世界への旅(旅行記)

ラダック、北インド(2011年)

レー」の記事

ラダックの牛、インドの牛

2011年10月23日

今回の旅は、ラダックを含めてインドを巡るものだった。

インドはご存知の通り、ヒンドゥー教で神聖視されている牛の天国である。
てか、こいつら甘やかされすぎ
時々現地の人たちに怒鳴られたり引っ叩かれたりもするが、基本的に気ままで偉そうに振舞っている。

飼われている牛もいるが、私が目にした牛の大多数は野良だった。
自然に生き、自然に食べ、自然に繁殖している。

ラダックとて、お国はインド。やはり野良牛天国だった。
レーの野良子牛
レーの路地を普通に歩く野良子牛

本当は、チベット文化圏に来たからには見た野良牛の数だけヤクを見たかったのに・・・
本当は、チベット文化圏に来たからにはヤク料理を食べたかったのに――牛を食べないインドの習慣がヤクにも当てはめられたのか、ついにヤク料理を食べることはできなかった。

そして、この牛たちには困らせられたこともしばしばあった。

ダラムサラでは、リンコル(コルラ道)でサルの写真を撮っていたら何度も牛に軽く頭突きを食らわせられた・・・。

バラナシでは、道に普通に落ちている牛の糞を踏まないようにと変な所で気を遣わさせられた・・・。
バラナシの野良牛
バラナシで残飯をあさる野良牛。こいつらのせいでバラナシの道が・・・

バラナシで牛と言えば、4年前、往来を走り回る暴れ牛に危なく追突されそうになったこともあったっけ・・・

(話を今回の旅に戻して)
歩いていて牛に道を阻まれるなど日常茶飯事。車に乗っていても、牛の大群に道を阻まれることがあった・・・。

道を阻むぐらいならまだしも、私が乗っていた車の前に急に飛び出して来て危うく轢き殺されそうになった牛すらいた・・・。


ニクイ・・・
牛が肉い・・・。

ええい。
お前なんてこうしてやる!!
牛丼

てな訳で?日本に戻って真っ先に食べたのが、↑コレ↑。
インドにいる間、好物の牛肉を全く食べることができず、牛肉に飢えていたのである。

6週間ぶりの牛肉――あーうまかった(笑)。


<追記>
いえ、本当は嫌いじゃないですよ、牛。最後の部分は言うまでもなく半分ジョークです。

Ti Sei Guesthouse

2011年10月 1日

ラダックの観光シーズンは一般的に、10月までとされているが、10月になると閉めてしまう店なども多いようで、レーのフォート・ロード~アッパー・トゥクチャ・ロードの川沿いでもシャッターを下ろしたカフェや入り口を閉じてしまった宿が見受けられる。
今回私がレーの寝床に定めたTi Sei Guesthouseも、営業はしているものの宿泊客は私だけと寂しい限りだ。

さて、このTi Sei Guesthouse、私がこれまでレーで泊まった中でも一番のゲストハウスだ。まず閑静さは文句なしのナンバー・ワン。雰囲気もいい。一歩中に入ると花いっぱいの中庭に出迎えられ、建物自体の外観の小奇麗さも手伝って、とても明るく感じられる。宿を仕切っているおばさんも優しく、とてもアットホームだ。庭で遊んでいる4歳ぐらいの女の子やウサギの存在も、ゲストハウスの雰囲気に可愛らしさを添えてくれている。
Ti Sei Guesthouse

通された部屋はそんなに奇麗ではないが、南向きで明るく、暖かい。窓の外も畑や雪山が見えるいい風景だ。客が少なくなった影響か、宿代もレーでのこれまでの最安値となる200ルピーを一発提示してくれた。
Ti Sei Guesthouseの部屋

問題はシャワー(室外)だ。前回のレーの宿やその後の西ラダックでの宿同様、ホットシャワーは無い。宿のおばさんによると、このあたりでは(どのあたりまでかは不明だが)どこもホットシャワーは無く、お湯はバケツで提供だということなので、そこは納得して入った。

レー滞在、と言うか、ラダック滞在も残り数日となる。その“最後の拠点”としてかなり好条件の宿を見つけることができたのではないかと思う。

カルギル―レー

2011年10月 1日

カルギルからレーへのバスは定刻通り、5時に発車した。
インドの大型バスは一般的に、乗客の座席部分と運転席を含めた前部が壁とドアで仕切られているのだが、私と田辺さんは予約するのが遅かったためか、運転席側に割り振られた。
しかし、この席が割と面白かった。バスの行く手が他の客席よりも一目瞭然だし、バスを動かすルールが垣間見えたりもする。例えば、

・途中下車する乗客がいたら、車掌が運転席のドアをノックして知らせる。
・後ろの車に抜かれそうになったら、相手に「どうぞお先に」と手で合図する。

等々。
運転席側の座席

また、前日のパドゥム~カルギル間の時もそうだったが、行く時とは逆方向を走っているがために見え方が違ってくること、見えていなかったものが見えることもある。

前者の例は、
ラマユル・ゴンパ
違う角度から見下ろすラマユル・ゴンパ

後者の例は、
バスコのゴンパや城跡
バスコ(レーとアルチの間の街)のゴンパや城跡

同じ場所を通っても、角度・時間(タイミング)・天気等によって変化するから風景というのは面白い。

ところで、先述のバスコのゴンパ等を通過した直後のことだった。
ラダックには、かつて国境紛争の舞台になったという背景から、街道沿いにも軍事施設が多く見られるが、バスコにもそれはあった。そこの軍事施設にはこともあろうに、チョルテン(仏塔)やマニ車が設置されていたのである。
[マニ車を回しながら、チョルテンをコルラしながら、戦争の備えか?]
悲しい、やり切れない、腹立たしい思いで胸がつかえた。

