侶たちが入れ替わり立ち代わりステージに出て、管楽器や打楽器の重厚な演奏に合わせて踊りを披露する。今回も、仮面というよりは帽子と覆面をしただけの簡素ないでたちの僧侶たちから、憤怒神(トゥンガム)の仮面をした4人組、骸骨(アツァラ、チティパティ)の仮面をして客席にツァンパ(チベット人の主食である、麦焦がしを粉末にしたもの)を振りまいたりと奔放な2人組、鹿神(シャワ)の仮面をした1人が次々とステージに現れ、最後は総出で踊りを披露してくれた。
チャムは東京・新宿で行われたイベント等で見たことがあるだけで、ぜひとも現地で見たかったチベット芸能の一つだ。偶然の巡り会わせでタイミングよく見ることができた幸運がこれからも続いてくれればいいのだが・・・

チャムが終了して、今度こそ最初に訪れたいと思っていた場所へ赴く。メインバザールから少し上がった所にある、HIDDEN HIMALAYAという旅行社だ。ここにいらっしゃる日本人女性Sachiさんは、現地の人と結婚して上記の旅行社を経営していて、私も来る前からTwitterで連絡を取っていたのだ。Sachiさんから、フェスティバルの日程やレーのインターネット事情(別記事にします)など役に立つ情報を教えて頂く。

昼食をとったり街中を散策したり、宿に戻ってブログの下書きをしてインターネットカフェでブログをアップしたりした後、次なるフェスティバルのイベント会場へと赴いた。
今回のイベントは、ポロの試合である。言わずと知れた馬上のホッケーだが、私は生も中継・録画も含めて、初めての観戦となる。

試合はメインバザールからすぐ近くのポロ競技場で行われた。選手たちはサッカー場と同じぐらいのフィールドをフルに利用して馬を走らせ、木のボールをスティックで巧みに操りながら白熱した試合を展開する。時には観戦者のすぐ近くまでボールが転がってくるが、選手たちは観戦者にお構いなしでボールを追いかけてくるので、見ている方がボールや馬をよけなければならず、時として観戦者たちが大慌てで逃げ惑うシーンも見られた(私自身も2、3度逃げ惑った)。
ポロ
チベット人は元より遊牧民である。馬を利用したイベントとしては他にも天然の平原を利用した競馬などがあり、彼らにとっては打ってつけの競技と言うことができるだろう。

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