バス憧れの大地へ

世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

ザンスカール」の記事

ザンスカール―カルギル(2)

2011年9月30日

カルギルへの車は、7時すぎになってようやくパドゥムを出発した。

来た時と同じ道ではあるが、進行方向が逆だと見える景色も違う。また、何度見てもいい景色というものもある。特にドゥルン・ドゥン氷河では、私も田辺さんもテンションを上げて、埃っぽい荒野を走っているにもかかわらず車の窓を全開にして写真を撮り続けていた。

今回特に印象に残ったのは、道と川の方向が西向きから東向きへと変わった後のスル谷の景色だった。山と山との間に、スル川が切り開いた広大な谷が横たわっているのである。
『風の谷』

[これこそ、『風の谷』だ・・・]

私は名作アニメ『風の谷のナウシカ』の情景を思い浮かべていた。

4年前、私は『風の谷』のモデルではないかといわれる同じくカシミール地方の、現在はパキスタンの実効支配下にあるフンザを訪れて、その清らかで幻想的な谷の風景に、なるほどこれは『風の谷』のモデルかもしれないな、と感じたものだった。ただ一つ、あの名作の谷に比べて狭いかな、という違和感だけがぬぐえなかった。

今眼下に見える風景はどうだろう。山と山に挟まれた広大な谷の中に、川が流れ、小さな家屋が点在し、収穫後ではあるが田園風景が広がり、緑の木々が林を形成している。
『風の谷』のモデルは実は、フンザよりもむしろその上流にあるラダックではあるまいか――そんな気がしてならなかった。

さて車は、なぜか途中で発電用のタービンをピックアップしつつ、スル川に並行する道を下っていく。行きと同じ3箇所のチェックポイントでパスポートチェックを受ける毎に、ザンスカールから遠ざかっているのだな、ということを感じる。

スタートで出遅れたため明るいうちに到着できるがどうかやや不安だったが、車は出発から10時間強の午後5時半、カルギルのメイン・バススタンドに到着した。その10時間の間トラックの荷台に置かれていたバックパックは、荒野の風に吹きさらされて埃まみれになっていた。

到着して真っ先に行ったのが、メイン・バススタンドでレー行きのバスを探すことだった。これが見つからないと騒がしいだけで何の面白みも無いカルギルで余分な長居を強いられることになる。
ところが探し始めて1分とたたないうちに、至極きれいなレー行きのバスが見つかる。運賃は1人300ルピーと、思っていたよりも安い。私と田辺さんは即そのバスのチケットを購入し、出発時間である翌午前4時半まで近くのゲストハウスで一息ついた。

ザンスカール―カルギル(1)

2011年9月30日

早朝5時。カルギルに向かうべく宿を出た。まだ暗い東の空には、雪を冠したザンスカールの山の頂が白く輝いている。
山の頂が白く輝いている

5時すぎになったら泊まっていた宿の前で私を拾ってくれるはずのカルギルへの車がなかなか来てくれない。待っているうちに6時になってしまった。業を煮やして、車が出発するパドゥム・ゴンパ近くのゲストハウスにこちらから出向いてみると、何やら準備中の様子の小型トラック車が停まっていた。
前日その車の件で声をかけてくれた田辺さんによると、
運転手が寝坊したらしいです
とのこと。あり得ない・・・

ようやく運転手が準備を終え、そのゲストハウスを出発する頃には7時前になっていた。乗客は私と田辺さんのほか、インド人が3人だった。

ところが、出発したかと思うとすぐ、私が泊まっていたゲストハウスの手前にあるレストランで停まって朝食&モーニングチャイ。

私が宿を出てから2時間経過して、宿からカルギルまでの移動距離、-100m・・・

カルギルへの交通手段決定

2011年9月29日

宿に戻り、夕食でもとろうかと表に出たところ、ザンスカールへ向けて出発しようとしていたレーのバスターミナルで少し言葉を交わした日本人男性・田辺さんに出くわした。一緒に夕食をとりつつ、レーへの交通手段について話をする。
「取りあえずカルギルまでの車を宿で安く(500ルピー)手配できそうなのですけれど――空きがあったら一緒にどうですか?」
と、田辺さんが言う。
願ってもない話だ。私もちょうど、ザンスカールを離れようかと思っていたところである。