さて、出発前にはカルギル~レーの所要時間は7~8時間ぐらいと聞いていたが、来る時の時間のかかり方を考えてみるとそんなに早く着けるとは思えない。しかし、来る時に大渋滞が発生していた終盤の区間を今回は車の殆ど無い早朝の時間に駆け抜けることができた時は、あるいはもしかすると、と期待させられた。
しかし、やはりそうはうまくいかなかった。
昼を過ぎると、車の通行量が増えたり工事が行われたりで、通行が妨げられる場面が何度か発生した。それでも出発から9時間半後の午後2時半にはレーに着くことができたのは、褒めてやってもいいかもしれない。

1週間ぶりに戻って来たレー――何か懐かしいような、ほっとしたような気分になった。
以前、このブログで「メイン・バザールが騒がしい」「癒しにならない」などと散々書いてしまったレーだが、こうして戻ってくるとその喧騒にまでも懐かしさを覚える。
バスを下り立った私の第一声は、こうだった。

「俺、やっぱりこの街が好きだ」

レーに見るチベット仏教

2011年9月23日

レーに来てはや13日目になる。ここまで、レーで何度も目にしながらここで書いていなかった、レーに見るチベット仏教について少々書くことにする。

<レー・ジョカン(ゴンパ・ソマ)>
レー・ジョカン
チベット本土の首都・ラサの中心寺院がやはり「ジョカン」であることから連想されるように、レーの、と言うよりラダックの仏教の中心寺院がここである。周囲のゴンパに比べて規模は小さいこともラサのジョカンと同じだったりする(とは言ってもラサのジョカンはレーのものよりもずっと大きいが)。それでも中心寺院であることに変わりはなく、礼拝者は後を絶たない。ロサル(チベット正月)やラダック・フェスティバルの際にはイベント会場にもなる。

<マニ車>
マニ車
中に経典が入っていて、1度回すとお経を1回唱えたのと同じ功徳が得られるという。高さ数メートルの大規模なものから、寺院等の周囲に幾つも連ねられている中規模のもの、手に持って回すことのできる小規模なものと、大小さまざまある。特に大規模なものは、1回回すたびに「カラーン」という鈴の音が鳴り響き、これがラダックはじめチベット文化圏を象徴する音になっていると言ってもいい。

<タルチョ>
タルチョ
青・白・赤・緑・黄の5色の祈祷旗。表面には経文やルンタ(風の馬)などが描かれている。風にはためくごとに功徳が得られるという。寺院などの仏教施設以外にも、一般の家屋や自動車の中などにも張られている。(写真はレー王宮にて)

<マニ壇>
マニ壇
石に経文やマントラを刻んだマニ石を奉納した壇。

翌9月24日から10日ほどかけて、下ラダック、ザンスカールへと向かうことになる。

現地はレーほどにネット環境が整っていない。ザンスカールにはインターネットカフェがあるという噂も耳にするが、自分の目では未確認だ。
その間、ブログの更新は元より、メールの送受信すらままならない状態になる。

チベット難民マーケット

2011年9月23日

レーで買ったばかりのお気に入りの帽子を早々と無くしてしまった。日差しの強いラダックで帽子無しというのはかなりきついので、新しく買いに行くことにした。

最初に買った場所であるポログラウンド近くのマーケットに行こうと歩いていると、メイン・バザールの南端から西へ少し行った場所に別のマーケットを見つけた。入り口には

TIBETAN REFUGEE MARKET (チベット難民マーケット)

と書いてある。
チベット難民マーケット
よくよく見ると、このあたりにはチベット難民のハンディクラフト・ジュエリー売り場があちこちにある。

マーケットの中に入ってみると、特に変わったところは無い。さまざまな日用品が売られている普通の市場である。しかし、ここではチベット本土から難を逃れてきたチベット人が生計を立てるために働いているのだ。
チベット難民マーケット

[決めた、ここで買おう]

仮にもチベット支援を少しばかりやっている身である。自分が買い物をすることがチベット難民のためになるのであれば何よりだ。
その中の1件の店で品定めする。品揃えはそれ程ではないので、デザイン的にベストのものを求めることはせず、ベターなものを選んで購入した。
「お目が高いね。200ルピーだよ」
店の主人が言う。
前にポログラウンド近くのマーケットで買ったものが280ルピーだった。今回のものは200ルピー。同じ品物ではないにしても、80ルピーもお得な値段だ。

これとは別の時間に、手袋も買いに行ったのだが、このとき出された品物の一つが、何と中国製だったのである。チベット難民が中国製の品物を売るとは、何という皮肉だろうか…。
手袋を売ってくれたおばさんが、やたら「Tibet」という言葉を繰り返している。祖国が恋しいのだろうか。
ふと、私はカバンの中に忍ばせていた「Tibet will be Free !」と書かれたバッジのことを思い出し、それを出しておばさんに見せた。すると、おばさんはとても嬉しそうにそのバッジを手にしてしげしげと眺めていた。
「I also hope Tibet will be free !」
私はおばさんに、強い言葉でそう言った。


レーに来る皆さんにお願いがあります。
チベット難民の皆さんのために、レーで日用品を買う時はぜひ、チベット難民マーケットをご利用下さい。

ラカン・ソマ

2011年9月23日

レー王宮の西側にある小さなツェモ・ゴンパというゴンパが、午前8時からの30分間限定で開かれているという情報を得てこの日朝早速行ってみる。
しかし、王宮の真下まで息を切らせて上り、王宮外壁下の道なき道を歩いてようやく到着したものの、門は固く閉ざされていた。

