バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

下ラダック」の記事

カルギル―レー

2011年10月 1日

カルギルからレーへのバスは定刻通り、5時に発車した。
インドの大型バスは一般的に、乗客の座席部分と運転席を含めた前部が壁とドアで仕切られているのだが、私と田辺さんは予約するのが遅かったためか、運転席側に割り振られた。
しかし、この席が割と面白かった。バスの行く手が他の客席よりも一目瞭然だし、バスを動かすルールが垣間見えたりもする。例えば、

・途中下車する乗客がいたら、車掌が運転席のドアをノックして知らせる。
・後ろの車に抜かれそうになったら、相手に「どうぞお先に」と手で合図する。

等々。
運転席側の座席

また、前日のパドゥム~カルギル間の時もそうだったが、行く時とは逆方向を走っているがために見え方が違ってくること、見えていなかったものが見えることもある。

前者の例は、
ラマユル・ゴンパ
違う角度から見下ろすラマユル・ゴンパ

後者の例は、
バスコのゴンパや城跡
バスコ(レーとアルチの間の街)のゴンパや城跡

同じ場所を通っても、角度・時間(タイミング)・天気等によって変化するから風景というのは面白い。

ところで、先述のバスコのゴンパ等を通過した直後のことだった。
ラダックには、かつて国境紛争の舞台になったという背景から、街道沿いにも軍事施設が多く見られるが、バスコにもそれはあった。そこの軍事施設にはこともあろうに、チョルテン(仏塔)やマニ車が設置されていたのである。
[マニ車を回しながら、チョルテンをコルラしながら、戦争の備えか?]
悲しい、やり切れない、腹立たしい思いで胸がつかえた。

さて、出発前にはカルギル~レーの所要時間は7~8時間ぐらいと聞いていたが、来る時の時間のかかり方を考えてみるとそんなに早く着けるとは思えない。しかし、来る時に大渋滞が発生していた終盤の区間を今回は車の殆ど無い早朝の時間に駆け抜けることができた時は、あるいはもしかすると、と期待させられた。
しかし、やはりそうはうまくいかなかった。
昼を過ぎると、車の通行量が増えたり工事が行われたりで、通行が妨げられる場面が何度か発生した。それでも出発から9時間半後の午後2時半にはレーに着くことができたのは、褒めてやってもいいかもしれない。

1週間ぶりに戻って来たレー――何か懐かしいような、ほっとしたような気分になった。
以前、このブログで「メイン・バザールが騒がしい」「癒しにならない」などと散々書いてしまったレーだが、こうして戻ってくるとその喧騒にまでも懐かしさを覚える。
バスを下り立った私の第一声は、こうだった。

「俺、やっぱりこの街が好きだ」

シャワー

2011年9月27日

ザンスカール・パドゥムの宿は街北部のチャンタン・ホテルに決めた。広くてこざっぱりとしたシャワー・トイレつきの部屋を、300ルピーから250ルピーに値引きさせてもらった。

さて、部屋を決める前に一つ気になることを尋ねてみた。
「ホットシャワーは使えますか?」
「いえ、お湯はバケツで50ルピーの別料金になります」

上の写真を見てもらうと、シャワーはあるし、コックもきちんと2つある。しかし、使えるのは冷水の方だけなのだ。
シャワー
以前、レーの2つ目の宿でシャワーのお湯が出ないと騒いだ私のことだから、別の宿を探すかと思いきや・・・
「分かりました」
と、納得してその部屋に決めてしまったのである。

実は、ラマユルの宿で学習したことがあったのだ。
レーは別として、ラダックではホットシャワーが使えないことが多いのである。例え、寒くなり始めたこの季節でもだ。省エネの一環なのだろうか・・・
ラマユルでもホットシャワーが使えず(宿の主人によると、その宿に限らず地域全体で使えないとのことだった)、石鹸で洗った体を冷たい水でふいて、冷たい水で洗髪をした。この日もその繰り返しである。入浴後は、予め手持ちの魔法瓶に入れてもらった熱いチャイを飲んで体を少しばかり温めたが、それでもまだ寒い。

ラダックに来てあちこち回ろうとする人は、気合で冷水浴するか、体を洗わないかの気構えが必要になるかもしれない。

え? 50ルピーぐらいけちるなと?