夕食を終えて、宿で冷水浴を終わらせたところ、ドアをノックする音がする。田辺さんだった。
「車の席に余裕があるので、明日の朝5時出発で行きましょう」
これで、ひとまずカルギルまでの足は決まった。後はカルギルでレー行きの足を確保するばかりだ。

パドゥム・ゴンパ一帯

2011年9月29日

ギャワ・リンガ磨崖仏を目の当たりにしてザンスカールに満足しはしたが、せっかくなのでパドゥム・ゴンパ一帯を散策してみよう。既に夕方の5時を回っていたのでゴンパに上って内部を見るのはちょっと無理だろうが、ゴンパに対する未練は既に無い。

パドゥム・ゴンパ
パドゥム・ゴンパ一帯は、ほんの数年前まではマーケットあり、バスターミナルありの街の中心地だったらしいが、今ではその座を街の北側に奪われ、バスターミナルは空き地となり、マーケットはすっかりさびれてしまって、往時の賑わいは失われてしまっている。

だからと言って、みすぼらしいばかりの場所だという訳ではない。ゴンパへ向かう村落の中の道を歩いていると、家屋の造りは他の場所と同じなのにもかかわらず、
[ここは――ザンスカール王国時代の町並みではないのか?]
そんなことを思わせる、落ち着きのある古めかしい雰囲気に満ちている。
パドゥム・ゴンパ界隈

最後の最後に、いいものを見せてもらった。既にザンスカールを満喫しきった心に、新たな充実感がプラスされた。

ギャワ・リンガ磨崖仏

2011年9月29日

少し宿で休んだ後、今度はパドゥムの南へと向かった。

何が何でも見ておきたい場所の残る1箇所――それが、ギャワ・リンガ磨崖仏だった。パドゥムの東側を流れるツァラプ川の岸に立つ大岩に刻まれた仏たちである。

手元のガイド本を見ると、谷の底近くに架けられている橋に通じる小道を降りて、更にその橋の先にあるという。その通りに進んでいくと、遂には川辺にまで降りてしまい、更に川辺を歩くことになった。
しかし、なかなかその岩が見つからず、それがそうなのだろうと見回してみると、上の方にタルチョ(五色の祈祷旗)が飾られている岩が見つかった。
タルチョのある所に仏教あり――その原則に従えば、あれに間違いない。川辺からその岩まで上ってみると、まずチョルテン(仏塔)が刻まれているのを確認することができた。
岩に刻まれたチョルテン

岩の別の側面へと移動してみる。すると、岩肌に5人の仏たちがくっきりと刻まれているではないか。
ギャワ・リンガ磨崖仏

これを見た瞬間、私は思った。

[これで、心置きなくザンスカールを後にすることができる・・・]

私がラダックに求めていたのは、ゴンパではない。チベット仏教そのものなのだ――先程サニで見たチャンパ石仏やこの磨崖仏が、私をそんな原点に立ち返らせてくれた。もはや、
ゾンクル・ゴンパに対する未練もサニ・ゴンパの内部に対する未練も大幅に(100%とは言えないが)消えてくれた。
それに、ザンスカールについて仏教以上に楽しみにしていたのが、自然の風景だった。トレッキングこそしなかったが、これについても既に十分に満足していた。実は、パドゥムに来る途上で目にした大自然の風景だけで既に大満足していたのである。
もっと長居してもよかったのだが、手持ちのルピーの問題もあるし、ラダックの旅行シーズンがそろそろ終わりに近づいてもいることだ。

[よし、行こう]

問題はレーに向かうための交通手段だ。

ところで、ギャワ・リンガ磨崖仏への道だが、わざわざ谷底に降りなくてもフラットな道筋で行けることに、帰り道で気がついた。

サニ―パドゥム

2011年9月29日

さて、サニからの帰りだが、このあたりにはバスという交通手段がまず無い。乗り合いタクシーやジープ、トラックなどが来るのを待って乗せてもらうしかない。
しかし、その車がなかなかやって来ないのがザンスカールである。

暫くは地元の「Photo!」などとまとわりついてくる可愛い地元の子どもたちを相手にしながらサニの道端で車が来るのを待っていた。
サニの子どもたち

しかし、このままじっとしていて車が来ない場合を考えると、少しでもパドゥムに向けて前に進んだ方がいいだろう、と思い立ち、私は昨日に続いてウォーキングに踏み切った。

幸い、道は大した上り坂も無くほぼ平坦で、途中には道としてまずまず整備された近道もあった。道のりも7km程度と昨日ほどではない。むしろ、途中の風景を楽しみながらパドゥムへの道を歩いた。