このまま手ぶらでは帰れない、と思って近辺を歩いていると、ラカン・ソマという小さな寺院の門が開いていたので中に入ってみる。
ラカン・ソマ」
2回にあった本堂の内部は取り立てて素晴らしいという程のものでもなかったが、苦労だけして徒労のまま引き返すことを回避できたという意味だけでも実りはあった。

ATISHA GUEST HOUSE

2011年9月22日

チェムレ・ゴンパからまずはストクの「にゃむしゃんの館」に戻り、お茶を少しご馳走になった後、レーに戻る。

先日も書いたように、今回レーに戻った後は小川のせせらぎが心地よい閑静なフォート・ロード近辺に宿をとろうと考えていた。この辺りは閑静な上に、旅行社・レストラン・商店など旅行者にとって必要な店が揃っていて何事にも不便しない点も魅力である。

小川のそばの宿を回った結果、私はATISHA GUEST HOUSEを次の出発までの住処に決めた。
ATISHA GUESTHOUSE
(翌日日中に撮影)

決め手になったのは、部屋代と内装のバランスだった。
案内されたのは、シャワー・トイレ共同のダブルルームで、1泊250ルピー。扉を開けるとその中は、広々としていて明るさと清潔感のある内装だった。天井を見ると、先日「にゃむしゃんの館」やパンゴン・ツォのホームステイ先で見た、ポプラの梁と柳の建材というラダック伝統の建築様式になっているのも大きなプラスポイントとなった。
表の小道に面していて窓の外は向かいの建物の壁という愛想の無い眺めだが、幸いにもその壁に窓は無く、向かいの人と窓を隔てて「ジュレー」ということも無い。
ATISHA GUEST HOUSEの室内

探せばボロくてももっと安い部屋が見つかったかもしれないが、先日まで泊まっていた同じく250ルピーの宿と比べて遥かに住み心地が良く、コストパフォーマンスが極めて高く思われたので、ここに決めることにした。
そして、これは結果論だが、今のところ電気が停まることが、夜中も含めて少なく、人の少ない昼過ぎだけというのも素晴らしい。

ただ、一つだけ大きなマイナスポイントがある。共同のものしか分かっていないが、シャワー等でお湯が出ない点である。お湯を使いたい場合は入り口近くにある、ボンベに直結したガスコンロで沸かしてバケツでシャワールームに持って行って下さい、という方式だ。
この一点の手間を厭わない、という人にはぜひお勧めしたいゲストハウスである。

<追記>
しかし、翌日日中に浴びようとしたところ、そのガスコンロがうまく動かず、結局日なたで少し温ませた水で強行水浴する羽目になってしまった…

フォート・ロード一帯

2011年9月20日

今いるOld Ladakh Guest Houseも、メイン・バザールに比べれば閑静だが、何か物足りない。ストクの農村体験で1泊して戻ってからは王宮の見えない部屋に入ってしまったのでなおさらだった。

と、レーの街をうろうろ歩いている間に、いい場所を見つけた。
フォート・ロードと、サンカル方面から流れてくる小川が交わった一帯である。
201109200301.jpg

ここは、カフェや旅行社、宿なども結構多い割には閑静で、そして小川のせせらぎが耳に心地よい。
せせらぎの音――そう。私にとってこれは、結構重要な癒しのポイントなのである。

決めた。

明日からレーを離れて1泊してくるので、そこから戻ったらこのあたりに宿を移そう。

レーの電気・水事情

2011年9月20日

あくまで旅人目線で感じたことではあるが、ここでレーの電気・水事情について。

<電気>
供給量が足りないためか、電気が通じなくなる時間帯が多分にある
勿論、商店やインターネットカフェ等では営業時間中は電気が常時通じているが、それでも時には電気が停まることがあるので、自家発電を準備している店も見受けられる。
そして、旅人の生活の場となるゲストハウス等では、(あくまで私が泊まっていた宿での経験上であって、もしかしたら場所やグレードによって違うのかもしれないが)明け方や夜の一般的な人間の活動時間においてはきちんと電気が通じているが、夜中の11時以降はまず通じなくなり、昼間も通じなくなることがある。
そして、突然の要因で突然停電が発生することも少なくない。
宿に入る時、戻った時は、まず電灯をつけて電気が通じているかを確かめよう。そして、電気が通じている時を逃さずに、ホットシャワーを浴びたり充電をしたりしよう。

(と、この原稿をちょうど書き終えた午前7時10分。突如として電気が停まった)

上記の停電の多さに加え、夜の裏道は街灯が無いことが多いので、懐中電灯は必需品である

<水>
これまでのところ断水の憂き目に遭ったことは無いので電気ほどではないのかもしれないが、レーでは水もそれ程豊かではないようで(近くを流れるインダス川も、上流なので水量はさほどではない)、節水の呼びかけがあちこちで行われている。
早朝になると、メイン・バザール等で面白いものが見受けられる。水供給車だ。

これが来ると、近辺の住人たちがバケツや水タンクを手に大勢、車に群がってくる光景が見られる。中には、飲食店関係者だろうか、何百リットル入るのかという巨大なタンクで水を補給する者もいる。給水が足りないまま車が走り出したら、車を追いながら給水を続ける者すらいる。
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こうした光景を見ていると、日本がいかに電気や水に恵まれているかを再認識させられる。殊に電気は昨今、節約が求められているが、それでもラダックに比べれば遥かに恵まれているのだ。エネルギーの使い方をもう一度、見つめ直してみる必要があるかもしれない。