(ちなみに、アルチで私が泊まった宿はシャワー・トイレつきの部屋なのに冷水すら出ず、カルギルで泊まった宿では自分の部屋があるフロアにシャワールームが見つからず他のフロアを探すのも面倒だったので、これらの日は入浴せず別の場所に移動した次の日に2日分纏めて冷水浴した。まあ、2日に1回ぐらいでも別にいいじゃないですか・・・)

ラマユル・ゴンパ

2011年9月25日

ラマユルでの「宿の目星はつけていたのだが、そちらの方向に向かって坂を上り始めるや否や、
「Homestay?」
と、ラダッキ(ラダック人)の男性に声をかけられた。値段を聞いてみると、1泊150ルピーだという。安いし、これまでの経験からまたホームステイをするのも悪くないと思ったので、その話に乗ることにした。但し、この宿に限らずこの一帯はホットシャワーが出ないとのことで、日中またしても寒さに震えながら水で体を洗うことになる。

「JULLY HOME STAY」というその宿で昼食をとった後、ここに立ち寄った唯一の目的であるラマユル・ゴンパを目指す。

まず目を見張るのは、その外観だ。真っ白な壁、赤茶色の屋根や窓枠がまばゆいほど奇麗なのは19世紀にドグラとの戦争で破壊されたのを再建したものであるからだが、元の姿が立派なものでなければ、これ程のずっしりとした安定感をもって再建されることはあり得ないだろう。
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中でも私の心を引きつけたのが、本堂に隣接するチョルテン(仏塔)群である。大小18基もあるという中、とりわけ大きな2基はやはり近年になって再建されたものであることは明白だが、スノーライオンや孔雀のレリーフがあしらわれていたりして存在感は格別だ。
チョルテン群
その他小さなチョルテンも、マニ石(経文やマントラ等が刻まれた石)が無数に供えられていて、信仰の具としての役割を果たしている。
チョルテンの林全体の周囲には周回路と、マニ車が設置されている。回しながら歩いていると、一体いつになったら終わるのだろうと思わさせられるほどの数がある。それだけチョルテンの林が広いということだ。そしてよく見ると、マニ車とマニ車の間には石に描かれた仏様が安置されている。まるで、マニ車を回して歩く人々を見守っているかのようだ。
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普通なら本堂が主役でチョルテンは脇役、というバランスが普通だが、このゴンパでは本堂とチョルテン群が言わば“双頭の鷲”の如く対等なバランスで存在している。

再建されたが故の真新しさということもあるが、このゴンパの外観の立派さは、これまで見た中でもかなりのレベルに達していると言えるだろう。

――え? 中はどうかと?
まあ――元々あったものはドグラとの戦争で破壊されたようなので――ごくごく平凡だった。

一旦下界に下りて色々な角度からのゴンパの眺めを楽しんだが、チョルテン群をもう一度見たい余りにまた上って、マニ車を回しながら周回してしまった。
その帰り道、偶然宿の主人と出くわした。挨拶をして、分かれ道の右側を行こうとすると、
「仏教的には左側を行くのが正しいですよ」
と言われた。よく見ると、分かれ道の間にはマニ石がびっしりと敷き詰められたマニ壇が横たわっていた。なるほど、聖地を回る場合は右回りに歩くというチベット仏教の原則を考えると、確かにこの場合はマニ壇の左を歩くのが正しい。
201109250204.jpg
それにしても、このゴンパは今まで見たどこよりも、マニ石が多いような気がする。

アルチ~ラマユル ―トラック・ヒッチ

2011年9月25日

朝7時30分発、と言いながら8時すぎにようやくやって来たレー行きのバスに乗るが、客席は既に一杯だったので、屋根の上に乗って出発する。途中、木の枝が伸びている部分があったりヘアピンカーブがあったりのスリルもあったが、風を切って進む気分は爽快だ。

インダス川に架かる鉄橋を超えて最初に停車した場所で、私はバスを降りた。そして、用意していたスケッチブックを広げる。

I want to go to LAMAYURU

いざ開始。次の目的地・ラマユルに向けてヒッチハイクだ。

初めのうちは、車そのものが殆ど通らず、通ったとしても満員の乗用車ばかりで少し心配になったが、程なくしてトラックが通りかかったので、スケッチブックを大きく広げると停まってくれた。車の中の2人は殆ど英語を話さなかったが、
「LAMAYURU,OK?」
「OK!」
殆どノリと勢いでトラック・ヒッチが実現した。運転手と助手の間に挟まれて、インダスわきの道を下流へ走り始める。

しかし、レー~アルチ間の道がほぼ整備され終わっていたのに対し、アルチ~ラマユル間の道は悪路が多かった。

時には、車1台がようやく通れる程度の橋を渡ることもあり、
橋
時には、すれ違いが無理な場所で前後にうまく退避できる場所を見つけて何とかすれ違う。
201109250102.jpg
道がきちんと整備されていたのは、ヌルラ~カルシ間ぐらいだったのでないか。
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カルシから先はインダス川の支流を上る道となり、目もくらむような絶壁の上を走ることになった。
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途中、前輪を絶壁の淵から外してしまったトラックや、悲惨なことに谷底に転落してしまった大型車(恐らくトラック)が見える現場も目にした。