途中で渡った鉄橋
途中で渡った鉄橋

途中で通りかかったチョルテンとマニ壇
途中で通りかかったチョルテンとマニ壇

途中で写真を撮ったりしていたのでペースは遅くなったが、約1時間40分でパドゥムに到着した。
そして、その1時間40分の間に私を追い越した車両は――僅かに5、6台だった(前半は停めようとして手を挙げても停まってくれなかったが、後半は「最後まで歩いてやれ」という気持ちになって手すら挙げなかった)。
これが、ザンスカールの交通事情の実態である。

サニ・ゴンパ

2011年9月29日

何が何でも見ておきたい場所は、あと2箇所あった。その一つが、パドゥムから北西へ7kmの場所にあるサニ・ゴンパ(サニ・パレス)だった。幸いにも、乗り合いタクシーがすぐに見つかったので早速向かった。

サニ・ゴンパは珍しく平地に建てられたゴンパである。本堂が一つと、チョルテン(仏塔)が幾つかあるだけの小さなゴンパだが、その本堂の内部が素晴らしいらしい。
本堂の周りは工事中で、マニ車の列を設置するスペースはできているものの、肝心のマニ車がまだ設置されていない。しかし、本堂そのものはかなりきっちりとメンテナンスされているようで、真新しさすら感じさせられる。
サニ・ゴンパ
――にもかかわらず、塀を工事している俗人のインド人以外、全く人けが無い。本堂の扉も固く閉ざされている。境内の井戸へ水をくみに来た女性にも確かめてもらったが、やはり誰もいないようである。

仕方が無いので、先に境内の外にあるチャンパ石仏を見に行くことにした。実は本堂以上に見ることを楽しみにしていたのがこちらなのである。
こちらも入り口は閉ざされているが、外から覗くことはできた、チョルテンの前に、1000年以上前のものとは思えないほど保存状態のいい石仏が並んでいる。ここでお祈りをして、本堂の中を見ることができないイライラを少し和らげた。
チャンパ石仏

しかし、1時間以上待っても誰も来る気配が無い。この分では、幾ら待っても無駄となる可能性も十分にある。
残念ながらの連続だが、サニ・ゴンパ内部の参観も諦めざるを得なかった。しかし、立派な本堂の外観とチャンパ石仏を見ることができたので、まあよしとしよう。

サニにはこのほか、地元民に神聖視されている小さな湖もあり、仏教以外に自然も楽しむことができる。
サニの湖

ツーリスト・オフィス

2011年9月29日

一度パドゥムに戻って、中心街の一番北にあるツーリスト・オフィスを訪ねてみた。色々得ておきたい情報があったのである。
入り口には看板があり、そこには近郊の名所が列挙されている。ちなみに、昨日行ったカルシャまでの道のりは12kmとのこと――直線距離を道のりと勘違いして片道6kmのつもりで歩いて行ったのが、実はその2倍もあったのだ。思っていた以上に時間がかかったはずだし、思っていた以上に疲れたはずだ。
ツーリスト・オフィス看板

オフィスに入ると、少し年のいった係員がフレンドリーに出迎えてくれた。

まず聞きたかったのが、ゾンクル・ゴンパへの行き方だった。パドゥムから北西へ20kmほどのアティンから更に5kmほど歩かなければならない場所にある独特なスタイルのゴンパらしいのだが、何とか日帰りで行きたいと思っていた。
「タクシーをチャーターして行くことになりますね」
やはりそうなるのか・・・。
「その場合の参考価格は、3300ルピーになりますね」
この値段が、大きな壁となった。
パドゥムで両替やキャッシングができるのなら、それだけのお金を用意して行ったかもしれない。しかし、ザンスカールでは外貨両替が一切できないのである。3300ルピーも払ってしまうと、手持ちのルピーが足りなくなる恐れがあったのだ。

万難を排してでも行きたいという程ではなかったので、残念ながらゾンクル・ゴンパは断念せざるを得ないようだ。

更にもう一つ、確認したいことがあった。レー行きのバスがいつ、どこから出るかということだ。
「レー行きのバスは、毎週2回、この近くから出ます。出発時間は午前3時半になります」
「前回のバスはいつ出発しましたか?」
「前回は――2、3日前でしたかね」
となると、明日にでも次のバスが出る可能性がある。となると・・・