レーという街

2011年9月19日

ラダックといえば静かで落ち着いていて癒される場所、というイメージがあることだろう。
確かに、全体を見ればそうなるかもしれない。しかし、私が9日間拠点にしてきた中心都市・レーという街はどうかと言えば・・・

 人が多い
 観光客が多い
 車が多い

総じて、賑やかなのだ。
ほんの少しだけ中心街から外れれば、静かな場所もある。しかし、その中心街であるメイン・バザールは上記の如く、とにかく賑やかだ。
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しかし、“賑やか”に止まってくれればそれは許せる。
一番許せないのは、車のクラクションだ。
インドという国が総じてそうであるように、とにかく遠慮なくクラクションを鳴らすのだ。

以前書いた「にゃむしゃんの宿」のチラシ
「レーの街の喧騒を離れ、静かな農村を満喫しませんか?」
と書かれていた。
まさしく、レーの街にあるのは“喧騒”なのである。

幾ら癒しの地・ラダックに来たとはいえ、
レーに、特にメイン・バザールにいてばかりでは、
全く癒されない。

やはりそろそろ、先日ストクで体験したように、レーとは別のラダックで本当の癒しを体一杯に体感したい。

スピトク・ゴンパ

2011年9月19日

レー近郊でまだ行っていない大物ゴンパ(僧院)があった。レーから南へ8kmの場所にあるスピトク・ゴンパ――ティクセやストクとは道が別方向になるのでこれまで行きそびれていたのである。
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多分に漏れず岩山の上にあるこのゴンパ、空港に隣接する場所にあり、上までのぼると滑走路がすぐ横に見える。ゴンパすれすれに飛行機が発着する光景はなかなかスリリングだ。
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境内に入り、ストゥーパの下に設けられたトンネルをくぐるが、そこにはなぜか日本語だけで「スピトクゴンパの由来」という説明文が書かれている。それによると、ここは11世紀に端を発するラダック地方で最も歴史の古いゴンパらしい。

外目にはそこまで大きなゴンパにも見えないが、内部が複雑で、こっちへ行けばあそこに着くのではないかと思えば全然違う場所に行き着いたり、あそこを行けばどこに着くのだろうと思って行ってみれば先ほど来た場所にまた出てきたりと、どこを歩いているのか本当に分からなくなる。
最上階の堂や砂曼荼羅台など、見どころの多いゴンパなのだが、この時は勤行中の本堂を見せて頂くことしかできなかった。
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本堂正面の中庭で、3人の僧侶が布製の丸いものを繋げて何かを作っている。直径20cmほどの大きなものを中心に、その半分ほどのものを放射状に幾つも連ねているのだ。
「何ですか、これ?」
と尋ねると、
「Treasure(宝石)ですよ」
と言う。私の英語力では詳しいことを聞かされても分からなかっただろうが、どうやらこの布の丸いものを宝石に見立てて何かを作っているようである。
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メインの堂とは別にもう一つ、山の上の更に高い所に堂が建てられている(1枚目、2枚目の写真参照)。この場所から見るインダス川の景色はこれまで別の場所で見てきたよりも緑が多くて人造物が少なく、ちょっと趣が違う。
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堂の内部は薄暗く、奥に進むとご本尊のほかにチャムのお面が壁の上で目をむいていて、ちょっと気味が悪い。

レー到着9日目。そろそろレー近郊では見るものも見尽くした感がある。そろそろ遠くへ足を延ばすことを具体的に考えなければ。

シャンティ・ストゥーパ20周年式典

2011年9月18日

先日泊まったた「にゃむしゃんの館」のエツコさんからのお誘いで、シャンティ・ストゥーパ日本山妙法寺)完成20周年式典に赴いた。先日も訪れたあの高台のストゥーパ ―― また登るのかと思うと少しげんなりしてしまう。とはいえ、さすがに体が高地に慣れてきたか、先日よりも楽に登れた気がする。

式典は、インド仏教界の重鎮や日本からも九州の高僧がゲストとして呼ばれて行われた。雲一つ無い空から降り注ぐ強い日射しの下、入れ替わり立ち代りスピーチが行われて少々げんなりし始めたが、いいタイミングでチャイやスナックの差し入れがあり、気分一新。スピーチも終わってようやくお目当ての出し物が行われた。

出し物はいずれも歌舞。仏教に限らず、ラダック各地の歌と踊りが披露された。こうした芸能は今のところチャムしか見ていないので、また一つラダックの文化に触れる機会を得ることができた。
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出し物も良かったが、今回の式典で一番感じたのはやはり仏教における日本とインドの結びつきだった。日本の力添えが、仏教誕生の国で仏教を復興させる原動力になってくれればと思う。

レーのバスターミナル

2011年9月15日

この日は朝から上ラダック(レーから見てインダス川上流域)のゴンパ巡りに出かける。

ラダック内での移動及びマナーリーなど近隣地区への移動はバスが基本となる。レーのバスターミナルは街中から南へ少し外れた坂道の下にある。バスターミナルと言っても行き先別の看板が出ている訳でもなく、自力で目的地へ向かうバスを探さなければならない。
レーのバスターミナル
今回は幸運にも、同じ方向に向かう日本人女性が先に乗っていて、
女性:「どちらへ行かれるのですか?」
私 :「ティクセです」
女性:「あ、このバスですよ!」
という具合にすんなりと見つかってくれた。