さて、私が乗ったトラックだが、次々と他の車に追い抜かれるスローペースぶりだった(トラックだから仕方がないが)。しかもかなりオンボロで、アスファルトで舗装されている道でもガタガタ揺れる程である。しかし、運転手の腕は確かで、道中危なげなく難所も切り抜けてくれた。

そして、11時20分、右手の山の上にに大きなゴンパが見えてきた。ラマユルに到着である。

「Thank you!」
「200ルピーね」
しっかりと請求されたが、ここまで難しい道を乗せてきてくれたので、まあいいだろう。

ところで、実は筆者、ヒッチハイクはこれが初めての体験だった
車が停まってくれるか不安だったり、道中の悪路にかなりスリリングな思いをさせらられたりもしたが、その不安やスリリングさも含めて実に楽しい経験だった。

アルチの人々とゾ

2011年9月24日

夕方、アルチ・チョスコル・ゴンパの近くを散歩していると立派なゾ(ヤクと牛の交配種)を連れているおじいさんに出くわした。
「わ、すごい。写真を撮らせてもらっていいですか?」
「写真? それじゃ…はいどうぞ」
と、おじいさんまでゾの頭と角を抱えるようにしてポーズをとる。
おじいさんとゾ

その後、バス発着所の片隅にそのゾが繋がれているのを見つけ、またしてもカメラを向けていると、通りすがりの青年が
「写真? 俺も撮って!」
と、先程のゾの主人とほぼ同様にゾと一緒にポーズをとって写真に収まる。更に、
「国に帰ったら写真を送って下さい」
と、私のノートに名前と住所を書くことまでする。このへんでは、まだカメラを持つこと自体が一種のステータスに値するのかもしれない。

「この次はどこに行くのですか?」
と、青年が尋ねてくる。
「明日、ラマユルに行こうかと思ってる」
「それなら、7時30分にここからレー行きのバスがあるので、それで橋まで行くといいですよ」
これは、いいことを聞いた。本当なら、バスでも10分かかる鉄橋までバックパックを背負って歩くなどという馬鹿げたことをしなくて済む。

それにしてもアルチの人々、陽気で気さくで素朴で、接していて実に楽しかった。

アルチ・チョスコル・ゴンパ

2011年9月24日

次は、バス発着所から見て逆の下る方向にあるアルチ・チョスコル・ゴンパに向かう。ゴンパ自体には先程既に訪れていたのだが、Lunch Breakに入っていたため、中を見るための最訪問となる。

しかし、堂の入り口は閉ざされているし、開けてくれそうな人も見当たらない。
「ジュレー」「Excuse me」
繰り返しながらウロウロしていると、境内中央のエリアで手を洗っている気難しそうな老僧がいた。
「中を見せて頂いてもよろしいでしょうか?」
そう言うと、老僧は黙って境内中央エリアのドゥカンの扉を開けてくれた。
「No Photo!」
拝観料を払う際、老僧は肩にカメラを掛けている私に釘を刺した。ここでは、例えNo Flashであろうと写真撮影は厳禁なのである。

この堂は手前の部屋と奥の部屋=ドゥカンに分かれていて、手前の部屋は壁に描かれたごく普通の仏画と、ドゥカンとの間を仕切る壁の中に仏像が安置されている。
そして、ドゥカン――先程見たトゥジェチェンポ・ゴンパのものに劣らない見事な曼荼羅に心を奪われる。そして、扉の枠部分に木彫りの彫刻が成されていたりもして、その芸の細やかさに驚かされる。

ドゥカンの参観を終えて外に出ると、今度は一番奥のエリアに促される。ここにはロツァサバ・ラカンとジャムヤン・ラカンという2つの部屋があるが、前者はこの時閉鎖されていて、見ることができたのはジャムヤン・ラカンだけだった。
ジャムヤン・ラカンには中央に4対のジャムヤン像が四方に顔を向けて安置されている。私は外の明かりに照らされている正面のジャムヤン像しかじっくり見なかったが、象やスノーライオン、ガルーダなどの小さな像があしらわれているのが印象に残った。壁はやはり、見事な曼荼羅や千仏画等で彩られている。