[明日出発してもいいように、今日のうちにどうしても行きたい所には行ってしまおう]

私は、明日ここを出発する心の準備をして、早速行動に出ることにした。

パドゥム北部

2011年9月29日

起床がいつもより遅くなったものの、昨日疲れきった体の調子はだいぶ良くなっていた。
初めのうちは、今日は近場だけにしてできるだけ体を動かすのは控えようと思っていたのだが、結果から言うと、この日も精力的に動き回ることになる。

この日はまず、昨日よりは手前のパドゥム北部に出かけた。最初に、昨日もすぐそばを通りながら後回しにしたピピティン・ゴンパを訪れる。小高い丘の上、本堂の背後にチョルテン(仏塔)が建てられているその外観は、巻貝に入ったヤドカリのようで面白い。
ピピティン・ゴンパ

ご本尊は千眼千手十一面観音。黄色い布で覆われていて、顔がたくさんあるのは分かるが手が全く見えなかったのが少し残念。
千眼千手十一面観音

放牧されている家畜や農作業をする人々を横目に、畑を横切る形で次の場所へ向かう。

実はパドゥムには今でもパドゥム王家が続いている。かつては街の南にあるパドゥム・ゴンパそばに王宮があったのだが、今は街の北外れにあるポタンで暮らしている。
ポタン
その敷地には真新しいゴンパもあったが、周りは人を寄せ付けぬかのように囲いで覆われていて、とても中に入れそうになかった。
かつて権力を握っていた一族が今では外部から隔離されているようである。滅びてはいないものの、そこには「栄枯盛衰」の物悲しさが感じられた。

竜巻

2011年9月28日

カルシャからの帰り道。パドゥムの街に着く直前のことだった。
行く先で、ものすごい勢いで砂埃が立っている。

[おい、冗談じゃないぞ。あんな埃に直撃されたら、今コンタクトレンズだし、鼻炎もぶり返すではないか]

しかし、よく見ると、天に向かって舞い上がる砂埃は少しずつ移動している。しかも、渦を巻いてはいないか?
201109280501.jpg
竜巻だ・・・

幸いにも、規模が小さく、家屋や家畜を吹き飛ばすような被害は無く、高い山にぶつかったところで竜巻は消えた。

それにしても、竜巻なんて、リアルで見るのはこれが初めてだった。

売店が無い!

2011年9月28日

カルシャ・ゴンパ、チューチグザル・ゴンパのほか、もう少し歩いた場所にあるゴンパにも訪れようと思っていたのだが、そうもいかない状況になってきた。

まずは、脚が張ってきたことである。
普段の私なら、1日20km程度歩いたところで全く平気なのだが、ゴンパの階段を計算に入れるのを忘れていたのだ。
脚ばかりではない。背中や肩まで張ってきた。こんなことは、これまで何度も長距離ウォークをしてきたが未だかつて無い。

これは恐らく、パドゥムに着くまでの3日間連続で、バスやトラックやジープで悪路を延々と移動したことの疲れが知らず知らずのうちに溜まっていたのだろう。たった一夜明かしただけでこの歩きは余りに無謀すぎた。

そして最悪だったのは、水が尽きたことである。
カルシャ・ゴンパ麓に売店があるという情報があったので、水はそこで買い足せばいいと思っていた。
確かに、売店は2件あった。
しかし、1軒目では、
「Finished(売り切れたよ)」
2件目では、
「ここには無い。あっちの店(『Finished』と言われた1件目)に行ってくれ」
と言われる始末である。

単に水というだけならそのへんに幾らでも流れている。しかし、インドで恐らくLocal Waterを飲んだせいで激しい下痢に見舞われたトラウマを持つ私には、どうしても川の水を飲む気にはなれなかった。小川の水はきれいでも、その水が流れ込む大きな川の水は白濁した奇妙な色になっているので、成分として何が含まれているか分かったものではない。

次の目的地では、売店など到底望めそうにもない――ザンスカールとはそういう所なのである。
水さえ補給できれば何とかできたかもしれないが、このまま余計に歩き続けるのは無理である。パドゥムに帰り着くのが限界だろう――残念だが、ここで引き返さざるを得なかった。

カルシャ側とパドゥム側を隔てる橋を渡る。その先は・・・
売店はおろか、家屋一つ見当たらない荒野である。
201109280401.jpg
左側の雪山の下に小さく見えるのがパドゥムの街