近郊へのバスはミニバスとなる。途中の街で客を乗降させながら、幹線道路を比較的ゆったりと進んでいった。

※ちなみにタクシースタンドは、バスターミナルへ向かう坂道を下る前の、大きなゲートとマニ車のある三叉路にある。

レーのゴンパ巡り

2011年9月14日

この日はレーにあるゴンパ(僧院)を3つ訪れた。

まず早朝に、レー北東のサンカル地区にあるサンカル・ゴンパを訪れた。
メイン・バザールから緩やかな坂道を北へ歩くこと20分。ちょっと場所が分かりづらく地元の人に道を尋ねる場面もあったが、殆ど息を切らすことも無く楽に到着することができた。
一応、敷地内には入ることができたが、内部は残念ながらドゥカン(僧侶たちの修行場)を覗くことができたに止まった。
サンカル・ゴンパ

それよりも、帰る途中で見た(ということは来る途中でも通りかかったはず)、チョルテン(仏塔)が山の上まで幾つも建ち並んでいる光景の方が印象に残った。
チョルテン(仏塔)が山の上まで幾つも建ち並んでいる光景

一旦レーの街に戻って朝食をとった後、今度はレー北西のチャンスパ地区へ向かう。
このあたりは思わず飲んでしまいたくなるほど澄んだ水をたたえた川に恵まれ、レーでは珍しく林ができている、自然の豊かなエリアだ。川の東側にはタシゴマン・チョルテンという、このあたりでも一際大きなチョルテンが建ち、そのすぐ近くにはかなり古い時代のものと考えられる、仏のレリーフが彫られた石柱がたたずんでいる。
タシゴマン・チョルテン

そして、川から西へ少し離れた岩山の上にはシャンティ・ストゥーパ日本山妙法寺)が建っている。これがこのエリアを訪れた本命の目的地だ。
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レー王宮より高い位置の頂の上にあるチョルテンとゴンパには手すりも無い長い階段を上って行くことになる。幾らラダック4日目とはいえ、本格的な上りはこれが初めてとなる。酸素が薄い中、息も絶え絶えになりつつどうにか上り切った。
そう言えば、ネパール・ポカラの日本山妙法寺も山の上で息を切らせながら上った記憶がある。妙法寺はどうしてこうも高い所ばかりに仏塔を建てようとするのだろう・・・

来た道が険しかっただけに、到着後の感動もひとしおだった。ゴンパや別院のご本尊はまあ普通だったが、ここで見るべきはやはりチョルテンだ。1985年建造と歴史は浅いが、新しく大規模であるが故の存在感と、インドと日本の仏教の繋がりを示す存在意義はピカ一である。誕生・悪魔来臨・入滅という釈尊の伝記のレリーフを見つつ、手持ちのハンディ式マニ車を回しながらコルラ(聖地の周囲を右回りに回る巡礼)をさせていただいた。
そして、レー王宮よりも高い位置から眺めるレーの景色も圧巻だった。ここからはレーの町並みに加え、手前に緑豊かなチャンスパの景色も併せて見ることができ、王宮からの眺めとはまた違う味わいがあった。
しかし、数時間後には更に高い位置からレーを見下ろすことになる。

その更に高い位置とは、王宮の東側の山の上にあるナムギャル・ツェモである。
正直、日本山妙法寺を上った疲労は宿で休んだものの半分も回復できていなかった。しかし、少し無理をすれば行けなくはなさそうだ。
この日のうちに行くか否か、タイムリミット寸前まで迷ったが、

[この際だ。体を徹底的にいじめて高地に慣らそう]

ということで午後3時、ベッドに横たえてた体を起こし、体に鞭を打って山の上のゴンパへと足を動かした。

ナムギャル・ツェモへの道は、途中までは昨日行った王宮へのコースと同じである。王宮に到着する直前の地点から、何とか道と言っていい土むき出しの道を上ることになる。
そんなに驚くほどの傾斜ではないものの、酸素の薄さと蓄積された疲労とが重なって、20~30歩あるいては立ち止まることを繰り返す。しかし、さすがに体が慣れてきたのか、上り切った直後の疲労感は妙法寺の時ほどではなかった。

まずはレーで一番高い場所からの景色を楽しむ。ゴンパの正面に立つとレーの中心街の景色が見え、ゴンパの右側に移ると先ほど訪れた緑豊かなサンカル、チャンスパが見えるといった具合に、立ち位置によって見える景色が変わってくるのが面白い。

建物は、赤と白の寺院、赤一色の寺院と白一色の砦跡の3つ。うち寺院は門が閉ざされており、砦跡は老朽化が激しくて立ち入ることができず、中に入ることができたのは砦の手前一角にある礼拝堂だけだった。
礼拝堂の中は小さなストゥーパと像が2つ安置されている。それよりも、その外側に張り巡らされているタルチョ(五色の祈祷旗)の印象が強く残った。高い場所にあるだけに、時折強い風が吹いて旗を一斉にはためかせる。(確か)1回風になびけばお経を1回唱えたのと同じ功徳が得られるというタルチョ――私はこの場で、何百回のお経を唱えたのと同じ功徳を得られたことになるのだろうか。

何より印象に残ったのは、白い砦跡とタルチョの組み合わせだった。礼拝堂の周囲ばかりではない。隣の頂から繋げられた2本の綱にも無数のタルチョが宙を舞っている。
白い建造物、五色の旗、褐色の山肌、そして深い色の青空――褐色が目立つラダックの大地で、これほどカラフルでバランスのいい配色が見られる場所は稀ではないだろうか。
ナムギャル・ツェモ

素晴らしい情景に心を満たして下山する。そのためか、出発前に心配していた疲れだが、頭や肩、背中、腰などは思いの外軽やかだった。しかし、脚だけはさすがに少々重い。おまけに、帰り着いたゲストハウスで階段を上る途中、左膝の下をしこたま打ってしまい、山登り中の何倍もの痛みが左足を襲った。
この文章を書いている現在、少しは痛みも治まったが、明日も予定している10km以上の徒歩を果たして予定通りに実行できるかどうか、少し心配である。