そして最後に、一番手前のエリアにあるスムツェクに促された。
201109240401.jpg
参観できた1階の壁には曼荼羅は無く(入ることのできない2階、3階には曼荼羅があるらしい)、千仏画が主だったが、ここで心を奪われたのは壁画ではなかった。
左・正面・右に安置された、高さ5メートルにも及ぶ立像が、この部屋の主役である。左のものは白、正面のものは黄色、右のものは橙色で全身を塗られている。その規模に圧倒されつつも、2階部分にはみ出ているご尊顔は穏やかで、心が休まる思いがした。そして、ここにも細かい部分の芸が――立像のズボン部分に、彩り鮮やかな仏画が描かれているのである。

いずれの部屋も、その芸術性の高さに舌を巻かれる思いだった。そして、これだけのものを見せつけられると信心の高揚も自ずから内面からわき起こってくる。エツコさんや吉田さんが強く勧めるのも良く分かる。
写真撮影が不可なのは、写真好きとしては少々残念だったが、これだけ素晴らしいものは現地でなければ見られない状態にしてこそ価値が上がるというものだろう。

トゥジェチェンポ・ゴンパ(アルチ)

2011年9月24日

さて、アルチのゴンパ地区に戻ったところで、ゴンパ見学である。
この地区にはゴンパが4つほどあるが、私はそのうち2つに絞って訪れることにした。

まず、山の斜面を少し上がって橋を渡った先にあるトゥジェチェンポ・ゴンパへと向かった。
トゥジェチェンポ・ゴンパ
しかし、着いてはみたもののどの建物も閉ざされているか、工事中かのいずれかである。よくよく手持ちのガイド本を見ると「開くのは朝夕のみ」と書かれている。
[タイミングを間違えたか…]
と、引き揚げようとした時のことだった。
「ジュレー」
中からラダッキ(ラダック人)のおばあさんが声をかけてきた。ラダック語で話しかけてくるので言葉の内容は分からないのだが、私の持っているガイド本を見せなさいと身振りで言ってくる。トゥジェチェンポ・ゴンパのページを見せると、
「そうそう、ここね」
と言う。どうやら、拝観料を払えば中を見せてくれるようである。財布の中から10ルピー、20ルピーと出したところ、30ルピーで開けてもらえることになった。
おばあさんは1、2分ほど中に引っ込んだ後、若い女性に私が支払った30ルピーを渡しながら出てきた。その後は、その女性が案内してくれた。
(それにしても、ゴンパの管理に俗人の女性が携わっているってどういうことだろう…)

案内されたのは、工事真っ最中の建物だった。1階の部屋の鍵を開けてもらって中に入ると、正面のケースに観音像が安置されている。
しかし、この部屋の主役は観音像ではなかった。
おびただしい数の仏様(千仏画)と、大小の曼荼羅が幾つも描かれた壁こそが、この部屋の主役だった。よく見ると、吹き抜けになっている先の2階、3階にも壁に仏画が描かれている。
曼荼羅

その部屋の参観が終わると、女性は鍵を閉めて立ち去って行った。それでもまだ何かがありそうな気がしてウロウロしていると、工事をしていた俗人の男性が
「2階にもありますよ」
と言ってくるので誘われるがままに上がって扉を開けてみると、今度は本尊があるべき部分に大きな曼荼羅の壁画が描かれ、周りの壁にはやはり千仏画が描かれていた。
201109240303.jpg
1階に戻ると、やはり工事をしていた俗人の男性が
「こちらもどうぞ」
と、先程まで正面の床の工事で自分が塞いでいた扉の向こうへと促す。
そちらにも入ってみると、真ん中にポツンとチョルテン(仏塔)が1つ建っている。
しかし、ここでも主役はチョルテンではなかった。やはり、壁に描かれた大小さまざまな曼荼羅とおびただしい数の仏様が圧倒的な存在感を放っていた。
201109240304.jpg

どの曼荼羅も仏画も、美術的レベルの相当高いものである。しかし、ここで感じるべきは芸術性よりもやはり宗教性だろう。
不思議な気分だった。まるで自分が、この世とは違う仏教の世界にいざなわれたような感覚に襲われた。既にラダックで幾つものゴンパを訪れたが、現世を離れたような感覚はこれが初めてだった。

不思議といえばもう一つ――このゴンパでは、僧侶にお目にかかることがついぞ無かった。

アルチ・ユルコル地区

2011年9月24日

目当てのゴンパがLunch Breakに入っていたので、時間潰しがてら、鉄橋まで歩かなければならない場合を考えて、ショートカットを探したりしながら鉄橋までのコースを確認する。

