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世界への旅(旅行記)

アジア周遊第3部 チベット

ラサ-16 ~物憂げなチベット少女の絵と廃墟

2007年7月15日

ワタル、ヨシヒロ、タカシら親しい面々がネパールへ向けて出発した。特にワタルは、中国・成都以来苦楽を共にしてきたので名残惜しい。しかし、私もいずれ後を追うことになる。国を別にした再会もまたあるかもしれない。

昨日からデジタルカメラのメモリーカードの挙動がおかしくなっていたが、この日とうとう本格的に壊れてしまい、数日分の写真が消えてしまった。新しいカードを買ってイスラム街などの写真を撮り直して回った。

今いるラサはこの時期、平均気温が20度前後で、日差しは強いものの比較的過ごしやすい。しかし、これから向かおうとしているのはヒマラヤの麓。ここよりも厳しい気候が予想される。キレーホテルにある旅行社の所長氏に尋ねてみたところ、最低気温6度にもなるという。今持っている衣服では足りないだろうということで、近くの露店で、15元という破格の値段でなかなかいい上着を買う。

夕方、ネパール行きの仲間5人がナクチュ旅行社に集まる。 所長氏とスケジュールを相談し、以下のように決まった。
 7月18日 ラサ→ヤムドク湖→ギャンツェ
 7月19日 ギャンツェ→シガツェ→シェガール
 7月20日 シェガール→エベレストベースキャンプ(EBC)
 7月21日 EBC→オールド・ティンリー
 7月22日 オールド・ティンリー→ダム
そしてその翌日、国境の街であるダムからネパールへ抜ける、という訳だ。
各名、所長氏に100元の手付金を払い、パスポートのコピーを渡す。これで申し込みの第1段階が完了だ。

2007年7月16日

この日はムンシクが、やはりダイレクトでネパールに出発する。キレーホテルに出向いて彼を見送った。
この日だけで10人もの旅行者がキレーホテルから去っていく。大部分はネパールを目指していたが、中にはカイラスを目指す者も少なからずいた。

バルコル
物憂げな表情をした少女の
不思議な魅力を放つ油絵
そのままキレーにあるタシ2で朝食を取る。
このレストランには、何枚か絵が飾られている。その中に、物憂げな表情で何かを訴えかけるような少女を描いた油絵があった。
初めて見た時から、不思議に引き込まれていた。

なぜ、こんなに悲しそうな表情をしているのだろう?
何を訴えようとしているのだろう?

――  貧困?
――  チベットの民族と国土への抑圧?

彼女の表情は、チベット人の悲哀を象徴しているのかもしれない。

そろそろ、ラサでやることがなくなってきた。その後は洗濯をしたり、バナクショーホテルのナムツォレストランでヤクバーガーを食べたり、買い物をしながら街をぶらついたりするばかり。午後には、ヨージ・ナナ夫妻がガンデン寺から戻るまで2時間ほど昼寝をしていた程、やることが見つからない。

そうだ、インターネットをしよう ―― と、プンツォカサン・ユースホステル屋上のネットカフェでインターネットをする。メールをチェックしたりブログを書いたりしたほか、気になる天気予報を調べてみた。
どうやら、シガツェあたりで雨が降りそうである。シガツェは、6年前に行きたいと思いつつも行けなかった場所だ。何とか晴天の下で6年越しの念願を果たしたいところだが…。

夕方、部屋からふと窓の外を見ると、かなり規模の大きい何かの廃墟が見える。これだけ目立つのにこの部屋に来て4日目にしてようやく気がついた。
廃墟
宿の窓から見えた廃墟
この規模を考えると、何かの施設だったことは容易に想像できる。恐らく、中国共産党当局の破壊対象である寺院だったのだろう。

<後日談>
この廃墟が「シデ・タツァン」という名の、9世紀創建の歴史ある寺院だったことを知るのは、今回の旅が終わって帰国後、チベット解放運動に関わるようになってからのことになる。
なお、Google Mapで確認したところ、この“侵略の証人”は、このエリアの区画整理に伴って既に“隠滅”されたもよう。

夜になって、ようやくやることができた。写真データが消えてしまったポタラ宮の夜景をもう一度撮りに出かける。
相変わらず場の雰囲気を壊している俗悪な中国人趣味の噴水ショーに冷たい目を向けながら、崇高なるダライ・ラマ法王の宮殿をファインダーに収める。
もう1箇所、写真を撮り直したい場所があったが、そこには翌日、ヨージ・ナナ夫妻と一緒に行くことにしていた。それが終わってもう一夜明かせば、ラサとはお別れである。

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