レーのインターネット事情

2011年9月13日

さて、ここでレーのインターネット事情について。

一般的に、レーのインターネット回線は極めて弱いといわれている。
確かに、ワンドリンクでWiFiを提供しているありがたいお店であるInner Cafeはここのところいつ行っても「回線がダウンしている」と言われてWiFiを使わせてくれない。インターネットカフェも回線の弱い所が確かに多く、「アップロード・ダウンロード厳禁」「アップロード禁止」と明示している場所もある。アップロード等で回線を使ってしまうと他のパソコンのゲートウェイまで狭めてしまってそのインターネットカフェ全体でダウンしてしまうというのである。

レーのネット回線はそのくらい弱い、或いはダウンすることが多い、というのが一般的なのは間違いないだろう。

しかし、探してみれば回線がしっかりした場所もきちんとある。そういう所では、ブログで使う100kb未満の画像ぐらいならアップロードしても全く問題は発生しないのだ。
目安になるのは、twitter。回線の弱い所だとtwitterにログインしても全くTLが表示されないが、まともな所だと日本より少し遅いかな、という程度できちんとTLが表示される。そういう所は基本的に、余程サイズの大きいものでなければアップロードも問題ない
また、自分のノートパソコンを持ち込めるインターネットカフェもお勧め。自分のPCがあれば宿で原稿を書くなどしてPCを持ち込めばインターネットカフェでかける時間を少なくすることもできる。

そういう場所を選んでインターネットをしよう。お勧めは、メイン・バザールにある「Potala」というお店。回線もしっかりしているし、自分のPCを持ち込むこともできる。店の外からも見えるチベット国旗が目印。

但し、このあたりのインターネットカフェは1分1.5ルピーと馬鹿みたいに高いのでご注意を。

(と書いている今現在、画像のアップはNGとなっています)

ラダック・フェスティバル(3) & レー王宮

2011年9月13日

この日も午前中、ラダック・フェスティバルの一環としてジョカンにてチベット仏教の仮面舞踏チャムが行われた。この日は開演前に現地入りして、楽器演奏もしっかりと見えるベストポジションを確保して観劇。2度目でも見る場所を変えるとまた新鮮に見えてくる(内容がよく分からない間はずっと新鮮に見えることだろう)
チャム

レー入りして3日目。にもかかわらず、宿から、街中からしょっちゅう見ているレーのランドマークにまだ訪れていなかった。体もそこそこ適応してきたことなので、そろそろ行ってみることにしよう。
ということで、いざレー王宮(レーチェン・パルカル)へ。宿からの直線距離は近いが、ポロ・グラウンドから迂回路を回って行った方が楽だ。

レー王宮
レーの街を見下ろしつつ迂回路を徐々に上っていくうちに、王宮に到着。入場料は100ルピー也。
中に入ると、修復中の箇所、がらんどうの箇所が結構多い。この王宮は19世紀のドグラ戦争以降、住む者のいない廃墟と化してしまっていたのだ。何かが置かれているのはチベット仏教の仏像やチャムの仮面等が安置されているパルカル・ラカンのみである。
レー王宮内部
外観は修復が完了したのか、色鮮やかさこそ無いもののチベット本土のポタラ宮にも似た(レー王宮はポタラ宮のモデルとも言われている。丘の上に建っているというのも両者の共通点だ)威風堂々とした姿を下界の人々に見せ付けている。内部もいつかきっと、往時の輝きを取り戻してくれることだろう。

パルカル・ラカン以外の王宮の楽しみ方は、何と言ってもレーの街を見下ろすことだろう。タルチョの向こうに、造りかけのものも多いが、石レンガを積み重ねて造ったラダック風の家屋が軒を並べている風景を見渡すことができる。賑やかなメイン・バザールも、王宮から見下ろす風景の中ではそのほんの一部にすぎない。
今となってはすっかり無機質でチベット伝統文化のかけらも無い中国人居住区となってしまったラサのポタラ宮周辺も、かつてはこんな感じだったのだろうか――チベットらしさが残るその景色を前に、そんなセンチメンタルな感傷に思わず襲われた。
レー王宮から望む市街

レー王宮を訪れたのなら、そのすぐ近くに登り口があるナムギャル・ツェモという山の上のゴンパ(僧院)を訪れるのが常道だが、この時はポロの決勝戦の時間が迫っていたのでこちらは後日に回すことにして街へと下りた。

しかし・・・

ポロ・グラウンドに来てみると、ギャラリーは集まっているもののポロの試合が行われる気配は一切無い。
と、外国人と思われる男性が試合開始を待つギャラリーたちにこう言った。
「ポロの試合、日程が変更されていたようですよ――昨日に
昨日にって――ということは、完全に見逃してしまったということではないか。
私はがっかりしてポログラウンドを去り、インターネットや夕食を済ませて宿に戻った。

ラダック・フェスティバル(2)

2011年9月12日

香港出発の際のドタバタによる疲れがまだ引かないこと、高地に体が順応しきっておらずゲストハウスの階段を上っているだけで頭がくらくらとしてくること、埃っぽさのためか軽い鼻炎を発症してしまったこと、そして、時差ボケ――「無理せずゆっくり過ごしなさい」という条件が見事に揃ってしまった。この日は軽い散歩(高地順応のためにも少しは必要)、食事、インターネットカフェ、買い物以外は殆どゲストハウスで過ごした。

そんな中でもラダック・フェスティバルを楽しむことだけは休まない。とはいえ、この日はラダック写真展とタンカ(仏画)展というインドアなイベントへ足を運ぶにとどまった。