その帰り道、ゴンパ地区の手前にあるユルコル地区にちょっと入ってみた。住居よりも宿や売店等の方が多いゴンパ地区に比べ、ユルコル地区は住居が多く学校もあるので、街機能としてはこちらの方がむしろアルチの中心部だと言えるのかもしれない。
チョルテン(仏塔)が建ち並ぶ前にある小学校では、子どもたちがどこからか石を持ってきて校庭の隅に運んでいく。いったい何の作業なのだろう。マニ石でも作るのだろうか…。
ユルコル地区の小学生

この地区で最も目を引くのが、レー王宮にも似た城である。あわよくば中へ、と思っていたのだが、入れそうもない。と言うより、誰かが生活しているような気配すら感じられた。
城

レー → アルチ

2011年9月24日

前日、「夜10時まで開いています」と言っていた洗濯屋に9時すぎに行ってみたら、既に閉まっているではないか…
[おいおい、出していた洗濯物を受け取らないとレーを離れられないぞ]
一時はこの日朝8時の出発が危ぶまれたが、7時にその洗濯屋がシャッターを開けてくれ、洗濯物を受け取ってどうにか余裕を持ってレーのバスターミナルに行くことができた。

バスターミナルで1人の日本人男性を見かけて声をかけてみたところ、寄り道はしないものの私同様ザンスカールを目指しているという。
「レーからの直行バスが見当たらなくて…」
「カルギルからパドゥム(ザンスカールの中心都市)へのバスも少ないみたいですよ」
カルギルを経由してパドゥムを目指す私にとって、少し不安材料が発生してしまった。

しかし、今の私にとってはまず次の目的地・アルチに向かうことが当面の目標だ。
8時発のアルチ行きのミニバスの屋根にしっかりとバックパックを固定して席に着き、午前8時、レーを出発する。
ミニバスの車内
ミニバスの車内

実は、アルチ訪問は2日前に急遽決めたことだった。
事は、パンゴン・ツォからの帰り道の途中で「にゃむしゃんの館」に立ち寄った時の会話に始まる。

「え? まだアルチに行ってないんですか? あそこには絶対行かないと!」

ラダックに来るに当たって殆ど全くと言っていいほど予習をしていなかった私が「アルチってどこ?」的な発言をするや否や、「にゃむしゃんの館」の女主人エツコさんとパンゴン・ツォへ一緒に行った吉田さんが一斉にそう言った。何でも、仏教美術の素晴らしいゴンパがあるという。
そう言われると行かない訳にはいかない。アルチはちょうど、レーからザンスカールへ行く途上にあるのだから、その行程に組み込めばいいだけの話だ。

ということで、アルチに立ち寄ることにした次第である。

アルチは下ラダック、即ち、レーから見てインダス川の下流の地域に属する街だ。バスはインダス川を下っていくコースを取るのでほぼ下りばかりのコースになるかと思いきや、レー空港を離れて暫くするとどんどん砂漠の山を上って行く。やはりラダックほどの山がちな地域となると、コース取りもそう単純にはいかない。

そうこうしているうちに、山道は下りとなり、再びインダス川が見えてくる。幹線道路はそのままインダス川北岸を先の方へ伸びていくが、アルチ行きのバスはここで幹線道路を外れ、鉄橋を渡ってインダス川南岸へと進んでいく。

鉄橋を渡って10分後の10時半、アルチのバス終着点に到着。終着点とは言ってもバスの発着が1日計4回しかない街なのでバスターミナルと言うよりは単なる駐車場のような場所である。

宿は、手持ちのガイド本に「最も安い」と書かれていたLotsava Guesthouseにするが、それでも300ルピーかかった。今回の旅で初のバス・シャワー付きの部屋となったが、お湯はおろか水も殆ど出てこない。窓の外は農村風景だが、下手に窓を開けて外の空気を吸おうとするとハエが何匹も入り込んでくる。ちょっと失敗した。

周囲は前述の通り農村地帯で、牛や羊、ゾなどの家畜の姿が見られる。後でちょっと上手に上った時には、立派なヤクの姿も見ることができた。
「モー」や「メー」のほか、ロバがオットセイかチューバッカのような奇妙な声を上げるのが時折聞こえてくる。

さて、到着したばかりで少し気が早いが、次の目的地への移動方法を考えよう。レー方面なら直行バスが出ているが、私の進む逆方向にはバスが出ていない。どうすればいいのか、バスの終着点と宿で確認したところ、答えは一緒だった。

「鉄橋まで何とかして行って、そこからバスなりトラックなり拾ってください」

“何とかして”というのはつまり――最悪の場合、バスで10分かかった距離を「歩け」ということである。

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