売店の他に、もう一つ「無い」ものがあった。パドゥム方面に向かう車である。これではヒッチハイクも無理である。
どうせ車が来ないなら・・・と、私は道なりに歩かず、荒野の中の最短距離を歩き出した。

渇く・・・
疲れる・・・

唯一の癒しは、目の前に連なる雪山の涼しげな景色だった。

カルシャ・ゴンパ麓から歩くこと2時間(どう考えても、6kmというのは直線距離としか思えない)――ようやくパドゥムに到着。そして、ここでようやく、ミネラルウォーターを売っている売店を見つけることができた。

繰り返しになるが、ザンスカールではパドゥムやカルシャ等を除き、売店と言うものの存在を期待してはいけない。ついでに言うと、売店があったとしても、ソフトドリンクの類は殆ど全く売っていない。
それでも現地の人々は、きちんと暮らしているのである。

チューチグザル・ゴンパ

2011年9月28日

次に目指すは、チューチグザル・ゴンパ。カルシャ・ゴンパとは肩を並べるようにして建っているが、規模はその数分の一程度だ。
チューチグザル・ゴンパ
それに、隣り合わせとは言ってもその間は谷によって隔てられているので、一旦カルシャ・ゴンパから下りてまた坂道を上らなければならない。
ちょっと離れた場所から道を探し、畑を越え、チョルテンの並ぶちょっとした丘を越え、ようやくつづら折の緩やかな道を見つけた。もうショートカットはせず、道なりに歩く。それでも、これまでの疲れの蓄積から、到着する頃にはまたも、息も絶え絶えになっていた。

向かって右側にあるお堂に入ると、4人のお坊さんが談笑していた――いや、お坊さんではない。尼さんだ。ここは尼寺だったのである。カルシャ・ゴンパと比べて規模が小さかったのも、尼さんの数が少ないことが理由なのかもしれない。
お堂の階段を上がろうとすると、
「ここは入れませんよ」
と言われると同時に、中からものすごい勢いで小さな犬が吠えながら駆け出てきた。なかなか優秀な番犬である。
ここで入れるのは、向かって左側にある大きなラカンだけである。先程中庭にいた尼さんの1人に扉を開けてもらって中に入る。
ラカンの中には、小さなチョルテン(仏塔)や仏像を前に従えた、高さ6mにもなる金色の千眼千手十一面観音像が安置されていた。実は、「チューチグザル」とは「千眼千手十一面観音」の意味なのである。ちょっと目つきは悪いが、観音様らしい穏やかなオーラを発している。
千眼千手十一面観音像

観音様の表情に癒されたのか、ラカンを出る時には少しばかり気分が軽やかになっていた。

さて、ゴンパを下りる段になって、来る時とは別の坂道を見つけた。足元はコンクリートでしっかりと固められている。来る時の坂道よりも傾斜は少々きついが、こちらの方が時間はかからずに済みそうである。
坂道を下り切ると、先程までいたカルシャ・ゴンパの真下に辿り着いた。間違いなく、ここからこの道を行けばもっと時間を短縮することができただろう。
それにしても、この道は余りに分かりにくく、見つけにくい。

カルシャ・ゴンパ

2011年9月28日

目的のカルシャ・ゴンパの麓に到着した私は、2時間半もかけて歩いてきたことを少々後悔した。
ゴンパは崖にへばり付くようにして、かなり高い位置まで建てられていたのである。
カルシャ・ゴンパ
上り始めのうちは小川のほとりで遊ぶ子どもたちや、水浴びを嫌がって飼い主から逃げようとする羊を上から眺めて楽しんでいたが、それが見えなくなると急な坂に脚の筋力を奪われ、汗も出て、息も絶え絶えになり、身も心も疲れが蓄積されてくる。
それでも、最上部からザンスカールの広大な景色を見ていると、少しは気分が晴れやかになってくる。
ザンスカールの広大な景色

最上部にある本堂の右側の部屋に入れさせて頂く。正面には中央にダライ・ラマ14世の写真が置かれていて、その左右には経典の棚や金色の像などが安置されている。右側の壁には色鮮やかな仏画が描かれていたが、現在作成中のようで手前半分はまだ下絵状態。そんな中、一番手前には子どもの悪戯描きのような絵が描かれていた――と言うより、間違いなく小僧さんの悪戯描きだろう。