写真展は、中心街から少し外れた場所にある割と広いホールの壁一面に写真を貼る形式で行われていた。穏やかな人々の表情、ゴンパ(僧院)、ストゥーパ(仏塔)、仏像、チャムなどの催し物、ヤクとともに移動する遊牧民たち――ラダックのさまざまな表情が数々の写真で物語られていた。
そんな中でとりわけ気を引かれたのが、雪に覆われた冬のレーの街の情景を収めた写真だった。一見美しい雪景色だが、その裏には、ラダックの冬の厳しさが物語られてもいる。
夏には照り付ける日射し、冬には雪に覆われる海抜3500mの地――それはまさしくチベットそのものではないか。

そしてタンカ展は、中心寺院であるジョカンの建物の一角を使って行われていた。
展示されていたタンカはいずれも時代を感じさせる年季の入ったものばかりだった。もしかしたらレー王国時代から引き継がれてきたものかもしれない。中国共産党によって壊滅的なダメージを受けた本土のチベット仏教で、今やこれだけ年季の入ったタンカは果たしてどれだけ残っていることだろう――そういう意味でも、貴重なものを見させていただいた。
訪れたチベット人たちは、皆敬虔な表情でタンカを拝んでいた。ものが古いの新しいのは問題ではない。そこに何が描かれているのかが重要なのだ。そして、宗教の展示会というのは見世物的な展示であってはならず、こうして信仰の対象として拝むことができるものでなければならない、ということをあらためて強く感じた。

写真というモダンな手法とタンカというクラシカルな信仰の対象――対照的な2つだったが、併せて見ることでラダックに対する認識が高まったことは間違いない。

(※ 両者とも写真撮影禁止のため写真は無し)

レー外食事情

2011年9月12日

レーに来た初日はなかなか安く食事ができる場所が見つからず、昼・夜といずれもインド料理で一食に100ルピー以上も費やしてしまっていた。
[インドで一食100ルピーもかかったっけ?]
そう感じたのは私だけではなく、同じ宿に泊まっていた夏休み中の日本人学生たちも同じ思いだった。

2日目。状況はようやくいい方向へと傾いてくれた。

早朝、この日の一食目を求めてメインバザールを歩き回っていたら、同じ目的で歩き回っている上記の学生たちに出くわした。
「どこも開いてませんね」
「あそこにベーカリーがあるけれど、閉まってるし・・・」
「あ、ベーカリーといえばもう少し言った所にもう1軒あったな」
私はメインバザールの西側にジャーマン・ベーカリーという店があったのを思い出した。
「ベーカリーでも十分ですよ!」
と学生たちも言うので、そちらへ行ってみると早朝から営業していた。クロワッサンのような小さなものもあれば、その3倍ぐらいのボリュームがありそうなチョコレートパンなどもある。大小1つずつ合わせて70~80ルピーぐらいだが、結構なボリュームで朝だけでは食べきれず残りは夕食に回してしまったほどだった。

そして、昼。
メインバザールから1本裏手に入った路地に、チベット料理店が幾つか並んでいる。初日の夕方も「ここなら安そうだ」と思って入ろうとしたのだが、どの店も扉を閉めてしまっていて入れなかったのだ。
この日の昼は「ここはどうかな?」と入ってみた1軒目がしっかりと営業中。「今日はマトンがありませんよ」とのことだったが、構わない。チベット国旗とダライ・ラマ法王の写真が飾られた店内で、野菜テントゥク(チベット風すいとんといったところか)を頂いた。
テントゥク
メニューに書かれていたマトン・テントゥクの値段は65ルピーだったが、野菜だけの具だと50ルピーまで値段が下がった。
満足だった――しかし、それは安かったからではない。せっかく私が心酔するチベット文化圏に来たのに、これまではインド料理やパンと、チベット料理ではない食事ばかりだった。
[チベット料理を食べたい!]
そんな強い欲求が満たされたことに満足したのである。

ともあれ、これでバックパッカーらしく食事を安く済ませる目途が立った。チベット料理店やジャーマン・ベーカリーには今後、入り浸りになりそうである。

ラダック・フェスティバル(1)

2011年9月11日

レーに着いて真っ先に訪れたい場所があったのでそこに向かっている途中、中心寺院であるジョカンの入り口から重厚な音楽が響いてきた。もしやと思って入り口の向こうを覗いてみると、やはりだった。チベット仏教伝統の仮面舞踏・チャムが執り行われていたのである。
実は、私が今回、飛行機を使ってでも早めにラダック入りしたかったのには理由があった。毎年9月の1日から15日の間、レーとその近辺ではラダック・フェスティバルが開催され、毎日何かしらのイベントが行われるのである。この日は午前11時からジョカンでチャムが行われるスケジュールになっていたのだ。
チャム
私も詳しいことは不勉強なのだが、チャムではいろいろな仮面を被った僧侶たちが入れ替わり立ち代わりステージに出て、管楽器や打楽器の重厚な演奏に合わせて踊りを披露する。今回も、仮面というよりは帽子と覆面をしただけの簡素ないでたちの僧侶たちから、憤怒神(トゥンガム)の仮面をした4人組、骸骨(アツァラ、チティパティ)の仮面をして客席にツァンパ(チベット人の主食である、麦焦がしを粉末にしたもの)を振りまいたりと奔放な2人組、鹿神(シャワ)の仮面をした1人が次々とステージに現れ、最後は総出で踊りを披露してくれた。
チャムは東京・新宿で行われたイベント等で見たことがあるだけで、ぜひとも現地で見たかったチベット芸能の一つだ。偶然の巡り会わせでタイミングよく見ることができた幸運がこれからも続いてくれればいいのだが・・・

チャムが終了して、今度こそ最初に訪れたいと思っていた場所へ赴く。メインバザールから少し上がった所にある、HIDDEN HIMALAYAという旅行社だ。ここにいらっしゃる日本人女性Sachiさんは、現地の人と結婚して上記の旅行社を経営していて、私も来る前からTwitterで連絡を取っていたのだ。Sachiさんから、フェスティバルの日程やレーのインターネット事情(別記事にします)など役に立つ情報を教えて頂く。

昼食をとったり街中を散策したり、宿に戻ってブログの下書きをしてインターネットカフェでブログをアップしたりした後、次なるフェスティバルのイベント会場へと赴いた。
今回のイベントは、ポロの試合である。言わずと知れた馬上のホッケーだが、私は生も中継・録画も含めて、初めての観戦となる。

試合はメインバザールからすぐ近くのポロ競技場で行われた。選手たちはサッカー場と同じぐらいのフィールドをフルに利用して馬を走らせ、木のボールをスティックで巧みに操りながら白熱した試合を展開する。時には観戦者のすぐ近くまでボールが転がってくるが、選手たちは観戦者にお構いなしでボールを追いかけてくるので、見ている方がボールや馬をよけなければならず、時として観戦者たちが大慌てで逃げ惑うシーンも見られた(私自身も2、3度逃げ惑った)。
ポロ
チベット人は元より遊牧民である。馬を利用したイベントとしては他にも天然の平原を利用した競馬などがあり、彼らにとっては打ってつけの競技と言うことができるだろう。

いざ ラダックへ

2011年9月11日

朝5時半前に自然と目が覚めたので、そのまま準備して空港へ向かうことにする。
空港へ向かう地下鉄の始発の時間が分からない。それに、まだ疲れが体に残っている。重いバックパックを背負って駅まで行って無駄足だったらまた疲れが増幅されそうに感じられたので、素直に宿の張り紙にあった空港タクシーを利用することにした。
ちなみにそのタクシー料金は、プリペイド(前払い)で250ルピー。昨夜空港で利用した350ルピーのプリペイドタクシーより100ルピーも安い。

――やはり、デリー空港のぼったくりスピリットは生きていた。

昨日のこともあってゆとりを持って出かけたところ、チェックインの時間開始の10分前に到着。ゆとりを持ってチェックインをし、ゆったりと食事をしてゆったりとパソコンを開いて――言うまでもないことだが、やはり時間に余裕があった方が心にも余裕ができる。

午前9時前、GoAir社のレー行きの便が離陸する。上昇していく機体の窓から下界を見ていると、タージ・マハルのようなモスク風の巨大な建造物が大きな川のほとりに見える――いやどう見てもタージなのだが、タージのあるアーグラーはデリーの南でレーはデリーの北である。まさかレー行きの便がアーグラーまで旋回したと言うのだろうか、それともタージとは別の何かだったのだろうか・・・

窓の下はすぐに緑深い山の景色へと変わっていった。と思うとやがて眼下には雪山が広がり、そして雪山の景色も間もなく終わり、眼下の山は土むき出しの褐色へと変わっていった。

間違いない――これが、ラダックの大地だ。

高ぶる気持ちが抑えきれなかった。

40分ほどの間でこうした目まぐるしい景色の変化が起きたかと思うと、9時30分すぎ、降下が始まった。機体が安定高度を保っていたのはコーヒー1杯を飲んでいる間だけだった(ちなみにこのGoAirの機内サービスで出たコーヒーはレギュラーコーヒーではなく、砂糖たっぷりのインスタントコーヒーだった。これが格安航空会社のサービスというものか)

降下は始まった。しかし、滑走路が全く見えてこない。実際のところは降下を始めた時には山陰の死角の先にあって見えなかったのだが、いくら旋廻をしても見えてこない。褐色の地面がどんどん近づいてくる。このまま褐色の地面に胴体着陸か?という冗談まで頭をよぎったが、着陸寸前になってようやくアスファルトで舗装された滑走路の端が窓の外に見え、そのまま無事着陸した。

タラップを降りてバスで到着口へ移動し、預けていたバックパックを受け取ってさあ、空港の外へ――とその前に、外国人はラダック入境手続きをしなければならない。とは言っても入境許可証を発行されるという訳ではなく、インドの入国審査で提出したような規定の用紙に必要事項とサインを記入して提出したらそれでOK、という簡単なものである。

これで空港から出ることができる訳だが、空港から街中へ向かうには迎えが来ているのでなければまたしてもプリペイドタクシーということになる。私は一人旅なので割高になってしまうが――そこは旅を繰り返して身に着いた図々しさを発揮する場面である。近くにいた外国人(オーストラリア人だった)2人組に「タクシーをシェアしませんか?」と申し出たところ、快く受け入れていただけた。街中まで1人だったら210ルピーかかったところを僅か70ルピーで行かせてもらった。

レーの中心街であるメイン・バザールに到着したところで私はタクシーを下りた。運転手に教えられた方向に歩くと、確かに目指すゲストハウスへの道標があった。現地の人にも尋ねながら、無事Old Ladakh Guesthouseに到着した。
ゲストハウスでは優しさのオーラが全身から発せられているおかみさんに迎えられ、一番安い250ルピーの部屋に案内してもらった。同じ250ルピーでも、昨夜デリーで泊まった宿よりも広々としていて小ざっぱりとしている。それに、窓の外にレー王宮が見えるという景色のよさも私の心を惹き付けた。

決まりだ。

私のラダック巡りは、ここを拠点にいざ始まりだ。

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