本堂左側3階の部屋は最初鍵が掛けられていたが、やがてやって来たお坊さんに開けていただいて中に入れてもらった。
入ってすぐの部屋は正面に仏像やチョルテンが安置され、壁には仏画が描かれていたが全体的にがらんとしていてもの寂しい。
と、お坊さんが「奥へどうぞ」と促す。誘われるがままに入った奥の部屋は、手前より狭いながらも、正面には聖者たちの像などがずらりと並んでいて、こちらの方が壮観だった。
奥の部屋
正面右の方に、ツァンパ(麦こがしの粉末)にお布施が刺されている台があった。私もそれに倣ってお布施の紙幣をツァンパに刺すと、その様子を見ていたお坊さんが私を呼びつけた。何かと思うと、お布施の台帳に名前やパスポート番号まで記入を求められ、更にはお布施の証明書のようなものまで頂いた。
こんなものまで出していただいて恐縮である――たった10ルピーのお布施だというのに。

中身もなかなかのゴンパだったが、とにかく上るのに疲労困憊させられた。このゴンパで一番テンションが上がるのは、少し遠目から崖にへばり付くゴンパの全体像を見た時かもしれない。

ザンスカールの朝

2011年9月28日

パドゥムは、ザンスカールの中心の街。
しかし、同じ中心の街とはいえ、レーとはかなり違う。
賑わいのある北のマーケットから一歩足を踏み出すと、そこはもう農村地帯。
雪山がすぐそこに見える田園地帯で、ゾ(ヤクと牛の交配種)、牛、馬、ロバ、ヤギ、羊たちが草をほおばっている。
家畜たち

勿論人間たちも、籠を背に拾い物をしたり、家畜を追ったり、ゾを使って畑を耕したりしている。
201109280102.jpg

そんな中を歩いていると、実に空気がすがすがしい。深呼吸をしながら「空気がおいしい」と心の底から思えたのなんて、どれだけぶりだろう。

さて、私が今回目指しているのは、パドゥムの北東6kmほどの場所にある(とガイド本にかかれている)ゴンパだ。片道6km程度なら、私の脚なら余裕で歩いて往復できる距離だ――ということで、歩いていくことにした。
上記の田園地帯を過ぎると、荒涼とした荒野となる。しかし、その荒野のすぐそばに、割と大きな川(スル川)が流れているから不思議なものだ。
スル川

その川のほとりに出ると、向こう岸に目標のゴンパはもう見えている――というのに、橋が遠い。一番近い場所ではなく、橋が一番短くて済む場所に造られているのである。おまけに、橋までの道も最短距離ではなくやや遠回りに造られている。ようやく辿り着いた橋の位置は、目標のゴンパを少しだけ過ぎていた。

橋からゴンパまでも結構離れている。おまけに道が曲がりくねっていて随分なロスになるように思われたので、私は道の無い最短距離を進むことにした。
傾斜はそれ程でもないのだが、石がゴロゴロしていて歩きにくい。おまけに、出掛けは寒かった天気がいい陽気になり、暑さと厚着で汗ばんでくる。

パドゥムを7時40分ごろに出発し、橋に到着したのが9時20分。ゴンパの下に到着したのは10時15分――写真を撮りながら歩いたり、坂道を上ったりしたとはいえ、6km程度の歩きにしては余りに時間がかかりすぎている。
私はようやく、ガイド本に書かれていた「6km」というのが直線距離であることに気がついた。

西ラダックのインターネット

2011年9月27日

「インターネット環境の怪しい下ラダック、ザンスカールへと向かう」などと書いて西の方へ出発したが・・・

・カルギルにインターネットカフェあり。
場所は、メイン・バススタンドから表通りへの道を歩いて、表通りに突き当たったら左に曲がってすぐの右手にある建物の2階(同じような店が2軒あるが、奥の方の店)。
通信速度は、レーの平均的なインターネットカフェより速い。

・パドゥムにインターネットカフェあり。
1. 場所は、北の中心街。カルシャへ向かう分かれ道のある三叉路から少し南へ行った所の、MARQ Guesthouseのある建物の1階です。
但し、私のいる間はずっと閉まっていた

2. 場所はやはり、北の中心街。カルシャへ向かう分かれ道のある三叉路からカルシャ方面とは反対側の路地に入った先の旅行社兼サイバーカフェ。
但し、行ってみたところ「Close」と言われた・・・。

という訳で、カルギルからはブログの更新ができた。
ザンスカールからは、残念ながら更新ができず、レーに戻ってからに持ち越し・・・

シャワー

2011年9月27日

ザンスカール・パドゥムの宿は街北部のチャンタン・ホテルに決めた。広くてこざっぱりとしたシャワー・トイレつきの部屋を、300ルピーから250ルピーに値引きさせてもらった。

さて、部屋を決める前に一つ気になることを尋ねてみた。
「ホットシャワーは使えますか?」
「いえ、お湯はバケツで50ルピーの別料金になります」

上の写真を見てもらうと、シャワーはあるし、コックもきちんと2つある。しかし、使えるのは冷水の方だけなのだ。
シャワー
以前、レーの2つ目の宿でシャワーのお湯が出ないと騒いだ私のことだから、別の宿を探すかと思いきや・・・
「分かりました」
と、納得してその部屋に決めてしまったのである。

実は、ラマユルの宿で学習したことがあったのだ。
レーは別として、ラダックではホットシャワーが使えないことが多いのである。例え、寒くなり始めたこの季節でもだ。省エネの一環なのだろうか・・・
ラマユルでもホットシャワーが使えず(宿の主人によると、その宿に限らず地域全体で使えないとのことだった)、石鹸で洗った体を冷たい水でふいて、冷たい水で洗髪をした。この日もその繰り返しである。入浴後は、予め手持ちの魔法瓶に入れてもらった熱いチャイを飲んで体を少しばかり温めたが、それでもまだ寒い。

ラダックに来てあちこち回ろうとする人は、気合で冷水浴するか、体を洗わないかの気構えが必要になるかもしれない。

え? 50ルピーぐらいけちるなと?

(ちなみに、アルチで私が泊まった宿はシャワー・トイレつきの部屋なのに冷水すら出ず、カルギルで泊まった宿では自分の部屋があるフロアにシャワールームが見つからず他のフロアを探すのも面倒だったので、これらの日は入浴せず別の場所に移動した次の日に2日分纏めて冷水浴した。まあ、2日に1回ぐらいでも別にいいじゃないですか・・・)

ザンスカールへ(3)

2011年9月27日

ペンジ・ラ峠を越えて10分ほど、白い雪を頂いた山の景色に見とれていると、雪山と雪山の間に白い帯が横たわっているのが見えた。
[もしかしたら・・・]
予感はしたが、その正体はすぐにはっきりと分かった。
ドゥルン・ドゥン氷河
氷河(ドゥルン・ドゥン氷河)だった。
先程から車の窓を開けて写真撮影をしていて、どうも冷え込んできたな、と思っていたら、ついに氷河がすぐそこに見える所まで来ていたのである。
ここは標高4000mの地である。雪山のすぐわきに川があるのだからその水源となる氷河があることは容易に予想できるが、これほど立派なものをみることができるとは――4年前、チベット・デチェン地区のカワ・カルポ峰(漢字名『梅里雪山』)に端を発するム・ロン(漢字名『明永』)氷河やパキスタン・フンザの氷河を訪れて以来の本格的な氷河を目の当たりにして、私のテンションのゲージは一気に上がった。

その他にも、ザンスカールは様々な自然の姿を見せつけてくる。

雪山をバックに、荒野の中を川と川が一つになる瞬間・・・
川と川が一つになる瞬間

川が大地を大きくえぐり、鋭い谷を形成している場面・・・
鋭い谷

ザンスカールは、高地における自然の姿の宝庫と言っていいだろう。

そして、カルギル以来希薄になっていたチベット色も再び濃厚になってきた。

チベット様式の家屋、タルチョ(五色の祈祷旗)、チョルテン(仏塔)・・・
チベット様式の家屋、タルチョ、チョルテン


チベット的な顔立ちとチベットの民族衣装・・・
ザンスカールの女

今回の旅で究極の目的だったザンスカールに、今私はいるのだ。その中心都市まで、もうあと少しである。

ジープは途中で大きな荷物を持った地元の人を乗せつつ走る。アブラン手前の最後のチェックポイントを過ぎる頃には、乗客は5人にもなり、後部トランクと屋根の上は荷物で一杯になっていた。

やがて悪路は終わり、ジープは舗装道路に入り、ラストスパートをかける。
そして、やはり出発から11時間以上となった午後6時前、ジープはついに、パドゥムに到着した。
パドゥム

ここまでの行程で既に自然の景色を存分に満喫したが、ザンスカール巡りはまだまだこれからである。

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